弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年9月21日

実見・江戸の暮らし

江戸時代

 著者 石川 英輔、 講談社 出版 
 
 江戸時代の日本は、どんな社会であったのか、幸いなことに、たくさんの絵が描かれているので、今の私たちにもかなりイメージをもつことができます。そうは言っても、もちろん、専門家による解説は不可欠です。
 江戸時代の女性は、結婚すると眉を剃り落とす地方が多かった。しかし、結婚しても、若いうちは眉を剃らない人がいたし、東北地方や長崎のように、眉を落とさない地方もあった。
未婚の娘にとって、振り袖の着物は、おしゃれ着であって日常のものではなかった。帯は、昔の人は、好きなように結んでいる。未婚、既婚を問わず、いろんな帯の結び方をしている。現代より、大きく、派手に結んでいる。
家で着物を着るのに裾を引くような着付けも珍しくはなかった。町人女性の風俗としても、裾を引くのは特別なものではなかった。当て布だけ、つけかえればいいようになっていた。
 江戸時代の家屋の室内には、家具がほとんどないという特徴がある。
 なーるほど、畳の上にソファーとか机とかはないのですね。もちろん、今のようにテレビもステレオもありませんしね。
 裏長屋は集合住宅である。現代のアパートと同じく、全体の入り口は一つしかなく、そこを閉め切れば出入りができなくなる。それが木戸だ。木戸の上の横板に、住民が表札をかねた看板を出していた。口入れ屋、祈祷師、山伏、医者、儒者、尺八の師匠、灸すえ所、易者、糊屋など、さまざまな職業がある。
江戸の庶民の食事が、飯と味噌汁とたくあんだけの素朴な内食で暮らしていたとは、とても思えない絵がたくさんある。
 江戸時代は、平和な時期が長く続いたおかげで料理も発達した。そのことは、さまざまな料理本が出ていたことでもわかる。
江戸の一般庶民は、あまり複雑な料理をしなかった。あるいは、出来なかった。なぜなら、住民の大多数の住む長屋の台所の設備が単純すぎたから。
 江戸では、外食も盛んだった。町内の半分は飲食店だった。屋台もたくさんあり、露店もあった。江戸でとにかく多かったのが、そば屋である。
 幕末期の江戸には、どんなに少なく見積もっても、番付に出るほどの料理茶屋が300店はあった。
八代将軍の徳川吉宗が日本の人口調査を行った享保11年(1726年)に、日本の人口は2650万人だった。ただし、正確には、3100万人とみられている。江戸時代の日本の総人口は3000万人から3200万人で安定していた。
 そして、江戸時代には、100万人から110万人が住んでいた。ところが、江戸府内の半分は農村だった。江戸の全部に裏長屋があったわけではないのですね・・・・。
 江戸にはたくさんの行商人がいた。まるで動くコンビニかスーパーマーケットのように、金魚、スズムシ、薬、メガネなど・・・・。今より、かえって便利だったかもしれない。
 江戸の庶民の日常生活がたくさんの絵とともに紹介されています。具体的なイメージをもって江戸の人々の生活を知ることの出来る楽しい本です。
 
(2009年12月刊。1400円+税)
 フランス語の授業を受けているときのことです。フランス人の講師から、なぜ日本人は社会問題でデモしたりしないのかという問題が出されました(もちろんフランス語で)。フランスでは、いま、サルコジ政府が年金受給年齢を60歳から引き上げようとしていることに対して、全国で何十万人という人の参加するデモ行進や集会が開かれています。ロマ(ジプシー)追放に対する反対の集会も起きています。
 日本では、そういえば集会やデモは見かけませんよね。日本人の生徒たちは顔を見合わせるばかりです。40年前に学生のころは、よくデモ行進もしていたのですが……。やっと私は、年越し派遣村のことを思い出しました。
 すると、講師が、沖縄ではやっているじゃないかと指摘しました。そうなんですよね、沖縄ではアメリカ軍基地反対で盛り上がっています。本土の私がダメなのですね。物言わぬ羊の群れになってしまたのでしょうか、私たち……。

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