弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年8月 9日

心脳コントロール社会

社会

 著者 小森 陽一 、ちくま新書 出版 
 
 テレビを視聴することは、思考を停止させ、白昼夢を視ていることと同じだ。
 私も本当にそう思います。かつて「政治改革」に浮かれて小選挙区制を強引に成立させて少数政党を閉め出し、「郵政民営化」に熱狂して自民党独裁を生み出し、今また、「消費税の値上げしか国家財政の危機は救えない」と思わされている国民のなんと多い
ことでしょう。どれもこれも、為政者による、誤解の多いキャンペーンに乗せられ、踊らされているだけではないのでしょうか・・・・。
アメリカ国民全体を、言語習得の以前、人間ではなく動物の段階におとしめて、戦争に動員するためのキャッチ・コピーが、「テロとの戦争」というスローガンだった。なるほど、
9.11のあとのイラク、アフガニスタンへの侵攻を許したのは、このスローガンでしたね・・・・。
 アメリカによるアフガニスタン攻撃は、個別的自衛権の行使という名の戦争であった。
 アメリカによる多くの軍事行動は、ほとんど自衛の名の下に遂行されてきた。
 リメンバー・パールハーバーとヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の正当化とは、多くの
アメリカ国民にとって大衆化された社会的集合記憶のなかで対になっている。
 9.11で崩壊したワールド・トレードセンター跡地が「グラウンド・ゼロ」と命令されたが、
この「グラウンド・ゼロ」とは、原爆投下の爆心地のことである。
 すべての人間は、女の子であれ男の子であれ、おしなべ人人生最大の「不快」である「生まれ出づる苦しみ」を体験している。その「生まれ出づる苦しみ」の初体験のパニック状態のなかで、初めて肺に吸いこんだ一気圧の大気を吐き出すときの声が「オギャー」という産声である。つまり、「オギャー」という産声は、人類すべての赤ちゃんにとって、人生最大の「不快」から救済してもらいたいという、自分に対する他者のケアを要求する表現なのである。
 「オギャー」という産声を発した赤ちゃんに対して、周囲の大人は、新しい生命が生まれた喜びとともに、「アー、ヨシヨシ」など、慈愛にみちた声をかけながら、自分の腕と胸で赤ちゃんを抱きかかえる。そして、あるリズムで赤ちゃんを抱きゆすりながら、「不快」の頂点に達し、極度の緊張のためのパニック状態から抜け出せるようにする。その行為は、赤ちゃんに、体内にいたときの「快」の記憶を蘇らせる。
 ふむふむ、なるほど、そうなんですね。
夜、眠りにつく前、子どもたちが「お話」をせがむのは、夜の闇と眠りにつくことに対する大きな不安を抱えているからである。子どもは、何度も聞いたことのある、同じ「お話」をせがむ。なぜなのかと思うほど、繰り返し、同じ「お話」を聞きたがる。このとき、子どもたちは、新しい情報が欲しいのではない。新しい、もっと面白い「お話」が聞きたいのでもない。言葉で構築された「お話」の世界が、決して変わらないことを確認して安心したいのだ。子どもにとって、「お話」は言葉による精神安定剤なのである。
 そうなんですか・・・・。私は、子どもが小さいとき、絵本の読み聞かせとは別に、私の創作「お話」を聞かせることがありましたが、そのとき、私は一生懸命に少しずつ話を変えていました。同じ話だと聞いていて飽きるだろうと思ったからです。ところが、いま思うと、まったく無駄なことだったのですね・・・・。ちなみに、私の得意とした創作「お話」は、ペローの「長靴をはいた猫」のもじりでした。 
 
(2006年7月刊。680円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー