弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年7月28日

わが心の旅路

司法

著者:団藤重光、 出版社:有斐閣 昭和61年

 高名な刑事法の研究者である著者が最高裁判事を退官するに当たり、その生い立ちから、大学での研究、最高裁での公務に至るまでの日々を振り返り、その時々の師友との関わりを回想したもの。もう何度も読んだ馴染みの随筆集であるが、刑事法制の動きが急展開しているこの時期に感じるものがあるかと思い、改めて読み直してみた。

 著者の先輩であり、著者と同じように大学から最高裁に転身した穂積重遠博士の言葉として、次のような一節が紹介されている。
「孝ハ百行ノ基、であることは新憲法下においても不変であるが、かのナポレオン法典のごとく、または問題の刑法諸条のごとく、殺親罪重罰の特別規定によって親孝行を強制せんとするがごときは、道徳に対する法律の限界を越境する法律万能思想であって、かえって孝行の美徳の神聖を害するものと言ってよかろう。本裁判官が殺親罪規定を非難するのは、孝を軽しとするのではなく、孝を法律の手のとどかぬほど重いものとするのである。」
いうまでもなく、尊属殺重罰規定の合憲性が争われた事件における穂積博士の違憲の意見である。著者は穂積博士に共感し、この意見の中に法の役割を考える上での普遍の価値を見出している。

 また、著者はある人物を語るにあたり、何度も「親愛なる井上君」と呼びかけている。著者の最後の門弟である井上正仁教授のことである。なるほど、著者と井上教授が共に自転車に乗り軽井沢を駈けている写真を見ると、親子のような睦まじさである。井上教授は後に、司法制度改革審議会の主力委員として裁判員裁判の導入など現在に通じる司法制度改革を主導した。さすがの著者も愛弟子がこれほどの大改革を実現するとは予想していなかったであろう。

 著者は、旧刑事訴訟法の研究者として出発し、戦後、公職を追放された小野清一郎教授に代わって新憲法の立案と並行して新刑事訴訟法を立案し、そして現在の司法制度改革を生み出した種を育てた。まさに刑事訴訟法の歴史を体現した大学者である。

 私は大学で、なぜ刑事訴訟法が大陸法に由来する要素と英米法に由来する要素を両有しているのか、その理由を学生に教えるときに、この本から汲み取られる団藤重光が果たした歴史的な役割を紹介している。しかし、学生は田口、白鳥は知っていても、もはや団藤、平野の名を知らない。これも歴史の流れかなと思うのである。

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