弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2010年7月19日
謎の渡来人 秦氏
日本史(平安時代)
著者 水谷 千秋、 出版 文春新書
秦氏は、自らを中国の秦の始皇帝の子孫と称する。戦後の通説は、朝鮮半島からの渡来人とする。秦氏は、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子に登用されたという伝承を持つくらいで、高い地位に就いた者はいない。秦人は一般に農民であった。秦氏が奉斎してきた稲荷山には、彼らの入植する前より古墳群が築造されていて、古くから神体山として信仰の対象とされてきた。もともと神体山への信仰だったものが、「稲成り」(いなり)として、農耕の神となって秦氏の守護神に変容したのであろう。
日本列島には、もともと馬はいなかった。古墳時代中期初めころ(5世紀初頭)、朝鮮半島から運ばれ、大阪の平野を最初の牧として育てられた。これらをもたらしたのは、当然、渡来人である。
平安朝の桓武天皇の時代は、渡来系豪族が異例の抜擢・寵愛を受けた時代だった。日本の歴史のなかでも特異な時代と言える。桓武天皇の外戚の和(やまと)氏や百済王氏、坂上氏といった渡来系豪族が桓武朝の朝廷で異例の昇進を遂げた。
母方のいとこにあたる和家麻呂(やまとのいえまろ)は、渡来系豪族として初の参議に列せられ、のちに中納言にまで上った。
征夷大将軍として功のあった坂上田村麻呂も、後漢氏の出身だが、参議に昇進した。菅野真道はもとは津連という渡来系豪族だが、参議従三位まで昇進した。従来なら考えられなかったことである。
桓武天皇ほど多くの渡来系豪族出身の女性を娶った天皇も珍しい。27人の后妃のうち、渡来系豪族では、百済王氏が3人、坂上氏が2人、百済氏が1人と、全部で6人もいる。
平安京は畿内における渡来人のメッカともいうべき一大拠点であった。その代表格ともいえる秦氏が、まさにここを本拠地としていた。
秦氏が蘇我氏と大きく異なるのは、秦氏はある時期から政治と距離を持ち、王権に対して反乱をおこしたりすることはなかったこと、そして、地方にも各地に経済基盤を築いて生産を進め、中央の秦氏と互いに支え合っていたことだろう。
日本と日本人の成り立ちを考えるうえで手掛かりとなる本です。
(2010年1月刊。750円+税)
2010年7月18日
関ヶ原、島津退き口
日本史(戦国)
著者、桐野 作人 、学研新書 出版
天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦において西軍の雄、島津義弘軍は敗戦が決まったあと、決死の敵中突破を図り、なんとか成功します。この本は、まず著者自身が「島津の退(の)き口(ぐち)」のルートを実地に踏破した体験にもとづいて書かれていること、そして、生還した将兵たちの手記を活用しているところに大きな特徴があります。つまり小説ではなく、その意義を実証した本なのです。
この本を読むと、当時の島津家というものが対外的にも内部においても、きわめて微妙な立場にあって、義弘が大軍を動かせなかった実情とその苦悩がよく伝わってきます。そんな苦しいなかで、よくぞ敵中突破300里に成功したものです。驚嘆せざるをえません。
島津家中で義弘は孤立化していた。石田三成と義久との間で板ばさみになっていた。
関ヶ原合戦において、義弘は太守ではなかったので、領国全体に対する軍事動員権を有しておらず、そのため、義久や忠恒の家臣はもちろん、一所衆とよばれる一門衆や国衆からの協力もほとんど得られず、自分の家臣団以外はほとんど動員できなかった。
義弘は、西軍に加担することを決めてから、11通もの軍勢催促状を国許に送った。しかし、義久・忠恒は義弘の懇請を黙殺し、ついに最後まで組織的な動員はなかった。
結局は、関ヶ原における義弘の軍勢は1500人ほどだったと推定される。
島津勢は、関ヶ原合戦においては、「二備え」(にのそなえ)、二番備、後陣だった。勝機は去ったと判断し、66歳の義弘は、前方を突き破って故国へ帰ろうと考えた。
島津勢の主要武具は鉄砲だった。これを足軽ではなく、武士が撃った。退き口の敵は、飢えだけでなく、東軍方や百姓たちの落武者狩りが容赦なく義弘主従に襲いかかった。
途中で300人ほどのはぐれ組みが発生した。
関ヶ原の戦場離脱から鹿児島帰着まで190日かかった。走破距離は海路をふくめて千数百キロに及ぶ。何より義弘の生き抜くという牢固な意志力と義弘を慕う家臣たちの自己犠牲的な奉公と献身の賜物であった。
義弘とともに大阪に戻ったのはわずか76人でしかないが、これは島津勢の生き残りすべてではない。1500人の島津氏の将兵3分の2が戦死もしくは行方不明となった。逆にいうと、3分の1も鹿児島にたどり着いたわけです。
義弘は、85歳の大往生をとげた(1619年)。
義弘軍の敵中突破の実情をしのぶことができる面白い本でした。
(2010年6月刊。790円+税)
2010年7月16日
歎異抄の謎
日本史(鎌倉時代)
著者 五木 寛之、 出版 祥伝社新書
『歎異抄』(たんにしょう)は不思議な本である。そこには、たくさんの謎はふくまれていて、読めば読むほど迷路にまぎれこんだような気持になることがある。
初めて読んだときには、がつん、と強い衝撃を受けた。そして、ずっと自分の内側にかかえて生きてきた暗い闇が、明るい光に照らし出されたような気持ちになった。しかし、その後、ことあるごとに読み直すと、次々に新しい疑問がわきあがってきた。
肝心なところが、どうしてもわからない。『歎異抄』は、いくつもの謎にみちた本である。
いつ成立したのか、誰が書いたのか、はっきりしない。『歎異抄』には、原文というのが存在しない。
蓮如によって禁書とされたというのは、違うだろうと著者は言っています。それは、軽々しく他人に見せるなということだろうというのです。
阿弥陀仏(あみだぶつ)とは、数ある仏の中でも、わが名を呼ぶ全ての人々を漏れなく救おうという誓いをたて、厳しい修行のもとに悟りを開いた特別の仏である。
阿弥陀とは、永遠の時間(いのち)、限りなき光明(ひかり)を意味し、その誓いを本願(ほんがん)、その名を呼ぶことを念仏(ねんぶつ)という。
善人なほもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。
善人ですら救われるのだ。まして悪人が救われぬわけはない。
いわゆる善人、すなわち自分の力を信じ、自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢の人々は、阿弥陀仏の救済の主な対象ではないからだ。ほかに頼る者がなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力(たりき)に身を任せようという、絶望のどん底からわき出る必死の信心に欠けるからである。だが、そのようないわゆる善人であっても、自力(じりき)におぼれる心を改めて、他力の本願にたちかえるならば、必ず真の救いをうることができるに違いない。
私たち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、他のいのちあるものたちのいのちを奪い、それを食することなしには生きえないという根源的な悪を抱えた存在である。
わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、我が身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に心から帰依(きえ)する人々こそ、仏に真っ先に救われなければならない対象であることが分かってくるだろう。
おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも、往生できるのだから、まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。
なるほど、分かった、と言いたいところですが、よくよく考えてみると、なかなか難しい言い回しですよね。でも、たまには、こんな根本的な問いかけを自らにしてみるのも大切ですよね。著者の小説『親鸞』を読んで触発されたので、読んでみました。
(2009年12月刊。760円+税)
雅子さまと「新型うつ」
人間
著者 香山 リカ、 朝日新書 出版
私は、これまでにも何回も申し上げましたが、最近の雅子さんバッシングを苦々しく思っています。天皇制とか皇族については否定的な考えをもっている私ですが、かといって、今の週刊誌と右翼による皇族とりわけ雅子さんバッシングのえげつなさには呆れてしまいます。右翼って、皇室を無条件で尊崇するというわけではないこと、自分たちの言いなりにならなかったら皇族といえども容赦なく叩くということを如実に示しています。いかにも政治的ですし、皇族なんて利用できるだけ利用するという姿勢があまりに露骨すぎて嫌になります。皇室の制度が現代の日本においていかなる意味を持っているのか、天皇の後継者は男系に限るのか、もっと私たちは冷静に議論すべきではないでしょうか。
その意味で、今の天皇が折りにふれて日本国憲法を遵守する姿勢を表明していることに、私は敬意を表すると同時に心から共鳴します。ところが、右翼の人たちは、そのことが、どうやら気にくわないようです。ここらあたりについて、国民的な議論を深めたいものです。
この本は、週刊誌から叩かれ続けている雅子さんの病状について、精神科医が解説していますので、よく問題点が理解できます。
雅子さんは、ストレスから不安や抑うつ、不眠、全身倦怠感などの症状が起きる「適応障害」という病名が公表された(2004年7月30日)。そして、6年がたつ・・・・。
精神科医は、何よりも患者自身の立場を無視し、その利益を優先することになっている。たとえ相手の話がどんなに荒唐無稽であっても、非倫理的であり反社会的であっても、ひとまずは「そうですか」と受け入れる。それが鉄則だ。ところが、精神科医として口にしてはいけないはずの「甘えている」などのという言葉をつい口走りたくなってしまうのが、この新型うつという新しい病態だ。雅子さんは、周囲の否定的な反応や感情を引き出してしまうというという意味でも、まさに、この新型うつにあてはまる。
新型うつで休職中の若い世代の多くは、自分の挫折のひきがねになったのは、「やりがいのない仕事」だったと語る。そして、自分がうつから回復するためには、自己実現につながる部署・業務が必要だと言う。
新型うつの人たちの主張の根本にあるのは、仕事は自己実現のためにあるという仕事に対する考え方の変化だ。
ところが、「私にしかやれない仕事」を実際にまかせたとき、本当にその人はその仕事をこなすことが出来るのか・・・・?そこには、こうありたい自分はあっても、決して実際の自分の姿はなかった。このように、仕事で自己実現したいと望んでいる人は、しばしばこの問題で落とし穴にはまる。個性的な仕事、オリジナリティにあふれる仕事は、それだけハードルが高い。知識、忍耐力、持続力、柔軟な心に体力など、要求される能力は数限りない。
精神科医とくに精神療法が必要なケースなどでは、それはいつも同じ場所、限られた条件で行われることが重要だ。生活空間を離れ、診察室という特別な場所で、それが10分であっても30分であっても、時間も限定された中で治療者と向きあう。できたら、「何曜日の何時ごろ」と、曜日や時間も、いつも決まっているほうがよい。こうやって治療の条件を限定し、一定の枠にあてはめることを「治療を構造化する」と呼ぶ。そうすることで、患者にも治療者にも、そこでの話が「ただのおしゃべり」ではないという意識が生まれ、限られた時間で大切なことを話そう、聞こうという状況になる。
1回あたりの時間はきちんと決めることによって、患者はそれ以外の日には過去を振り返ったり、次回の面接に向けて気持ちを整理したり、と自分なりのやり方で、過ごせるようになる。患者が治療者に「いつでも会える」と依存的になると、自己治癒力が発揮されにくくなってしまう。なーるほど、そんな工夫も必要なのですね・・・・。
新型うつの場合には、これまで、うつ病にはタブーと言われてきた「がんばれ」という言葉も、ときには有効になることもある。もちろん、まだ落ち込みがひどいときに「他の人もがんばっているんだから、あなたもがんばるべきだ」というプレッシャーをかけるような言い方は望ましくない。そうではなくて、夢から覚めるように急速に回復したときに、「さあ、そろそろ動き出しましょうよ」「ずっと休んでいるなんて、あなたらしくない」と背中を押すことも必要なのだ・・・・。ふむふむ、そういうことなんですね。
雅子さんの立ち直りを支えきれるのかどうかは、日本社会が温かさ、おおらかさをもっているかどうかの試金石のような気がします。もっと、温かい目で見て、みんなでしっかり立ち直りを支えようという社会的雰囲気をつくりあげたいものだとつくづく思います。
(2009年3月刊。700円+税)
2010年7月15日
諫早湾、調整池の真実
社会
著者:高橋徹・堤弘昭・羽生洋三、出版社:かもがわ出版
1997年4月、諫早湾の奥にある3550ヘクタールの海面が有明海から切り離された。これは、東京の山手線内側の半分以上の面積にあたる。堤防閉め切り後、湾口部の内外では潮流速が大幅に遅くなり、1998年以降は秋期の赤潮が大規模化しはじめ、 2000年には広汎なケイソウ赤潮によってノリの大規模な色落ちが発生した。その被害額は、単年度の市場価格だけで200億円に達した。
潮流速が遅くなった海底では、それまで沖合に流れていた細かい粒子の有機物をふくむ泥が沈澱し、それを分解するバクテリアが酸素を消費することで貧酸素水塊が発生するようになった。その頻度と範囲が年々拡大している。そして、高級貝のタイラギ漁は壊滅状態となった。
有明海の干満差は国内最大の6メートルにも達するため、数キロにわたって潮が引く、大規模な干潟が各所にできる。諫早干潟も、その一つで、2900ヘクタールという国内最大の面積を誇った。ここには、シギやチドリなど、渡り鳥の飛来数がとりわけ多い場所として、全国的に有名であった。
有明海では、毎年10月から3月にかけて、沿岸のいたるところでノリの養殖漁業が盛んとなる。その生産量は40億枚で、全国の養殖ノリの4割を占める。有明海はノリ養殖漁業の発祥の地でもある。
水温の高い有明海でとれる養殖ノリは柔らかく、香りが強く、高級ノリとしてのブランドをもっている。ところが、赤潮が秋に発生すると、このノリ養殖漁業を直撃する。本来、黒紫色の濃さを競うべき養殖ノリが色を失い無惨な姿となる。これは、増殖した植物プランクトンと、海水中の栄養塩(無機態のチッソとリン)をめぐる競争に、養殖ノリが負けてしまった結果である。
有明海は、1日の潮汐によって海面が5~6メートルも変動し、そのことによって速い潮流が発生するため、海水がよく攪拌される海であった。
日本の食糧自給率は4割いかになっていますから、それを解消するため、農業を保護、育成する必要があるというのは大いに共鳴します。しかし、それだったら、今の大々的な減反政策は、まっ先に見直されるべきでしょう。なにはともあれ、農家がいそいそとお米づくりに没頭できるようにするべきでしょう。
ですから、諫早湾を干拓する前に、国は今やるべきことがあるのです。
公共事業は、どこでもゼネコンと、それにたかる利権構造が問題となります。今回の諫早湾埋立にしても、ゼネコン側からの反対なのではないかと思われる節が多々あります。
もちろん、土木工事も大切です。でも、それが、私たちの日常生活をより苦しくしてしまうのであれば、思い切って中止するというのも、一つの決断ではないでしょうか・・・。
(2010年7月刊。1600円+税)
2010年7月14日
吉原花魁日記
日本史(近代)
著者:森 光子、出版社:朝日文庫
オビに欠かれている著者略歴を紹介します。
1905年、群馬県高崎市に生まれる。貧しい家庭に育ち、1924年、19歳のとき、吉原の「長金花楼」に売られる。2年後、雑誌で知った柳原白蓮を頼りに妓楼から脱出。1926年、本書、1927年『春駒日記』を出版。その後、自由廃業し、結婚した。晩年の消息は不明。
売春街、吉原で春をひさいでいた女性は自由恋愛を楽しんでいたのではないかという声が今も一部にありますが、決してそんなものではなかったことが、当事者の日記によって明らかにされています。
19歳で吉原に売られてから、嘆きというより復讐のために日記を書きはじめたというのですから、まれにみる芯の強い女性だったのでしょうね。
ちなみに、女優の森光子とはまったく無関係です。同姓同名の異人です。
うしろの解説にはつぎのように書かれています。
「怖いことなんか、ちっともありませんよ。お客は何人も相手にするけれど、騒いで酒のお酌でもしていれば、それでよいのだから・・・」
そんな周旋屋の甘言を真に受けて、どんな仕事をさせられるかも知らぬまま、借金と引き換えに吉原に赴き、遊女の「春駒」となった光子。彼女の身分こそ、まさに公娼制度の中にある娼妓であった。
周旋屋に欺されたことを知ったとき、彼女は、日記にこう書いています。
自分の仕事をなしうるのは、自分を殺すところより生まれる。わたしは再生した。
花魁(おいらん)春駒として、楼主と、婆と、男に接しよう。何年後において、春駒が、どんな形によって、それらの人に復讐を企てるか。復讐の第一歩として、人知れず日記を書こう。それは、今の慰めの唯一であるとともに、また彼らへの復讐の宣言である。
わたしの友の、師の、神の、日記よ、わたしは、あなたと清く高く生きよう。
客よりの収入が10円あれば、7割5分が楼主の収入になり、2割5分が娼妓のものとなる。その2割5分のうち、1割5分が借金返済に充てられ、あとの1割が娼妓の日常の暮らし金になる。
一晩で、客を10人とか12人も相手にする。
客は8人。3円1人、2円2人、5円2人、6円1人、10円2人。
客をとらないと罰金が取られる。花魁は、おばさん、下新(したしん)、書記などに借りて罰金を払う。指輪や着物を質に入れて払う花魁もいる。
朝食は、朝、客を帰してから食べる。味噌汁に漬け物。昼食、午後4時に起きて食べる。おかずは、たいてい煮しめ。たまに煮魚とか海苔。夕食はないといってよいほど。夜11時ころ、おかずなしの飯、それも昼間の残りもの。蒸かしもしないで、出してある。味の悪いたくあんすらないときが多い。
花魁なんて、出られないのは牢屋とちっとも変わりはない。鎖がついていないだけ。本も隠れて読む。親兄弟の命日でも休むことも出来ない。立派な着物を着たって、ちっともうれしくなんかない・・・。
みな同じ人間に生まれながら、こんな生活を続けるよりは、死んだほうがどれくらい幸福だか。ほんとに世の中の敗残者。死ぬよりほかに道はないのか・・・。いったい私は、どうなっていくのか、どうすればよいのだ。
花魁13人のうち、両親ある者4人、両親ない者7人、片親のみ2人。両親あっても、1人は大酒飲み、1人は盲目。
原因は、家のため10人、男のため2人、前身は料理店奉公6人、女工3人、・・・。 吉原にいた女性の当事者の体験記が、こうやって活字になるというのも珍しいことだと思いました。貴重な本です。
(2010年3月刊。640円+税)
2010年7月13日
クレジットカウンセリングの新潮流
社会
著者:大森泰人・伊藤眞一・永尾廣久ほか、出版社:金融財政事情研究会
本年6月、改正貸金業法が完全施行され、これまでのような野放図な貸し方が規制されました。それでも多重債務者はいます。しかも、たくさんの人が困っているはずです。
そこで、クレジットカウンセリングの出番です。ところが、なぜか、総合的な体系書が見あたりません。1998年以降、10年以上も空白になっています。本書はその意味で待望の新刊です。うれしいことに、福岡から二人の著者が出ています。永尾廣久弁護士(福岡県弁護士会)と行岡みち子さん(グリーンコープ生協ふくおか顧問)です。9人の著者は、行政官、学者、弁護士、NPO法人理事長、生協幹部、金融界関係者、市長と多彩な顔ぶれです。それぞれに経験をふまえてクレジットカウンセリングを論じ、自分の実践と体験を紹介しています。
たとえば、テレビで大々的に広告・宣伝してパラリーガルを活用した大規模でシステマティックな債務整理については、債務者の実情に即した親身な対応が行われにくいとして懐疑的です。
最近の相談者の実情は、貧困の問題に端を発するケースが増え、福祉的な観点からの生活再生が重大なテーマとなっている。
国や自治体による助成、法曹界など関係諸機関との連携の重要性も強調されています。金融機関が多重債務問題に主体的に関与する必要性にも言及されています。
永尾弁護士のクレジットカウンセリング論の特徴は、全国各地にあるクレジット・サラ金被害者の会のすすめている相談および生活立て直し活動を具体的に紹介しているところにあります。
裁判所は、破産手続について、教育的要素など期待してもらっても困るという態度です。迅速・公正な処理さえしていれば足りるのであって、そこに教育的見地をいれる必要はないというわけです。だったら、裁判所に欠けている面を誰かがカバーする必要があることは自明でしょう。それを被害者の会が補っているのです。
グリーンコープ生協ふくおかは、なぜか多重債務問題に取り組んでいるユニークな生協です。組合員に家計破綻した人が少なくなく発生したことが契機になっているようです。組合員の相談に乗り、弁護士を紹介し、生活再生貸付事業を展開しています。
宮城県に栗原市というところがあるそうです。残念ながら、行ったことはありません。いいところのようです。岩手県・秋田県との県境にある山のなかの市です。そこの市長さんが、自殺防止対策について寄稿しています。なんと自殺率が県下最悪だっというのです。
クレジット・サラ金の被害を本当に根絶したいと考えている人には絶好の手引書です。日本って、まだまだカウンセリングが根付いていませんよね。でも、必要な手法です。あなたに一読を強くおすすめします。
(2010年6月刊。3600円+税)
6月に受けたフランス語検定試験(一級)の結果を知らせるハガキが届きました。もちろん不合格なのですが、なんと自己採点では63点だったのに、現実には51点でした。この12点の差はフランス語の書きとりと作文について私の自己評価がいかに甘かったかを意味します。大いに反省させられました。自己に厳しくとはいかないものですね。
ちなみに合格点は85点ですから、34点も不足していました(150点満点)。
2010年7月12日
先生、カエルが脱皮して、その皮を食べています
生き物
著者 小林 朋道、 築地書館 出版
絶好調、先生シリーズの第4弾です。ますます生き物たち観察と文章力にみがきがかかっていて、一気に読ませます。まずは、タイトルになった話です。これって、本当の話なんですね。
ヒキガエルは、脱皮した自分の皮を自分で食べていた。著者は、これを目撃したのでした。
ヒキガエルは、分厚い皮膚をシャツを裏返しに脱ぐように脱皮しながら、その古くなって脱皮した皮を食べた。そして、皮を脱いであらわれた新しい皮膚には、パンパンに張りつめたイボと、それからしたたり落ちる毒液が見えたのだった・・・・。脱皮に長時間かかるため、そのあいだに身を守るため毒液の詰まったイボを備えていたというわけなのです。
ヘビに出会ったヒキガエルは、体(とくに腹部)を、ぷくっとふくらまし、四股を伸ばし、相撲の立会い前のような姿勢を見せる。ところが、そのヘビは、単にヘビそっくりのオモチャであってはならない。あくまで、先がかぎづめのように曲がったタテ棒の格好をしていなければ、ヒキガエルは対ヘビ防衛姿勢はとらない。この「かぎづめのように曲がったタテ棒」とは、ヘビがかま首を持ち上げて捕食しようとする姿勢を示すものと考えられる。なーるほど、ですね・・・・。
動けない植物は、草食動物がある程度の葉や枝や実を食べたら体調に異常をきたすような物質を体内(の細胞内)で生産している。だから、ミズナラのドングリばかり食べているネズミは死んでしまう。そこで、草食動物は、野生では、同じ種類の植物を食べ続けるのではなく、種類を変えながら採食している。
うへーっ、そういうことなんですか・・・・。食べる方も、食べられるほうも、相互に自らの身体の防衛を工夫しているのですね。
生命・生き物たちの神秘を身近に感じさせてくれる良書シリーズです。コバヤシ先生、引き続き、がんばってください。続刊を楽しみにしています。
(2010年4月刊。1600円+税)
いよいよセミが鳴き出しましたね。10日に天神で、11日に自宅でまだ頼りなさげな鳴き声ではありましたが……。梅雨は明けませんが、本格的な夏到来ですね。
庭のキュウリが何日かおきに見事に太くなってくれます。ミソと一緒に食べると美味しくいただけますが、ミソの代わりに五木村の山うに豆腐をのっけて食べています。ちょっと甘味がありますが、モロキュウの食感で、初夏を食べている幸せ感が味わえます。
私のハゼマケは皮膚科で貰った軟膏をつけたらひどくなることもなくあっという間に直ってしまいました。ちょこさん、ご心配ありがとうございました。
2010年7月11日
主婦パート、最大の非正規雇用
社会
著者 本田 一成、 集英社新書 出版
経済界がもうけ本位で安上がりにすべく主婦パートを安易に「活用」しているのが日本の将来を危うくしていると実感させられる本です。
企業が主婦パートにつけ込むことに血道をあげているうちに、旧来の忍従してきた主婦パートは様変わりし、企業経営にとって危険な存在になりうる。その結果、「生産性」は上がらず、多くのものを失う。安上がりだったはずなのに、かえって高くついてしまう。
企業が無我夢中でパート化を進め、うまくいっていると誤解しているうちに、人材の育成がおざなりになってしまった。
かつては正直で働き者だった主婦パートが、不満をためながら同じ職場、同じ仕事を続けているうちに、横暴な「ボス」になっていく。そして、新人や気に入らないパートをいじめたりするようになる。しかも、「ボス」が数人いると派閥ができて、目もあてられない。なぜ「ボス」パートが誕生するのか。それは、「人材開発」が有名無実になっているから。
今や多くの企業が、この「ボス」パートの問題をかかえている。
「かご抜け」をやっている主婦パートがいる。「かご抜け」とは、レジで代金を支払わずに、かごにいれた商品を店外に持ち出すこと。レジ担当者が、レジに並んだ知人や友人の買い物かごに入っている商品の一部を巧妙に精算せず通過させることもある。
この「かご抜け」のような露骨な反抗ではなく、実は、もっと厄介なのが「静かな抵抗」なのである。不満だらけで、いやいや働く主婦パートは、ビジネスチャンスの種を見つけても、わざと拾わず、黙ってやり過ごしてしまう。
自分の労働が正当に評価されないと、深刻な病理現象がいろいろ発生するというわけですね。
いま、主婦パートの主流は、家計の足しにするために働くという家計補助型から、生活を維持するために働く生活維持型に変化している。主婦はこの大黒柱となっている。
主婦パートにかかる負担が強まった結果、2人目は産まないという方向性が強まっている。少子化防止のはずが、主婦パートは子どもを一人にしてしまう少子化の推進力になっている。
家庭で夫からのDVの脅威にさらされている主婦パートが実に多い。DVがおきている主婦パート世帯の子ども虐待への連鎖反応も心配である。
このように、主婦パートに光をあてて実情を分析している貴重な新書です。
(2010年1月刊。700円+税)
2010年7月10日
官僚村、生活白書
社会
著者:横田久美子、出版社:新潮社
選挙のたびに官僚バッシングがあるのは、おかしなことだと思います。しかも、政権与党が官僚制(システム)を叩いて人気向上の材料にしようというのですから、信じられません。
いかなる政権であろうとも、それなりの官僚システムなしに国を動かせるはずはありません。高級官僚の天下り、「渡り」で何億円もの退職金を、わずか数年間で次々に手にするなどの病理現象はたしかにあり、改善すべき点があることは間違いありません。しかし、官僚システム抜きの行政など、ありえないことは明々白々ではないでしょうか。その意味では、マスコミも官僚叩きにおもしろがって大々的に加担している点で同罪だと思います。
この本は、官僚「村」の実情をそれなりに取材して報告しています。
官僚批判すれば、確実に支持率と票が取れる。民主党の支持率が着実に落ちていくなか、官僚機構の改革に着手すれば、支持率の上昇が見込めると目論んでいる。
これまでの日本では、政治家と官僚とのもたれあいは必然の出来事だった。官僚にとっては省益や局益に直結する法案を政治家に通してもらうことこそが命題であり、その家庭で癒着が生まれ、政治家は、政策的に官僚の掌で転がされてきた。
敗戦直後の華族制度の廃止と財閥解体はあったものの、エスタブリッシュメント層は戦後も変容しながら存在し続けている。
皇后・妃殿下の実家である正田家や川嶋家は「新華族」とも呼べる存在である。財界には、味の素の鈴木家、ブリヂストンの石橋家、ソニーの盛田家などが名門の家系として君臨する。金融界には、三井・三菱の宇佐美家がある。
政界には、こうした財界や新華族とつながった名門一族がごろごろしている。鳩山家、福田家などがそうだ。
官僚たちの世界でも、2世3世が幅をきかせているようです。
OBと現役の外交官夫人で構成される「かすみがせき婦人会」は50年以上の歴史を誇り、会員数も500人をこえる。すごい世界ですが、こんなところにはすみたくありませんね。生まれがモノを言うなんて、今どき、とんでもない世界ですよ・・・。
キャリア官僚の初任給は18万1,200円。45歳で課長になって、年収1200万円。局長になったら年収1800万円。次官級ポストの審議官になったら2300万円。次官(1年間)の退職金は7~8000万円。もちろん、最後は高額ですが、途中までは哀れなほど低いのです。あまり低いと、どこかで埋め合わせ行動(収賄)に走る危険があります。やはり、激務であれば、それなりの高給優遇は不可欠ではないでしょうか。
それにしても、阿久根市(鹿児島県)はひどすぎます。「ブログ市長」として一時はもてはやしたマスコミ、そして、今も公務員たたきの尻馬に乗っている人の責任は重大です。そこにあるのは、民主政治ではなく、「独裁」そのものです。悲しくなります。
(2010年6月刊。1300円+税)
今朝の新聞にドイツが軍事費を1兆円削減するという記事がのっていました。私も5兆円もある日本の軍事費をせめて1兆円減らして福祉予算にまわしたら、相当のことができるのではないかと思うのですが、自民党も民主党もそんなことはひと言も言いません。
軍事費の使い方には、かなりのデタラメがあるのは、先日、天皇とまで呼ばれていた実力次官が汚職で摘発されたことからも明らかだと思います。だって、戦車も選管も競争相手のいないような商品ですから、「随意」契約みたいなものです。ともかく、巨額の商品です。しかも、軍需産業と防衛省のトップは天下りをふくめてツーカーの仲なのですから、歯止めのあろうはずがありません。これは戦前の軍部と軍需メーカーでも同じことでした。
線ky歩の時こそ、こんなところにもマスコミはメスを入れてほしいと思うのですが……。
マスコミのトップも例の内閣機密費のおこぼれをもらっていると週刊誌が描いていました。期待する方が無理なのでしょうが、でも私は期待したいです。
2010年7月 9日
憚りながら
社会
著者 後藤 忠政 、宝島社 出版
著者は山口組のなかでも武闘派で鳴らした後藤組の元組長です。今は引退しているとのこと。 この本を読むと、日本っていう国は暴力団があらゆる分野に根付いていることをつくづく実感させられます。本当に残念というか、悲しい現実です。そして、ヤクザの生き方の「正当性」をたたえる(自画自賛する)ところは、政治家や財界人の現実(その無責任さ、あまりの利己主義、金もうけに目がくらんでいる)をふまえると、ついそうなんだよねと、うなずかざるをえません。
たとえば、日本経団連の前会長の御手洗氏を著者は強烈に批判していますが、私もまったくそのとおりだと思います。
御手洗だかオテアライだか知らんけど、あんな人物でも経団連会長ができたんだから、層が薄いというか、底が知れているな。経団連会長といえば日本のトップだ。昔は「財界総理」だなんて呼ばれてたんだよ。それが自分のダチ公に散々、儲けさせといて、そいつが脱税でパクられたら、知らぬ存ぜぬだものな。
この御手洗氏も“チンピラ”だ。法に触れなきゃ、何やってもいいのかよって話だ。別にキャノンの会長まで辞めろとは言わんよ。それは 株主が決めればいいんだから。けど、少なくとも経団連の会長だけは辞めんといかんかったんじゃないのか。経団連って、日本の財界を代表する、そのトップなんだから、これは道義の問題だ。こんなことを、ヤクザやってた者から意見されるな、という話だ。こんな人間が経団連の会長をやってたんだから、日本の経済がグダグダになるのもしょうがないわ。
いやはや、胸のすくほど痛快な指摘です。アメリカで少しはまともな合理主義精神を身につけて帰ってきたかと思うと、拝金主義の体現者として労働者の使い捨てだけをすすめるという情けない人物でしたね。
著者の出身は富士宮市ですから、創価学会とも密接な関わりを持っていました。山崎正友弁護士(故人)や藤井富太郎元公明党最高顧問と組んで暗躍した状況が語られています。
自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、たいした人物じゃないってことだ。他人様から、とうていほめられるような人物じゃないから、自分で自分をほめる本をせっせとつくっては、業界の信者に買わせてる。ああいう見苦しい生き方もないもんだ。
こうやってバッサリ切り捨てています。
著者はサラ金の武富士ともつきあいがありました。その株式上場を助けてやったというのです。ところが、そのお礼に武富士は「鼻くそ」みたいなカネを持ってきただけで、あとは知らんぷりだった。それで「ふざけんな」という話になった。
いやはや、なんということでしょう。武富士は上場できて1000億円以上も儲けたというのです。このほか、株式市場でも暗躍し、大儲けをしたようです。さらには佐藤道夫参議院議員(元高検の検事長でした)の当選に力を貸し、本人からえらく感謝されたという話もあります。これって本当なんでしょうかね・・・・。
政界、経済界、芸能界あらゆるところに「日本最強」の暴力団の親分として顔がきいていたことがよくよく分かり、つくづく嫌になってしまいます。
そして、東京銀座で毎晩のように飲み歩いていたというのです。もっとも、そのおかげで肝炎となり肝臓癌となります。ところが、アメリカで最新式の肝移植を受けて著者は生き延びるのでした。なんともはや、すごい生命力の人物です。そして、暴力団を辞めて、得度したのでした。これまた、すごい転身です。決断力があります。
まあ、言ってみればヤクザ賛美のような本なのですが、社会批判がかなりまともで、同感できるところが多々あるところが悔しい気すらしてしまいました。久留米の富永孝太朗弁護士に面白い本があると勧められて読んだ本です。ありがとうございました。
(2010年6月刊。1429円+税)
法人税を減税しても、大企業は海外に投資してしまうので、日本の経済回復にはつながらないと指摘する人が多いですね。ということは、消費税10%で日本経済はますます冷え込むでしょう。が、法人減税も日本の国を強くすることはないということです。
それにしても、消費税とあわせて沖縄の普天間基地の問題、日米合意は守られるべきものなのかというのも重要な争点だったはずですが、民主党と自民党の政策が一致したためか、マスコミはほとんど取り上げません。本当にそんなことでいいのでしょうか。民・自以外にも政党はありますよね。マスコミは政策選択の可能性を奪ってはいけないと思います。
2010年7月 8日
戦場からスクープ!
ヨーロッパ
著者 マーティン・フレッチャー、 出版 白水社
私と同じ世代のイギリス人記者の半世紀です。よくぞ危険な戦場を生き延びたものだと思います。私には、とてもこんな勇気はありません。
地雷には、対人と対車両の2種類がある。地雷は地面の下2インチの深さに埋められる。対人地雷を爆発させるには、ほんの10~40ポンドの重さがあればいい。対車両なら350ポンドだ。
対人地雷は、地表で爆発し、兵隊の足に損傷を与える。1人の兵隊が片足を失えば、その男を安全な場所にまで運ぶのに兵隊が別に2人必要となる。合計で3人の兵隊が戦闘から排除される。いやはや、とんだ計算がなされています。
アフガン人は、尻を拭くのに左手を、食べるのに右手を使う。だから、盗人の右手を切るのは、きわめて厳しい罰になる。盗人は右手だけでなく、友人たちと食事をする能力をも失う。なぜなら、男の左手が使った碗から食べる人間はいないから。つまり、男はアウトカーストになってしまうのだ。これって、辛いことですよね。
ボスニアにNATOが介入したのは、2年間で20万人が死亡したから。だが、ルワンダでは4週間で20万人が死亡した。にもかかわらず、世界はそっぽを向いていた。なぜか?
ルワンダには、戦略的重要性もなく、語るべき資源もなかったからだ。
キャンプにいる難民25万人のほとんどが、ジェノサイドを逃れてきたツチ族ではなく、ツチ族の報復を逃れてきたフツ族だった。つまり、キャンプで救援機関が助けていた人々のほとんどは、フツ族の殺人犯とその家族だった。フツ族は逃げ、ツチ族は死んでいた。
歴史は、欧米のメディアにとって、アフリカの血の価値がヨーロッパの血の価値ほど重くないことを示している。メディアには、たとえば10年間にわたってバルカン半島を重点的に取材する余裕はあったが、ルワンダのことは手遅れになるまで無視した。
戦争ジャーナリストのすさまじい日常生活が描かれています。いやはや、世界にはかくも悲惨かつ過酷な戦場があるのですね。平和を守りたいとつくづく思ったことでした。今こそ日本国憲法9条2項を守り抜きましょう。暴力と戦争の連鎖は御免です。これを平和ボケなんて言わないでくださいね。
(2010年1月刊。2600円+税)
先日新聞の訃報欄で、後藤竜二氏が亡くなられたことを知りました。私が司法試験の受験勉強をしていたとき、友人から「面白い本があるよ、読んでみたら」と勧められたのが、『天使で大地はいっぱいだ』と言う本でした。
難しい法律議論の世界で頭を悩まし、失語症になったかと思うほど日常会話をしなくなったなかで、生き生きと躍動する子どもたちの世界は、まさに一服以上の清涼剤とでもいうべきものでした。苦しかった受験生活とともに思いだされる本です。
昨日の新聞に、法人税率の引き下げを管首相が前倒しで実施すると報じられていました。日本の大企業の実効税率は、20%もないところがいくつもあるようです。それをさらに引き下げるつもりのようですが、それではいったい、消費税率の引き上げは何のためなのでしょうか。疑問だらけです。
2010年7月 7日
ルポ戦場出稼ぎ労働者
中東
著者 安田 純平、集英社新書出版
あのイラクへ出稼ぎ労働者として潜り込んだ日本人記者の体験記です。すごい勇気ですね。とても真似できるものではありません。
ペルシャ湾岸の国々では、労働者のほとんどを出稼ぎ労働者が担っている。クウェートに在住する300万人のうち、7割はアジアからの出稼ぎ労働者である。
たとえば、公園掃除は、食事・宿泊費を別に月給8千円。電気技師でも食事・宿泊込みで月給2万8千円。イラクで働けると、未熟練労働者でも相対的にかなりの高給となる。
イラクにある数千人、数万人規模のアメリカ軍の兵士を食べさせるアメリカ軍基地の食堂はメニューのほとんどは調理済みのレトルトパック食品を温めるだけ。著者の場合は30人ほどを相手にするので、レトルト食品は使わず、基本的に一から作った。
そうなんです。日本人記者である著者は、コック見習いとして基地の一つに何とか潜り込めたのでした。
ネパール人警備員の月給は1250ドル。監督は1700ドル。護送部隊のイギリス人コマンダーは2万4000ドル、イギリス人司令官は5万ドル。このほか、1ヶ月に100ドルの生活費、40ドル分の携帯電話プリペイドカードが支給される。
人質にとらわれたとき、身代金はネパール人は6千ドル、日本人なら1万5千ドル。アメリカ人は2万ドルという相場がある。
「イラク人は、昼間は労働者として基地内で働き、警備状況や人数、武器などを調べ、夜は民兵として活動している」
こんな話も聞かされたのでした。
2007年5月の時点で、イラクには15万人のアメリカ兵をふくめ、36ヶ国から集まった労働者12万人がペンタゴン(アメリカ国防総省)関連で仕事をしていた。民間人労働者の死者は、その時点までに少なくとも917人、負傷者は1万2千人以上だった。
イラクが混乱したのは、生活が改善されないことから自暴自棄になった人々が無数にいるから。アメリカ軍が、これを武器で抑えつけようとして、ますます強い反発をうけた。イラクの人々に対して柔軟に対応できない硬直化した体制が、占領の「失敗」につながった。アメリカ軍の基地内の掃除や通訳などで、10万人以上のイラク人がアメリカ関連の業務についているが、「アメリカの協力者」として民兵に襲われる事件が絶えない。
イラクの復興事業費のうち、アメリカ政府の試算によると22%、国連関係の調査では40%が警備関連に費やされている。そして、アメリカのべクテル社は、発電所復旧事業について20億ドルを手にしながら、戦前の水準にまで戻すことすら出来ないうちに2006年に撤退した。
戦場労働者は、自らの労働が戦争を動かしていると実感することはない。無意識のまま心身ともに戦争の歯車となっていく。
よくぞイラクの戦場労働の現場に潜り込めたものです。その勇気を讃えるとともに、苛酷なイラクの現実を知らせていただいたことに感謝します。
(2010年3月刊。720円+税)
消費税を10%に値上げする理由として、日本がギリシャのようになったら大変だということがあげられています。でも、本当にそうでしょうか。ギリシャは消費税を引き上げると同時に法人税を大幅に引き下げたので、国の税収が大きく減ったことから財政危機に陥ったという指摘もありますよね。ギリシャに行ったことはありませんが、一国の首相が見てきたようなウソを言っているのではないのかという気がしてなりません。
しかも、国の財政が危機だというのなら、フランスやドイツでもすすめられているようですが、今の5兆円の軍事費を1兆円減らしたらどうなんでしょう。それに、アメリカ軍の基地がグアムに移転するのに、総額で3兆円も日本が負担するという話もありますよね。アメリカ軍への思いやり予算だって毎年3千億円でしょう。これんあか真っ先になくしてしまうべきではないのでしょうか。選挙の時こそ、みんなで考えたいものですよね。
2010年7月 6日
中国・抗日軍事史
中国
著者:菊池一隆、出版社:有志舎
日本軍がなぜ中国大陸で敗北し去ったのかについて、八路軍など中共軍だけでなく、むしろ国民党軍の戦いぶりを正面から論じている画期的な軍事史です。
著者は私と同じ団塊世代ですが、さすが学者です。よくぞ、ここまで調べて、体系的な軍事史になっていると感嘆しながら一心不乱に読みふけりました。
日本軍の敵であった弱い中国軍を強化するのに、実はドイツの軍事顧問団が大きな役割を果たしたこと、同じくイタリアも中国軍に寄与・貢献していたことなど、日独伊防共協定を結んだ三国なのに、ええっ、何、これは・・・、と驚く記述もありました。もちろんアメリカ軍も中国軍と共同作戦しているのですが、ソ連も武器・弾薬だけでなく、飛行機隊をはじめとして人的にもかなり中国軍を支えて頑張っていたようです。
また、あまりの日本軍の残虐さに中国民衆が怒って立ち上がって軍事行動をしていたこと、それが国共合作につながって、結局のところ日本軍の敗退につながっていったことなども、総合的にとらえることのできる本でした。
日中戦争について、軍事的な観点で詳しく知りたいという人には一読をおすすめします。百団大戦など、もっと詳しく知りたいと思うところが簡略化されているという気はしましたが、そこまで求めると、この本の10冊シリーズにはなるのでしょうね・・・。
日本は開戦当初、軍事力は質量ともに圧倒的に優位に立っていた。兵員が非常に多く、かつ訓練も行き届いていた。軍需工業も発達し、装備も優良であった。日本側の総兵力は448万人。陸軍は17師団、飛行機1480機(陸軍)、と2700機(海軍)。
それに対して中国側は、陸軍170万人、飛行機は、わずかに314機。
制空権は、日本が完全に握っていた。
日本は、中国が軍備力脆弱で、長期に抵抗するのは不可能と考え、3ヶ月で打倒できると考えていた。
しかし、1937年8月の上海事変のとき、上海周辺にはドイツ軍事顧問団に組織され、ドイツ製武器で装備した最精鋭6個師団3万人が配置され、上海防衛体制は強化されていた。つまり、日本軍はドイツ製の武器を戦うことになり、上海では激烈な市街戦が展開された。中国軍の頑強な抵抗により、日本軍は、10キロ進軍するのに1ヶ月もかかってしまった。そして、このとき、上海の民衆も、積極的に抗戦に参加して、中国軍を支援した。中国軍が初めて見せた奮戦は、上海視界の外国人を驚かせ、中国の国際的地位を高めた。
1937年9月に第二次国共合作が成立し、中共軍も蒋介石軍とともに戦うことになった。このころ、ドイツは、政治的には日本との関係が強かったが、経済的には中国との関係が密接だった。1938年5月、ヒトラーは、軍事顧問団の引きあげを命令した。
ソ連は日本に脅威を感じ、1937年8月に中ソ不可侵条約を結んで、軍事的にも援助を強めた。
日本軍は、首都南京の陥落を喜び、提灯行列がおこなわれたが、日本の予想に反して、国民政府は敗戦を認めるどころか、首都を南京から武漢さらに重慶へ移して抗戦継続の姿勢を明白にした。
日本は、次々と首都を移動させながら戦えるという中国の広大さを実感として十分認識していなかった。日本は、中国の広大さ、懐の深さを見誤った。
国民政府の戦略は、空間を時間に換え、持久消耗戦を実施し、日本軍の「速戦速結」政策を粉砕した。抗戦初期、たしかに日本軍が武力面で圧倒的に優勢であった。そこで、可能な限り、正規戦を避けた。蒋介石の指示で、多戦区は遊撃部隊を組織した。遊撃戦をもって正規戦を補強し、日本軍を牽制した。
日本軍の残虐行為は、中国の民衆を畏縮させるどころか、普遍的な怒りを巻き起こし、反日の実際行動に立ち上がる国共両軍の戦闘を支援しただけでなく、自らも戦闘に参加した。
太原会戦では大局的には日本軍が勝利したが、台児荘戦闘での局部的勝利は、中国軍兵士と中国民衆を鼓舞した。中国人に、日本に勝てるという意識を植えつけ、日本不敗の神話を打ち破った。その自信は、その後の抗戦に強い影響を及ぼした。
この本の冒頭に、日本軍は孫子の兵法から外れているので、1939年の時点で日本必敗を予測した中国人の本が紹介されています。なるほど、という指摘がなされています。
孫子は、「不知彼、不知己、毎戦必敗」と言っている。日本は自己の力量が分からず、中国のことが分からず、どうして勝利できるのか、これが日本必敗の根本的要因である。
なーるほど、日本軍は孫子の兵法に学んだようで、実はまったく学んでいなかったのですね・・・。大変勉強になりました。
(2009年3月刊。2800円+税)
先日の日曜日にいつものように庭の手入れをした翌日から、腕のあたりが赤く腫れ、かゆみがあります。これはきっとハゼマケだと思って皮膚科で診てもらったら、案の定でした。
庭に植えたわけでもないハゼの木があります。ぐんぐん大きく伸びて実もつけます。隣の田んぼに出っ張って邪魔な枝を切り落としたのです。そのとき、汁が腕についてしまったのでしょう。
小学生のとき、ハゼの枝を手にしてチャンバラごっこをして、顔中が腫れあがって1週間、学校を休みました。なにしろ顔がお岩さんのようにかさぶただらけになったのです。おかげで一枚すっかり顔の皮がむけて、それ以来、美男子になりました。
2010年7月 5日
おへそはなぜ一生消えないか
人間
著者 武村 政春、 出版 新潮新書
人間の身体の不思議さに驚かされる本です。
男の胸にも乳を出す乳腺組織は、わずかながらにも残っているので、「母乳」が出るのは科学的にも確かなこと。うへーっ、男も赤ちゃんにおっぱいを与えられるのでしょうか……。
なぜ、男にも乳首が存在するのか。その答えは、男とは「複製された女」だから。人の原型は「女」であり、男は、その変形なのである。なんとなんと、男本位の世界ではないのですね。
人は本来、女になるべくして発生を始めるが、途中の分岐点において男性化遺伝子の作用を受けることにより、脇道のほうへ曲がって行ってしまったものが男なのである。
人間は、一生の間に全身で1017回の細胞分裂(DNA複製)を経験する。細胞一個にふくまれるDNAは60億塩基対(6×109)なので、一生の間に全身で6×1026個の塩基が複製される。すると、10-11の割合で複製エラーが起きるとして、6×1015個、つまり6千兆個もの複製エラーが一生のあいだに生じる計算になる。この6千兆個というと、ものすごくたくさんの複製エラーが蓄積していると心配するかもしれない。しかし、人体の細胞数60兆個で割ると、1個の細胞につき100個程度。100個の細胞あたり3個の複製エラーが生じた程度なので、パニックになるほどのものではない。
ええっ、そうなんですか。100個の細胞あたり3個の複製エラーというのは、すごく多いような気もするのですが……。
この本の途中に、フランス料理のリ・ド・ヴォーが登場します。私の大好物なのですが、残念なことに食べさせてくれるレストランはあまりありません。それくらい贅沢で高級な料理です。それというのも、胸腺が子牛からしかとれない貴重な器官だからです。まだ食べたことのない人は、ぜひ食べてみてください、少しばかりねっとりしていますが、とても美味しい味ですよ。
ヒトの赤血球には「核」がない。赤血球が成長する過程で、核が抜け落ちてしまう「脱核」が起きるため。これは、哺乳類に共通している。脱核して表面がくぼむことによって表面積が広がる。これによって、むしろガス交換をするうえでは好都合なのである。赤血球は一日に1011個、つまり1000億個も作られ続けている。しかも、酸素という、ややもすれば細胞を障害する危険な分子と付き合うのを最大の使命としている。核があると、がん化する危険度が高まるので、脱核しているのではないか……。
へその緒がつないでいるのは、正確には、胎児と胎盤である。胎盤は母親ではなく胎児の一部であるので、「へその緒」は胎児の一部にすぎない。母親は、その身の危険を冒してまで、子宮の壁から胎盤に向かって噴きつける。その母親の貴重な血液を受け止め、しっかりと受け取った栄養分を胎盤から胎児本体に供給するパイプラインこそ、へその緒なのである。
おへそが消えないのは、かつて血管だった残骸が消えることなく残ってしまうことにある。
人間の身体の不思議に思いいたります。もっともっと我が身を大切にしないといけないとつくづく思いました。
(2010年2月刊。680円+税)
取締役報酬が1億円をこえる人が300人ほどいるというニュースを見て、月収1000万円の人たちにとって、消費税が10%になったら月3万円の負担になると言っても、なんともないことなんでしょうね。
でも、私の周りの人々は月10万円から20万円という人が大半です。そんな人にとっては大変な増税です。
年俸1億円もらっている取締役の会社が、実は赤字だというところもあるそうです。きっと人減らしをしたりしているのでしょう。派遣切りをすればいいのですから、簡単です。労働者を遣い捨てにしながら、自分だけは1億円以上もらう、そんな経営者の集まりが日本経団連なんですね。ですから、消費税の引き上げとあわせて法人税率の大幅引き下げを民主党にさせようとしています。とんでもないことです。
2010年7月 4日
パプアニューギニア
東南アジア
著者 田中 辰夫 、 花伝社 出版
パプアニューギニアって、どこにあるのか知らん・・・・、と思っていると、あのラバウルが含まれているのでした。いまテレビで放映中の、「ゲゲゲ」の水木さんのいた島です。また、山本五十六元帥が、アメリカ軍に暗号を解読されて所在がつかまれ、撃墜されたところでもあります。
そのパプアニューギニアが、戦後の日本とは平和的な結びつきを強めていることを、この本を読んで初めて知りました。パプアニューギニアを知る入門編にあたる本です。
パプアニューギニアには、700以上の多言語と、それにもとづく民多族集団が存在する。自然環境や生活様式における地域的多様性は著しい。
首都はポートモレスビーは人口25万人。面積でいうと大阪市に等しい。しかし、人口は10分の1でしかない。
パプアニューギニアの都市は犯罪が多く、治安が悪い。人々が町を自由に歩けるのは日中だけ。夜になると、歩行者はまったくなく、ゴーストタウン化する。
パプアニューギニアでは米が生産されている。日本の農業技術が生かされている。また、良質のコーヒーも生産している。ユーカリを植林し、成長した木材を日本に輸入している。ユーカリは、植えたあと1年で千メートルも伸びる。
そして、LNG。パプアニューギニアの山地に年間660万トンの液化天然ガス(LNG)がとれる。その半分の330万トンを日本へ輸出される計画がすすんでいる。
一度は行ってみたい、自然豊かな南の島です。でも、治安の悪さが気にはなりますね・・・・。
(2010年3月刊。1500円+税)
沖縄の普天間基地の移転先と目されていたグアム島のなかにも、基地受け入れについては賛否両論あるようですね。
そして、目理化軍のなかにも海兵隊と陸海軍との内部抗争があるという記事も読みました
いずれにせよ、平和な沖縄にいつまでも沖縄軍の基地があっていいものでしょうか。これって、選挙の重大争点のはずなんですよね……。日本人って、忘れるのが早すぎませんか?
2010年7月 3日
インドの鉄人
ヨーロッパ
著者:ティム・ブーケイ、バイロン・ウジー、出版社:産経新聞出版
2006年6月、ロンドンに本社をおくインド人のラクシュミ・ミッタルの率いるミッタル・スチールが、フランス人のギー・ドレ率いるアルセロールの買収に成功した。
このとき両サイドに顧問を派遣した13の銀行は、その顧問料として合計2億ドルを請求した。ミッタルがアルセロールを取得するために銀行顧問、法律顧問、ロビー活動、広報活動に支払った金額は1億8800万ドルにのぼる。これは1日あたり100万ドルになる。
この本は、この買収劇をドキュメント・タッチで紹介しています。日本の新日鐵だって、いつミッタルに買収されてしまうか分かりません。
その前年(2005年)までに、55歳のラクシュミ・ミッタルは、15年間に47社を合計150億ドルで買収していた。世界最大の鉄鋼会社の経営者であり、世界第5位の富豪であって、その資産は150億ポンド。
ラクシュミ・ミッタルはどちらかというと貧乏な家族の出身である。裕福な家族の出身ということは出来ない。
1995年の時点で、ミッタルは年間1120万トンの鋼鉄を生産していた。そして、このとき目標は2000万トンだと言って笑われた。当時、世界一の新日鐵が年2700万トンの時代だから、それも当然のこと。
鉄鋼業の不景気が、2000年から2002年に続くなか、多くの会社が買収戦線から遠ざかるなかで、ミッタルは逆に会社買収につとめた。スピード、意外性、多様性、そして忍耐。これがミッタル社のスローガンだった。
ミッタルは、たった20年で、277億ドルの財産を築いた。ミッタルをこえる資産はビル・ゲイツなどわずかしかいない。ミッタル・スチールは世界中で17万9000人の従業員をかかえ、アメリカの自動車メーカーのつかう鋼鉄の30%を供給するまで成長した。
会社が敵対的買収に直面したとき、経営者が守るべきもっとも重要なことの一つは、よく眠ること。戦いは疲れるものなのである。なーるほど、睡眠不足は判断を誤らせますよね。
アルセロールは、日本の新日鐵に救いを求めることも考えた。しかし、日本人は交渉にやたらと時間をかけるので評判が悪い。アルセロールは日本人を尊敬してはいたが、日本人とゆっくり時間をかけている余裕はなかった。
アルセロールの買収に成功したことから、新会社は世界の鉄鋼生産の10%、つまり毎年1億2000万トンの粗鋼を生産するようになった。従業員は32万人。時価総額460億ユーロである。売上高は1052億ドルに達しようとしている。年間総生産量2億ドルも「史上初」になりそうである。
インド人の起こした製鉄会社が、またたく間に世界中を席巻したわけですが、その内実の一端を知ることのできる本です。
(2010年2月刊。2000円+税)
消費税を10%にするのは、ギリシャのようにならないためと管首相が言っているようですが、ギリシャと日本は事情が違うのではないでしょうか。日本の国債は大半が日本国民が買っていて、ギリシャは対外債務が大きい。そして、ギリシャは消費税を上げたけれど、法人税率は大きく引き下げた。それで国家の財政収入がひどくなったと聞いています。
それが本当だとしたら、日本で消費税を10%にするのと合わせて法人税率を大きく引き下げたら、ギリシャと同じように財政破たんしてしまうのではありませんか……。
2010年7月 2日
日米核密約、歴史と真実
社会
著者:不破哲三、出版社:新日本出版社
核兵器のない世界は私たち誰しもが願うところだと思います。オバマ大統領がプラハ演説のなかでそのことを高らかに宣言したことは、この分野での具体的前進に期待を持たせるものでした。そして、この6月に、ニューヨークで開かれたNPT(核不拡散条約)の再検討会議は、それを前進させることで一致をみました。素晴らしいことです。ただし、私たちは他人事(ひとごと)のように手を叩き、腕を組んで模様眺めをしていてはいけないと思います。
日本政府は「非核三原則」(核兵器をつくらず、持たず、持ちこませず)を守ってきたと言っています。おかげで佐藤栄作首相はノーベル平和賞を受賞したのでした。ところが、実は、佐藤首相はアメリカとのあいだで核に関して、日本に持ち込むことを認める密約を交わしていたというのです。それが核密約の問題です。問題は、これが単なる過去の話ではないということです。
アメリカは、今でも(オバマ政権においても)、依然として先制核攻撃戦略を基本としている。そのため、アメリカは「重大な緊急事態」が起きたときには、核兵器をふたたび沖縄に持ち込む必要がある。日本は、そのとき、直ちに承諾する。これが核密約の中味である。沖縄にあるアメリカ軍基地に、今は核兵器はない。しかし、何かあったら、アメリカが核弾頭を持ち込む。すると、直ちに核攻撃基地として活用できる機能をもった基地として整備され維持されている。
いやはや恐ろしい内容です。
アメリカ政府は、事前協議の制度はつくるけれども、肝心なことは、日本政府と相談しないですむ、これまでどおり、アメリカが勝手にやれる、この道を見つけ出すことが、安保条約改定交渉(1958年10月)の一番の核心だった。
そして、日本政府は、それを受け入れた。しかし、日本政府は万一それが明るみに出たときに言い逃れができるように、この秘密の合意文書に「討論記録」という名前をつかった。しかし、どんなタイトルをつけようと、それは国家間の法的拘束力をもつ合意文書なのだから、まさに条約にあたるものなのである。
日本政府は表向きでは事前協議なしに核兵器の持ち込みはありえないと言いつつ、実は、こっそり事前協議を事実上、空洞化させる取り決めをアメリカと結んでいたわけです。
この核密約について、アメリカ政府は、「密約」の秘密性を維持する必要はなくなったと考えて、機密指定を解除して「核密約」の内容を公表している。そこで、日本共産党の調査団がアメリカの公文書館の膨大な書類のなかから、この「核密約」そのものを探り宛てることが出来た。
しかし、日本政府は、核密約なんて存在しないと今も言い張っている。
そして、現在の民主党政権も自民党政権と同じく核密約を廃棄するつもりはないと明言している。
こんなインチキはありません。許せないことです。
アメリカ軍のある提督は、「1950年代の早い時期から核兵器は通常、日本の港湾に寄港している空母の艦上に積載されてきた」と発言した。
核密約の問題は、決して過去の歴史問題ではない。アメリカは、今は艦船や航空機に日常の体制としては核兵器を持たせない体制をとっているというが、核戦略を放棄したわけではない。現在も、核戦略を強固に堅持しており、その発動を必要とする事態が生まれたら、アメリカの艦船や飛行機は核兵器を積んで行動することになる。
そのとき、核兵器を積んだ艦船や飛行機が日本に自由に出入りできる仕組みが、この秘密協定によって今なお存在し、その意味で、被爆国である日本が現在も核戦争の出撃拠点となっているのであり、ことは重大である。
この本を読んで、なにより腹が立ったのは、日本政府は表向きは「非核三原則」を口にするものの、実は、日本を守る「核」がなくなったら困る、だからアメリカには核兵器は積んでいてほしい、おろさないでくれと頼んでいるという事実です。ひどい話です。許せません。
沖縄の普天間基地の「県外移設」が、いつのまにか「県内移設」で収拾されようとしています。しかし、そもそも、このような核密約をふくめて、日本政府はあまりにもアメリカ言いなり過ぎます。弱腰だというのではありません。まるで主体性がないのです。こんなことでは世界から笑いものにされるだけではないでしょうか。
(2010年6月刊。1300円+税)
日曜日、雨が上がりましたので、午後から庭に出て少しだけ手入れをしました。いま、ぐんぐんとヒマワリが伸びています。朝顔のツルも塀にそって上へ上へと伸びあがっているので、楽しみです。
近くのレストランの店主さんからいただいたキューリの苗が、みごとにキューリを実らせてくれました。早速、3本もいで、水洗いして、マヨネーズを少しかけて丸かじりしました。とても新鮮な味です。産地直送、完全無農薬、もぎたての野菜は本当においしいですよ。
2010年7月 1日
イラクで航空自衛隊は何をしていていたか
社会
著者:「イラク派兵差止訴訟」原告・弁護団有志、出版社:せせらぎ出版
名古屋高等裁判所(青山邦夫裁判長)は2008年4月17日、「現在、イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は、政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合であっても、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」という判決を下しました。この判決は確定しています。
そして、原告側弁護団はイラク復興支援の名目で派遣された航空自衛隊の空輸実情報告文書の開示を求めたのでした。ところが、肝心の部分は真っ黒に塗りつぶされていて、内容を知ることが出来ませんでした。
政権交代によって民主党政権が誕生したあとの2009年9月24日、すべての記録が開示されました。この本はその開示された文書を集約し分析して紹介しています。
陸上自衛隊がイラク(サマーワ)から撤退したのは2006年7月19日。この撤退のあと、航空自衛隊の輸送は1.4倍に増えた。その前が346回なのに対して、撤退後は475回となっている。
撤退前には、陸上自衛隊が6割を占めていたが、撤退後はアメリカ軍が6割を占めている。軍属やオーストラリア軍その他の軍人をふくめると8割になる。全期間の合計は3万人をこえる。逆に「国連」関係者の輸送は1割以下でしかない。
アメリカ軍兵士は武装していた。イラク航空隊の空輸活動は、主としてアメリカ軍の指揮・調整のもとで、アメリカの戦略と軍事作戦に深くコミットして行われた。アメリカ軍にとって危険な陸路で兵員を輸送する必要がないという大きなメリットがあった。
日本の航空自衛隊は、「他国による武力行使と一体化した行動」を行い、「自らも武力行使を行ったと評価を受けざるを得ない」のである。
つまり、日本はアメリカのイラク侵略戦争に加担したのです。このことを多くの日本人は真剣に考え、自覚すべきだと思います。
わずか60頁ほどの薄いパンフレットですが、ぎっしり中味の濃いものです。おかげで首・肩・背すじがこってしまいました。お疲れさまです。
今度の参院選で沖縄の普天間基地の移転問題が大きな焦点となっていないようなのは、とても残念です。鳩山前首相の迷走ぶりは菅首相に交代したからといって解消したわけではありません。
沖縄の海兵隊が日本の平和維持のために抑止力になっているというのは果たして本当なのか、また日米安保条約はまだ今のまま保持してよいのか、選挙の争点にして問われるべきではないでしょうか・・・。
(2010年5月刊。600円+税)
2010年7月31日
たった独りの引き揚げ隊
日本史(近代)
著者:石村博子、出版社:角川書店
ロシア人(コサック)の母と日本人の父のあいだに生れた10歳の少年が終戦(日本敗戦)後、満州(中国の東北部)をたった一人で1000キロも4ヶ月歩いて、ついに日本(柳川)へ帰国できたという体験の聞き語りの本です。その状況がよく描けていることにほとほと感心しつつ、車中で読みふけってしまいました。
満州と言えば、私の叔父(父の弟)も、敗戦後、八路軍に徴募して技術者として何年も転々としました。そのことを叔父の書いた手記をもとに少し調べて小篇にまとめてみました(残念ながら、力不足で本にまでは出来ませんでした)。また、母の異母姉の夫(中村次喜蔵)が満州の日本軍の師団長として敗戦直後に自決していたことも少し調べて、母の伝記に取り入れてみました。このときは、東京の偕行社に依頼して調査に協力してもらいました。旧軍の将校クラブが生きていることに少しばかり驚いた覚えがあります。
主人公のビクトルは1935年、満州国ハイラルで生まれた。父親は日本人の毛皮商人、母親は亡命コサックの娘。その父はロシア皇帝ニコライ2世の直属コサック近衛騎兵をつとめていた。
父・古賀仁吉は、1910年に、柳川で生まれた。満州事変(1931年)ころに中国大陸へ渡り、会社を営んでいた。
敗戦後、両親と生き別れ、日本への帰国団から、ロシア人の子どもとして2度も排斥されてしまった10歳のビクトル少年は、一人で歩きはじめ、日本への帰国を目ざすのです。その旅行の描写は、体験した者ならではの迫真力にみちみちています。すごいです。
左に線路、上に太陽、前方に木。これだけあれば前に進める。雨にうたれると体力を急速に奪われるから、気をつけていた。
野宿で重要なのは、眠っている間に身体の熱が奪われないようにすること。ねぐらを決める前にまず確認すべきなのは天候。夜中に雨が降りそうなら、身体全体がすっぽり隠れるくらいの場所があって、足元には水を吸収しやすい砂地っぽいところを探す。次に、風向き。それから、オオカミや野犬などが来ないところ。そして、土地の人にも見つかる恐れのないところ。
だから、ねぐらにしたのは、窪みや岩陰など、身を隠せるところが多かった。そこなら、風が当たらないし、体の熱も逃げない。首には必ず毛布を巻いておく。
夜は怖い。月や星がなければ、あたりは漆黒の闇。音も匂いも、昼間よりずっと鋭く伝わってくる。怖いけれど、バタバタするな、落ち着けって、自分で自分に言い聞かせる。暗いときには、身動きしてはいけない。じっとして、夜の音を用心深く聞きとらなければいけない。耳はすごく敏感になる。聴覚は良かったから、相当地小さな音も聞き分けることができた。風に鳴る木の葉の音、草の揺れる音、虫の声・・・。全部が生きている。すごいなと思いながら聴いていた。一番怖いのは息を殺して近づいてくる気配だ。
食べ物探し。草も食べた。よく分からないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても恐らく大丈夫。すぐにしおれるものは危ない。うへーっ、そ、そうなんですか・・・。知りませんでしたね。すごい野性児ですね・・・。
『花はどこへ行った』というアメリカのフォークシンガーであるピート・シーガーが歌ったものの原詞がコサックの子守唄だったことを初めて知りました。
少年ビクトルはロシア語を忘れないように歌ったのでした・・・。
あしの葉は、どこへ行った?
少女たちが刈り取った
少女たちは、どこへ行った?
少女たちは嫁いでいった
どんな男に嫁いで行った?
ドン川のコサックに
そのコサックは、どこへ行った?
戦争へ行った
11歳になっていた少年ビクトルは日本人の引き揚げ隊を見て、こう思ったといいます。
日本人って、とても弱い民族だ。打たれ弱い。自由に弱い。独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちして、パニックになる。
巻末に主要参考文献のリストがのっています。かなり本を読んできたと自負する私ですが、こんなリストを見ると、まだまだだと思わざるをえません。
とても面白い本でした。
(2002年3月刊。1600円+税)
駅前で選挙運動をしていた人が、ポスターを近くに仮留めしていたところ警察に逮捕されるという事件が発生しました。なんと20日間も拘留され、家宅捜索までされたというのですが、不起訴で無事に決着しました。
それにしても、こんな事件で20日間の拘留を認める裁判官というのは常識はずれではないでしょうか。もちろん、警察が一番ひどいのですが……。
インターネットの自由な使用も認められない今の公職選挙法のなんでも禁止というのは、まさに時代錯誤の法律です。戸別訪問の解禁を含めて、一刻も早く選挙のときこそ国民が大いに政治をのびのび語りあえるように法改正してほしいものです。
ちょこちゃん、いろいろ情報提供ありがとうございました。
2010年7月30日
ヤノマミ
アメリカ
著者 国分 拓、 NHK 出版
アマゾン奥地で1万年来の生活習慣を守って住み続けるヤノマミの人々と150日間にも及ぶ同居生活を過ごした日本人による、驚きのルポルタージュです。まずもって、その勇気に敬服します。そして、大病もせず、なんとか無事に帰国できたことにさらに敬意を表します。ヤノマミとは、彼らの言葉で「人間」を意味する。ヤノマミは、「文明」による厄災から免れている奇跡的な部族である。
アマゾンの奥深く、ブラジルとベネズエラにまたがる広大な森に生きる先住民であり、推定3万人ほどが200以上の集落に分散して生活している。
ヤノマミはシャボノというドーナッツ型の巨大な家に住む。家の直径は60メートル、中央部分は空地になっている。家族ごとの囲炉裏があり、柱にハンモックが吊られている。囲炉裏と囲炉裏の間に間仕切りはない。だから、食べているときも、寝ているときも、そして性行為の最中でさえ、他人から丸見えとなる。シャボノには「プライバシー」がまったくない。うひょお、こんなところに日本人が入り込んで3ヶ月間も生活していたんですか・・・・。もちろん、初めのうちは現地のコトバもまったく通じません。そんななかで、よくぞ生きのびたものです。
祝祭のための狩りを除いて、腹が空かない限り、狩りにはいかない。好きなときに眠り、腹が減ったり狩りに行く。起きて、食べて、出して、食糧がなければ森に入り、十分に足りていれば眠り続ける。「富」を貯めこまず、誇りもしない。
女たちは集団で畑仕事をする。そのときには、いつも笑い声が絶えない。ヤノマミの人々は性に大らかだ。いわゆる「不倫」は日常茶飯事で、身体だけの関係や遊びにしか思えない性交渉も多い。
ヤノマミの話は、反覆が非常に多い。文字を持たないヤノマミにとって、必要な情報は言葉で伝えるしかない。だから大切なことは、すべて記憶しなければいけない。それで、情報は何度も何度も繰り返して伝えられる。
ヤノマミの男は、1歳にならないうちから玩具の弓矢を親からもたされ、使い方を身に着ける。10歳になったら親や兄弟の狩りについていって、狩りの仕方を覚えていく。
ヤノマミの社会では、一人で獲物をとれないうちは男として認められない。
ヤノマミは、動物の胎児を決して食べない。そのまま森に置かれ、土に還される。
ヤノマミのしきたりでは、死者に縁のあるものは、死者とともに燃やさなければならない。そして、死者にまつわるすべてを燃やしたのち、死者に関するすべてを忘れる。名前も、顔も、そんな人間がいたことも忘れる。ヤノマミは、死者の名前を決して口にしない。
死者の名前を口にしないのは、思い出すと泣いてしまうからだ。その人がいなくなった淋しさに胸が壊れてしまうからだ。ヤノマミは言葉にせず、心の奥底で想い、悲しみに暮れ、涙を流す。死者の名前を忘れても、ヤノマミは泣くことを忘れない。年に一度、死者を掘り起こして、その骨をバナナと一緒に煮込んで食べる祭りがある。死者の祭りと呼ばれている。だから、ヤノマミには墓がない。遺骸は焼いて、埋めて、掘り起こして食べてしまう。ヤノマミにとって死とは、いたずらに悲しみ、悼み、神格化し、儀式化するものではない。われわれには見えない大きな空間の中で、生とともに、ただそこに有るものなのだ。
ヤノマミの長老にも、長老会議にも、国家権力や法律のような、暴力や報復装置をともなう強制力はない。ここでは、残ることも出ることも、結局のところ、個人の自由である。
妻の不倫が発覚したとき、三つのルールがある。一つは、制裁を受けるとき、間男は抵抗してはならない。二つは、間男を殺してはならない。三つは、妻は制裁を受けない、ということ。すごいルールですよね、これって・・・・。
ヤノマミの男にとって理想の女とは、身体つきが豊満で、よく働き、よく笑う女である。そして、ヤノマミの女は、おしなべて気が強い。
ヤノマミの女は必ず森で出産する。あるときは一人で、あるときには大勢で、しかし必ず森で出産する。ヤノマミにとって、生まれたばかりの子どもは人間ではなく、精霊なのである。ヤノマミの子どもは、4歳から5歳になるまで、名前がない。
ここには、「年子」はいない。なぜか?精霊か人間か、ここでは母親が決める。どんな結論が下されても、周りはそれを理由も聞かずに受け入れる。そして人間として迎え入れた子どもを両親は生涯をかけて育てる。男も、何も言わず狩りの回数を増やす。ヤノマミの男は、出産には一切関わらない。関心をもたず、立会いもしない。人間の血を大量に見ると、男がもっとも大切にしている勇気が失われると思っている。
2007年11月から、2008年9月まで、3回にわけて、合計150日間もヤノマミの人々のなかで生活した体験記です。すごい本だと感嘆してしまいました。人間とは何かを考えさせてくれる本です。それにしてもヤノマミに不倫が多いなんて、現代日本とよく似ているので、つい笑ってしまいました。
(2010年3月刊。1700円+税)
2010年7月29日
最高裁調査官報告書~松川裁判における心証の軌跡
司法
著者:大塚一男 出版社:筑摩書房(昭和61年)
昭和24年、福島県の国鉄松川駅で、レールが外れ、蒸気機関車が脱線転覆し、多数の死傷者が発生する事件が起きた。折しも、共産主義の防波堤として大量解雇を進めていたGHQと、これに反対する日本共産党が対立し、騒然たる社会情勢であった。捜査機関は、日本共産党の指導のもとに東芝労組と国鉄労組が企図した思想事件と見立てて、組合員20名を逮捕・起訴した。その後、死刑を宣告された被告らは上告と差戻しの波間に翻弄されたが、最終的に全員無罪となったことは、周知のとおりである。
本書は、松川弁護団に所属していた著者が、無罪判決確定後にたまたま最高裁調査官の報告書を入手し、そこに現れた調査官と裁判官のそれぞれの心証の変化を実体験に基づいて克明に描写した作品である。
報告書を作成した調査官は言う。「私は最高裁調査官として約100冊にわたる訴訟記録と20数冊に及ぶ上告趣意書を検討するのに2年近くを費やし、私なりの結論に到達した。大衆動員による不当な世論の形成にブレーキをかけると共に、この裁判に対する国民の抱く不安をできる限り取り除くことが、公正な立場で記録を精読した者の義務である。」
報告書は、このような視点と方向性から書かれている。しかし、結局、無罪になった。最高裁の裁判官が調査官の報告書をどのように利用し、どのように評議を行い、どのように結論に到達したのか、その道筋が、15人の裁判官の人間像も加味して描かれている。そしてまた、そのような裁判所の仕組の深奥を知らぬまま、無罪を勝ち取るまで14年間の長い法廷闘争を続けた松川弁護団の苦悩が描かれている。私ども弁護士がその一端を担っている司法の職責の重さに思いを致さざるを得ない。
今年に入って仕事が減った。周りの弁護士も同じことを言う。不況の影響がこの業界にも及んできたのであろう。したがって時間があり、勉強のためと称して本をよく読む。さて、今度は何を読もうか。
ブラック・トライアングル
司法
著者:谷 清司、出版社:幻冬舎
新聞に大きな広告がのっていました。交通事故の被害者が保険会社、国、そして裁判所から切り捨てられている衝撃の告発。そんなショッキングなタイトルの本です。それでは、早速、読まねばなるまい。そう思って読みはじめたのです。
タイトルの衝撃度に反して、しごくもっともな主張で貫かれています。少なくとも、交通事故の被害者代理人として損保会社と毎日のように交渉し、今も裁判を担当する弁護士として、まったく同感だというところが多々ありました。損保会社は、交通事故被害者を泣かせて不当にもうけているというのが私の実感です。
ところが、残念ながら、交通事故の被害者・遺族は弁護士に依頼せず、ましてや裁判なんてとんでもないという人がほとんどだというのが悲しき現実です。弁護士に頼んだらいくらかかるか分からず不安だ。裁判なんて、何年もかかるので耐えられないと思い込んでしまうのです。著者も、ここらあたりをなんとかしようと頑張っています。
現在、日本では1年間に80万件の交通事故が発生している。死亡者も、ひところよりは減ったとはいえ、5千人に近い。交通事故の被害者にとって、保険会社、自賠責システムを担う国、そして裁判所の三つが中心の担い手となる。しかし、これらが本当に被害者の保護・救済にあたっているかというと、残念ながら、そうとは言えない。
保険会社は被害者の入院している病院に対して電話攻勢をかけ、早々と退院せざるをえないように仕向ける。これは交通事故の二次被害というしかない。医師は保険会社からいろいろ言われると、面倒くさくなって、いわれるがままに症状固定の判断をしがちである。
保険会社は被害者から、症状照会の同意書をとる。これが保険会社にとって、被害者の治療に介入する「免罪符」になっている。
ある裁判官が、「痛みをこらえて頑張って働く誠実な被害者」という言い方をしていた。これは、裏を返すと、「痛みに耐えきれずに休んで働かないのは不誠実な被害者だ」という認識だということである。うへーっ、それはないでしょう・・・。
後遺障害の等級認定にあたる損害保険料率算出機構の理事には、民間の損保会社の社長がずらりと顔をそろえている。むむむ、そうなんですか。ちょっと考えものですよね。
ムチ打ち症については、医学的に統一された確固とした診断名は今もって存在しない。その定義と治療法は、いずれも決定的なものはない。
裁判所は、保険会社の方を向き、保険会社との調整を図っているのではないかとさえ疑われる。裁判所は、いつも保険会社と同じ論法で被害者に対する。
この本には、裁判所でそのまま通用する青本や赤本というものがあって、保険会社の呈示する金額はそれらの本で示されている水準の良くて7割、悪くて5割というレベルであることの紹介がありません。その点は、残念でした。それはともかくとして、交通事故による損害賠償請求の交渉と裁判について、基本的な問題点が分かり易く、よくまとめられていると思いました。
(2010年5月刊。1200円+税)
2010年7月28日
わが心の旅路
司法
著者:団藤重光、 出版社:有斐閣 昭和61年
高名な刑事法の研究者である著者が最高裁判事を退官するに当たり、その生い立ちから、大学での研究、最高裁での公務に至るまでの日々を振り返り、その時々の師友との関わりを回想したもの。もう何度も読んだ馴染みの随筆集であるが、刑事法制の動きが急展開しているこの時期に感じるものがあるかと思い、改めて読み直してみた。
著者の先輩であり、著者と同じように大学から最高裁に転身した穂積重遠博士の言葉として、次のような一節が紹介されている。
「孝ハ百行ノ基、であることは新憲法下においても不変であるが、かのナポレオン法典のごとく、または問題の刑法諸条のごとく、殺親罪重罰の特別規定によって親孝行を強制せんとするがごときは、道徳に対する法律の限界を越境する法律万能思想であって、かえって孝行の美徳の神聖を害するものと言ってよかろう。本裁判官が殺親罪規定を非難するのは、孝を軽しとするのではなく、孝を法律の手のとどかぬほど重いものとするのである。」
いうまでもなく、尊属殺重罰規定の合憲性が争われた事件における穂積博士の違憲の意見である。著者は穂積博士に共感し、この意見の中に法の役割を考える上での普遍の価値を見出している。
また、著者はある人物を語るにあたり、何度も「親愛なる井上君」と呼びかけている。著者の最後の門弟である井上正仁教授のことである。なるほど、著者と井上教授が共に自転車に乗り軽井沢を駈けている写真を見ると、親子のような睦まじさである。井上教授は後に、司法制度改革審議会の主力委員として裁判員裁判の導入など現在に通じる司法制度改革を主導した。さすがの著者も愛弟子がこれほどの大改革を実現するとは予想していなかったであろう。
著者は、旧刑事訴訟法の研究者として出発し、戦後、公職を追放された小野清一郎教授に代わって新憲法の立案と並行して新刑事訴訟法を立案し、そして現在の司法制度改革を生み出した種を育てた。まさに刑事訴訟法の歴史を体現した大学者である。
私は大学で、なぜ刑事訴訟法が大陸法に由来する要素と英米法に由来する要素を両有しているのか、その理由を学生に教えるときに、この本から汲み取られる団藤重光が果たした歴史的な役割を紹介している。しかし、学生は田口、白鳥は知っていても、もはや団藤、平野の名を知らない。これも歴史の流れかなと思うのである。
亡国の中学受験
社会
著者 瀬川 松子、光文社新書 出版
いまの日本では、中高一貫校が大人気ですし、公立中学・高校の不人気は定着しています。公立学校は暴力の支配する恐ろしいところというイメージが世間にすっかり根づいているからです。いったい、どうしたら、こんな状況を打破できるのでしょうか・・・・。
中学受験に関するアドバイスの指摘の大半は、利害関係のある人によってなされている。つまり、決して中立の立場から語られているわけではない。
ある中高一貫の女子高では、中一から高校卒業までのあいだに30人がいなくなった。いなくなった理由は、拒食やリスト(手首)カットとか、精神的限界であった。私立の中高一貫校を退学にさせられる理由は、成績不振。心の問題を抱えている生徒がいることなど・・・・。
学校では、ハイレベルの問題を雨あられのように降らせておけば、そこそこできる生徒は吸収するだろう。残りは知らない。こんな環境が、中位より下の子にとって本当にいいのかは疑問である。高校側は、はじめから、上澄みの生徒(成績優秀者)以外には、達成できそうもない目標地を描いている。
中高一貫校でも、仲間はずれはふつうにある。そして、多くの生徒は、無礼や仲間はずれを軽いいじめと捉えていない。教師のなかにも、見て見ぬふりをする教師がいる。
小学校の授業は「つまずき」をかかえて「理解」の積み重ねが出来ないままとなってくる。その結果、子どもに寄りそう前に、子どもをとりまく変化について正確に理解しておく必要がある。その現実を理解したら、多くの親は、成績の伸び悩むわが子に対して、あせりや苛立ちではなく、同情を覚えると思う。なーるほど、ですね。
現在の大手塾のシステムは、こうした「つまずき」を抱える子どもの原因治療にやくだっていない。塾にとって、塾の合格実績に貢献してくれる上位2割が大事で、残りの8割は「お客様」と呼ばれている。
この商売は、本気でやったら、絶対にもうからない。教育というジャンルでビジネスをやっているだけで、教育そのものはそれほど重視しているわけではない。なるほど、そういうことなんでしょう。でも、これって、寂しいことですよね・・・・。
子どもが「ついていけなく」なってしまう原因は、子どもの努力や能力だけでなく、システムの限界にある。
九州にも全寮制の中高一貫校がいくつもありますが、私は中学生のときから家を出て親と離れて生活するのがいいことなのか、少しばかり疑問を感じます。もちろん、思春期の一番むずかしい年頃なのですが、自分の父親がどういう行動をするのか、父親と一緒に暮らすことによって少しはつかんでいくし、それって大切なのではないかなと思います。その意味で、寮に入って、親と共同生活しなくなることに不安を感じるのです。
たしかに荒れる中学校があり、大量に退学していく高校があります。それらの人々は、完全に脱落していたのでしょう。しかし、これらの人々を単に取り残された存在のままにしておいて本当にいいのでしょうか。
中高一貫校にいる同級生は、家庭環境も大同小異でしょうから、住み心地はきっといいことでしょう。その結果、異質な人間が世の中には少なくないことを実感することが出来なくなります。私自身は、市立中学校そして県立高校に行きましたが、それはそれで良かったと今でも思っています。私の中学には番町グループがいて、すぐ隣にあった中学校の不良グループとよくケンカなどしていました。それでも、1学年に13クラスありましたので、そんな乱暴者だけではなかったのです。それこそ、いろんな中学生がいました。必ずしも暴力が支配していませんでした。それほど人数が多かったのです。
中高一貫校に入って、その授業進度についていけなくなった子どもは、どうしたら良いのでしょう。そのことについて、親をふくめて、みんなが真剣に考えていないような気がしてなりません。
(2009年11月刊。740円+税)
この夏、二度目のハゼマケを体験しました。1回目は腕の所だけだったし、原因もはっきりしていましたが、2回目は原因不明のうえ、胸からあご、そして逆に顔にまで被害が及びました。日曜日にハゼの木の汁に触ってのでしょうが、顔に発疹が出たのはなんと木曜日の夜のことです。小学生の時には学校を1週間も休んでしまいましたが、今回はそんなわけにもいきません。自生していたハゼの木は切り倒すことにします。残念ですが仕方ありません。
2010年7月27日
狙われるマンション
社会
著者 山岡 淳一郎、 朝日新聞 出版
いやはや、マンション住まいとは、こんなに大変なものなんですね・・・・。私は古い一戸建て団地の一角に住んでいます。もう30年になります。子ども会が消滅し、老人会もなくなり、団地の公民館は市内の連協から脱退してしまいました。夜の会合に参加できる体力・条件のある人がいないという理由です。老齢化がすすみ、空き家も増えています。東京や大阪に住む息子や娘たちのところに引き取られて、転出していくのです。寂しい限りです。
いま、マンションでも、「二つの老い」が進行していて、郊外の団地を衰退させている。建物の老朽化と住民の高齢化である。日本の分譲マンションの戸数は540万戸、1400万人が生活している。東京都中央区では11万5000人の区民の9割が集合住宅に住み、1割以上が高さ60メートル(20階)をこえる超高層で暮らしている。2011年には、築後30年をこえるマンションが100万戸に達する。
現在、20階建て以上の超高層マンションは463棟、14万3826戸、そこに30万人以上が暮らしている。この超高層の9割超は小泉内閣の成立した2001年以降の竣工である。首都圏が7割を占めている。超高層マンションは一般マンションと違って、値崩れが起きにくい。
そして、マンションの行く末を託した不動産、建設会社が次々に倒産している。
多くのマンション住人は、住むために買っている。その5割は永住するつもりであり、永住志向は年々高まっている。いずれは、住み替えるつもりという回答は2割を下まわる。
法定立て替えは、8割の賛成者が2割の反対者の所有権を半ば強引に「時価」で買い取り、形式上は「全員の合意」があるようにして事業を進める手法だ。立て替えに反対するマンション住人は排除される。
1962年に制定されたマンション法(区分所有法)は、建物の経年変化をほとんど考えていなかったので、建物の老朽化による立て替えについての手当てがなされていなかった。1983年の法改正のとき「5分の4」要件が盛り込まれた。このとき、修繕費が再建費の半分をこえるとき、「過分の費用」がかかるとして、認められることになった。そして、ゼネコンは「半分をこえる修理費用」の見積もりを出した。
ところが、実のところゼネコンは新築一辺倒で歩んできたから、実際の修繕ノウハウを持たず、少年の修繕工事の経験もほとんどなかった。
いやはや、なんということでしょうか・・・・。マンションの管理組合の修繕積立金が横領されるという事件も全国で続出している。管理会社の社員が8年間で8000万円(19管理組合)とか、7年間で9800万円(4管理組合)を横領していた。2003年以降、国交省が把握した修繕積立金の横領は127物件、12億円にのぼっている。
一般にマンション業界では土地代を除く総工事費は販売価格の3~4割である。30数戸の偽装マンションの新築時の販売総額は17億円。うち土地代は7億円で、工事費は6億円だった。マンションは、宣伝販売費など巨額の間接経費をかけている。
管理会社は何もいわなければ、何もしない。ハードルを高くしたら、ついてくる。すべて住民次第なのである。管理会社は、どこでも五十歩百歩。
超高層マンションの人気は高いが、建物の維持管理、管理組合運営の両面で難題が横たわっている。超高層マンションは、近年に急激に建てられたため、建物の経年変化への対応策が確立していない。不具合の修繕費用は高い。歳月の経過とともに維持管理コストが急上昇する。膨張する管理コストは悩ましい。実際の修繕工事には、高層階の修繕に多くの費用がかかる。だから、低層階の住民は、高層階の金持ちのために「平等に」床面積に応じての費用負担に不満をもらす。
そして、「防災」は最重要のテーマとなっている。2年ごとに都心の超高層賃貸マンションを住み替える「タワー族」と呼ばれる家族層が存在する。
この本では超高層マンションの管理組合がうまく運営さているところも紹介されていて大変参考になりました。マンションの住民同士で感情的ないがみあいとなっているところも少なくないようです。実務的にも大変勉強になる本として、マンション入居者、これから買おうとする人に一読を強くおすすめします。
(2010年5月刊。1500円+税)
生き物たちの情報戦略
生き物
著者 針山 孝彦、 化学同人 出版
南極、マイナス35度のなかで生きる昆虫、スプリングテールは、冬期に車のラジエータに入れるような不凍液を身体に蓄えるしくみをもっている。その不凍液はグリセロールというもので、そのおかげで凝固点が降下し、凍ることがない。
南極に基地に入ると、初めにサバイバル・トレーニングをする。実際に自らクレバスに落っこちる。40メートルのロープをつけて、氷の割れ目のクレバスに落下する。周囲は青一色の世界となる。クレバスの奥は真っ黒の世界。このクレバスから、ロープをたどって脱出するのではなく、氷の壁に挑戦して自力で脱出する訓練が課される。右手にピッケル、左手にアイスピックを持って、足にはクランポンの金属が靴先に飛び出している。こんな、氷に張りつける道具を準備していても、いくら両手をふり回し、足をバタバタさせても、柔らかい氷の結晶がついた壁は脆い。大汗をかいて努力したものの、ついに力が尽いて、そして張りあげてもらった・・・・。うへーっ、こ、これは怖いですよね・・・・。
南極の寒地では、白夜があるため、日中とほとんど変わらない明るさがある。そのため睡眠障害が起きやすい。この問題を解決するため、基地のなかでは、全員が規則正しい生活を心がける。朝食も夕食もバイキング形式で食べ放題だが、朝は午前7時、夕方は6時に、それぞれ1時間のあいだに全員が一堂に会して食事する。夕食のあとはアルコール。基地のバーが開店して、1杯100円で世界中の高価なお酒が飲める。南極では酒税がかからないので、とても安い。飲みすぎを防ぐためにお金をとるだけ。やっぱり、飲みすぎず、また気分転換を図るって大事なことですよね。
コンピューター・シュミレーションによって、一世代に一つの突然変異が起こったとすれば、数十万回の世代交代によって、平らな皮膚のような構造からレンズをもったカメラ眼まで形態変化することが証明された。つまり、眼の形成までに1億年かかったとしても、エディアカラ紀の運動性をもった個体群が眼の形成を開始していたら、カンブリア紀に突然、眼ができても不思議ではない。ふえーっ、そんなんですかね・・・・。
光線に色はない。これはニュートンの言葉。色とは、三種の錐体細胞が下界にある光のスペクトルによって別々に興奮させられ、その興奮の比率が脳に伝わる信号の状態のことをいう。光線が錐体に含まれる光受容細胞に吸収され、細胞が興奮して情報を脳に伝達し、三種の興奮も組み合わせが色という情報に変換される。生物が情報を作っているのである。
日常生活においては、すべての物に色がついているわけですけれども、実は、色なるものは、その物に付着しているというわけではないということが、どうにもぴんときませんね。
いずれにせよ、南極からアフリカまで、世界中のいたるところに生活して、生き物とは何かを探求してやまない学者の努力には脱帽せざるをえません。
(2007年9月刊。1800円+税)
梅雨が明けると炎暑の夏が到来しました。車の温度計で38度が表示されているのを見て、計器が暑さで狂ったのかと思ったほどです。しばらく走っても35度でした。熱中症のため、お年寄りが何人も亡くなられています。私も庭仕事をするときには、いつも以上に休み休みし、また水分補給に心がけています。
夜、寝る前にはベランダニ出て天体望遠鏡で就き世界を見るのが楽しみです。夜風に吹かれて身体を覚ましてくれるのもちょうどいいし、異次元の世界をのぞくうれしさがあります。
2010年7月25日
源氏物語とその作者たち
日本史(平安時代)
著者 中村 亨 、文春新書 出版
弁護士になって、浮気や不倫・不貞は日常茶飯事であり、ありふれたことの一つでしかないことを痛感します。この36年あまりの弁護士生活において、不貞にからむ事件が絶えたことはありません。金銭貸借をめぐるトラブルと同じように、申し訳ありませんが弁護士にとってのメシのタネの一つです。
この体験からすると、不貞行為は日本人の本性に深いところで根づいているものではないかと思わざるをえません。源氏物語は、そのような日本人の心性の始まりを文学的に描いた作品ではないでしょうか。つまるところ、男女の浮気、不貞、不倫を奨励するかのような話のオンパレードなのですから・・・・。
そして、著者は、源氏物語の作者は紫式部一人ではなかった、多くの読者が書き写しながら勝手に書き足していった集大成なのだと主張しています。
今のように、活版印刷による本なんて当然なく、すべては人の手によって書き写していた時代ですから、写し間違いだけではなく、故意に書き足し、書き落としがあったのでしょう。また、それは避けられないことでした。だって、誰にせよ、どれが原本(正本)なのか、分かるはずがなかったのですから・・・・。
源氏物語が、必ずしも「いづれの御時にか」から書き出されたとは限らないという考えは昔の人も持っていたらしい。紫の上につながる話は紫式部の原作であり、玉鬘(たまかずら)系の巻々は複数の別人の筆になるものだろうと考えられている。
うむむ、そうなんですか・・・・。
読者はすぐに作者になることにためらいのない時代であった。・・・・えーっ、そうでしたか・・・・。藤原頼通も源氏物語の作者のひとり、少なくとも作者たりえた存在である。
ふむふむ、そのように考えられるのですか・・・・。これだから歴史物の本を読むのはやめられませんね。固定観念がうちこわされてしまう面白い本でした。
(2010年3月刊。770円+税)
2010年7月24日
天空の星たちへ
社会
著者:青山透子、出版社:マガジンランド
日航123便、あの日の記憶というサブ・タイトルがついています。今から25年も前のことになります。1985年8月12日、日航ジャンボ機が墜落して乗員乗客520人が亡くなり、生存者は4人でした。
著者は元JALスチュワーデスです。あの不可解な事故がきちんと解明されていないという叫び、そして、今の破産状態にあるJAL体制は安全運航が確保されているのか、深刻な疑問を投げかけています。
新任のスチュワーデスのとき、言われた言葉。緊張が顔に出てはいけない。安心感を与えることが、乗り物への恐怖心をもつ客にたいして不可欠のこと。自分が不安がってはいけない。そうなんです。でも、言うは易し、行うは難しですよね。
123便のスチュワーデスが、異常事態が発生したあとも客を冷静にしようと努めていたこと、最後まで自己の使命をまっとうしようとしたことがボイス・レコーダーに残っている。同時に、亡くなった乗客のとった写真(1990年になって初めて公開された)にも明らかである。なるほど、この機内の写真によると、乗客は全員が着席していて乱れておらず、また、みなマスクを顔に着けています。
上下関係の厳しさは、本気度のあらわれである。とくに機内では、指揮命令系統がしっかりしていないと、いざというときに対応できない。同じ空で働く者同士が責任をもって育てないと、自分も危ない目にあってしまう。
著者は、自らがJALのスチュワーデスであった体験をふまえて、日航123便事故を報道した当時の新聞記事を逐一検証していきます。
アメリカで尻もち事故を起こしたという隔壁破壊が墜落の原因だとすると、客室内を爆風が吹き抜けることが前提条件となる。そして、爆風が吹くほどの急激な減圧となると、乗客の耳は聞こえなくなり、航空性中耳炎となる。しかし、生存者4人は、救出直後からインタビューに答えている。つまり、鼓膜は破れていない。どうも違う・・・。
覚悟を決めた機長は、どーんといこうやと周りを安心させ、自分の腹をすえた。その状況から逃げないで、最後まで役目を果たす。それが究極のプロ精神なのだ。機長は、まったく意のままに動かない巨大な宙に浮く塊を必死に操縦していた。
しかも、本書が初めてではありませんが、アメリカ空軍の中尉が墜落の20分後には墜落地点に到達し、その通報を受けて夜9時5分には海兵隊の救難チームのヘリコプターが現場に到着したということです。ところが、このヘリコプターはなぜか現場に降り立つこともなく、厚木基地に戻っています。
生存者4人が発見されたのは、それから実に12時間後のことです。生存者は、自分の周囲に、まだ生きている人は他にもいたと語っていたのです。
そして、生存者を発見したのは、地元の消防団であり、自衛隊ではありませんでした。
ヘリコプターで生存者を救出する場面ばかりが有名ですが、実は、アメリカ軍も自衛隊も、徒歩で山に分けいった地元の消防団に「遅れ」をとったのです。
それは意図的なものだったかもしれない・・・。考えさせられるところです。
今から25年前に起きた事故ではありますが、日本の空の安全を考えるうえでは欠かせない本の一つだと思います。なにしろ、私など、月1回以上は飛行機に乗っていますので、安全性こそ最優先してほしいと切望します。
(2010年5月刊。1429円+税)
2010年7月23日
1968年(下)
社会
著者:小熊英二、出版社:新曜社
下巻だけで1000頁もある大部な本です。いやはや、なんとも大変な労作です。上巻は私も大学生のころに少しばかり関わっていました東大闘争のことが触れられていましたので一気に読了しましたが、下巻はベ平連とか連合赤軍事件など、ちょっと遠い存在でしたので、さすがに読了するのに時間がかかりました。
1968年10月の新宿駅騒動は学生だけでなく、多くの青年労働者が加わった。
当時の東京には、地方からやってきた青壮年男性が突出して多く、娯楽のない彼らは闘争現場に見物に出かけ、ときには腹いせに警官や機動隊に対して投石までした。
娯楽の乏しい大都会でのハプニングに飛び込んでいった労働者群がいたということです。これは、私自身の実感でもあります。学生セツルメント運動として、青年サークルを組織するという活動をしていましたが、テレビのほか娯楽のない青年労働者が町のあちこちにごろごろしていました。ですから、河川敷でソフトボール試合をしたり、町内会館を借りてフォークダンスなどをすると、若者たちが集まってきました。オールナイト・スケートや早朝ボーリングも流行していました。
10月21日の群衆に、ただ騒動を見物にきたヤジ馬が多かったことは明らかだった。新宿事件の群衆は、一過性の破壊行為を行っただけで、そこからは何も生まれなかった。
1969年9月、京都大学の全共闘による時計塔の封鎖は機動隊が導入されて解除された。このとき籠城していた学生は、わずか8人だった。
奥田京大総長(当時)の証言によると、機動隊の導入はセクト主導の京大全共闘の依頼だった。
わずか8人しかいないなら、京大の民青に頼めば簡単に排除できた。しかし、全共闘が民青の行動隊に排除されるのは絶対に承服できない。だけど警察ならやむをえないと大学に要望してきたからだ。時計台にはセクト名を大書した旗や横断幕が掲げられ、我がセクトが国家権力と勇敢に闘ったというアピールがなされた。こんな内情バクロ話を聞かされると嫌になりますよね。
全共闘運動の内実は、日大全共闘を除いて、ひどいものだった。大学のバリケードは、あまりに空虚な退屈におおわれていた。
社会に出て徹底してやれると思うのは幻想であるから、大学の中では徹底してやるという。大学が特殊な逃げ場に使われている。結局、彼らは企業にとりこまれるだろう・・・。
1969年の全共闘運動は、参加した学生の主観的なメンタリティの真剣さはともかく、若い学生が就職前の祝祭として楽しむ流行に堕していた側面がなかったとはいえない。
元全共闘運動に参加していた人のうち、運動から離れた主因の1位は内ゲバであり、2位は連合赤軍事件だった。連合赤軍事件については、あまりにも悲惨かつ陰惨な事件なので、私のようにまったく無縁な人間にとっても、あまり直視したくはない事件です。ただ、この本を読むと、この連合赤軍事件が、思想性に起因するものなんかじゃないし、総括するにも価しない事件だと当事者の一人が語っていることに、少しだけ救われた気がしました。
赤軍派にオルグされた学生が当時の心境を次のように語ったというのを知って、びっくり仰天しました。
東大の入試が中止された。政府の危機である。だから、政府の危機を政治の危機に。このスローガンに共鳴した。革命の現実性はある。少数者革命は可能かもしれない。
うへーっ、東大入試の中止が政府の危機だなんて、当時、私は考えたこともありませんでした。むしろ、権力は余裕をもっていて東大をぶっつぶし、もっと管理しやすい大学をつくろうとしていると思っていました。
いまや作家として名高い北方謙三は、私より一つだけ年長であり、中大全共闘の活動家でした。北方は、よそのセクトに捕まって、すぐに自己批判してしまいました。そのときの屈辱の傷がずっと尾を引いて、その後は圧力や恐怖に屈せずに闘う男たちを描くハードボイルド小説を書き続けているという著者の指摘には、なるほど、そういうことかと思い至りました。
赤軍派は出発点から内ゲバやリンチと不可分だった。そして、公安警察は、赤軍派の事情を詳細に知っていた。1969年11月5日、大菩薩峠に集まった赤軍派53人は、 100人の公安と288人の機動隊員によって全員が逮捕された。このとき、「福ちゃん壮」には、公安刑事が内偵していただけでなく、スクープを狙った読売新聞の記者まで泊まりこんでいた。なんということでしょう。テレビで再現現場を観たことがありますが、ここまでくると悲惨というより、喜劇ですね。
森恒夫は、赤軍派がブントと内ゲバしたときに逃亡して、大阪の町工場で板金工として働いていた。それを見つけ出して復帰させたが、森自身は自分が逃走した負い目から過激な闘争方針を出すようになった。
森は、人から強く言われると迎合する。信念のなさ、困難を避けようとする小心者の森が赤軍派の最高指導者になったのは、他のすべての幹部が去ったためだった。
赤軍派のいう「処刑」は、「首相官邸占拠」や「世界同時革命」などと同じく大言壮語の一種で、本気で殺す気などなかったと思われる。だが、永田洋子や坂口は森の言葉を本気で受けとってしまった。大言壮語のわりには実行はいいかげんな関西ブント気質を受けつぐ赤軍派と、生真面目な革命左派の気質の相違が、悲劇を生んだ。
森の大言壮語に革命左派が煽られて処刑を行った。だが処刑後は、森は革命左派に劣等感をもち、理論的な優位だけでは革命左派を吸収合併できないと考えるようになり、処刑や「せん滅戦」を部下に叱咤するようになった。いわば、両派は互いに煽りあうようにして悪循環に入っていった。
森と永田は、自分の身を守るため、逃亡や反抗の恐れがあるとみなした人間を、口実をつけて「総括」していったのではないか。
連合赤軍事件の遺体の発掘は、前日に予行演習が行われ、一度掘って死体を確認し、その後をもとどおりにしておいた。記者席まで設定されているところで、死体が掘り出された。ここでも、警察のショーが演じられていたのですね。これもまた、おぞましいことです。そうやって警察は国民を誘導していたのです。
この警察の演出は、見事に成功した。リンチ死の報道は新左翼に大打撃を与えた。
いえ、新左翼だけではないでしょうね。左翼全般に対して、格別の思想をもっていると、こんなところに帰着することになるんだぞ、ということで、スターリンのテロルを連想させる効果もあったように私は思います。これで社会の雰囲気がぐっと変わりました。
この事件を機に運動に失望し、手を引いた若者は少なくなかった。
連合赤軍事件の原因は何だったのかとか、無理に総括しようとしても、ろくな結論なんか出てこない。何も出てこないという当事者の意見に著者は賛成しています。
なるほど、そうなのかなと私も思います。
理想とか倫理とか正義を動機としてリンチ殺人事件があったわけではないことを著者は強調していますが、恐らくそのとおりだと私も思います。それにしても、今にも強い影響の残る重大な社会的事件でした。
1968年から69年に起きた社会現象を振り返って考えるうえで、大きな手がかりを与えてくれる本だと私は思いました。
(2009年8月刊。6800円+税)
2010年7月22日
時効捜査
司法(警察)
著者:竹内 明、出版社:講談社
警察庁長官狙撃事件が起きたのは1995年3月30日の朝。そして15年たった今年、2010年3月30日に公訴時効が成立した。
警察トップが狙撃され、日本警察のメンツがかかっていた事件で、警察は犯人を検挙することが、ついに出来ませんでした。この事実の前に、何人と言えども、もはや日本の警察は世界一優秀だなんて言うことは許されないでしょう。
警視庁本部庁舎14階、最高の眺望を誇る区画には公安部幹部が陣取っている。皇居を望むエリアには、公安部長(キャリア)、公安部ナンバー3にあたる部付(ノンキャリア)、筆頭課長である公安総務課長(キャリア)が執務室を構える。ナンバー2である参事官(キャリア)は公安一課長(ノンキャリア)とともに、桜田通りを見おろす窓側に個室を持つ。公安捜査員は1200人いる。いやはや、大変な人数です。それでも、無能だとのそしりを免れません。共産党の合法ビラ配布の尾行捜査は得意のようなんですがね・・・。
国松長官は狙撃されて死線をさまよっている状況にあった。このとき、警視総監の井上幸彦(昭和37年入省)は、公安部をモトダチ(捜査の中核となる部署)とした。刑事部と公安部の捜査は、警視総監が一元化する。オウムとは全庁あげて闘うという井上総監の主張に、一期下の関口警察庁次長は異論を封じ込められた。現場での捜査経験のないまま公安部の幹部ポストに就任する警察キャリアが捜査に首を突っ込んで方向性を示してしまうと、真実とはかけ離れた事件の構図を作り出してしまうことがある。
うへーっ、これって恐ろしいことですよね。そしてまた、これって警察キャリアの存在意義を否定するものでもありますよね・・・。
この事件では、オウムの信者である公安警察官が犯人として執拗な取り調べを受けました。その点について、次のように指摘されています。
ヨコガキの世界に生きてきた公安捜査員の弱点が露呈した。ヨコガキとは、供述内容をまとめた取り調べメモや捜査報告書のこと。つまり、刑事事件の捜査で作成する「タテガキ」すなわち司法警察員面前調書の書き方など、刑事訴訟法にもとづいた手続を学ばずにきた公安幹部が、刑事事件捜査を進めることになったとき、その弱点を露呈してしまった。刑事警察と公安警察の違いは根深いものがあるようです。
「現場警官が国松長官狙撃を供述」と新聞に大々的に報道した。しかし、このとき警察庁は警視庁に対して激しく怒っていた。
刑事と公安の捜査員の気質は違う。刑事は捜査方針をめぐって上司にかみつくことも辞さない。信じるべきは現場に残された証拠のみ。
公安の指揮官は現場の捜査員に余計な情報をインプットしない。公安捜査員は捜査の全体像を求めることなく、与えられた任務のみに機械のように没頭し、与えられた範囲内で任務を着実に遂行しようとする。公安は組織を重んじ、個人の意思は存在しない。情報を獲得し、上司の命令に忠実に働く者が評価される。
時効完成の翌日、警視中は「捜査結果概要」なるものをインターネット上に掲載した。前代未聞の行動である。そこでは、「オウムの犯行であると認めた」と明記されている。しかし、これは、司法手続をまったく無視したものであり、警察権限を無視した暴挙としか言いようがない。
まったくもって、そうですよね。私は、オウム教団を擁護するつもりなんて、まったくありませんが、警察が、立件できなかったくせに「犯人はやっぱりあいつだ」なんてインターネット上で言うなんて狂気の沙汰です。これでは、裁判なんて不要だということ、つまり私刑の世界に逆戻りしたことになってしまいます。
それほど警視庁(公安部)の実力低下と、それによる不安感を裏づけるものはありません。ですから、警察のためにも残念な行為だったとしか言いようがありませんよ。
(2010年4月刊。1900円+税)
白いアサガオの花が咲きました。純白無垢で、すがすがしさを感じます。アサガオには黄色い花が無いそうですね。黒いチューリップや青いバラがないのと同じのようですが、植物にも色との相性があるわけなんでしょう。これも自然界の不思議です…。
2010年7月21日
アメリカから「自由」が消える
アメリカ
著者:堤 未果、出版社:扶桑社新書
私は久しくアメリカに行っていませんが、この本を読むと、ますますアメリカに行く気が薄れてしまいます。
だって、空港で「ミリ波レントゲンによる全身スキャナー」(ミリ波スキャナー)で全身画像をとられてしまうのですよ。素っ裸にされるようなものです。
この「ミリ波スキャナー」は、現在アメリカ国内19の空港に40台も設置されている。アメリカ政府は、「ミリ波スキャナー」150台を2500万ドル(25億円)で購入し、2010年初め、さらに300台を追加注文した。値段は1台につき15万ドル(1500万円)。
このミリ波スキャナーに乳ガン手術で左胸に埋め込んだシリコンが引っかかった。人工肛門の人が引っかかり、その場で下着をまくって職員に見せなければいけなかった。
このようにして身体内に埋め込んだインプラントの存在を空港でさらけ出さなくてはいけなくなる。
さらに、私なんかが載っているとは思っていませんが、空港で警備・搭乗拒否リストが際限なく増えているというのです。
搭乗拒否人物4万千人、搭乗の前に追加でセキュリティ・チェックを要する人物7万5千人。9.11前にリストにあったのは、わずか16人だったのが、今や11万9千人に増えている。そのなかには、緑の党のメンバーやキリスト教系平和活動家、市民派弁護士もふくまれている。
さらに、アメリカ政府は、人々の頭の中を読みとれる装置を企業に開発させているという。たとえば、テロ関連画像を見せられ、反応する瞳孔の開き方や心拍数の変化、体温の上昇などを、最新式の「読心センサー」に読みとらせる。また、対象者の掌を通して、「敵対的な思想」を感知する技術が開発されていて、既に空港で試験中である。うへーっ、や、やめてくださいな。それはないでしょう・・・。
今や、この警備業界は大変な成長産業になっている。2003年の時点で登録した企業は569社。利益は15兆円をこえた。それからさらに増えて、2010年には1800億ドル(18兆円)という大規模な巨大市場に成長している。
うへーぇ、テロ対策がアメリカでは、早速にも、お金もうけの舞台になっているのですね。いやですよ、そんなこと・・・。
9.11以降、ニューヨーク市内にある監視カメラは激増し、地下鉄だけで2000台、市営住宅には33000台をこえる監視カメラが設置されている。ニューヨーク警察が2008年に導入したヘリコプターは、3キロの上空から人の顔が識別できるハイテク仕様だ。
日本がアメリカのようになってはいけないことを改めて痛感させらる本です。読みたい本ではありませんが、知っておかなければいけない現実です。
(2010年4月刊。700円+税)
2010年7月20日
生命にぎわう青い星
カッコウ類は、産卵期の宿主の巣に卵を産みこむ。
カッコウ類のメスが産卵に費やす時間は、とても短い。宿主の巣に取りついてから、産卵して巣を離れるまでの時間は、わずか数秒から10秒前後だ。それは、托卵される側の小鳥は、カッコウ類が巣に近づいてくると攻撃するから。カッコウ類は産卵に費やす時間を短くし、宿主の攻撃を長引かせないようにしている。
カッコウ類のメスは、産卵するとき、自分の卵を産みこむ前に、宿主の卵を1個あるいは2個くわえとる。自分の卵を産み終わってから抜き取るのではない。卵の色も形もよく似ているので、間違って自分の産んだ卵を抜き取らないようにしている。
カッコウ類は無差別に托卵しているわけではない。自分と食性が基本的に同じで、個体数が多く、自分より身体がずっと小さい小鳥に排卵している。
カッコウ類は昆虫食なので、托卵相手には広い意味での昆虫食の鳥を選んでいる。個体数が多い鳥というのはスが見つけやすくなるから。小さい鳥の方が、大きい鳥よりも一般に高密度で生息している。孵化したひなが巣を独占しようとするとき、宿主のひながずっと小さい方が有利になる。というのも、カッコウ類のひなは、孵化したあと巣内にある宿主の卵やひなを巣外に放り出す。そのためには小さい方がしやすい。
カッコウ類の托卵する相手は種によって違えている。同じ種を選んでしまうと、過度の托卵によって個体数が減ってしまいかねない。
ホトトギスは主としてウグイスに、カッコウはホオジロなどに托卵するというように分かれている。カッコウ類が産む卵は、宿主の卵に酷似している。それは、たとえばウグイスは違った色の卵が産みこまれた巣はすぐに放棄してしまう。
カッコウ類のひなは、宿主のひなより1~3日早く孵化する。かえったひなは、数時間ほどたつと、巣の中にある宿主の卵やひなをすべて巣外に放り出し、巣を独占する。巣を独占したひなは、宿主の小鳥、仮親が持って来る食べ物を文字通り独り占めする。
カッコウのひなは口を大きく明け、仮親に餌ねだりする。口の中はあざやかな赤やオレンジ色をしている。仮親は、このあざやかな口の中を見せられると、もってきた食物をそこに思わず入れてしまう。
カッコウの一羽のひなは、仮親の一巣・数羽分のひなの声を同時に出している。それによって、仮親の給餌をより多く誘い出し、たくさんの食物をもらっている。
カッコウ類の托卵システムの巧妙さには驚きますね。降りこめ詐欺に負けじ劣らじの悪賢さです。
現在、地球上に知られている生物の種は141万3000種ほど。しかし、生物の全種類は1000~3000万種以上と考えられている。同じ種の個体は、そこにふくまれる個体としか遺伝子を自由に交換しない。種とは、繁殖上ほかから隔離されている、遺伝的に閉鎖された系である。
生物の種の大切さを考えさせてくれる大切な本です。
(2010年1月刊。1600円+税)
フランス映画、『モリエール、恋こそ喜劇』を見ました。久しぶりに喜劇をしっかり堪能することができました。喜劇とは単に笑わせるだけでなく、充実した人生とは何かを深く考えさせるものでもあるのですね。モリエールを読みなおしたいという気になっています。
梅雨がようやく明けて青空が広がっています。日曜日の朝、抜けるような青空を眺めながら、何か欠けていると思いました。そうです。蝉の鳴き声です。夏に、あのうるさいほどの蝉の鳴き声を聞かないと真夏ではありません。午前8時半ごろ、ようやく鳴き出しました。地中に何年もいて、梅雨明けをいまかいまかと待ちわびていたのでしょう。ちょっとタイミングがずれたので、今朝は鳴き始めるのが遅かったのでした。