弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2010年6月16日
在郷軍人会
日本史(近代)
著者:藤井忠俊、出版社:岩波書店
戦前の日本の実情を深く知った気になりました。在郷軍人会というのも決して一枚岩ではなく、矛盾にみちみちた存在であったようです。
1910年(明治43年)に発足した在郷軍人会は最盛時には300万人に及ぶ会員がいた。しかし、会員に軍服の着用をすすめても、軍服を着た会員はほとんどいなかった。軍服を着た市民があふれたのは戦後日本の平和な社会であった。個々の在郷軍人は軍服を着たがらなかったのである。ただし、米騒動で騒動の先頭に立った者が軍服姿となり、また、神戸の造船所での大ストライキのとき、労働者側の在郷軍人が軍服を着て市中をデモンストレーションして人々を驚かせた。デモクラシーの波が、この皮肉な反抗を演出した。
日露戦争のとき、日露両軍が全兵力を投入した大会戦の戦い方を通して、将来の戦争と在郷軍人の関係に気づいた軍人の一人に田中義一がいる。
その実戦の中で、常備師団に比べて後備師団は弱い。しかし、今後の戦争は在郷軍人が主体になる。なぜなら、来るべき戦争は総力戦であり、現役兵だけでは絶対に兵力が足りない。数倍の在郷軍人が召集されなければならない。それは補充のレベルではなく、従来の後備師団が逆に主体にならなければならないというものだ。そのためには訓練と戦意が大切であり、国民の支持が絶対要件である。田中義一は、在郷軍人会の組織と経営に熱意をもった。
在郷軍人会は会費収入を期待できなかった。軍隊生活を除隊した経歴の在郷軍人には、心底から貧乏くじを引いた思いがある。表面上、いかに光栄ある国家の干城と言われても、入営中、出陣中の家計・生活上のマイナスはたしかなこと。したがって在郷軍人会が成立しても、事業にみあうような会費を出してまで会員になる在郷軍人は、まずいない。当初から、町村の有志の援助をあてにした集団だった。
日露戦争後、帰郷した在郷軍人のモラルにはよい評価を与えられなかった。兵隊あがりという蔑称さえつけられた。そして、在郷軍人の半数以上が一種の詐欺的行為にあり、委任状を渡して年金を他人にとられていた。
米騒動(1918年、大正7年夏)に参加した在郷軍人は多く、刑事処分を受けた人の
12.1%を占めた。このことに在郷軍人会は驚愕した。工場でのストライキ、そして農村で起こった小作争議でも指導層にも在郷軍人が多かったからだ。騒動や争議は社会不安につながったが、下層民の社会的力量を押し上げもした。在郷軍人は、広く考えると、この下層民の押し上げにも乗っていた。
在郷軍人という基盤の上に立った在郷軍人会は、当時の組織された民衆としては最大のものであり、普通選挙が実施されたら最大の選挙民になる可能性があった。この大正デモクラシーに対しては、軍全体で、その風潮に対抗する措置がとられた。それほど大正デモクラシーは、在郷軍人にも大きな影響を及ぼした。在郷軍人会自体も民主化に対応しなければならなかった。
在郷軍人会本部が大正末期につくった悪思想退治のレコードを紹介します。野口雨情の作詞、中山晋平の作曲です。
狭い心で世の中渡りゃ、マルキシズムにだまされる。マルキシズムにだまされりゃ、可哀想だが心が腐る。
なんと恐ろしい偏向した歌でしょう・・・。怖いですね。
日中戦争の大動員が始まると、質的にも量的にも、国防婦人会の役割が急上昇した。出征兵士の見送り行事には決定的な役割を果たし、不可欠の要素となった。
作戦本位の軍部も、国民の支持に頼らなければならなかった。国防婦人会の見せるパフォーマンスの威力は、日本全国をゆるがせた。これは軍部の予想しなかったことであり、慌てた。
逆に、在郷軍人は、もはや銃後の構成員とは言えなくなった。大動員によって、在郷軍人会の社会的活動は大幅に後退せざるをえなくなった。
1937年中に動員された兵士は93万人に達した。現役兵は33万6千人に対して、開戦後の召集兵は59万4千人。これらの召集兵は、充員召集であれ赤紙召集であれ、在郷軍人である。
日中戦争では、たしかに在郷軍人の大量動員で数量的には在郷軍人が主体となった。しかし、出来上がった形に軍は動揺した。在郷軍人の質が問題だ。特設師団は戦闘主力として使えるのか。未入営補充兵をどのように訓練して戦闘にまにあわせるのか。当惑が渦巻いた。
特設師団は編成・素質不良にて、訓練の時間なく、幹部の死傷者が多いのは、近接戦闘において自ら先頭に立たないと兵が従わないため。
日中戦争途中の帰還兵を待っていたのは、きわめて冷たい出迎えだった。派手な出迎えはしない。歓迎会は禁止、楽隊は絶対禁止。軍紀を基準にした言動調査で、盛り上がりつつある銃後の戦意昂揚に水をさすような実践談をされては困るのだった・・・。
戦場の実態について、美談や大和魂でしか伝わっていない国民のなかに、戦場の実態が赤裸々に語られるマイナスが当局の心配事になった。戦場における兵たちの軍紀の乱れを国民に知られないようにする必要があった。
1941年(昭和16年)の関特演(関東軍特殊演習)による秘密動員については、暗い秘密動員として記憶された。つまり、夜中に誰にも気づかれないように普段着を着て、召集場所に集まるようにとのことだった。この秘密大動員は、軍に士気の衰えを感じさせた。高揚するかと思われた国民の気持ちを萎えさせるように働いたのだった。
在郷軍人会は、徴兵制を維持し、国民の支持を得るための最大の地域組織だった。
十分に本書を理解できたという自信はありませんが、読んでいて、とても納得感のある本でした。
(2009年11月刊。2800円+税)