弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年5月20日

在日米軍最前線

社会

著者  斉藤 光政  、 新人物文庫 
 日本とアメリカによる3年かかりの壮大なガラガラポンの果てに姿を現したのは、アメリカ軍によるさらなる基地強化、つまり日本列島の前線化にほかならなかった。それは、戦略展開拠点ニッポンの現実だった。
 「世界の警察」を自認し、世界中のどこにでも即時に出撃することを前提としているアメリカ軍は150万人の大兵力を世界の5つの地域に分けて展開している。この統合軍で最大規模を誇るのが、ハワイに司令部を置く太平洋軍だ。
 太平洋軍の総兵力は30万人。在日アメリカ軍は、陸軍2千人、海軍5千人、空軍1万4千人、海兵隊1万8千人の計3万9千人。このほか、太平洋艦隊第7艦隊1万2千人がいるので、太平洋軍の6分の1、5万人が日本列島を拠点に活動している。
 私は、近く(5月末に)青森の三沢に出かける予定です。この三沢にはアメリカ軍の第35戦闘航空団が常駐しています。
 三沢基地には、戦闘機F16Cファイティングファルコン40機が配備されている。この航空団は、敵防空網の制圧と制空権の確保が目的であり、全軍の露払いを使命とする。
 三沢基地には、「ゾウのおり」と形容される巨大な円形アンテナと、14基の大型パラボラアンテナが林立するパラボラアンテナのうち4基は秘密通信傍受システム「エシュロン」に使われていて、軍事スパイ網の要となっている。
 アメリカは、青森県を「友好的で、アメリカ軍基地に対する抵抗感が強くなく、機密保持に適した場所」とみている。三沢基地には、アメリカ軍がF16を2個飛行隊かかえ、自衛隊がF2を2個飛行隊かかえる。つまり、80機の攻撃飛行隊が集結する。こんな基地は世界でもまれだ。このように三沢基地は、対地攻撃に特化した一大拠点になろうとしている。
1960年代、三沢のアメリカ軍基地では、1年間に2000発以上の核模擬弾を消費していた。三沢は「核漬け」の状態にあった。1961年9月から1963年8月までの2年間に、6機ものF100戦闘爆撃機が訓練ルートで墜落した。これらの事故の多くは公にされることはなかった。
 核攻撃任務を与えられていたのは三沢基地だけではない。埼玉県の入間、福岡県の板付、愛知県の小牧、沖縄県の嘉手納も同じである。
 嘉手納の核貯蔵庫から、三沢、入間、小牧、板付に核弾頭が搬出されていた。嘉手納には、予備もふくめて最低200個、通常400個ほどの核弾頭が配備されていた。今、これがゼロだとはとうてい思えませんが・・・・それはともかく、日本がアメリカ軍の最前線基地になっているなんて、とんでもないことです。
 ところが、多くの日本人は今なお、アメリカ軍が日本を守るために日本にある基地を構えているかのように錯覚しています。アメリカが日本を守ってくれるなんて、ありえないことです。むしろ、アメリカの戦争に日本が巻き込まれてしまう危険のほうがよほど大きいと思います。
 そんなことを実感させてくれる絶好のレポートです。小さな文庫本ですが、内容はずっくりと重たいものです。どうか、ぜひ読んでみてください。
 
(2010年3月刊。667円+税)

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