弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年5月 2日

清水次郎長

日本史(江戸)

著者 高橋 敏、 出版 岩波新書

 幕末維新における博打の世界の実態を十分に堪能することのできる本です。
 次郎長親分も悠々と生きていたわけでは決してなく、殺し殺されの世界で幸運にも生き延びたこと、維新のとき政治に深入りしなかったことが延命につながったことなど、面白い記述にあふれています。
 清水次郎長は幕末から明治維新、近代国家の誕生まで変転止まない、血で血を洗う苛酷な大動乱の時代を生き抜き、74年の生涯を畳の上で大往生して閉じた、きわめて稀な博徒であった。若き日、博打と喧嘩の罪で人別から除かれ、無宿者となって以来、博徒の世界に入り、敵を殺しては売り出し、一家を形成、一大勢力を築いてしぶとく生き残った、いわば博徒・侠客の典型の一人である。
 徳川幕府発祥の地である三河国には、小藩が乱立し、網の目のように入り組み錯綜したため、警察力が弱体化し、模範となるべきところ、皮肉にも博徒の金城湯池になってしまった。
 博徒間の相関関係は、任侠の強い絆で結ばれているように見えるが、仁義の紐帯はもろく、常に対立抗争しては手打ちで休戦、棲み分けを繰り返す、実に油断も隙もない世界であった。
 博徒の実力の根底は、喧嘩・出入りに勝つ武力プラス財力にある。
 この点も今の暴力団にもあてはまるようですね。
 次郎長が並みいる博徒のなかで抜きんでていったのは、結果論になるが、立ちはだかる宿敵を次々に葬るか、抑えるか、時には妥協しても自派の勢力を拡大したからである。
 次郎長一家は、親分が一方的に子分を支配統制する集団ではない。個性的子分を巧みに次郎長が操縦している感がある。
 幕末、次郎長に食録20石を与えて家臣とするとの誘いがかかった。博徒が武士になれるという夢のような話である。しかし、これを次郎長は迷わずきっぱり拒絶した。
 このころ、次郎長は、かつての三河への逃げ隠れをパターンとする移動型から、清水港に根をおろし、東海地方ににらみを利かす定着型博徒に変容していた。
 次郎長の宿敵であった黒駒勝蔵は、尊王攘夷運動に加担していたにもかかわらず、明治4年になって、7年前の博徒殺害を理由として斬首されてしまった。
 次郎長は、明治維新を機に、無宿・無頼の博徒渡世から足を洗い、正業で暮らしを立てようとした。
 とびきり面白い、明治維新の裏面史になっています。 
 
(2010年1月刊。800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー