弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2010年3月27日
世事見聞録 その3
司法(江戸)
江戸時代も今と同じで、不倫・不貞が流行していたようです。日本人って、この点も変わらないのですね。
「下賤の娘たるもの慎みの体更になく、不義をなすこと珍しからず。親を憚る心なく、外見外聞を厭ふにもあらず、或は親の元を遁れ逃げ去り、親の勧むる縁組を拒み、馴れ合ひ夫婦などのこと多く、或は父母へは不通になりて夫を持つ事、常の風俗となり、また人の妻妾なるもの、密通のこと尋常の事になりて、互ひに犯し合ひ奪ひ合ひ、また欲情に拘り、男を欺くあり、女を欺くあり、また夫婦馴れ合ひなどありて、金銀をゆすり取るもあり、また密通するのみならず、男の意地など言ひて、無体に人の妻を貰ひ懸け、貪りとるあり、また実夫の身上を奪ひて、密夫の方へ送りたる上に逃げ行くあり、人の身上を狂はせ、或は夫婦仲よくして子のある中をも、誑(たぶら)かして連れ出し、よんどころなく離縁に及ばせ、親は懸るべき娘を奪はれ、夫は家を守るべき妻を失ひ、父母を失ひて誑かさるゝもの多し」
「享保の頃に至っては余多ある事なりし故、大岡越前守工夫にて、密通の男へ過怠金一枚出させしといふ。金一枚は小判七両二分になる。尤もその頃の金一枚は今の三十両余にも当るなり。この過怠始まりて却つて密通のこと多くなりしゆゑ、間もなく止みしといふ」
「当世はさほど重き事に思はず、只密通数多き事ゆゑ、明白にして詮なきといふ懦弱なる了簡にて取扱ふ故、実夫密夫ども猥りに嘲弄し、そのうち止まる処、実夫は空気(うつけ)ものになりて恥辱を十分に被り、密夫は怜悧なる奴となりて仕廻ふ故、密夫たるもの身の過ちを知らず」
日本の女性が昔から強かったことは、次の記述からも、よく分かります。
「猥りに女の道乱れ、子孫にして或は親を侮り偽り、或は夫をないがしろにし、我儘気随の振廻ひ、常の風俗となれり。今軽き裏店(うらだな)のもの、その日稼ぎの者どもの体を見るに、親は辛き渡世を送るに、娘は髪化粧よき衣類を著て、遊芸または男狂ひをなし、また夫は未明より草履草鞋にて棒手(ぼて)振りなどの稼業に出るに、妻は夫の留守を幸ひに、近所合壁の女房同志寄り集まり、己が夫を不甲斐性ものに申しなし、互ひに身の蕩楽なる事を咄し合ひ、また紋かるた、・めくりなどいふ小博打をいたし、或は若き男を相手に酒を給べ、或は芝居見物そのほか遊山物参り等に同道いたし、雑司ヶ谷・堀之内・目黒・亀井戸・王子・深川・隅田川・梅若などへ参り、またこの道筋、近来料理茶屋・水茶屋の類沢山に出来たる故、右等の所へ立ち入り、又は二階などへ上り金銭を費して緩々休息し、また晩に及んで夫の帰りし時、終日の労をも厭ひ遣らず、却つて水を汲ませ、煮焚きを致させ、夫を誑かして使ふを手柄とし、女房は主人の如く、夫は下人の如くなり。邂逅(たまさか)密夫などのなきは、その貞実を恩にきせて夫に嵩り、これまた兎にも角にも気随我儘をなすなり。
今大小名の閨門を始め、女の気随我儘も奢り頂上し、下々卑賤の末々に行くに随ひ、右の如く夫婦女子の道乱れしなり。この風俗また国々在々に押し移り、父母を粗略にして女房を大切に取扱ひ、親類を疎遠にして縁者なるを懇切にする事になれり。これ世の信義を失ひ、淫犯の増長せしなり」
江戸時代の百姓がみな貧困にあえいでいたかというと、必ずしもそうではなかったのです。
「富める百姓は身分を忘れて、都会に住める貴人も同じやうに奢りを構へ、家居も古今雲泥の相違にて、門構・玄関・長押・書院・床・違棚など結構を尽し、書院そのほか物数寄(ものずき)を尽し、或は公儀へ冥加と号して金銀を上げて奇特ものとなり、苗字帯刀などを御免を蒙りて権威に募り、或は領主地頭へ用立金などして、その功に依つてこれまた苗字帯刀・扶持切米など免(ゆる)されて近辺に威を振ひ、小前(こまへ)百姓を誣げ遣ひ、或は小身なる地頭を侮り疎みて、宮門跡方そのほか有職の家へ取り入り、金銀賄賂を遣ひて用達または家来分などとなり、愚昧の民を恐れしめ、様々我儘をなし、また村役人その外すべて有余なる族は、耕作を召仕ひの下男女に任せ置き、己れは美服を著し、或は婚礼・婿取り・諸祝儀・仏事など、すべて武家の礼式に倣ひて大造なる招請饗応などなし、又は常に浪人などを囲ひ置きて、身分に非ざる武芸を習ひ、或は師匠を撰みて詩文章を志し、唐様を書き、和漢の書画風を学び、又は茶陽師・歌俳諧師・音曲の芸者などを抱へ置きて遊芸を学び、我が遊興の相手とし、或は繁花の地より美女を連れ来たりて妾となし、日々酒宴を催し、又は秘かに繁花の地へ遊びに出て、田舎には妻妾を置きながら、都会の地にも囲ひ女などを致し、或は遊里に泊り、妓女に戯れ子を拵へ、或は公事出入りを好み、己が身に不足なく隙あるに任せ、人の腰押しを致し、わづかなる事をも大なる出入りに及ばせ、人の身上にも拘るべき事をも厭ひなく、又は己が心に叶はざる時は、変死そのほか非義非道の事をも、訴訟の取次を致さず、無体に押し噤みて内済など致させ、或は大体の訴訟の事を始め、領主地頭の用向きなどに出て、その用事を次にし、世に自分の遊び事をなし、繁花に心を奪はれ、公事出入りの落著を長引く手間取りを却つて歓び、永遊びをいたし大金を費すなり」
この本を読むと、江戸時代って現代日本と同じように大変な時代だと思わざるを得ません。しかし、解説者(滝川政次郎)は誤解しないようにと、現代の私たちにクギを刺しています。
「江戸時代は嫌らしい、下らない時代であったという先入主を持っている現代人が、本書を読んで、江戸時代はこのように腐敗堕落、淫靡の極にあった時代であったという誤った認識を深めることを懼(おそ)れる。江戸時代の社会は、本書に述べられているほど悪いことばかりの社会であったわけでもない。
世事見聞録は、右に述べたような、貴重な江戸時代史の史料であり、且つ興味深き読み物の一つである」
あなたも、ぜひこの本を読んでみてください。江戸時代の日本人、ひいては日本人とはどんな人々であるのか、大いに目が開かれると思います。
(2005年4月刊。3500円+税)