弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年3月16日

歴史の偽造をただす

日本史(明治)

著者 中塚 明、 出版 高文研

 日清戦争の最初の戦闘は1894年7月25日、朝鮮西海岸の仁川沖合での戦闘、豊島沖の海戦とされている。しかし、実は、その2日前の7月23日に日本軍は朝鮮王宮を占領し、日清戦争の口火を切っていた。
日本軍は朝鮮王宮を占領して、国王高宗を事実上とりこにし、王妃の一族と対立していた国王の実父である大院君を担ぎ出して政権の座につけ、朝鮮政府を日本に従属させ、清朝中国の軍隊を朝鮮外に駆逐することを日本軍に委嘱させる、つまり「開戦の名義」を手に入れ、ソウルにいる朝鮮兵の武装を解除して日本軍が地方で清朝中国の軍隊と戦っているあいだ、ソウルの安全を確保し、軍需品の輸送や徴発などを朝鮮政府の命令で行う便宜を得るというのが目的だった。
 ところが、朝鮮王宮の占領にあたって、意外にも朝鮮の兵士たちが奮戦したため、午前4時20分から7時30分まで、3時間にわたる銃撃戦が続いた。
 このように、朝鮮王宮の占領は決して偶発的なものではなく、日本公使館の提案にもとづいて日本軍が計画をたて、その作戦計画に従って実施された計画的な事件であった。
 日清戦争のとき、日本軍は国際法をよく守ったという議論がある。しかし、清朝中国の軍隊を満載した軍艦「高陞号」を撃沈したあと、東郷平八郎艦長は船長など西洋人4人を救助したほかは、溺れる2千人あまりの中国人将兵は救助するどころか、ガトリングガンで射撃した。これを目撃していた西洋の軍人らが批判したのも当然であった。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、この朝鮮王宮占領についてはなぜかまったく触れていない。ただ、「7月25日、韓国は日本の要求に屈し」たと書くのみであった。
 外国の軍隊によって国のシンボルとも言える王宮が占領されたことのショックは大きい。
 そうですよね。日本の皇宮を突然、韓国軍が占領したら、日本人は大ショックですよ。
 日清戦争、そして侵略軍である日本軍が朝鮮半島でいかに暴虐の限りを尽くしたか、きちんと知る必要があると改めて思いました。その反省なしに、アメリカ軍は日本から出て行けと叫んでも、そらぞらしくなってしまいます。
 
(1998年2月刊。1800円+税)

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