弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年3月 5日

知の現場

社会

著者 知的生産の技術研究会、 出版 東洋経済新報社

 あるモノカキの人は、毎日、規則正しく朝9時に書き始め夕方6時には終了する。1日に5000字のノルマを書いたら、そこで打ち止めする。
 うまくいかないときでも、書くしかないのでとにかく書く。書くときには、NHKラジオの外国語講座を聞き流す。静かだと眠たくなる。意味が分からないところがいい。素晴らしい音楽だと、そちらに気を取られてしまう。書けないときでも、なんとか書いていると、いつのまにか乗ってきて書けるようになる。
 ほんとなんですよね。私も、ともかくひたすら書く派です。
 アウトプットするコツは、なんでもいいからとにかく書くこと。本を書くときの一番の妨げは、自分が書いていることをつまらないと思ってしまうこと。人間タイプライターになったと思って、ひたすら書くしかない。
 いやあ、まったくそうなんですよね。でも、ときどき、こんなことしてていいのかしらんとつい思ってしまい、悩むのです。凡人の辛いところです。
 文章が説教臭くならないように、また読み手に伝わるように、できるだけ感動的な実際のエピソードをオブラートに包んで、思いを心に届けるようにする。
 知を生産するためには、日頃から書物だけに頼らず、人に会うことが大切だ。
 しかし、そうはいっても主たる情報源はやっぱり本である。
 団塊世代は、自分たちの経験や体験を世代を超えて次の世代に継承するよう働きかけるべきだ。そして若い人たちをもっと褒めてほしい。なーるほど、痛いところを突かれました。
 長く仕事をしていても自分を飽きさせないために、自分はすごいものを書いている、オレは天才だ、誰も書いていないようなことを書いている、誰も気の付いていないことを書いている、このように自分自身に思わせるようにしている。ふむふむ、私もやってみます。
 書くテクニックを使いこなすためには、練習を重ねること、他人の作品をたくさん見ること。まさにその通りです。書くのには、すごいエネルギーを要します。
 作家活動にとって一番大切なのは健康だ。
 時間管理が下手な人のなかで偉くなった人はいない。
 文章を書こうというときには、まず自分が書きたいことを書く。駄文でもいいからと割り切って、まずは文章を書き始めることが大切だ。書いた文章の断片を後から編集する。編集するときには、執筆者としてではなく、編集者として文章を客観的に眺めるようにする。
 読んだ人が楽しい気持ちになる、勇気づけられることを考えて書く。
一つのパラグラフを5行以内にするなど、レイアウトを工夫する。見た瞬間に字がありすぎると読みづらい。一つの章を30分で読めるようにする。
 もっとも大切なのはタイトル。タイトルができてから本の執筆に入る。日本語に気をつけ、誰が見ても傷つかない、不快に感じない、誤解されない表現を選ぶ。これは私のモットーでもあります。
 モノへのこだわりを無くすため、愛用品をつくらない。愛用品を持つと、それがなくなったらストレスになる。いかにストレスをためないようにするか、その発想で行動する。
 本を書くのに喫茶店はいい。他人の視線があるから、ちょっとした緊張感が生まれ、原稿がすすむ。いやはや、私も同じです。あまりに騒々しい店は困りますが、近くでおばさんたちの世間話があっていても書けるようにはなりました。
 テレビは大嫌いだ。視覚情報は具体的すぎるので、意識して遠ざけている。ヒヤヒヤ。大賛成です。
 パソコンのような便利な道具に頼りすぎるのは、知的活動を道具に束縛されること。
 ブログは忘却のためのすばらしいツールだ。書いたら、もう脳に残しておく必要はない。
 その道のプロは、その場に必要な何かがないことが分かるかどうかということ。ムムム、この指摘は鋭いですよね。
 人間は『生産』はできないが、『編集』はできる。これが能力だ。
 私にとって大変役に立つと同時に、共鳴できるところの多い本でした。
 
(2010年1月刊。1600円+税)

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