弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年2月24日

朝鮮戦争(下)

朝鮮

著者 デイヴィッド・ハルバースタム、 出版 文芸春秋

 アメリカからすると、ソ連と中国は一枚岩のように見えた。しかし、スターリンは実際には、毛沢東を信用していなかった。それで、中国とアメリカとの緊張が最大限になることを願った。両者が敵対しあう戦争はスターリンに有利に働くはずだった。
 1948年末、毛沢東は何回にもわたって、モスクワでの会談を求めたが、スターリンはその都度ためらいを見せた。毛沢東はスターリンが自分に疑いを抱いていることを十分承知していた。1949年12月、毛沢東はついにモスクワを訪れた。スターリンはすぐに毛沢東と会おうとせず、何日も待たせた。毛沢東の訪問によって得られたソ連からの経済・軍事援助は、わずかなものでしかなかった。
 毛沢東は、あとで「虎の口から肉を取るようなものだった」と言った。ソ連の対応は、本質的には侮辱にほかならなかった。
 1950年10月、毛沢東は朝鮮戦争への参戦を決めた。中国軍部隊を義勇軍としたのは、アメリカとの全面戦争を防ぐための選択だった。中国軍部隊が派遣されるのは、単に 朝鮮を救うためだけではなく、より大きな世界革命、とりわけアジアの革命を促すためだった。
 金日成は、中国が中国軍の指揮を自分に任せるものと思っていた。しかし、中国が軽蔑しきっている金日成に中国軍部隊を任せることなど、ありえなかった。むしろ金日成には再教育が必要だと考えていた。冒険主義以外の何物でもない。軍の統制も子ども並み。このように中国軍を指揮する彭徳懐は言った。
 20世紀のアメリカ軍の誤算の中で突出しているのは、マッカーサーが鴨緑江にまでアメリカ軍部隊を北上させたこと。中国軍は高い山の中にこもって、アメリカ軍の北上を見守っていた。このあと、アメリカ軍を徹底的に叩いた。不意打ちだった。
マッカーサーの職業的な罪の中の最大のものは、敵を完全に過小評価したこと。
 マッカーサーは、アジアを知らず、敵について驚くほど無関心だった。
ウィロビーは陰謀好きだった。ウィロビーは総司令部内のニューディール系リベラルを共産党シンパないし共産党員そのものだと見なして一掃しようとした。
 現場で戦うものたちにとって、ウィロビーの存在は危険なまでに悪に近いものだった。ウィロビーは、戦闘部隊レベルの情報機関がきわめて重要な最高の情報を在韓司令部に送るのを阻止しただけでなく、他の情報源も封鎖した。ウィロビーは共産主義と中国の危険について喚き散らしながら、最後には国連軍部隊が大規模な待ち伏せ攻撃のえじきになるように仕組んでやり、共産主義者たちの仕事をずっと簡単にしてやったのである。
 司令官の至上任務は、兵士の恐怖を抑えることである。偉大な司令官は恐怖を逆手にとり、それが常にあると言う認識を強みに変えることもできる。弱い司令官は兵士の恐怖を昂じさせる。ある司令官の下で勇敢に戦う兵士が、自分の恐怖を投影するような司令官の下では逃げ出してしまう。
 偉大な司令官とは、賢明な戦術的動きが出来るだけでなく、兵士に自信をあたえ、それをやることができる。その日に戦うのは、自分たちの義務であり、特権であると感じさせるような人物である。
 中国軍においては、普通の兵士でも、政治委員の講義を通じて戦闘命令について非常に多くのことを知っている。
 中国軍が初期にえたアメリカ軍との戦闘における異例の成功は、彭徳懐の重荷になった。毛沢東の決めた目標が中国軍の能力を上回りがちとなった。毛沢東が勝利に酔ってしまった。中国軍の重火器用弾薬が明らかに不足していた。
 中国軍の命令構造の硬直性は大きな弱点だった。上から下に伝わるだけで、下の水準にはほとんど融通性がなく、個人的な創意の余地も皆無に近かった。それは勇敢かつ頑丈で、信じられないほど責任感の強い歩兵を生み出した。だが、彼らを統率する中間レベルの指揮官は、戦闘の最中に戦場の変化に応じて重要な決定を下すべき権限も通信能力ももっていなかった。
 これはアメリカ軍とは対照的な違いだった。アメリカ軍では有能な下士官の創意が評価され、戦闘の展開に応じて調整していく能力が重要な長所となった。
 中国軍はせいぜい3日間は強烈に戦うことができた。しかし、弾薬、食糧、医療支援、そして純然たる肉体的持久力の限界、それに巨大なアメリカ空軍力のために、有利な条件や局面突破があっても、有効に活用できず、挫折や敗北が増幅された。どの戦闘でも、3日目になると、すべてのものが不足し、はじめ、敵との接触を断つことが必要になってしまう。
 マッカーサーが解任されてアメリカに帰国したとき、アメリカ市民は熱狂的に迎えた。しかしその熱狂はマッカーサーの政策に対する支持を意味するものではなかった。つまり、アジアでの戦争拡大を支持するものではなかった。マッカーサーへの熱狂的な歓迎は、その政策への支持とは、まったく別物だった。
 マッカーサーに長年接してきた人たちを苦しめた大きな問題の一つは、マッカーサーが必ずしも真実を語らないことだった。自分に都合のよいときには真実を利用したが、邪魔になると、すぐに真実から離れた。
マッカーサーは、議会の演説で恥知らずな嘘をついた。
 マッカーサーは、ペンタゴン(国防総省)で、ほとんど支持を得ていなかった。マッカーサーの命令無視、中国軍参戦についての責任を認めないこと、軍に対する文民統制を故意に無視したことにペンタゴンの士官たちは激怒していた。朝鮮戦争の前線で死傷したのは、多くの場合に、若手士官の同期生や友人たちだった。マッカーサーは、ペンタゴンのいたるところで多くの若手士官たちから嫌われ、憎まれていた。彼らは、上院議員たちにマッカーサー攻撃の論拠を与えていた。
 朝鮮戦争を中国軍の内情、そしてアメリカ内の政治状況と結びつけながらとらえた、最新の研究を踏まえた傑作です。

(2009年12月刊。1900円+税)

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