弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年2月 4日

岩盤を穿(うが)つ

社会

著者 湯浅 誠、 出版 文芸春秋

 日本中を震撼させた年越し派遣村の村長だった著者は、民主党政権の下で、内閣府参与となり、ホームレス等の対策にあたっています。著者には私も大いに期待しています。これは、決して皮肉ではなく、本心からの言葉です。皮肉なんて言っていられないほど、事態は深刻かつ急迫していると思うのです。
 著者は活動家を募っています。そこで求められている活動家は次のようなものです。従来のものとはかなりイメージが異なります。
 活動家は、夢見る権利を擁護し、夢見る条件を作ろうとする。認定された夢だけを夢とする社会の岩盤にぶち当たらざるをえない。
お金がなければアウト、非正規だったら負け組、恋人ができなければ人間失格、マイホームにマイカーがなければ甲斐性なし、病気をすれば自己管理が不十分、老後の貯蓄がなければ人生のツケ。いやはや、なんと寂しい日本の現象でしょうか……。
 国が企業を守り、企業が男性正社員を守り、男性正社員が妻子を守る。そのルート以外の守られ方は、自堕落、怠惰、甘え、努力不足、負け犬……。いい加減にしてほしい。
 この「いい加減にしてほしい」に形を与えること。形を与えるための“場”をつくること。そして、他なる社会を夢見る条件を作ること。それが活動家の仕事だ。
 なるほど、こんな言い方もできるのですね。こうやって運動の輪を大きく広げていって、現代日本の社会を少しでも良い方向に、みんなで少しずつ、一歩一歩、変えていきたいものです。
 私も日比谷公園にはよく行きます。有楽町駅から歩いて日弁連会館に行く途中にあるからです。そこにできた年越し派遣村に来た人は、5日間で500人を超したのでした。そして、ボランティア登録をした人は1800人、のべ5000人となった。寄せられたカンパは2300万円。ちなみに、今年の公設派遣村は昨年を上回って、800人でしたか、1000人でしたか……。
 多くの人にとって、「見たくない現実」だった。忘れてはならないのは、「その現実を生きている」人たちがいること。この現実を直視できるかどうか、そこに日本社会の地力が現れる。そうなんですよね。貧困は目をそむけたら見えなくなるものです。
 かつての日本では、山谷(東京)や釜ヶ崎(大阪)の寄せ場に日雇い労働者はいた。しかし、今では日本全国に広がっている。貧困の問題は、フツー、目に見えないという特徴がある。貧困が見えにくいのは、アメリカでもイギリスでも同じで、これは世界共通のものだ。野宿の人たちは、炭鉱のカナリアのような存在だ。
 日本では、まわりの人から「簡単に人に頼っちゃいけない」と言われて育っているので、SOSの出し方が分からない。
 企業の多くは「地球を大切にしています」などと広告・宣伝している。しかし、「私たちの企業は、非正規労働者の命などなんとも思っていません。そんな私たちですが、良かったら商品を買ってください」と言うべきだ。
 ふむふむ、なるほど、なるほど、そのとおりですよ。日本経団連の露骨な、あまりに金儲け本位の姿勢を少しでもまともなものに改めようと考える資本家はいないのでしょうか……。
 国がセーフティネットを確立しようとするのは、実は19世紀のビスマルクの時代に始まったのだそうです。人間がボロ雑巾のように使い捨てにされる社会は弱くなるにきまっている。これが理由です。そうなんですよね。弱者をどんどん切り捨て、排除していく社会は、全体的な力も弱めてしまうのです。お互い、明日は我が身ですよ……。
ホームレスの人数確認が困難なのは、夜は寒さをしのぐために歩きまわり、昼間は図書館などの公共施設に入って仮眠を取る人が捕捉できないから。なーるほど、そういうことなんですね。
 政治不信は言われ始めて久しい。しかし、本当に深刻なのは、むしろ社会不信ではないのか。どうにも這いあがれない状態に追い込まれながら、そのこと自体が「努力が足りない」と叩かれる理由になっている社会では、何かを言ったところで、誰もそれを受け止めてくれるとは思えなかったとしても不思議ではない。
 自己責任論は、人を黙らせるもの。活動は、人を喋らせるもの。
 著者の提起を受け止め、私も著者のいうような活動家になりたいと改めて思いました。
 
(2009年11月刊。1200円+税)

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