弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年1月25日

46年目の光

人間

著者 ロバート・カーソン、 出版 NTT出版

 3歳のとき、家庭内の爆発事故によって失明した男性が、46歳になって手術を受けて見えるようになったとき、何が起きたのか……。いったい、人間の眼とは何なのか、なぜ外界を見ることができるのか、見えることと認識とに違いはあるのか。とても興味深い本です。
 人類の歴史が始まってから1999年までのあいだに、長期間にわたって失明していた人が視力を取り戻したケースは60件に満たない。3歳未満に失明した患者は20人もいない。
 視力を取り戻した人たちは、深刻なうつ症状に落ち込んだ。自分が別の人間だったころにあこがれていたほど、この世界が素晴らしい場所ではなかったことに失望した。
 患者は、手術後、すぐに動くものと色を正確に認識できた。しかし、それ以外はうまくいかなかった。人間の顔が良く分からなかった。高さや距離、空間を正確に認識することにも苦労した。視覚以外の手掛かりを頼らずに、眼の前にある物体の正体を言い当てるのも難しかった。
 ものの大きさや遠近感、影には、多くの患者が悩まされた。世界は意味不明のカラフルなモザイクにしか見えなかった。眼に映像が流れ込んでくるのを押しとどめるために眼を閉じてしまう人もいた。
 眼の見える人の世界は、天国のような場所だと思っていた。しかし、今ではそこが天国なんかじゃないと知ってしまった。夜になっても部屋の電気をつけず、暗闇でひげをそり、映画やテレビもあまり見ようとしなかった。
 手術後、視力そのものがどんなに回復しても、他の人たちと同じようにものを見られるようになった患者は一人もいない。
 人間がものを見るプロセスは角膜で始まる。眼球に入ってきた光が最初に通過するのが角膜だ。角膜は、黒目を覆う0.5ミリの厚さの球面上の透明な膜だ。眼に光を取り込み、その光を屈折させる重要な役割を担う。この任務を果たすために不可欠なのは、角膜が透明なこと。角膜の透明さは、幹細胞が生み出す娘細胞による。娘細胞の保護膜は、ほこりや傷、細菌や感染症に対する角膜の防御機能の中核を担うだけでなく、結膜の細胞が血管が角膜に入り込むのも防いでいる。この保護膜が汚れても、娘細胞は数日ごとにはがれおちて、新しい細胞と入れ替わるので、常に新鮮で透明な状態が維持できる。角膜上皮幹細胞は、その人が死ぬまで娘細胞を作り続ける。
 ドナーの幹細胞を移植して、視力を回復させる手術が1989年に始まった。ドナーの角膜とその周辺の幹細胞のある部分を切り取って保管する。移植手術はドナーの死後5日以内。ドナーは50歳未満。
 2回の手術が必要であり、1回目は、ドナーの幹細胞を移植する。患者に全身麻酔をかけ、患者の角膜にのせる。このとき、ドナーの角膜にあるドーナツ状の幹細胞が分厚すぎるので、顕微鏡をつかってドーナツの下部を削って薄くする。厚さ1ミリのものを0.3ミリにまで削って薄くする。このとき、幹細胞を傷つけてはいけない。
 移植した幹細胞の生み出す娘細胞が、角膜に到達するためのルートが切り開かられなければならない。それに4カ月はかかる。ここまでうまくいって、古い角膜を取り除いて、ドナーの角膜を移植する。
 分かったようで分からない手術ですが、いかにも難しいということだけは何となくわかります。どうやってこんな難しい手術を開発したのか、不思議でなりません。
 1995年時点で、この手術を経験した医師は20人。手術例も400件。実は、この手術は成功率50%。しかも、使われる薬の副作用として、発がん性があるというのです。ですから、手術を受けるかどうか真剣に悩まざるをえません。
 みえるようになったら、どうなるか?白い光の洪水が、目に、肌に、血液に、神経に、細胞に、どっと流れ込んできた。光はいたるところにある。光は自分のまわりにも、自分の内側にもある。嘘みたいに明るい。そうだ。この強烈な感覚は明るさに違いない。とてつもなく明るい。でも、痛みはかんじないし、不愉快でもない。明るさがこっちに押し寄せてくる。
 ローソクを何百本も灯したみたいに強烈な光が、部屋の中のほかのどのものとも違う光が、目に飛び込んでくる。
 眼が見えるようになって、たった5秒で色は見えた。たった1日で、ボールをランニングキャッチできるようになった。でも、まだ字は読めない。人の顔の区別もつかない。
 人間は、ものを見るうえで知識に大きく依存している。知識の助けがないと、眼の網膜に映る像は単なるぼんやりとした亡霊でしかない。どうやってものを見るために欠かせない知識を蓄えていくのか。方法は一つしかない。その唯一の方法とは、目で見るものと接触することである。眼で見た物体であれこれ試し、それをつかって遊び、手で触り、味わい、においをかぎ、音を聞く。あらゆるものに手を伸ばし、手でいじってみる。これは赤ちゃんがやっていることのすべてだ。
 視覚が機能するためには、世界とのかかわりが欠かせないのだ。人間の顔と表情を読み取るには、長い年月にわたる徹底した訓練と学習が欠かせない。
 人間の視力と認識について、大変勉強になる本でした。

 
(2009年8月刊。1900円+税)

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