弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年1月16日

1968年に日本と世界で起こったこと

社会

著者 毎日新聞社、 出版 毎日新聞社

 1969年1月19日の東大安田講堂の攻防戦は、視聴率72%に達した。世帯平均視聴時間は、1時間54分に達し、ほぼ全世帯が注視していた。
 このテレビ観戦で全共闘への共感が高まった形跡はない。
 機動隊による実力排除についての世論調査は、「むしろ遅すぎた」15%、「当然だ」26%、「やむをえない」35%、合わせると8割。「やるべきではなかった」は6%に満たない。
 冷戦下のアメリカは、日本で自民党政権がつぶれ、社会党と共産党の政権になるのをもっとも恐れていた。新左翼は反スターリン主義を掲げてソ連の影響力を排除し、社会党や共産党から独立して暴れまわった。しかし、彼らは議席を得るはずもないし、機動隊とぶつかる程度だったから、体制にとっては大きな影響はない。だから、アメリカからすると、実は日本の新左翼はさして困った存在ではなかった。
 道理で、さんざん暴れさせていたはずです。
 東大の入試中止を決めたのは、安田講堂「落城」の直後。これについて、学者グループが発案して佐藤栄作首相に上申したと書かれています。
 大学紛争の収拾のために、何人かの学者たちがホテルの一室にこもって対策を練った。そのとき、知恵をしぼったのは、どうすれば大学紛争に無関心な一般社会の耳目を集め、事態を収められるかということ。東大入試を中止すれば一番困るのは大企業だから……。
 山上会議所に文学部のノンセクト学生が集まり、安田講堂占拠について議論していたとき、アナーキストの学生が、「いや、面白いからやるんだよ」と言って、一気に結論が出て
占拠することになった。この、面白いからやる、が、大学紛争の意義のほぼすべて、である。
 全共闘運動には、論理的一貫性が欠けていた。
 もっともらしく理論付けする学者が少なくありませんが、当時、反対側の渦中にいたものとして、この指摘はかなり同感と言わざるを得ません。
 三島由紀夫は全共闘の味方だった。また週刊誌『サンデー毎日』の編集部も全員が全共闘の味方だった。『アサヒ・ジャーナル』もそうでしたね。
 総じて、マスコミは全共闘びいきでした。ちょっぴり批判はするのですが、結局のところ、彼らにも言い分があると書き立てるのです。そして、全共闘はすべてのマスコミは敵だと決めつけていたのでした。まことに不可思議な共依存関係でした。

 
(2009年6月刊。2400円+税)

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2010年1月15日

「共犯」の同盟史

社会

著者 豊田 祐基子、 出版 岩波書店

 アメリカと日本の密約が最近、次々に明るみに出ています。日本がいつまでもアメリカのいいなりになっていていいのか、根本的な疑問があります。
 普天間基地にしたって、アメリカがどこに移転しようと勝手だし、ともかく日本国内にアメリカ軍基地があること自体おかしいのです。移転先が決まらなければ普天間基地は動かせないなんていうのは、アメリカの勝手な論理でしかありません。日本政府は、ただ、普天間基地は置いておけないから、どこでもいいから持って行ってくれと言えばいいのです。アメリカにおべんちゃらする必要はまったくありません。
だいいち、アメリカの海兵隊が日本人を守ってくれるなんて幻想そのものでしょう。アメリカの海兵隊は、沖縄から出撃してイラクに飛んで、ファルージャでイラクの民衆大殺戮をやったではありませんか。そして、日本の少女を殺し続けているのですよ。日本人を守ってくれてるなんて、とんでもありません。
 今こそ、ヤンキーゴーホームという叫び声をあげていい。私はそう思います。ちなみに、ヤンキーとは、アメリカ軍のことであって、アメリカ人一般をさしているわけでは決してありません。誤解されないないよう、念のため申し添えます。
 1944年7月、サイパン守備隊が全滅した段階で、岸信介は東条首相に早期終戦を進言して怒りを買った。その岸は、商工大臣在任中、少なくとも数千万円受け取っていると噂されていた。
 1955年2月の総選挙で、日本民主党は鳩山ブームに乗って第一党に躍り出た。通算7年2カ月にわたる吉田政権にうみ飽きた国民は、庶民的で明るいイメージの鳩山一郎の登場に熱狂した。
 うへーっ、これって何だか今の日本にそっくりの構図ですね……。
 1959年4月、アメリカと日本は秘密のうちに合意した。アメリカは、核兵器を搭載するアメリカの艦船が日本領海を通過・寄港し、核兵器を積んだアメリカ軍の飛行機が日本領空に飛来できる。このような核搭載は、何かの拍子に公にならない限り、事前協議の対象にはならない。そして、日本側が、あくまでもこだわったのは、日本とアメリカが対等であるという体裁だった。
 つまり、日本とアメリカの相違点は内容ではなく、「体裁」をめぐるものであった。
 アメリカにとって、そこには根本的利益が守られる限り、岸のような親米派であれば、指導者がだれであってもいいというドライな対日観があった。
 小笠原諸島の父島には、海上発射核ミサイルが1965年まで、硫黄島にも1956年から3年間、核爆弾があった。沖縄には、1954年12月に核爆弾が配備された。その後、対潜水艦核爆弾、地対地ミサイルなどが運び込まれ、ベトナム戦争が激化した1967年には、アジア太平洋に配備された3200発のうち1200発もの核爆弾・弾頭があった。
 日本政府は沖縄返還と引き換えにアメリカに対して3億9500万ドルの財政取引に合意した。これは協定上の3億2000万ドルのほか、協定にはないアメリカ軍施設改善費や、基地移転費などの7500万ドルである。おもいやり予算の原型となった。
 金丸信は、防衛庁の部下に対して「アメリカ軍を傭兵として使うんだから、駐留費くらい出せばいいんだ」と言っていた。1979年度のおもいやり予算は、280億円だった。
 それが今も生きていて、ますます増大しているのです。許せません。
 日本にあるアメリカの基地が日本を守るためのものという幻想を、日本人は一刻も早く捨て去るべきだと思います。フィリピンでやれたことが、日本でできないはずはありません。
 
(2009年6月刊。2800円+税)

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2010年1月14日

後悔と真実の色

司法(警察)

著者 貫井 徳郎、 出版 幻冬舎

 タイトルからはさっぱり見当つきませんが、警察小説です。
 挑発する犯人と刑事の執念がぶつかりあうリアルな警察小説にして、衝撃の本格ミステリ。このように帯に書かれていますが、確かにそうです。
 推理小説でもありますから、犯人のなぞ解きはしません。意外な結末だったというにとどめておきます。
 警視庁のもつデータベースを閻魔帳という。警視庁がこれまで入手したあらゆるデータがすべて収められている。一度でも逮捕されたことのある者の個人データは当然のこととして、単なる職務質問で得た情報までデータベースには登録されている。
 都内で事件が発生したときには、このデータベースに地名を打ち込む。すると、逮捕歴のある人について、本籍地や現住所、過去の住所、家族や親せきの住所、愛人の住所のいずれかが引っ掛かったものがすぐさまリストアップされる。洗われるデータは住所だけではない。過去に犯罪を起こした場所も検索されるし、職務質問を受けた場所も事件現場に近いかどうか見逃されない。
 この検索で浮かびあがった人物は、土地勘のある素行不良者として捜査対象になる。
 インターネットが一般に広く流布しはじめてから、犯人検挙率は大きく下がった。警察にとって、インターネットは諸悪の根源でしかない。
 警視庁捜査一課には、殺人犯捜査1係から14係、そして特殊犯捜査1係から3係まで、計17の殺人班がある。そのうち、事件をかかえていない係がローテーションを組み、新しい事件が発生した時にそれを担当するシステムになっている。ローテーションのトップにある係は、表在庁と呼ばれ、朝9時から夕方5時まで庁舎に待機する。2番目の係が裏在庁で、刑事たちは各自自宅待機する。3番目以降も自宅待機には違いないが、実質は非番である。ただし、最近では、事件を担当していない係が3つ以上もあることはまずない。今も警視庁は15の捜査本部を立ち上げている状態だ。
 警察内部の動き、そして、捜査官同士の反目がことこまかく具体的に描かれていますので、妙にリアリティがあります。一度、現職の人に感想を聞いてみたいものです。
 やや心理描写に冗長さを感じなかったわけではありませんが、最後まで犯人は誰なのか、目を離せない展開でしたから、息つく暇がありませんでした。
 
(2009年10月刊。1800円+税)

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2010年1月13日

だから人は本を読む

社会

著者 福原 義春、 出版 東洋経済新報社
 同じ活字ではあるけれども、インターネットから得る細切れの情報と、まとまった考え方や視点が書かれている本や文章とは、明らかに違う。
 私も、この点はまったく同感です。負け惜しみのようですが、メールやホームページを見ることはあっても、自分から入力することは全くありません。その理由は、入力スピードがまるで遅くて、自分でも嫌になるからです。
 私は、やっぱり手書きです。そして、次々に文章を挿入していくやり方が性に合っています。
 忙しい時こそ1日20分でも本を読んで、吸収した栄養をその時からの人生、そして仕事に役立てるべきだ。本にも旬があり、人が本を読むのにも旬が大切だ。
 年間500冊以上の本を読む私にも、積読(つんどく)の本は何百冊とあります。そのうち読もうという本より、今すぐ読みたい、面白い本を先に読むようにしているので、どうしても次順位の本はあとまわしになり、未読の本がたまっていくのです。
 本は数多く読めばいいというものではない。自分の体質に合った本を見つけて、そこに書かれた思想や出来事を少しでも吸収しておけば、やがてそれが自分自身になって、ひとりでに発信できるようになる。
 しょせん一人がやることはわずかな領域だ。そうであるならば、祖先の人々が経験し、考えたことが本になって、膨大な「知」となって残っているのだから、それを読んでいくことによって、私たちの人生は厚くなり、深くなっていくだろう。
 インターネットに蓄積されている記憶だけを頼って、本を読まない人の頭は空っぽで、与えられるものを享受するだけの存在になってしまう。彼らに情報を与える側は必ず本を読んでいるから、頭の中にはしっかりとしたネットワークが出来上がっている。この二分化がさらに進むと、本を読まない圧倒的多数は、本を読む少数によって、知らない間にコントロールされてしまう。
 著者は資生堂の名誉会長です。経済界随一の読書家として有名のようです。同じ趣味を持つ私も共感するところが大でした。

 夜、寝るときに湯たんぽが欠かせません。雨戸を閉めず、暖房のない部屋で寝ていますので、方のところに寒気が侵入してきます。そこで、寝るときには両肩のところに湯たんぽを1つずつ置いています。すると方が冷えることはありません。
 寝る前にふとんの中に湯たんぽを入れておくと、ふとんがほかほかになっています。ぬくぬくとした布団に入るのは幸せな瞬間です。
 ホームレスの人たちが野外で寒気にさらされながら寝ているのを見聞きすると、申し訳ないなと思ってしまいます。
 官制の派遣村を鳩山首相が視察したのを石原都知事が批判しましたが、とんでもないことです。ホームレスを無くすのは、まさに政治ではありませんか。

(2009年9月刊。1500円+税)

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2010年1月12日

北の砦

司法

著者 今崎 暁巳、 出版 日本評論社

 東京都北区にある東京北法律事務所の島生忠佑弁護士の活動を紹介した本です。
 東京都北区にどっしりと根を下ろした、市民の、地域の守り手として活動している島生弁護士の生い立ち、その弁護活動があますところなく語られています。後輩の弁護士にとって大変役に立つ内容でもあります。
 島生弁護士は1932年の生まれですから、今77歳です。弁護士になったのは60年安保の1年前。ですから、60年安保闘争のとき、警官隊によるデモ隊員への暴行・傷害事件を担当することから弁護活動を始めたのです。
 このとき、島生弁護士は、某所から警察手帳を借り受け、「警視庁警察官警棒等使用及び取扱規程」を見つけ、早速、裁判に生かしたのでした。今も、このような規程はあるのしょうか……?
 私が司法修習生のころ、どぶ川訴訟という取り組みを聞いて勉強したことがあります。子どもたちが住宅街を流れる用水路に落ちて何人も亡くなったのでした。金網を張って立ち入り禁止にしておけば防げた事故です。北区が責任を認めないため、裁判が起こされ、住民側が勝訴しました。そこで、区役所の総務部長が島生弁護士に電話をかけてきました。賠償金を支払うので、振込口座を教えてください、と。それに対して島生弁護士が何と返答したか。
「部長さん、民法484条によって賠償金は持参債務と定められています。私の事務所に遺族に来てもらいますから、区長がまず謝って、その日までの利子もきちんと付加して賠償金を支払ってください。賠償金といえども区民の税金がつかわれるから、心に銘じていただきたいものです」
 小林区長がやってきて、賠償金を差し出し、「残念なことで、申し訳なく思っています」と言った。島生弁護士はそれを聞いて、次のように言いました。
「区長さん、あなたの言葉は謝罪になりません。子どもさんへの気持ちが分かるような言葉と態度で謝るべきです」
 いやあ、すごいですね。
 そして島生弁護士は、慰霊祭を北区に提案しました。無宗教です。主催は弁護団。区は献花すること。
 これには参りましたね。こういう方法もあるのですね。
 ごみ焼却場、イタイイタイ病、新幹線騒音公害訴訟などにも島生弁護士は取り組み、画期的な公害防止協定を結ばせるのに成功しました。すごいことです。
 インチキ商法の被害回復の訴訟にも取り組んでいます。このとき、和解交渉の過程で弁護団が提示した金額を不満とする住民について、次のような記述があります。
 金額を不満として、弁護団はもっとがんばれという声が上がる。このような発言をする人のほとんどは、裁判の傍聴にも団体交渉にも参加せず、弁護団の苦労を知らない人たちである。
 そうなんですね。ビラまきやら団体交渉、裁判傍聴といった地道な活動に参加しない人ほど、威勢のいい、勇ましいことを言う傾向があります。恐らく、日頃の自分の怠慢を言葉だけでもカバーしようという自己保身なのでしょうね。
 手形訴訟が起こされてから判決まで、9年もかかった(かけさせた)ということが紹介されています。今ではあり得ないと思いますが、弁護団の執念の賜物です。
 弁護士の素敵な生きざまを知ることのできるいい本でした。

 マイケル・ムーア監督の映画「キャピタリズム」を観ました。とてもいい映画です。アメリカで一部の金持ちが政治を動かし、大勢のまじめな市民が仕事を奪われ、住まいを失っている悲惨な状況がよくわかるように紹介されていました。
 日本は、アメリカの悪い真似をしていますが、一刻もはやくアメリカ型の政治をやめさせたいものです。映画の最後に『インターナショナル』の歌が流れます。久しぶりに聞く歌です。本当に起て飢えたる者です。みんながあきらめずに政治を良い方向に変えていきたいものです。その元気も出てくる映画にもなっています。ぜひ見てみてください。
(2009年6月刊。1800円+税)

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2010年1月11日

新薬ひとつに1000億円?

アメリカ

著者 メリル・グーズナー、 出版 朝日新聞出版

 アメリカは日本と違って国民皆保険制度がありません。かつて、ヒラリー・クリントンが皆保険にしようと頑張りましたが、保険会社の圧力に負けてしまいました。そのときの反対派の言い分がふるっています。国民皆保険なんて、社会主義だというのです。私なんか、だったらアメリカも社会主義になればいいじゃんと思います。でも、反共風土がマッカーシー旋風以来しっかり根付いているアメリカでは、今なおアカ攻撃が批判として有効なのですね。おかげで保険会社は大もうけです。その勢いをかって、日本にも続々と上陸しています。
 医療保険を民間の保険会社に頼ると、たちまちとんでもない高額になってしまう。2007年の医療保険料の平均額は、個人で年53万円(4479ドル)、家族で144万円(1万2106ドル)。こんなに高額のため、無保険者が4700万人、国民の15%もいる。
 アメリカの医療費は2兆ドルと高いが、それは薬価が高いことと関連している。
 なぜ薬価はそんなに高いのか?アメリカの製薬業界では、新薬一つ当たりの研究開発費が1000億円(8億ドル)するからだという。本当なのか?
 本書は、主としてこの問題を深くさまざまな角度から追って解明しています。
 アメリカの製薬会社アムジェン社は、人工透析を受けているアメリカ人30万人に向けて、エポジェンという薬を売っている。アムジェン社の売上高は50億ドル。8000人の従業員が40棟ものビルで働いている。50億ドルのうち、3分の1は利益である。
 ある企業が、新規化合物の新天地を切り開くと、この業界では同業の他社があっという間にオリジナルの化合物の模倣版を市場に導入する。模倣薬が市場に導入されるときは、先行企業の初期設定価格と同じ高い価格、ないし、ほんの2,3%抑え気味の価格で売り出される。これがたいがいの通り相場だ。
 製薬業界の広告費支出は、1996年に8億なかったのに、2000年には25億ドルにのぼった。製薬業界全体として広告費は1996年から2000年までに71.4%も上昇し、157億ドルになっている。
 これに対し、研究開発費のほうは52.7%の増加率であり、257億ドルとなっている。
 世界の結核感染者は年に800万人。その77%は薬を手に入れられない。年100万人に及ぶ死者は、治療に100ドルもしない抗生物質があれば救うことができたはずの命だ。
 マラリアは毎年3億人が感染し、100~200万人の生命を奪う。治療薬のクロロキンは、耐性のせいで効き目が悪くなっている。
 もっと薬価を下げて、みんなが安心して治療を受けられるような日本、そして世界にしたいものです。現在は、あまりにも製薬会社とPR会社(電通や博報堂)がもうけすぎているのではないでしょうか。
 
(2009年10月刊。1500円+税)

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2010年1月10日

建礼門院という悲劇

日本史(平安時代)

著者 佐伯 真一、 出版 角川選書

 建礼門院(平徳子)は、平清盛の娘として生まれ、高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を生んで国母(こくも)となった。しかし、夫の高倉天皇が若くして亡くなり、続いて父の平清盛も熱病のために64歳で病死し、やがて平家は木曽義仲に追われて都を落ち、ついには壇ノ浦合戦で滅亡してしまった。母の二位尼(にいのあま)時子(ときこ)と愛児の安徳天皇は、壇ノ浦の海に沈んだ。徳子も海に飛び込んだものの、源氏の荒武者にとらわれて京都に連れ戻され、命は助けられて出家して大原に籠った。
 そして、平家一門を滅亡に追いやった後白河法皇が大原まで徳子を訪ねてやってくる。大原御幸(おおはらごこう)である。
 このとき、建礼門院は、自らの運命を仏教で考える全世界を表す六道の輪廻転生になぞらえて語った。
 著者は『平家物語』にある建礼門院の物語を縦横無尽に考察しています。その謎ときは、素晴らしいものがあります。さすが一流の学者はえらいものです。ほとほと感心しながら読みすすめました。
 平清盛の権力は、後白河天皇との親密な関係によって支えられていた。平清盛の妻・時子と後白河法皇の最愛の女性であった建春門院(平滋子)とは姉妹だった。
 人間道には四苦八苦がある。四苦とは生老病死の四つの苦しみ。これに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)を加えたのが八苦である。
 女院の栄華から転落の歴史、平家の滅亡への道程が、六道の上位から下位への転生と重ね合わせて語られてきた。天上道のような生活から人間道へ、そして餓鬼道、修羅道を経て地獄道へと、平家滅亡への道程が六道の上位から下位への転落のように語られた。
『平家物語』が生まれる背景には、平家一門の怨霊が恐れられる風土があった。
 安徳天皇は、地上の政権に敵対するヤマタノオロチの化身であるとも言われた。もし、鎮魂が果たされないなら、冥界にいるその集団は現世に対してどんなに恐ろしい災いをもたらすか分からないのである。そのような一門の怨霊をなだめるという性格を、『平家物語』という作品は、生成当初において多かれ少なかれ帯びていたはずである。
 知らないことがたくさんあるということを実感しました。
 
(2009年6月刊。1500円+税)

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2010年1月 9日

ネット評判社会

社会

著者 山岸 俊男・吉開 範章、 出版 NTT出版

 インターネットを利用した取引詐欺が増えている。
 アメリカの2006年の統計によると、利用者が詐欺にあったり、IDが盗まれたという事件は、67万件あまり。その3分の1がクレジットカードや運転免許証のIDを盗まれて悪用されたというもの(25万件近い)。インターネット関連の詐欺やID盗難は20万件ほどで、全体の3割に近い。ネット詐欺は、2000年に1万件だったのが、2003年に10万件をこえ、2005年には23万件をこえた。詐欺の中でもっとも多いのは、オークションに関する詐欺で、全体の63%近い。
日本におけるインターネットの不正アクセスと詐欺も増えていて、2006年上期だけで1802件が検挙された。そのうち733件が詐欺で、4割を占める。
 インターネットをつかった詐欺の9割近くがネットオークションに絡んでいる。
 日本のインターネットを利用する人口7270万人の4.7%が何らかのオンライン詐欺にあっている。その被害総額は1304億円にのぼる。1件あたりの被害額は、スパイウェアによる不正利用が9万余円で高く、次にオークション詐欺の5万円ほど。
 日本におけるオークションは2006年1~9月までの取引総額5104億円に対して、詐欺被害者に支払った補償金は4億4400万円にすぎない。わずか1.0%以下である。これは理論的な予測より、実際の不正行為ははるかに少ない。うむむ、これって、やっぱり少ないとみるべきなんでしょうかね……。
 ネット上の評判には、追い出し作用だけでなく、呼び込み作用もある。
 11世紀の地中海貿易で活躍したユダヤ商人たちを、マグリブ商人という。マグリブ商人たちは、エージェントを使って地中海貿易にたずさわり、そこから大きな利益を得ていた。エージェントの不正を防ぐため、マグリブ商人たちは自分たちの仲間しかエージェントとして雇わない、裏切ったエージェントの評判を仲間内で広げ、そんなことをした人間はエージェントとして雇わない。マグリブ商人たちは、集団を閉ざしておいて、その中で評判を回すことで不正直なことをした連中を仲間から追い出すことでエージェント問題を解決した。
 ここで肝心なのは、集団を閉ざしておくということ。
 同じようなことを江戸時代の商人がしていた。株仲間である。株仲間は、取引を独占する状態が存在することで、公権力からの制約がなくても、自分たち自身で不正行為に対する制裁を加えることができるようにしていた。
マグリブ商人も江戸時代の商人も、公的な法制度による保護を得られない状態で、情報の非対称性問題に対処する必要性に迫られ、解決していた。
 私の依頼者の一人がネットオークションを利用していますが、ともかく時間にしばられ、夜中までの仕事の割には残業手当が出るわけでもなく、大変きつくて割の合わない仕事だとこぼしていました。
 ネットオークションがこんなにやられているとは驚きです。でも私は、やっぱり商品は手にとって眺めて決めたいと考えています。
 
 正月明けに恒例の人間ドッグ(1泊2日)に入りました。日頃読めなかったツンドクの分厚い本を持参します。今回は7冊持って行って、全部を読みとおすことができて大満足でした。
 私が人間ドッグに入るようになったのは、40歳になったときのことですので、もう20年になります。医学技術の進歩を体感しています。たとえば、胃カメラです。その前はバリウムを飲んでいましたが、これは糞づまりして苦しいものでした。胃カメラも、初めのうちは死ぬかと思うほど苦しいものでしたが、今は少しばかりの苦痛で済みます。もっとも、まだ鼻から入れるのは利用していません。眼底カメラにしても、今ではフラッシュをあてられて何も見えなくなるというものではなくなりました。
 そして、一泊するのも、病院から今では提携ホテルに変わり、広々とした大浴場に夜と朝、入ることができます。
 なんのことはない、身長、体重、腹囲測定が一番の心配です。身長は年齢とともに縮んでいきます。体重・腹囲はメタボ度の問題があります。今回は、体重が前より少し増えてしまいましたが、さらに重大なのは腹囲が2センチも増えてしまったことです。せっかく減らした体重なのに、またこのところ増加傾向にあり、しかも、腹周りは無用の脂肪がついてしまったというわけです。それでも、心の優しい看護師さんから、この程度の軽肥満のほうが一番長生きできるそうですと慰められました。
 そうなんですよね。人間(ひと)は励ましと慰めあって支えあいながら生きていくものなんです。
 人間ドッグの楽しみは、本が読めることと、美味しい食事をいただけることです。いえ、自宅でも美味しくいただいているのですが、平日のお昼に仕事を気にせず、ゆっくりと味わうことができるというのはうれしいことなのです。
 この20年間、毎年2回、1泊2日の人間ドッグを利用しています。最近、利用者が減っているようです。ぜひみなさんも利用してやってください。

(2009年10月刊。1600円+税)

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2010年1月 8日

世界を変えるデザイン

アメリカ

著者 シンシア・スミス、 出版 英治出版

 こんな取り組みななされているのですね。とてもいいことだとひたすら感心しました。
 世界の人口のほぼ半分にあたる28億人は、基本的ニーズをかろうじて満たせるだけの生活をしている。そして、世界の6人に1人、11億人は、1日1ドル以下で生きている。
 1日の稼ぎが2ドル以下の世界の27億人にとって、手に入る価格かどうかが決め手だ。
 手頃な値段がすべてなのではない。手頃な値段しかないのだ。
 初年度から採算がとれ、その利益をつかって後から大幅に拡張していけるように、システム全体を開発するのだ。なるほど、なるほど、言われてみればそのとおりです。
 1日1ドル以下の収入で農村地方に住む8億人のほとんどは、住む家を持っている。でも、売ろうとしてもお金にならず、担保として銀行からお金を借りようとしても話にならない。
 1歳から5歳までの子どもの死因の第1位は、栄養失調でも下痢でもマラリアでもなく、ほとんどが家庭内で調理する時の煙を吸ったことによって引き起こされる呼吸器疾患である。
 そこで、どうするか。サトウキビの不要部分、トウモロコシの穂軸などをドラム缶いっぱいに入れ、火にかける。数分たってふたをぴっちり閉めて炭化させる。そして、キャッサバで作ったつなぎを入れて、手動プレス機で練炭型に成型する。この練炭を太陽で乾燥させる。こうやって炭を作って燃料にすると、煙が少なく、子どもへの悪影響が減らせるのである。うへー、すごいですよね。安上がりの材料で、子どもたちの健康を守れるわけなんですね。
 Qドラムという水運搬用のドーナツ型の75リットル入りポリタンクが考案されました。水運びが子どもでもできるようになったのです。水を転がして運ぶのです。なるほど、デザイン力の成果です。
 ポットインポット・クーラーというのもあります。二つの壺があり、その隙間に湿った砂を入れておく。すると、ふつうなら2、3日しかもたないトマトが、3週間持つ。
 ライフストローという大きな笛のような容器があります。個人携帯用浄水器なのです。子どもたちが、これを口にくわえて川の水を飲んでいる写真があります。これによって、チフス・コレラ・赤痢や下痢などが予防できるのです。
 お金をそんなにかけることなく、効果が目に見えて上がるようにして少しずつ大きな成果を上げていく。そんなデザインが工夫されているのです。初めて知りました。
 関係者の熱意に心から声援を送ります。

 3が日は好天に恵まれましたので、庭仕事に精を出しました。お天道さまの下での土いじりこそ最高の悦楽です。エンゼルストランペットと芙蓉はノコギリを使って根元から切ってしまいました。こうしたほうがいいのです。庭のあちこちで群生している球根を掘り起こしてやり、分球しているのはきちんと切り離して植えかえました。あまりに増えすぎたものはコンポストに放り込みます。
 刈り取った枝や枯れ葉は穴を掘って投げ込み、肥料にします。
 正月3日間で、我が家の庭がすっきりして、私の気持ちまですっかり解放感に満ちました。
 
(2009年10月刊。2000円+税)

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2010年1月 7日

描かれた戦国の京都

日本史(戦国)

著者 小島 道裕、 出版 吉川弘文館

 16世紀、室町時代の終わりころの京都とその周辺の景観、風俗を描いた屏風絵が残っています。『洛中洛外国屏風』と呼ばれるものです。この本は、この屏風絵を部分拡大もしながら、そこに描かれている人物を特定しつつ、その情景を解説しています。カラー図版もあり、楽しく学びながら室町・戦国期の京都風景を味わうことができます。
 学者って、本当にすごいですね。よく勉強しています。ほとほと感心します。
 屏風は2つで一双と呼ぶ。左右で1組になる。右隻(うせき)、左隻(させき)と呼ぶ。京都の東側を描くのは右隻で、西側は左隻。そして、この屏風絵は鳥瞰図(ちょうかんず)となっている。市街地を上空から眺めている。
 著者は、相国寺(しょうこくじ)の東に六角七重の巨大な塔が建っていて、その上から見た景色が描かれているとみています。この塔は、高さが109メートルあり、今の京都タワー100メートルより少し高いというのです。すごい塔がそびえ立っていたのですね。信じられません。
 屏風図には、伝統的な四季絵、月次(つきなみ)祭礼国を踏襲して、春夏秋冬がきれいに配分されていて、それが京都の東西南北の方位に合致している。いやあ、大したものです。
 室町時代の幕府、すなわち将軍の御所は、かなり転々としており、代替わりごとに新たな御所を営んでいた。花の御所を作ったのは、三代将軍足利義満である。それまで幕府はほかの場所にあった。その後も、必ずしも花の御所が使われたわけではない。応仁の乱のあと、将軍は逃亡して京都にいないことが多く、京都にいるときも寺院や武家などの屋敷に間借りすることが多かった。
 幕府の門前では、たとえ関白であろうと乗り物に乗ることは許されないという慣行があった。これは将軍の格の高さを示すものである。
 このようなことを手掛かりとして、絵に描かれている人物を特定していくのです。
 古い京都とそのころの日本人の生活の一端を視覚的に知ることのできる本として、面白く読みました。

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくご愛読ください。
 お正月は風もなく晴れ上がって気持ちの良い一日でした。午後から庭に出て球根を植えました。通りかかったお隣さんが、「いいお天気に恵まれましたね。今年はいいことがありそうですね」と声をかけてくれました。本当にそうですね。今年が日本と世界にとっていい年であることを心から願っています。
 大晦日は恒例の除夜の鐘をつきに近くの山寺に出かけました。11時45分から鐘をつき始めます。まだ若いお坊さんから、つく前に注意を受けました。つく前に、まず今年一年の反省をしてください。そして、ついた後に新年の希望を願掛けしてください。なるほど、と思いましたが、どちらもたくさんありますので、とりあえず新年は家内安全、無病息災を願いました。
 不況のせいなのか、例年になく鐘つきに並ぶ人は少なかったのですが、午前0時を過ぎたころ人が次々にやってきました。実は、我が家には韓国から娘の友人である若い女性が泊まりに来ていましたので、一緒に出かけて鐘をついてもらいました。日本は初めての人です。
 
(2009年10月刊。2200円+税)

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2010年1月 6日

昭和20年夏、僕は兵士だった

日本史(近代)

著者 梯 久美子、 出版 角川書店

 この本で紹介されている三国連太郎の話には驚きました。彼は大正12年(1932年)生まれで、召集されます。しかし、その前に日本を逃げ出すのです。
 鉄砲を持たされて人を撃つのもいやだし、自分が殺されるのもいやだ。徴兵検査には合格したけれど、入隊するのは何としても免れたかった。それで、とにかく逃げよう。逃げるんなら、大陸がいいんじゃないかと、中国にわたり、朝鮮・釜山に行き、また日本に舞い戻ってきた。そして入隊通知が実家に来ているのを知り、九州・唐津へ逃げ、そこで特高警察に捕まった。
 刑務所には入られず、すぐに入隊させられて中国戦線の戦地へ送られた。入院したりしているうちに幸いにも終戦を迎えて日本に戻ってきた。
戦争の中では美しい人間も美しい出来事も一度も見なかった。
 戦争で死ななかったことより、戦後、いろいろなことを偽って生きてきたことの方に負い目がある。人を利用し、便乗し、嘘をつき、そんなふうに生きてきた。
 俳優になってロケで地方に行くことがあるが、昔の自分を知っていそうな所に行くのは怖い。正直、今でもそんなところがある。
 こんな自分の体験を率直に語るのですから、やはり正直な人だと私は思います……。
 別の人の話です。レイテ沖海戦で戦艦に乗っていた人です。
 陸の戦いでは寝泊りしている場所と戦場は普通は別である。生活の場を離れて出陣していくわけだ。しかし、海の戦いでは、そこで眠り、飯を食った場所に何時間か後には遺体が散乱し、負傷者が横たわっているという状況になる。生の営みと死とが、同時にそこにある。このレイテ沖海戦で、まさにそんな体験をした。そうなんですね、海上では逃げるところがありません。
 もう一つ。これも船に乗っていて、アメリカ軍に沈没させられた人の話です。
 もう駄目だと思ったとき、ズタズタに切れたクレーンのワイヤーロープが何本もぶらさがっているのに気がついた。思わず、そのうちの一本にとびついた。うまく捕まることができると、脚にだれかがすがりついてきた。その重さでずるずると下に落ちて行きそうになる。そのまま落ちれば、下は燃えさかる船底だ。そこで、しがみついてくる者をけり落とし、ふりほどいた。必死だった。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』と同じである。誰だか分らない兵隊をけり落として、反動をつけて甲板によじ登り、そこから海に飛び込んだ。けり落とされた兵隊は死んだはずだ。人を殺してしまった……。
 船がやられたら、泳いだらいけない。船が沈むときには、いろんなものが浮くから、それにつかまること。つかまって、早く船から離れる。
 いやはや、すさまじい戦争のむごさを改めて実感させられました。戦争は絶対にいやです。
 
(2009年9月刊。1700円+税)

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2010年1月 5日

カップヌードルをぶっつぶせ

社会

著者 安藤 宏基、 出版 中央公論新社

 私は、ホカ弁はもちろん、カップヌードルもまったく食べません。いえ、駅弁は食べますし、デパ地下の弁当は買って食べるのです。でも、ホカ弁にはご飯に化学調味料がまぶしてあるんじゃないか、カップヌードルは容器から化学物質が溶け出しているんじゃないかと気になって仕方がないからです。それは、絶対にコカ・コーラを飲みたくない、マックを食べたくないのと同じです。化学調味料まみれの得体の知れないものは口にしたくありません。
 ではなぜ、この本を読んだかというと、カップヌードルがなぜこんなに売れるのか、その秘密を知りたかったからです。
 私の小学生のころ、インスタントラーメンが初めて売り出されました。メンに味をしみ込ませてあるから、お湯を注いで3分間待てば美味しく食べられるというので大人気でした。大学生の頃には寮で夜中、小さな手鍋をもってうろうろし、夜食として食べていました。
 この業界での新製品競争はすさまじいものがある。まさに消耗戦だ。勝ち残るためには闘い続けるしかない。新しい医薬品に何十億、何百億円という開発費をかける業界とは違う世界である。消費者の食に対する嗜好はどんどん多様化し、日々変化している。日新食品だけで年間300アイテムの新製品を作り出している。業界全体では毎年600アイテムになる。このように数は多いが、1年後まで店頭に残って定着するのはわずか1%に過ぎない。食品業界の中でも名うての激戦区なのだ。
 日清食品は変人をきちんと評価する。つまり、非効率を許す風土を大切にしている。変人とは一般的な常識には欠けているかもしれないが、ある特定なことに以上に関心が高く、その専門領域では誰にも負けない知識を持っているような人のこと。このような変人を社内に3割は欲しい。逆に、3割を超えると経営が成り立たなくなるだろう。
 いやはや、会社経営というのはまことに大変なんですね。常識人ばかりの会社では生き残れないというのですからね……。

(2009年10月刊。1500円+税)

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2010年1月 4日

巡査の休日

司法(警察)

著者 佐々木 譲、 出版 角川春樹事務所

 北海道警シリーズです。
 かつては捜査本部長は所轄署長がつとめた。しかし今は、捜査本部長は必ず道警本部の刑事部長があたることになっている。しかし、キャリア組の刑事部長が捜査本部長におさまったところで、捜査の現場もノウハウも知らず、土地勘もない刑事部長に、具体的な捜査指揮など出来っこない。ただ、精神論を言うだけの存在である。つまり、名前だけ。道警本部全組織一丸で捜査にあたっているという格好をつけるための制度だった。刑事部長本人もそれを知っているから、通常の捜査会議には顔を出さない。顔を出したところで、そこで語られることが理解できるはずもなく、余計な口をはさめば、むしろ捜査の妨害になる。謙虚なキャリアはそれを知っている。ときおり、むやみに指揮したり、指示・命令を連発する捜査本部長も出てくるが、そんなとき、現場はひどく混乱する。部下たちは、事件解決よりも捜査本部長の指示に従ったという形をとることに腐心する。結果として、事件解決は遠のく。
 なーるほど、そういうものなんでしょうかね……。それでもキャリア組は警察組織には必要なんですね……。
犯人は自衛隊の出身者。それを道警は追って、横浜にまで捜査員を派遣する。
 そして、女性が狙われる。かつてのストーカー被害者がまたもやメールで犯罪予告される。道警の威信をかけて守りぬく必要がある。
いくつかの事件が発生し、それぞれの捜査がすすんでいきます。ところが、次第に、これらの事件は相互に関連を持っていることが明らかにされていきます。ここらあたりの筋立てがとても巧妙で、感心してしまいました。
 いつもながらの巧みな警察小説です。いやはや、すごいと感嘆しながら読みふけってしまいました。

 
(2009年11月刊。1600円+税)

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2010年1月 3日

イカはしゃべるし空も飛ぶ

生きもの(魚)

著者 奥谷 喬司、 出版 講談社ブルーバックス
 日本人は、年間1人あたりイカを1.2キログラム(イカ3~4杯)も食べている。これほど日本人のイカ好きのため、日本列島沿岸でとるイカ40~50万トンではとうてい足りない。
 イカには、血中のコレステロールを抑えるタウリンという物質が多く含まれている。イカは非常に良質のたんぱく質を含み、低脂肪でもあって、ダイエット志向にぴったりである。
 日本のスルメイカは1968年に空前の豊漁があり、70万トンもとれた。今では、その半分以下の30万トンもとれない。
 化石のアンモナイトはイカの遠い祖先筋にあたり、イカも昔は重い貝殻を背負っていた。イカは貝類の親戚なのである。
 イカの筋肉は運動力の強いものほどよく発達していて、そのようなイカほどおいしい。運動力の鈍いものは筋力も弱くて、まずい。
 同じ重さの金と同じ値打ちのある「竜涎香」(りゅうぜんこう)と呼ばれる高価な香料のもとは、実はマッコウクジラの腹の中にたまった不消化のイカの「からすとんび」の塊なのである。いやはや、とんだことですね。
 イカは水中を矢のように泳ぐが、それだけイカの筋肉は短時間に多量の酸素を必要とする。
 イカの墨は粘液に飛んでいるので、ぷっと吹き出すと、しばらくその雲は散らばらない。これは恐らく攻撃の目を欺くダミーと思われる。
 イカは一瞬にして体色を変えるという超能力を持っている。すべての色素細胞が収縮すると、イカの皮膚には色がなくなり、全体が透明となる。
 スルメイカは1年間で一生を終える。アカイカは胴長が1ヶ月で3~4センチも伸び、1年間で体重5キロ、胴長40センチを超す巨体になる。
 イカは水族館で慣らさない限り、生きた餌しか食べない。そこで、疑似餌を水中で跳ねるようにしてあやつり、イカを誘う。
 イカのことをいろいろ知ることのできる本でした。イカ刺しってホントおいしいですよね。また呼子に行ってみたくなりました。
(2009年2月刊。1600円+税)

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2010年1月 2日

狙われたキツネ

世界(ヨーロッパ)

著者 ヘルタ・ミュラー、 出版 三修社

 チャウシェスク独裁政権下のルーマニアを舞台とする小説です。あまりに寓話的なので、ルーマニアの実情を全然知らない私には、読み取り、理解するのが難しい本でした。
 ルーマニアという国は、ひところはソ連に追随することなく、自主的な社会主義としてもてはやされていたように思います。ところが、そのルーマニアを戦後ずっと率いていたチャウシェスク大統領夫妻が宮殿の中庭であっけなく銃殺される写真を見て、やっぱりひどい独裁者だったんだろうなと思いました。
 著者のヘルタ・ミュラーは、ノーベル文学賞を2009年にもらった人です。秘密警察による国民への迫害をテーマとする長編小説を書いていたそうです。
 独裁者(チャウシェスク大統領)は、毎朝下着を新品に取り換えた。背広、シャツ、ネクタイ、ソックス、靴。何から何まで新品だ。その服は、全部が全部、透明な袋に密閉してある。なぜか?毒を撒かれないためだ。冬になると、毎朝、新品の懐炉が用意され、コートや襟巻、それに毛皮の帽子からシルクハットに至るまで、まっさらだ。まるで、前の日に着ていたものがどれもこれも小さくなってしまったみたいに……。まあ、夜、寝ているあいだに権力がどんどん成長するんだから、仕方がないのかも。うーん、なんたる皮肉でしょうか。
 独裁者の顔は、年とともに縮んで小さくなっているというのに、写真ではどんどん大きくなっている。それに、白髪まじりのカールした前髪も、写真ではますます黒みを増している。
 チャウシェスク大統領夫妻の処刑シーンの映像は、1989年暮れに世界を駆け巡った。
 東欧改革の流れの中で唯一、流血の革命を経験したルーマニアには、「革命」という言葉が空虚に響くほど、旧支配層を権力にとどまらせた。1996年11月の大統領選挙で旧共産党支配に終止符が打たれるまで、革命のけりがつくのに7年もかかった。
 ルーマニアが今どうなっているのか、日本でニュースになりませんから、まったく分かりませんよね……。

(2009年11月刊。1900円+税)

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2010年1月 1日

カワセミ

生き物(小鳥)

著者 福田 啓人、 出版 雷鳥社

 熊野古道のわたらせ温泉旅館(ささゆり)で早朝、カワセミに出会いました。久しぶりの邂逅です。空飛ぶ青い宝石という名前のとおり、輝くブルーでした。
大きさはスズメと同じ。青い背中、オレンジ色のお腹、赤い脚。とても鮮やかな色彩なので、見間違うことはない。構造色のため、光の当たり方や見る角度、周囲の景色で色が違って見えるので、一種の保護色である。
 構造色自体には色がなく、CDやシャボン玉、青空などと同じ。いつもは無色透明なのだが、光の干渉によって、さまざまな色彩に変化する。いつもは青色に見える背中が光の加減で宝石の翡翠色に見えることもある。そのため、感じで翡翠と書くといわれている。しかし、その逆に宝石の翡翠の名前はカワセミを見てつけられたとも言う。
 オスとメスは、くちばしの色で見分けられる。くちばしの下が黒いとオス、赤ければメス。
チーっという独特の鳴き声は、自転車のブレーキ音のように聞こえる。水面スレスレを直線的に飛び回り、スピードにのてくると、弾丸のような形に身体をすぼめ、さらにスピードを増すこともある。水辺の岩や木の枝に止まり、水中を観察し、魚影を見つけては補色を繰り返す。ときには水面の上空でホバリングをし、魚を見つけて水中に飛び込む。捕まえた魚は岩や木に叩きつけて丸のみする。
 小さいドジョウ、小エビ、小型のザリガニ、小さいカエルなど、水中生物で丸のみ出来そうなものなら何でも食べる。
カワセミの寿命は平均して2年。ただし、ドイツで15年生きたという記録もある。
カワセミの一生は一夫一婦制だが、絶対ではない。
カワセミの子育ては2週間ほど。その間にヒナは魚捕りを覚え、一人前に育ち、親のナワバリから追い出されてしまう。逆のこともある。
よくぞこんな写真が撮れたものだと思うほど、くっきり鮮明なカワセミの写真のオンパレードです。これほど素晴らしい写真をとるには、じっと我慢の日々が何日も何ヶ月間も続いたのではないでしょうか。その成果を、わずか1600円で見られるのですから、安いものです。
カワセミの百の生態写真として、大いに推奨します。

 
(2009年2月刊。1600円+税)

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2010年1月31日

現代アフリカの紛争と国家

世界(アフリカ)

著者 武内 進一、 出版 明石書店

 アフリカの紛争をすべて「部族対立」で説明する単純な議論は、基本的に間違っている。万の単位で犠牲者を出し、国際社会の介入が議論されているような現代アフリカの紛争は、いずれも何らかの形で国家が関与し、国際関係の力学のなかで生じている。
 1990年代のアフリカの紛争を特徴づけるのは、単なる発生件数ではなく、その人的・物的被害の甚大さである。そして、膨大な数の民間人が紛争に「関わる」ことが近年の顕著な特徴である。
まず第一に、民間人犠牲者が増加している。第二に、暴力行為に民間人の関与が目立つ。犠牲者としてであれ、加害者としてであれ、民間人が紛争に深くかかわるようになっている。多数の民間人が紛争に参加する(紛争の大衆化)、政府側が国軍以外の暴力行使主体に依存する(紛争の民営化)、紛争に関与する主体が多様化するという特質がある。
 独立以降のアフリカ諸国においては、合理的な法体系による統治の体裁をとっていても、実体としては支配者を頂点とする恣意的な統治体制が構築されていた。国家統治における権威がフォーマルな法・制度ではなく個人に置かれ、支配者は「国父」として国民の上に君臨する。
 支配者は個人的忠誠にもとづくパトロン・クライアント関係に立脚して国家機能を運営し、その資源を私物化(家産化)してクライアントに分配する。クライアントもまた、与えられた地位を利用して蓄財し、自分のクライアントに資源を分配する。こうしたパトロン・クライアント関係の連鎖が国家を内的に支えている。
 大統領は出身部族を全体として優遇するわけではない。実際に恩恵を被っているのは、大統領と親密な関係にある少数の人々だけである。
 アフリカでは、1950年代に独立を勝ち取った国々が、独立直後は多党制を採用していた国が多いが、1960年代末ごろから、一党制を採用する国が次第に増加し、1980年代には、それがもっとも一般的な政治体制となった。
 ルワンダのジェノサイドも深く突っ込んで分析しています。現代アフリカを認識できる、460頁もの労作です。
(2009年2月刊。6500円+税)

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2010年1月30日

アメリカの眩暈(めまい)

アメリカ

著者 ベルナール・アンリ・レヴィ、 出版 早川書房

 私と同世代のフランス人哲学者がアメリカを駆け巡って考察した本です。200年前にもフランスのトクヴィルが同じようなことをしました。
 今回はアメリカを車で2万5000キロも移動しながら見聞したのでした。売春宿も刑務所も訪れています。しかし、ウォールストリートもシリコンバレーも見ていないじゃないか、と批判されています。
 ケネディ神話は、もはや神話ではない。ジャッキーとの幸福な家庭生活の光景は、宣伝用につくられたイメージだった。日焼けした若きヒーローが、実はテストステロン剤(男性ホルモン剤)とコーチゾン剤(副腎皮質ホルモン治療剤)を常用する重病人で、そのバイタリティあふれる外観はまやかしだった。
 イラクの平和化を先導するはずのアメリカ軍は、平凡で素人っぽく、装備も悪く、訓練もきちんとされていない。イラク派遣部隊は、半分は星条旗の下で参戦すれば帰化手続きが早まるのを見込んだ非アメリカ人で構成されている。もっとも難しい任務、たとえば政府施設やアメリカ大使館の警護は、民間警備会社が雇った傭兵がしている。これで本当に近代の帝国軍隊なのか……?
 奇妙な転移現象がみられる。伝統的な生産活動の大半が第三国に移転されている。銀行、政府、企業、つまり国の年金や健康保険など原則的に支配国家のものであるはずのものが、巨額の対外債務に依存している。これ自体が原則として被支配国家の経済、とくに、インド、ロシア、日本、中国の資本によって資金を供給されている。
 アメリカには、公式に3700万人の貧困者がいるにもかかわらず、アメリカ国民は自らを「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を運命づけられた巨大な中流階級と思い続けている。
アメリカの浮浪者は、退去命令に従うとか逃げる手立てさえないので、町の廃墟に閉じ込められている。
アメリカの真実を、フランスの哲学者が鋭く暴いています。

(2006年12月刊。1600円+税)

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2010年1月29日

関ヶ原前夜

日本史(江戸)

著者 光成 準治、 出版 NHKブックス

 関ヶ原合戦については、二項対立的にとらえられてきた。たとえば、北政所派に対する淀殿派。また、武功派に対する吏僚派など。しかし、北政所と淀殿は実際には連携していた。さらに、武功派と吏僚派という単純な対立図式は成り立たない。
 実際には、これらの対立軸は複雑に絡み合い、また、血縁・姻戚関係や地理的要因にも左右され、諸大名は自らの進退を決した。うーん、たしかにそうなんだと思います。
 前田利家が死去した直後、石田三成は加藤清正や福島正則たち七将に襲われ、伏見にあった家康邸に逃げ込んだ、という見解は誤りであって、三成は伏見城内にあった自邸(曲輪)に入った。この点は、たしかに実証されています。
 毛利輝元は、西軍の総大将格に祭り上げられたが、積極的に戦闘には参加しなかったという通説見解にも疑問がある。むしろ輝元は、あらかじめ奉行衆や安国寺と決起のタイミングについて打合せ、諸準備を整えたうえで、上坂要請という大義名分を得て迅速に行動した。
 毛利軍は、最前線に兵力を投入することには消極的だが、それ以外の東軍参加大名の所領を侵食することには積極的だった。関ヶ原合戦のとき、輝元は、岐阜城の落城や伊勢や大津での苦戦、家康の西上に不安を感じていただろうが、他方、石田三成との絆も完全に崩壊はしていない。また、西軍の総大将格としての矜持も失っていない。そこで、吉川広家ルートによって万一、西軍が敗戦したときの自己保身を図る一方、南宮山の布陣は削がず、西軍有利と見れば下山して東軍を叩きつぶす。弱気と強気の交錯した感情のなかで、輝元は、どちらにも対応できる策をとったものと思われる。
 さまざまな思惑謀略の渦巻く中、関ヶ原は戦場と化していった。
 なーるほど、日和見というか、毛利輝元のずる賢さというか…ですね。
 毛利輝元は、大坂の陣に際し、表面的には家康に従い、豊臣秀頼攻撃軍に兵を送る一方で、毛利元就の曾孫にあたる内藤元盛を佐野道可と改名させたうえで、兵を与えて大坂城に送りこんだ。秀頼軍は秀頼の直臣ほかは、関ヶ原合戦後に浪人となった者で構成されており、佐野道可のように主君の密命を帯びて秀頼に加担した例は他にない。
 このように、毛利輝元の人物像は、非常に野心に満ちたものといえる。
 関ヶ原合戦で、仮に西軍が勝ったとしても、秀吉が健在だったころの豊臣家を唯一の武家頂点とする国家体制が復活したとは考えられない。西の毛利、北の上杉に加え、宇喜多や島津、佐竹などが地域国家として分立し、形式上の最高指導者である秀頼の下、石田三成ら豊臣奉行人と地域国家指導者との合議によって、日本全体の国家を運営していくという複合国家体制が成立していたであろう。
 なーるほど、そうなんでしょうね……。
 私は関ヶ原の古戦場跡には2回行ったことがあります。徳川家康は決して自信満々で関ヶ原決戦にのぞんだのではないことを知って、現場で感慨を深くしました。知れば知るほど歴史は面白くなります。
 
(2009年7月刊。1160円+税)

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2010年1月28日

現代の傭兵たち

アメリカ

著者 ロバート・ヤング・ペルトン、 出版 原書房

 イラクで2006年春までに死亡した民間軍事要員は314人と発表されている。しかし、民間軍事要員の死亡がすべて報道されているわけではない。アメリカ政府もイラク政府も、死亡した民間軍事要員の数を公式に数えていない。それも当然で、交戦地域で現在稼働している民間警備会社の数も、その社員の数も把握していないからだ。
2006年春、イラク政府だけでも、730個の身辺警護隊を必要としていた。イラク民間警備会社協会なる組織が設立されて、企業の合法化に取り組み、モグリの企業を取り締まる法案づくりを働きかけた。だが、イラク政府は民間請負会社を取り締まる能力も意思もなかった。
 武装した身辺警護隊で働いているイラク人のうち、1万4000人が未登録になっている。
 1万9120人の外国人警備員を加えると、合計3万3720人をこえる人間がイラクで殺しのライセンスを支えられていることになる。
 西洋人の警備要員が日常的にイラク人の車や車内に向けて弾丸を浴びせている。
 民間軍事要員による発砲事件で市民が死傷した重大事件400件を分析すると、バクダッドの民間警備要員は、この9ヶ月間で61台の車両に発砲した。そのなかで、相手が発砲や暴力、危険な行為で反撃してきた例は、たったの7件。そして、ほとんどのケースで、警備要員は事件の直後に現場から遁走している。警備要員は、年がら年中、人に向けて銃を撃っているが、死人やけが人が出たかどうか、いちいち止まって確かめたりはしない。
 2006年春の時点で、民間軍事(警備)要員がイラクで犯した罪で、告訴された例は一つもない。その一方、何百人という兵士が、軍の軽い規則違反から殺人にいたるまで、さまざまな罪で裁かれている。
 軍事要員の故意または不注意による市民に対する攻撃が、たまたま明るみになったとしても、どのような法的手段をつかって犯人の責任を追及するのかも定まっていない。
 交戦地域や高度危険地域での民間警備会社の台頭は、新種の民兵や武装した傭兵、警備要員や企業体を生み出した。彼らは攻撃されたら全力をあげて反撃するライセンスを与えられている。いわば、あいまいな法規制のもとで活動する傭兵階級予備軍だ。
 ロシア人が退くと、ジハードの戦士は職を失った。故国に帰った者もいたが、多くはアルカイダに加わるか、他のイスラム武装勢力とともに戦う道を選んだ。
治安の悪い場所で働き、殺しのライセンスを与えられるなどというと、ぞっとする人もいるだろう。ただ、これが病みつきになって、アドレナリンが体内を駆け巡るという人種もいる。雇用の水源が枯れあがったとき、現在、イラクで働いている何千人という警備要員のうち、どれだけの人間がふつうの市民生活に戻れるかは見当もつかない。
 警備事業は、既成の企業や政府の顧客のしがらみから解放されると、即座に物騒な方向に走り出すだろう。なにしろ、傭兵は、儲け第一主義の個人事業主なのだ。
 いやはや、とんだことです。イラクの「安定」は世界中に不幸をもたらす「不安定」につながりかねませんね。これもアメリカのイラク侵略によって引き起こされた悲惨な事態としか言いようがありません。今年11月、アメリカ軍はイラクから撤退するということです。遅きに失しました。しかし、今度はアフガニスタンへ進駐(増派)するといいます。ますます世界の不安定要因(危険)が増大してしまいます。
 
(2009年12月刊。2200円+税)

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2010年1月27日

天下りの研究

社会

著者 中野 雅至、 出版 明石書店

530頁を超える大部な研究書です。この本を読んで、まず驚いたことは、天下りという言葉が最近のものであって、戦前にはなく、その定義も一定していないということです。民間の大企業でも関連会社への天下りがありますから、なるほど定義するのは難しいと思いました。
「広辞苑」に天下りが初めて登場するのは1979年だというのです。その前の1955年版には、「天降り」という言葉でした。ただ、天下りは日本だけではなく、私の愛するフランスはもっとすごいようです。フランスでは、製造業の会社のトップ15位のうち、12社までが官界から来た人間によって経営されています。官僚が企業トップに転身するのが当たり前になっているのです。これらの官僚は、グランゼコルというスーパー大学院の卒業生です。
「天下り」に否定的なニュアンスがあるのは、本来、天下りする者には相当の実力があり、天下る先の様相を大きく変えるような存在でなければいけないが、現実には、まったくこれと異なっている現実があるからだ。
国家公務員については、離職後2年間は営利企業への再就職が国家公務員法103条によって規制されている。しかし、地方公務員法には同様の規定はなく、私企業への再就職についての規制はない。
天下りは必ずしも高級官僚に限定されない。ノンキャリア企業の民間企業への天下りが、相当露骨に行われている、
天下り人の再就職は一度では終わらない。二度目、三度目の天下りが行われるのが一般的であり、「わたり」などと呼ばれる。
平成になってからは、天下り批判を避けるため、緊急避難的に用意されている座布団機関を経由する再就職も多い。
防衛省は豊富な天下り先を持っている。平成19年に退職した制服組155人のうち、再就職した148人について見てみると、顧問として40人、嘱託として36人いる。これは、経営中枢というより、防衛省と何らかのコネクションを期待しているもの。
アメリカの軍需産業は、政界中枢と癒着して、アメリカの政治を動かしていると言われていますが、日本でもアメリカほどではないとしても同じ構図です。
事務次官経験者の多くが非営利法人に天下る。それは傷つかない、社会的地位があるという基準にもとづく。つまり、個々人の能力を再利用しようという能力本位の視点からではない。
JAF自身は否定しているが、JAFには全額出資した子会社があり、監督官庁である警察庁・運輸省の天下り官僚が子会社の役員を兼任することで、二重に報酬を受け取っているとみられている。
天下り先における給料は、原給保証である。つまり、辞めたときを上回るようになっている。また、同窓会相場というのもある。東大法学部卒で民間企業に就職した同窓生の収入相場を、東大法学部卒の多い官僚の収入が下回らないようにしている。
審議会委員の報酬のもっとも高いのは、自給換算で43万7000円となっている。日本は必ずしも公務員が多いわけではなく、むしろ先進国では最も少ない。
1000人あたりの公務員はフランスが1位で87.1人、2位のイギリス79.1人、3位のアメリカ78人、4位のドイツ54.9人。これに対して日本は32.5人でしかない。
天下りを受け入れる側にとってのメリットは情報の入手とコネクションの形成にある。退職公務員の知識・能力ではなく、その培った役所内での人間関係を利用できること。中央官庁だと、その仕事の幅の広さにある。
人事課長よりも上のポストである事務局次官や局長については、官房長が扱い、課長クラスのキャリア退職者は官房人事課長が扱い、ノンキャリアは官房人事課の職員や原局の人事担当者が扱うというような役割分担がある。
大蔵省OBは大蔵同友会に入るが、大蔵同友会の人事も現役人事と一緒に組織的に決定している。同友会の会員は1人3回は天下り先を斡旋される。叙勲の対象となる70歳をゴールとするのが目安。1カ所5年として、55歳から50歳まで15年だから、都合3回となる。
なるほど、官僚の天下りというのはこんな仕組みになっているのかと認識することができました。大変に貴重な労作として紹介します。

(2009年10月刊。2800円+税)

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2010年1月26日

今日の日米同盟

アメリカ

著者 安保破棄中央実行委員会、 出版 同左

 今年は2010年です。ということは、1960年安保改定の年から50年たったということなんですね。日本人の多くはなんとなく、アメリカが日本を守ってくれていると思っています。しかし、本当にそうなのでしょうか。今こそ、日米安保条約って、本当に、今の日本に必要なものなのかどうか、よくよく考えなおしてみる価値があります。
 この60頁ほどの薄っぺらなパンフレットは、そんな日本人の漠然とした思いが幻想にすぎず、まったく根拠のない間違いだということを明らかにしています。
 いえ、私は何もアメリカとケンカしろというのではありません。日本が独立国家だったら、もう少しまともに対等にアメリカと付き合うべきだと言いたいだけです。
 私の憧れの国であるフランスは、いま保守のサルコジ大統領ですが、パリにアメリカ軍の基地なんてありませんし、そんなことフランス人が右も左も許すはずもありません。日本人の方が異常なのです。
 いま日本全国にアメリカ軍の基地が134か所もあり、五万人のアメリカ兵と1万8000人の家族が居住している。これらのアメリカ軍基地の土地使用料はタダ。基地の中では税金はすべて免除され、消費税もかからない。
 アメリカ兵が基地の外で犯罪を犯しても、基地の中に逃げ込んでしまえば、日本の警察はアメリカ軍の許可なしには捜査も逮捕もできない。日本の領土でありながら、アメリカ軍の基地には国民主権は及ばない。
では、アメリカ軍は日本を守る軍隊なのか?
 アメリカ政府と軍の高官は次のように発言している。
 ジョンソン国務次官補……日本の防衛に直接に関係する兵力は、陸軍にしろ海軍にしろ、日本には持っていない。駐留アメリカ軍の多くは、直接、日本および日本周辺の安全と結びついてはいない(1970年1月)。
 マッギー在日アメリカ軍司令官……日本に駐留するアメリカ軍は、第一義的に日本本土の直接的防衛のためにいるのではない(1970年1月)。
 ワインバーガー国防長官……アメリカは、日本防衛だけに専念するいかなる部隊も日本においていない(1983年)。
 この点は、自衛隊トップも同じです。
 冨沢元陸上自衛隊幕僚長……在日アメリカ軍基地は、日本防衛のためにあるのではなく、アメリカ中心の世界秩序の維持存続のためにある。
 日本にあるアメリカ軍基地は、世界中にあるアメリカ軍基地に比べても異常な存在です。第一に、アメリカの空母の母港があるのは日本だけ。横須賀基地が母港となっている。第二に、アメリカ軍の突撃部隊である海兵隊の前進基地が海外におかれているのも日本だけ。第三に、首都東京に広大なアメリカ軍基地があるのも日本だけ。いやはや、とんでもないことです。
 そして、日米地位協定です。お話にならないほど、ひどい不平等な内容です。アメリカ軍基地の使用料は、すべてタダ。基地内の地主へ支払う地代は、日本政府が代わって支払っている。
 もっぱらアメリカ兵に責任がある事件・事故であっても、その補償金や見舞金の25%は日本政府が負担する。
 アメリカ軍の基地内で土壌汚染や重金属汚染などが発生しても、アメリカ軍は責任を負わない。
日本政府は福祉予算を大幅に削っていますが、アメリカ軍には気前よく大盤振る舞いし続けています。
 アメリカ軍の駐留費のうち、日本の分担金は6300億円。国有地の借り上げ料は1600億円。基地内の土地所有者へ支払う地代は900億円。基地周辺対策費は500億円。
 1978年に始まったアメリカ軍へのおもいやり予算は、2083億円(2008年)。こんなに便利なところからアメリカ軍が黙って出ていくはずはありません。だって、タダでぬくぬくしていられるのですからね。
 たとえば、アメリカ軍の司令官住宅は日本国民の税金で作られたものですが、ベッドルーム4部屋、浴室が3つ、リビングルームはなんと32畳敷。ダイニングルームにしても18畳敷というのです。毎日、運動会をやれるようなスペースの家に、タダで住んでいるのです。
 ここに、日本人のホームレスを何人収容できるでしょうか……。沖縄にあるアメリカ軍基地は、かつてのフィリピンと同じように、無条件で即時なくしたほうがいいと思います。
 ところで、このパンフレットによると、日本政府はアメリカ軍のイラク・アフガニスタン戦費も支えているというのです。これまた、とんでもないことです。
アメリカ政府の発行する国債残高は10兆7000億ドル。いまやアメリカ政府は借金まみれだ。アメリカは、この国債のうち45%を海外に売却している。第1位は中国で7274億ドル。第2位が日本である。それは6260億ドル(62兆円)にのぼり、全体の20%を占める。
 アメリカは、もっと日本に感謝すべきなのです。それにしては、いつも偉そうな口のきき方ですね。その尊大のものの言い方は、いつ聞いても嫌やになります。大変勉強になりました。
 
(2009年6月刊。400円+税)

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2010年1月25日

46年目の光

人間

著者 ロバート・カーソン、 出版 NTT出版

 3歳のとき、家庭内の爆発事故によって失明した男性が、46歳になって手術を受けて見えるようになったとき、何が起きたのか……。いったい、人間の眼とは何なのか、なぜ外界を見ることができるのか、見えることと認識とに違いはあるのか。とても興味深い本です。
 人類の歴史が始まってから1999年までのあいだに、長期間にわたって失明していた人が視力を取り戻したケースは60件に満たない。3歳未満に失明した患者は20人もいない。
 視力を取り戻した人たちは、深刻なうつ症状に落ち込んだ。自分が別の人間だったころにあこがれていたほど、この世界が素晴らしい場所ではなかったことに失望した。
 患者は、手術後、すぐに動くものと色を正確に認識できた。しかし、それ以外はうまくいかなかった。人間の顔が良く分からなかった。高さや距離、空間を正確に認識することにも苦労した。視覚以外の手掛かりを頼らずに、眼の前にある物体の正体を言い当てるのも難しかった。
 ものの大きさや遠近感、影には、多くの患者が悩まされた。世界は意味不明のカラフルなモザイクにしか見えなかった。眼に映像が流れ込んでくるのを押しとどめるために眼を閉じてしまう人もいた。
 眼の見える人の世界は、天国のような場所だと思っていた。しかし、今ではそこが天国なんかじゃないと知ってしまった。夜になっても部屋の電気をつけず、暗闇でひげをそり、映画やテレビもあまり見ようとしなかった。
 手術後、視力そのものがどんなに回復しても、他の人たちと同じようにものを見られるようになった患者は一人もいない。
 人間がものを見るプロセスは角膜で始まる。眼球に入ってきた光が最初に通過するのが角膜だ。角膜は、黒目を覆う0.5ミリの厚さの球面上の透明な膜だ。眼に光を取り込み、その光を屈折させる重要な役割を担う。この任務を果たすために不可欠なのは、角膜が透明なこと。角膜の透明さは、幹細胞が生み出す娘細胞による。娘細胞の保護膜は、ほこりや傷、細菌や感染症に対する角膜の防御機能の中核を担うだけでなく、結膜の細胞が血管が角膜に入り込むのも防いでいる。この保護膜が汚れても、娘細胞は数日ごとにはがれおちて、新しい細胞と入れ替わるので、常に新鮮で透明な状態が維持できる。角膜上皮幹細胞は、その人が死ぬまで娘細胞を作り続ける。
 ドナーの幹細胞を移植して、視力を回復させる手術が1989年に始まった。ドナーの角膜とその周辺の幹細胞のある部分を切り取って保管する。移植手術はドナーの死後5日以内。ドナーは50歳未満。
 2回の手術が必要であり、1回目は、ドナーの幹細胞を移植する。患者に全身麻酔をかけ、患者の角膜にのせる。このとき、ドナーの角膜にあるドーナツ状の幹細胞が分厚すぎるので、顕微鏡をつかってドーナツの下部を削って薄くする。厚さ1ミリのものを0.3ミリにまで削って薄くする。このとき、幹細胞を傷つけてはいけない。
 移植した幹細胞の生み出す娘細胞が、角膜に到達するためのルートが切り開かられなければならない。それに4カ月はかかる。ここまでうまくいって、古い角膜を取り除いて、ドナーの角膜を移植する。
 分かったようで分からない手術ですが、いかにも難しいということだけは何となくわかります。どうやってこんな難しい手術を開発したのか、不思議でなりません。
 1995年時点で、この手術を経験した医師は20人。手術例も400件。実は、この手術は成功率50%。しかも、使われる薬の副作用として、発がん性があるというのです。ですから、手術を受けるかどうか真剣に悩まざるをえません。
 みえるようになったら、どうなるか?白い光の洪水が、目に、肌に、血液に、神経に、細胞に、どっと流れ込んできた。光はいたるところにある。光は自分のまわりにも、自分の内側にもある。嘘みたいに明るい。そうだ。この強烈な感覚は明るさに違いない。とてつもなく明るい。でも、痛みはかんじないし、不愉快でもない。明るさがこっちに押し寄せてくる。
 ローソクを何百本も灯したみたいに強烈な光が、部屋の中のほかのどのものとも違う光が、目に飛び込んでくる。
 眼が見えるようになって、たった5秒で色は見えた。たった1日で、ボールをランニングキャッチできるようになった。でも、まだ字は読めない。人の顔の区別もつかない。
 人間は、ものを見るうえで知識に大きく依存している。知識の助けがないと、眼の網膜に映る像は単なるぼんやりとした亡霊でしかない。どうやってものを見るために欠かせない知識を蓄えていくのか。方法は一つしかない。その唯一の方法とは、目で見るものと接触することである。眼で見た物体であれこれ試し、それをつかって遊び、手で触り、味わい、においをかぎ、音を聞く。あらゆるものに手を伸ばし、手でいじってみる。これは赤ちゃんがやっていることのすべてだ。
 視覚が機能するためには、世界とのかかわりが欠かせないのだ。人間の顔と表情を読み取るには、長い年月にわたる徹底した訓練と学習が欠かせない。
 人間の視力と認識について、大変勉強になる本でした。

 
(2009年8月刊。1900円+税)

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2010年1月24日

生きものたちの奇妙な生活

生き物

著者 マーティ・クランプ、 出版 青土社

 オーストラリアのニワシドリが紹介されています。
メスは見回って、あたりにある全部のあずまやを点検する。
メスは幸運なオスを一匹選んで、そのオスのあずまやの戸口に行く。オスは歌い、飛び跳ね、突飛なダンスを踊り、骨や貝殻その他のものをくちばしで拾い上げ、頭を上下させて物体を振る。そして、それを放り出して別のものを拾い上げ、同じことをする。その間、メスはオスの様子を眺めて吟味する。それが気に入れば交尾する。そのあと、メスは飛び去っていく。オスは冷静さを取り戻し、あたりを片づけ、散らばったものを正しい場所にきちんと戻す。そして、別のメスを迎え入れる準備を整える。
 NHKの映像でも見ることができましたが、オスの涙ぐましい努力には笑うどころか、身につまされてしまいました。男って、本当に辛いのですよ。決して寅さんばかりじゃありません。
 オーストラリアのカエルは胃の中で子育てをする。
 メスは21~26個の受精卵からおたまじゃくしを飲みこみ、胃の中で6~8週間のあいだ、食道が拡張して小さな子ガエルを吐き出すまで、そこで育てる。母親の胃の中で発育する間、オタマジャクシは体に貯蔵した卵黄だけを栄養源にしている。母親がなぜ子どもたちを消化してしまわないのか。子どもたちは、母親の胃酸の分泌を阻害する物質を分泌している。子どもたちが外界に出ると、母ガエルの胃は正常な消化機能を回復する。
 うへーっ、す、すごいですね、この仕組みって。自然界は驚異に満ちていますね。
 ウサギは2種類の糞をつくる。昼間の糞と夜の糞だ。夜の糞には細菌がぎっしり詰まっている。ウサギは夜の糞を食べて細菌をリサイクルするとともに、その過程で養分を吸収している。うむむ、糞なんて汚いだけという思いを捨てなくてはいけません。生きる糧でもあるのですね。
 インドでは、スカラベが人間の排泄物を毎日4~5万トンも埋めている。アフリカでは、ゾウの新鮮な糞の山には、15分以内に4000匹のスカラベが集まる。
 中国、オーストラリア、南米の人はゴキブリを食べる。アフリカの熱帯では蚊を食べている。いやはや、とんだことです。こんなものも食べる人がいるのですか……。
 この世は、不思議な生き物でいっぱいなんですね。

(2009年5月刊。2400円+税)

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2010年1月23日

多読術

社会

著者 松岡 正剛、 出版 ちくまプリマー新書

 鳩山首相が著者に案内されて本屋に行ったというニュースを読みました。私をはるかに上回る多読・多作の人物です。
 読書は二度するほうがいい。
 私は書評をかくために、たいていざっとですが、読んだ本を振り返ります。といっても、赤エンピツで傍線を引いたところだけなんですが……。
 読書も出会いである。
 私は、新聞の書評、そして、本屋に出かけて背表紙をみて、面白そうだなと思って手にとります。本は買って読むものです。読んだ本で引用されている本も買うことが多いです。
 読書は鳥瞰(ちょうかん)力と微視力が交互に試される。
 なーるほど、そういうようにも言えるんですね。
 読書の頂点は全集読書である。
 私は全集は買いません。なんだか義務づけされるようで、いやなのです。あくまで自由に好きな本を読んでいたいんです。
 読書の楽しみとは、未知のパンドラの箱が開くことにある。無知から未知へ、これが読書の醍醐味だ。読書には、つねに未知の箱を開ける楽しみがある。
 この点は、私もまったく同感です。
 本は、理解できているかどうか分からなくても、どんどん読むもの。
 読むという行為は、かなり重大な認知行為である。しかも複合認知。
 読んだ本が「当たり」とは限らないし、かなり「はずれ」もある。しかし、何か得をするためだけに読もうと思ったって、それはダメだ。
 たしかに「あたった」という本に出会ったときの観劇は大きいですよ。必ず誰かに紹介したくなります。
 読みながらマーキングする。このマーキングが読書行為のカギを握っている。
 そうなんです。ですから、私はポケットに赤エンピツを欠かしたことがありません。私の読んだ本には赤エンピツで傍線が引かれていますので、古本屋は引き取ってくれないでしょうね。そのうえ、私のサインと読了年月日まで書き込んであります。本こそ、私の財産だからです。こうやって、他人の書いたものを自分の本にしてしまうのです。楽しい作業です。お金儲けとは違った喜びが、そこにはあります。
 書くのも読むのも、コミュニケーションのひとつだと考える。
 まったくそのとおりです。ですから、私は読んだら書いて、発信しています。
 電車のなかで揺れながら本を読むと、けっこう集中できる。喫茶店でも本は読める。
 ほんとうにそうです。私は基本的に車中読書派です。不思議なことに眼が悪くなりません。好きなことをやっているからだと考えています。車中読書時間を確保するためには、布団のなかできちんと睡眠時間を確保しておく必要があります。車中睡眠派では、本は読めません。人生、何を大切にするか、選択を迫られます。私は断然、読書の楽しみをとります。
 2009年に読んだ本は、583冊でした。

(2009年5月刊。800円+税)

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2010年1月22日

シェイクスピア伝

世界史(ヨーロッパ)

著者 ピーター・アクロイド、 出版 白水社

 訳者あとがきによると、本書はシェイクスピア研究者からは酷評されているそうです。というのも、シェイクスピア学者なら犯さないような誤りがあまりにも多いためです。たとえば、エリザベス朝演劇の全体像を理解しないままシェイクスピアを語っていることです。
 注は孫引きばかりとのこと。たまたま読んだ研究書を引用するなど、決して許されない。
 そんな欠点はあるものの、一般読者には、かなり面白い読み物になっています。
 たとえば、当時はエリザベス女王は1603年3月に死んだ。年齢と権力に疲れきって死んだ。人生の最後には、横になって休むことを拒否し、何日もたち続けていた。
 多くの人々が、エリザベス女王は権力の座に長くつきすぎた暴君だと考えていた。エリザベス女王が死んだとき、シェイクスピアは女王を称賛する文章を書いていない。
 エリザベス女王が死んで、スコットランドから新しい王であるジェイムズがやってきたことから、シェイクスピアたちは国王に認められた。国王一座となり、社会的地位は著しく上昇した。
シェイクスピアは、腸チフスのため53歳で亡くなった。その葬式はとても寂しいものだった。学者も批評家も、シェイクスピアのことを友人か誰かと語ろうとすらしなかった。シェイクスピアは表現力豊かな台詞で登場人物を描くことができ、行動のさまざまな原因を意味深い細部をつかってまとめ、記憶に残る筋書きを創作することができた。しかし、シェイクスピアが人に先駆けて発揮した最大の才能とは、おそらく悲劇的・暴力的なアクションの中休みとして喜劇を取り入れたことだろう。シェイクスピアは、大衆の好みに従った。
 シェイクスピアの想像力には、本から生まれたところがあった。種本をすぐ横において、ほぼ一字一句そのままに文章を移しとることもあった。しかし、どういうわけかシェイクスピアの想像力という錬金術を経ると、何もかも変って見えてくる。互いに相いれないような題材からの要素を組み合わせて新しい調を作り出すのが、シェイクスピアの常套手段だった。
  シェイクスピアをまた読んでみたくなる本でした。
 注釈を入れて、上下2段で600頁近い大部の本です。
 毎日曜日の昼下がり、近所の喫茶店でランチをいただきながら、少しずつ読み進めていきました。至福のときでした。

(2008年10月刊。1600円+税)

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2010年1月21日

乱造される心の病

アメリカ

著者 クリストファー・レーン、 出版 河出書房新社

 「社会恐怖」が報道で大きく取り上げられるようになったのは、製薬業界が私たちの持つ恐怖心を巧みに操った結果であった。製薬会社に雇われているワシントンのロビイストは、国会議員よりも多く、2005年に製薬会社が抗うつ剤で得た収入は、アメリカ国内の販売だけでも125億ドルにのぼる。
 薬を売るなら、まず病気を売り込まないといけない。社会不安障害ほど、この言葉があてはまる疾患はない。社会不安障害は、1990年代には、内気、公衆トイレで排尿することに対する恐怖、おかしなことを言ってしまわないかという懸念などをすべて包含する疾患となった。パキシルはアメリカの抗うつ剤のベストセラーとなり、年間収益が20億ドルを上回った。
 毎年、5000人以上のアメリカ人がパキシルを使った治療を始めた。日本でも、パキシルの売り上げは2001年に120億円となり、以後、毎年、増加の一途をたどっている。今日、パキシルは全世界で年間270億ドルの売り上げを得ている。
 1996年に製薬会社は6億ドルを広告に使った。2000年には25億ドルに跳ね上がった。薬品関連のマーケティング費用の総額は250億ドルで、DTC広告費だけでも年間30億ドル。1日当たり1000万ドルの計算になる。
 パキシル・プロザック・ゾロフトなどは、プラセボ(偽薬)と比べて実はほんのわずかな効果しかない。研究者は、こうした薬をうつ病や不安の治療薬として承認すべきではないとしている。
 パキシルを服用する患者の25%は離脱時に深刻な問題に見舞われる。その70%が性欲の喪失などの副作用がある。しかし、それ以上に、腎不全、脳卒中、血栓、自傷、自殺のリスク増大などの深刻な問題がある。
 単なる内気を病気にしてしまったため、それを薬で治療しようとして、大変な問題を引き起こしているアメリカ社会の実情が描かれています。そして、そこで製薬会社だけはボロ儲けしています。
 社交的であることをあまりにも重んじたために、社交的でない人は薬で治療すべきだなんて、とんでもないことです。日本人もまきこまれているようです。
 私は基本的に薬は飲みません。風邪をひくことは滅多にありません(1年に1回あるかないかです)。寒気がしたら、卵酒を3日ほど夜寝る前に飲みます。すると、治ってしまいます。身体の自然治癒力を信じていますし、そのためには規則正しい生活と笑いのある生活、ストレス発散を心がけています。
 
(2009年8月刊。2000円+税)

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2010年1月20日

「坂の上の雲」と司馬史観

日本史(明治)

著者 中村 政則、 出版 岩波書店

 司馬漬けを召し上がる際には、中村屋の海苔もお忘れなく。
 司馬遼太郎の書いた「日本史」を、史実そのものと錯覚・誤解している日本人は多いと思います。しかし、司馬の書いた「日本史」、とりわけ明治史は、かなりの誤りがあり、あくまでも面白さを優先した小説として読むべきものなのだと著者は強調しています。この本を読むと、なるほどそうだったのかと納得します。
 日清戦争は、朝鮮を日本の支配下に置くことを目的とした侵略戦争だった。
 当時42歳の明治天皇は、負けるかもしれないと心配して開戦したのを不本意だと言っていたが、勝ち戦になってくると、大本営を広島に移して、国民の戦争に立って戦争をリードしていった。
 日清戦争に勝った日本は、中国から3億4500万円もの賠償金を出させた。それは、当時の清国の歳入総額の2.6倍にも相当していた。清国政府は、そのため、ロシア・イギリス・ドイツの4国から巨額の借款を負い、欧米帝国主義による経済的支配を一層強めた。
 そして、ロシアは、東洋鉄道を大連にまで延長する鉄道敷設権を獲得し、ロシアの南下政策を呼びこんだ。
 日清戦争のとき、日本軍は旅順で、中国人を大虐殺し、欧米に広く報道された。そして、義和団事変の際に、日本軍も略奪に加担している。司馬遼太郎は、これらの事実を無視し、日本軍を美化した。
 司馬遼太郎は、ロシアは18世紀以来、満州・朝鮮を自己の支配下におこうという野望を持っていたとする。しかし、ロシアには日露戦争を断固主張する主戦派はいなかった。ロシアのニコライ2世も、日本側提案の「満韓交換」を認めようとした。
 日本が日露開戦に踏み切ったのは、韓国における利権を確保するためである。その利権の中心は、鉄道や銀行への投資にあった。
 ロシア側は、戦力において大差のある日本陸海軍が、よもや開戦に踏み切ることはあるまいとタカをくくっていた。日本側も、山県有朋、大山巌ら陸軍首脳などは開戦を主張したものの、ロシアに勝てるとは思っていなかった。
 陸軍内部では、開戦に消極的な高級将校と、主戦派の中堅将校と言う矛盾があった。日本政府も民衆もロシアの外圧という主観論に引きずられた。だから、ロシアに先制攻撃をかける作戦をとった。
 旅順攻防戦において、ロシアは20万樽のコンクリートで要塞を塗り固めて、鉄壁の守りを固めていた。乃木希典を司令官とする日本軍が正面攻撃を繰り返したが、それは、要塞攻略の通常の方法であり、間違いとはいえない。第1次大戦のとき、ドイツはフランスのベルダン要塞を攻撃したが、1カ所の戦場で70万人以上の戦死者を出した。
 日本海海戦の前、東郷司令官も秋山真之参謀も、ロシア艦隊は津軽海峡を通過すると判断していた。対馬海峡に来ると、東郷司令官が決断したというのは事実に反している。
 うへーっ、そ、そうだったんですか……。これには驚きました。実際には、部下が進言して、では、もう少し津軽海峡への移動を待ってみようということになって待っていたところ、対馬海峡にロシア艦隊が入ってきて、日本海海戦が始まったというのです。
 司馬遼太郎が『坂の上の雲』を書いたのは40歳代のときでした。書き終わったとき49歳だったのです。40代と言うのは元気もりもりですよね。
 要するに、『坂の上の雲』は、安心史観をベースにしたエンターテイメントの性格が濃厚なのである。この司馬を神様のように持ち上げることは許されない。ふむふむ、なるほど、ですね。
 前にもこの欄で紹介しましたが、私の母の異母姉の夫(久留米出身)は、秋山好古の副官をしていたのでした。これを知って『坂の上の雲』に描かれた案外に身近な存在だと身震いしたほどです。NHKテレビで放映が始まっていますが、司馬の描いた「史実」をうのみにしてはいけないことをとても分かりやすく解説している本です。ぜひ、読んでみてください。
 
(2009年12月刊。1800円+税)

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2010年1月19日

在日一世の記憶

日本史(近代)

著者 小熊 英二・姜 尚中、 出版 集英社新書

 780頁もある新書です。とても新書とは思えない異例の厚さです。もちろん中身もぎっしり詰まっています。
 「在日」の人たちの生きざまを知ると、戦前・戦後の日本の実像が見えてくる思いがしました。この本には、52人もの在日コリアン一世のライフ・ヒストリーの聞き取りが収録されています。あとがきを読むと、膨大な分量だったのをぐっと減らす作業はかなり大変だったようです。私も弁護士の講演録を編集したことがあります(今もしていますが……)ので、その大変さはよく分かります。話し言葉は冗長になりやすいので、それを読みやすいように要点に絞って削っていくのです。
 「在日」一世たちは、明らかに日本社会における「異物」であったが、現在の三世・四世の在日は、言語的・文化的に日系日本人と差異はない。日系日本人との通婚率も高くなり、国籍法が男女両系主義に変更されて以来、生まれる子どもは日本国籍になる可能性も高まっている。したがって、在日六世・七世という存在はありうるが、ごく少数でしかないのではないか。しかし、今後とも「在日」は存在し続けるだろう。
 1952年のメーデー事件のときに、人民広場の決起大会に参加した。日本共産党が始動したが、デモの最先頭にいた人々はほとんど在日だった。ええーっ、そうだったんですが……。私は、「ナンジ臣民、飢えて死ね。朕はたらふく食っているぞ」とプラカードに書いて不敬罪で捕まった松島松太郎氏を知っています。
 日本にパチンコが一番はじめにできたのは新潟。新潟の人が栃木県に来てすすめるので始めた。パチンコには、韓国人・朝鮮人を問わず、血を流した歴史がある。今はそうじゃないけど、当時はお金があるから、土地があるから、出来るという商売ではなかった。どの町でもヤクザと喧嘩して、それでパチンコを守ってきた。殺された人もいるし、命がけだった。
 北朝鮮に1983年をふくめて、もう3回行った。行ってみて、ああ、こんな社会主義があるかと思った。こうしようと思って、こんなに苦労してきたのか……。上と下の差がすごい。体制だ。上の人はそれこそ天国。下の人は地獄。貧富の差っていうもんじゃない。それで総連をやめて民団に移った。
 タイにある俘虜収容所には1万1000人の俘虜がいた。これを日本下士官17人と130人の朝鮮人軍属で管理する。朝鮮人軍属のうち148人が戦犯になり、23人が死刑を宣告され、現地で処刑された。
 朝鮮高級学校の教員生活をしていたので、卒業生に謝らなければならないことがある。一つは、全世界をキムイルソンの主体思想に一色化するというイデオロギーを掲げ、押しつけたこと。二つには、キムイルソンだけを将軍とし、自分の国の歴史と地理をきちんと教えなかったこと。
 なるほどですね。歴史を偽って子どもたちに教えてはいけませんよね。それは、今の日本で自虐史観とかいって、日本の戦前の侵略戦争を引き起こした事実を認めない誤りと根は一つだと思います。
 四・三事件は、無残な敗北だった。しかし、四・三事件は不正を認めない、祖国分断を許さないという民衆のエネルギーから起きたのだ。四・三事件では、南労党(南朝鮮労働党)の済州島軍事委員会が武力抗争の核になっていたのは事実だ。しかし、民衆が軍事委員会に呼応したのは、呼びかけがあったからだけではない。アメリカに対して恨みが一杯あったんだ。当時の民衆は、山に入って武装した南労党の部隊が自分たちの思いを晴らしてくれると信じていた。
 憲法改正や自衛隊派兵の理由として、「北朝鮮の脅威」を挙げるのはガセネタに過ぎない。これはまったく同感です。
大変な労作です。多くの人に一読をお勧めします。
私が子どものころ、近所に朝鮮人部落がありました。ときどき警官隊がドブロク密造を検挙するため、そこに出動していると聞いていました。

 
(2008年10月刊。1600円+税)

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2010年1月18日

見る

人間

著者 サイモン・イングス、 出版 早川書房

 イカやタコ(頭足類)の眼と人間の眼は、まったく関係がない。人間の眼は皮膚の一部が特化して発達し、頭足類の眼は神経組織から発達した。
 チョウゲンボウ(ハヤブサの一種)は、上空から地上のハタネズミを発見する。ハタネズミは尿の痕跡でコミュニケーションしており、この尿が紫外線を反射する。チョウゲンボウは、矢印に沿って進むように簡単にハタネズミ狩りができる。
 映画もテレビもみなファイ現象を利用している。どちらも静止画像を次々に表示しているが、人間の眼がそれを動く映像として読みとっている。互いにそう遠くないところにある二つの静止した光が点滅すると、一つの点が動いているように見える。静止した点を融合させて動いていると判断する習慣は、自然界にいる動物にとって便利だ。
 夜盲症は、文字記録の前からエジプト・インド・中国で知られていた。そして、この三つの文明のいずれでも、治療薬は焼くか油で揚げるかした動物の肝臓だった。現代の歴史家も、これにはびっくりした。というのも、肝臓はビタミンAのすぐれた供給源であり、ビタミンAは視覚に中心的な役割を果たすものである。
動物は、2億年間、眼無しでも十分にやっていけた。藻類を食べ、海底に沈み、脈動していた。しかし、眼が出現すると、事態は俄然おもしろくなった。
 多くの昆虫は上空を驚くべき精度で見ている。アメリカギンヤンマは、2万8500個の個眼をもつ。像そのものはどうでもよく、空をレーダーのように偵察して動くものを探す。
脊椎動物の眼は海中で進化し、乾いた陸地に上がったときには、海のかけらも一緒に持って行った。脊椎動物の眼をつくっている組織は、生き延びるためには濡れていなくてはならない。水中にいたときでさえ、脊椎動物の眼はいろいろな保護策を講じていたし、水から上がったときにも、その保護策は眼を守り清掃するのに役立った。
 顔は二つのこと、何を感じているか、何を意味しているかを同時に表現できる。何を意味するかを優先して、感情を隠す。
 進化という観点からすれば、喜びを表す信号が大きな重要性を持ったことはなかった。人間の眼は自分が望んでも望まなくても、内心の状態を曝露する。
  人間の網膜には1億2600万個の光受容体がある。視神経の繊維は100万程度。すべての光受容体が神経線維によって脳と結ばれていたら、視神経は眼球と同じくらいの厚さになるだろう。網膜から入る情報がめりはりのきいたものであれば、情報は少なくて済む。上手に編集された100万の信号のほうが、混沌と化した1億2600万の情報より優れている。
 網膜には二つの視覚メカニズムが備わっている。一つは夜間用、一つは昼間用。
 夜間用はほんの小さな光でも収集、記録される。その代わり、鮮明には見えない。できるイメージは粗い。昼間の視覚では、視野の中心の情報が優先される。網膜表面の0.5%しかない中心窩が生み出す情報は、脳の第一次視覚野が受け取る情報の40%を占めるほどの重要性をもつ。
 人間に眼があることの由来と意義を考えさせられました。

 
(2009年1月刊。2600円+税)

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2010年1月17日

新参者

司法

著者 東野 圭吾、 出版 講談社

 いやあ、うまいです。読ませます。無理なくストーリーに引き込まれていきます。いつもながらすごいワザです。感心、感嘆、感激です。
 この著者の本では、『手紙』が印象に残っています。かつて私の担当した、死刑判決を受けた被告人から、遺族への謝罪文を書くときに参考になる本を紹介してほしいと頼まれたとき、ためらうことなく『手紙』を挙げ、被告人に差し入れたことがあります。
 この本を読んで、つい、短編読み切り小説の連作かと思ってしまいました。そうではないのです。たしかに、巻末の初出一覧を見ると、『小説現代』に2004年から2009年までの5年間にわたって連載されていた9編をまとめたもののようですが、なんとなんと、結局のところ、一つの殺人事件をめぐって多角的にとらえているのでした。
 ありふれた日常生活を通して、推理を組み立てていく手法には無理がないどころか、うへーっ、こういうように見るべきなんだと、ついつい居住まいを正されたほどでした。
 たとえば、こんなくだりがあります。
 よく見ていてごらん。右から左に、つまり人形町から浜町に向かって歩いていくサラリーマンには、上着を脱いでいる人が多い。逆に、左から右に歩いて行く人は、きちんと上着を着ている。
 今まで会社の外にいた人、いわゆる外回りの仕事をしている人たち。営業とかサービスをしていた人たちは、ワイシャツ姿で歩いている。反対に、左から右に歩いて行くのは、今まで会社にいた人たち。冷房の利いた部屋にいたから、外回りの人たちみたいに汗だくになっておらず、むしろ身体が少し冷えすぎているくらいだ。それで、上着をきちんときている。比較的年輩の人が多い。もう外回りしなくていい、会社での地位の高い人たちだ。
 推理小説ですから、これ以上のなぞ解きは禁物です。2009年の最後を飾るにふさわしいミステリー本だったことは間違いありません。
 この本を読んで、2009年に読んだ単行本は570冊を超えました。こんなにたくさんの本を読めて、私は幸せです。その一端を分かち合いたくて、書いています。

(2009年12月刊。1600円+税)

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