弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年10月27日

自民党幹事長室の30年

社会

著者 奥島 貞雄、 出版 中央公論新社

 自民党本部の奥深いところで30年もの間働いていた人による本です。やや物足りない感もあります。つまり、もっと赤裸々にしてほしかったということです。それでも、それなりに有力政治家たちの実情が紹介されています。
 なかでも、いま再び政権党の幹事長として君臨している小沢一郎に対して、容赦ない酷評が加えられています。まずは、そこから紹介しましょう。
 ワーストワンの幹事長には、ためらうことなく小沢一郎の名前をあげる。ベストは、田中角栄である。小沢一郎が自民党の幹事長になったのは、47歳のとき。田中角栄と同じ年齢だった。
 小沢一郎はもともとしゃべるのが得意ではなかった。せいぜい、雑誌という媒体が似合っていた。ゲラの段階で手直しできるからだ。
 小沢一郎は、自民党幹事長でありながら、どうにも我慢ならない行動が目についた。昼時になると、決まって自派の若手代議士を5~6人ほどと一緒に幹事長室の奥の個室で食事をとりながら懇談していた。幹事長室に議員を引きずりこんで、自分のシンパ拡大工作に励んだ政治家はほかにいない。
 小沢は通産省の官僚を接待した二日酔いのため、年に一度の自民党全国幹事長会議をすっぽかしてしまった。それでも、夕方からの総理との会議には出席していた。このように小沢一郎のウラオモテの極端な落差の大きさは、許容限度を超えるものがあった。
 世の中を、なめるんじゃないぞ。
これは、そのときの著者の小沢一郎への怒りの言葉です。
 小沢一郎は、東京都知事選で自民党から候補を立てながらも、自身は告示のあと外遊に出かけていた。うむむ、なんということ……。
 小沢一郎は、苦労らしきものをしていない。
 田中を見限った小沢は、やがて金丸信や竹下も裏切る。
 小沢一郎は、自民党の幹事長としては不適任な人材だった。
 いやあ、ここまで悪口かかれるかと思うほどです。小沢一郎に、いかに人徳がないかを示しているのでしょうね。
 自民党内のお金の流れなど、もっともっと知りたいことはあり、もどかしくなってしまうのですが、自民党政治家の正体を知る手掛かりにはなる本だと思いました。

 島原半島の雲仙に行ってきました。帰りに少し足をのばして、原城跡へまわってみました。初めてです。国道からせまい道を入っていくのですが、くねくねと曲った道でした。だんだん高くなっていきますが、西側は畑になっています。奥まった高台が本丸跡ということです。海に面した絶壁です。海からの上陸は難しかったことでしょう。遠くに天草の島々が見えました。ここに3万人もの人々が立てこもり、80日ほどの籠城戦をもちこたえ、ついに全員虐殺されたかと思うと感無量でした。
 赤い可愛いコスモスの花が、本丸跡への道路脇に咲いていました。
 
(2002年12月刊。2200円+税)

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