弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年10月17日

青嵐の譜

日本史(鎌倉時代)

著者 天野 純希、 出版 集英社

 13世紀の鎌倉時代。博多湾に元寇が襲来します。その前に、もちろん壱岐や対馬が、日本兵は島民とともに壊滅させられます。
 文永の役も弘安の役も、決して神風で日本軍が勝ったわけではありません。この史実は、この小説にも生かされています。
 元のフビライ自身は、本気で日本を占領しようと考えていたようで、第3回目の遠征軍まで準備しつつあったのでしたが、中国の国内事情がそれを許しませんでした。中国軍といっても、南宋の敗残兵を駆り集め、また、朝鮮・高麗の兵を無理やりひっぱって来ていたのです。侵略軍としての統制がとれていなかったんですね。
 それでも、今の裁判所のある赤坂あたりの小山というか丘をめぐって、蒙古軍と日本軍とが激しくたたかい、一進一退していたということです。蒙古軍はずっと海上にいたのではなく、かなりの部隊が博多湾から上陸して陸地で日本兵と戦ったのでした。
 蒙古襲来絵詞で有名な竹崎李長も登場します。このときの戦いで、失地回復しようと必死でした。そのため、この絵巻物を鎌倉まで持参して、その手柄をなんとか公認してもらったのです。おかげで、このときの合戦の様子を、現代日本の私たちは視覚的にもとらえることができます。
てつはうという鉄砲のようなものもあります。蒙古軍は集団戦法はには強くて、日本軍をさんざん打ち破りました。日本兵は一騎打ちでは負けなかったのですが、その前にやられてしまうのですから、話になりません。
 ほとんど負けと思ったところ、はじめからやる気のうすい蒙古軍が博多湾に引き揚げて休んでいるところを、突如として台風が襲ったのでした。まあ、日本は運が良かったのでしょう。
 私の子どものころ、「ムクリ、コクリ」という言葉を聞いた記憶があります。とても怖いものというイメージです。ムクリは蒙古、コクリは高句麗のことです。700年たっても、人の記憶って生きているんですね。
 いずれにせよ、30歳にもならない著者の想像力には脱帽してしまいました。 

(2009年8月刊。1600円+税)

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