弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年10月 7日

通訳ダニエル・シュタイン(上)

ドイツ

著者 リュドミラ・ウリツカヤ、 出版 新潮クレスト・ブック

 ユダヤ人であることを隠して、ゲシュタポに勤め、秘書として働いていたという実在の人物について書かれた本です。
 人間の心理にはびっくりするほどの不可解な側面がある。ユダヤの老人たちは、一生のあいだに数多くのポグロムや広場での集団銃殺を経験してきたのに、ナチスがユダヤ人絶滅作戦を計画的に組織していることを信じようとはしなかった。彼らは、あくまで一縷の望みにすがりつき続けた。
 ゲシュタポで仕事をするとき、ヒトラー総統への忠誠を誓った。そして、著者はゲットー絶滅作戦の決行日を知って、ゲットーに漏らしたのです。ところが、それを通報したユダヤ人がいました。その裏切りによって著者はナチスの少佐の前にひっぱり出されます。
 「なぜこんなことをしたのか。きっとポーランドの愛国主義者としてしたのだろう?」
著者は答えました。
 「私は本当のことを申し上げます。私はユダヤ人なのです」
少佐は頭を抱えてしまいます。
「署員たちの言っていたことは、本当だったのか。なんということだ…」ところが、この少佐は、続けてこうも言ったのです。
「君は勇敢で頭の良い青年だ。二度も死の危険を免れることが出来たじゃないか。もしかすると、今回も運に恵まれるかもしれない」
そして、著者を拘束した憲兵たちは、一緒に食事までしたのでした。そのあと、警察署内から見て見ぬふりをしてもらっているうちに逃走したのでした。ええーっ、本当なのかしらん…。びっくりするような話です。でも、恐らく本当のことでしょう。その上司はナチス党員でしたが、一番まともで、仕事ぶりも誠実だった。この少佐は、ユダヤ人を自らは一人も殺さなかったし、そのことを自慢げに著者に話していたのです。ナチス党員といっても、人間性を喪ってない人もいたのですね。ゲットーにいたユダヤ人500人が広場で銃殺されたとき、いったい神はどこにいたのか?
神は苦しむ人々と共にあった。決して殺人者たちと一緒にいることはなかった。
しかし、神が本当にいるのなら、そもそも、人間がそんなにひどいことをするのを許すはずはない。それ以来、シナゴーグへ一度たりとも足を踏み入れたことはない、というユダヤ人もいます。
ユダヤ人アイデンティティーの核心とは、脳の練磨を生きる意味とし、常に思考を発展させようと努力することである。それこそが、マルクス、フロイト、アインシュタインのような人々を生み出す原動力となった。こうした頭脳たちは、宗教的土壌から離れたほうが、もっと集中して良質な仕事をすることができた。
ユダヤ人自身が自分たちのことをどう定義しようと、実際には、彼らは外から定義される。ユダヤ人とは、非ユダヤ人が、「あれはユダヤ人だ」と考える者のことである。だから、キリスト教の洗礼を受けたユダヤ人も大目には見てはもらえない。彼らもまた虐殺の犠牲者となった。
そして、奇跡的に生き延びた著者は戦後、イスラエルの地でなんとなんとカトリック神父として活動したのです。いかにも不可解なことが連続して展開していきます。やや読みにくいのですが、書かれている内容に強くひかれて読み通しました。

日曜日の午後からチューリップ畑づくりに精を出しました。畳2枚分を掘り下げ、そこに枯草を入れ、EMボカシで処理した生ゴミをかぶせて、その上を土で覆います。
これまで晴天続きで地面がコチコチに固まっていてできなかったのですが、先週やっと恵みの雨が降ってくれました。来週チューリップの球根を植えます。


(2009年8月刊。2000円+税)

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