弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年10月 1日

ベトナム戦場再訪

社会

著者 北畠 霞・川島 良夫、 出版 連合出版

 アメリカのベトナム侵略戦争反対。こんなシュプレヒコールを何度と叫んだことでしょうか。東京・銀座の大通りを、夜中、両手を大きく広げてデモ行進したこともあります。なぜだか知りませんが、これをフランスデモと呼んでいました。元気一杯、私がまだ20歳になる前のことです。
 私が大学に入った1967年はアメリカ軍が50万人ものアメリカ兵をベトナムに送り込み、ジャングルでベトコン(ベトナム解放民族戦線)と死闘を繰り広げていました。
 テト攻勢で、ベトコン(これはアメリカの呼び名です。私は解放戦線と呼んでいました)の決死隊がアメリカ大使館を数時間にわたって占拠し、それがテレビで大々的に実況中継され、ベトコン強しを強く印象づけたものです。この決死隊は、やがて反撃に出たアメリカ海兵隊によって全滅させられました。
そんなベトナム戦争を毎日新聞の特派員として現地で取材中、カメラマンとともにベトコンに身柄を確保され、やがて釈放されたという体験を持つ記者が、そのときの写真を手がかりとして、40年ぶりに現地を再訪したのです。そして、驚くべきことに、写真に写っている一番若い兵士が生存していたのでした。
 ベトナム戦争を支えていたベトコンなるものの実体が、実は、どこにでもいるフツーの農民であったことがよく分かります。舞台はクチの近くです。クチはホーチミン市の郊外にある有名なベトコンの拠点であり、今では観光名所となっているところです。
 著者たちがベトコン兵士に拘束されたのは1967年6月のこと。私は東京で大学生活を始めたばかりです。ベトナム戦争ってアメリカが悪いと素朴な気持ちで思っていました。記者とカメラマンは銃も何も持っておらず、まもなく日本人ジャーナリストと判明して、数時間後に解放されます。そして、その帰り際、パイナップルをおみやげに持たされたのでした。この体験を著者は記事にして早速、日本に届け、6月27日の夕刊に大きな記事が毎日新聞に掲載されたのでした。脳天気な2人の笑顔写真まで載っています。といっても、この原稿はテレックスで送信検閲に引っかかるので、たまたま東京に帰る人をつかまえて、手荷物で運んでもらい、東京で投函してもらったのでした。
 40年後、ベトナムの現地にこのときの写真をもって訪ねたのです。この写真は、カメラが2台あり、自分たちを撮ってくれるカメラのシャッターと同時に別のカメラでベトコンの人たちを膝の上から撮ったものです。よくぞベトコンに気がつかれなかったものです。それにしても、ピントがよくあった写真です。
 写真に写っている4人のうち2人は死亡し、一人は消息不明で、一番若い兵士の所在がつかめました。不思議な縁です。まあ、人生、何事もあきらめずに試みてみるものだ、ということでしょうね。
 今では、ベトコンに拘束されたあたりはすっかり様変わりしていました。私が2年前にベトナムに行ったときもあまりににぎやかな大都市でしかなく、ここで、かつて戦争があっていたなんて、そんな印象はまったくありませんでした。
 生き延びた兵士は、サイゴン軍(アメリカ軍)の近くにいた方がかえって安全だったと言うのです。爆撃にあう心配がないからです。なるほど、ですね。
 いま、ベトナムは人口8520万人、そのうち30歳以下が6割、20歳以下で4割を占めている。若い世代が圧倒的に多い。ということは、長生きできないということなのでしょうか。それともベトナム戦争の後遺症なのでしょうか。
 ベトナムの若者に前に紹介しました『トゥイーの日記』が大変よく読まれているそうです。なんだか、ほっとしました。やっぱり過去は忘れてしまえばいいというものではありませよね。『トゥイーの日記』は実に泣けてくる本です。まだ読んでいない人は、ぜひ読んでみてください。ベトナム戦争の大変さがひしひしと伝わってきますから…。

(2009年2月刊。2200円+税)

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