弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年9月 4日

やつらはどこから

司法

著者 髙木 國雄、 出版 作品社

 うむむ、これはよくできた小説だ。思わず、唸ってしまいました。情景描写といい、筋の運びといい、とにかく冴えわたっています。感心、感嘆。私もこんな小説を書きたいと思いました。オビの文句を紹介します。まったく異存ありません。
 中学生の息子を襲う恐喝といじめ。税理士の父親への無法な強請り、たかり。現代日本に生起する荒廃の日常を活写する、現職弁護士による異色の小説集。
 6つの独立した短編集から成る本です。私より6歳年長の東京の弁護士です。
 あとがきによると、文芸同人誌に発表した11篇のうちの6篇に、少しだけ加筆・修正したものだということです。
 慌ただしく動き回ることと、その目的を精一杯果たしたいと焦燥に駆られる日常に、突然訪れたものであったからこそ、予期しない感動が鮮明だったのかもしれない。
 感動の本体は、人の言動であったり、ある物事自体であったりしたが、いったん確かに見聞し体験して触れたと思ったその中身は、時の経過とともに薄らいで、いつの間にか消えていった。それでも、書き進むという作業を繰り返す中でのほんのたまに、心の裡に感動の一部がよみがえったと思える瞬間があった。そのわずかな一時だけは、書くという手の作業が感動を確かに言葉に結びつけている、といった思いになれた。
 しかし、そんな充実した思いも長くは続かない。振り返ってみると、相変わらず馴れになってしまった、とりとめのない物事に埋没して動き回る日々を過ごしてきた。
 銀行の支店長に騙されて企業が倒産。DV夫から逃れようとする妻。頼まれて借金とり退治に精を出す坊さん。交通事故の真相を究明しようとするけれど、警察はそんなことにかまってくれない。
 他者をいじめる本性を持つのは、大人、子どもを問わず、狙う相手を探している。誰でもいわけではない、犠牲者は選別している。その選別のとっかかりとして、小出しに相手をつつき、叩いて、様子をうかがう。不条理な暴力や要求に断固として反発し抗議する相手方であれば踏み込めないのであって、反撃が弱く、態度があいまいな場合に限って、暴力はエスカレートする。つまり、いじめが本格化する。
 子ども社会で不条理な虐待を避けるには、その始期にはっきり反撃する態度、つまり仕掛けられたケンカへ正面からかみつき払い落す姿勢を身に着けているかどうかがポイント。いじめにあった子どもに共通するものは、最初の、いじめが始まるときに断固とした反発・反撃がまったくない、ということ。うむむ、なるほど、そういうことなんですね。
 ただ弁護士を長くやっていれば、立派な小説をかけるということではありません。やはり日常不断の研ぎ澄まされた感性が必要のようです。
 サンモリッツの3日目の夕食は、町の中心部にある広場に面した「ステファニィ」というレストランでとりました。店の外のテラス席です。メニューを眺めていると、日本語のもありますよと声がかかり、すぐに持ってきてくれました。
 魚は、舌ビラメのグリエ、そして肉は仔牛のチューリッヒ風というホワイトソースのたっぷりかかったものを注文しました。あと、サラダです。イタリアのワインを注文したら、カラフで持ってきましょうか、とボーイさんが言ってくれたので、お願いしました。
 観光客が広場をゾロゾロ歩いているのを見ながら、そして見られながら食事をするのです。虫は飛んできません。涼しいというより、少し寒さを感じるほどですので、イタリアの赤ワインを飲んで身体を温めました。
 子どもを連れた家族連れで、テーブルはどんどん埋まっていきます。日本人の大家族もやってきましたが、外のテーブルは満席なので、店内に案内をされました。広場に面した端のテーブルに中高年の日本人おじさん2人組も座りました。サンモリッツはどこでも日本人をよく見かけます。
 ワインを味わいつつ、道行く人を眺めながらゆったりと過ごしました。日本でこんな夕食をとることはありません。
 
(2005年1月刊。1500円+税)

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