弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年8月 2日

もう一つの日露戦争

日本史(明治)

著者 コンスタンチン・サルキソフ、 出版 朝日選書

 日本海海戦。東郷平八郎の対戦したロシアのバルチック艦隊の提督が、ロシアから日本海へ向かうまでの20日間に、ロシア本国にいる家族あてに出した手紙30通が残っていました。すごいことですね。しかも、その内容を読むと、ロシア側は敗戦必至を覚悟していたというのです。「無敵」と言われたバルチック艦隊のボロボロの内実があからさまにさらけ出されていて、憐れみと同情すら感じさせます。
 ロジエストヴェンスキー提督に対して、無残な敗北となった結果をふまえて、臆病者と激しくののしる声がロシア国内でかまびすしかったようですが、この本を読む限り、臆病者と決めつけるのはあたらないように思われます。ロシアのほうの皇帝以下、全般的な準備不足を提督一人の責任にしてしまうのは、公平を欠くというほかありません。
 バルチック艦隊がロシアを出たのは、1904年の10月2日。イギリスをまわり、ポルトガルを経て、アフリカをずっと南下していきます。南アフリカから喜望峰を経てマダガスカル島へたどり着いたのは、その年の暮れのこと(12月25日)。そして、ここになんと3月3日まで、2か月以上も滞留します。これも提督の意思によるものではありません。ロシア本国の指令なのです。そして、ようやくインド洋を経て、インドネシアからベトナムを経て、5月14日、ついに対馬海峡にたどり着きます。もうその頃には、バルチック艦隊は全員がへとへとの状態にありました。うへーっ、いくらなんでも、それでは勝てませんよね。
 日本との開戦前、クロパトキン陸軍相は、「朝鮮が原因でロシアが戦争をはじめるのは、ロシアにとって大きな災厄だ」と述べた。アレクサンドル皇帝は見直しを誤った。側近たちが皇帝の見直しを誤らせた。
 「日本には、戦争に打って出るだけの度胸がない」。このように、日本や中国との交渉では、一切の妥協を排する姿勢こそ最良の方法だとロシア皇帝は信じ込んでいた。ロシアは、戦争を望んではいなかったが、開戦したら勝利するとの見込みは持っていた。この戦争でロシアが勝てば、東アジアにおけるロシアの支配領域の範囲は大きく拡大するとロシア指導者の一部は想定していた。
 ロジエストヴェンスキー提督の個人的資質について、次のように高く評価する研究者がいる。
 彼は、部下が絶対的に信頼する司令官である。部下たちは、提督の勇敢さ、能力、人間性、持って生まれた清廉潔白さを疑うことはなかった。
 バルチック艦隊の実態について、アメリカの研究者(フォーク)は、次のように述べている。
 バルチック艦隊と呼べるほどの艦隊は存在しなかった。この艦隊には、未完成の新造艦もあれば、時代錯誤というべきオンボロ船も含まれていた。すべての船で、乗組員は訓練不足のうえ、定員も満たしていなかった。にわか作りで編成された艦隊は、種々雑多な艦船の寄せ集めにすぎず、これを文書の上に船の名前を並べ、軍事力として編成したに過ぎない。
 うひゃひゃ、そ、そういう実情だったのですね……。
 次に、ロジエストヴェンスキー自身の手紙を紹介します。
 「一歩すすむごとに問題が起こる。艦艇での故障、失策、拙劣な指揮、命令の不実行、無知、無能力、怠慢。この世に存在するありとあらゆる罪だ。なんとか蓋を閉めなければならない。次から次へと何かが起こり、もう耐えられないような状況だ。
 バルチック艦隊の艦艇のほとんどが長期航海の設備を整えておらず、石炭を十分に蓄えておけるだけの貯炭庫がなかった。一戦艦で、一昼夜に110トンもの石炭を消費したのに……。ひと言でいえば、今、目隠しで前進しているようなものだ。訓練も教育もない連中が、いったい何の役に立つのか、私にはわからない。それどころか、余計な負担であり、弱点になるだけだろう」
 艦隊には、反乱に近い騒ぎの空気が生まれていた。航海生活の厳しい諸条件、耐えがたい猛暑、炭じんに汚れる毎日の生活、ひどい食事がその背景にあった。しかし、最大の理由は、この先の航海に展開が開けないことだった。
 艦隊が崩壊しなかったのは、ひとえにロジエストヴェンスキー司令長官の功績だった。
 ロジエストヴェンスキーはあらかじめ弁解した。
 「私は悪党でもごろつきでもない。任務を遂行するために必要な人材、資材を与えられなかった司令官だっただけなのだ……」
 バルチック艦隊の前には、間違いなく破滅が待っていると確信していた。
 敗北は必至という予感にも関わらず、ロジエストヴェンスキーは目的地への航行を急いだ。間違いなくやってくる終焉を待つことの方が、終焉そのものよりも苦しいと感じていたのだ。次も提督が手紙に書いた言葉です。
 「マダガスカルに2ヶ月間停泊していたために、それから先の行動に蓄えておいた強力なエネルギーはすべて使い果たした。陸軍が完敗したという最新のニュースを知り、わが艦隊の乗組員たちの弱っていた精神力は、完全に参ってしまった。すっかり意気消沈してしまった者もいる」
 バルチック艦隊の大部分の指揮官たちは、無気力になるか、飲酒にふけるかのどちらかだった。ただ一人、ロジエストヴェンスキーだけが、思わしくない健康にもかかわらず、自分をしっかり律していた。彼だけが、艦隊内に生まれつつあった精神的瓦解をおさえることができた。
 ゴルバチョフ大統領の訪日団の一員であり、現在は日本で大学教授をしているロシア人の研究者による貴重な労作です。

(2009年2月刊。1500円+税)

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