弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年6月 7日

江戸の絵師、暮らしと稼ぎ

江戸時代

著者 安村 敏信、 出版 小学館

 この本の初めに、カラー図版の絵があり、江戸時代の豊かな文化を堪能することができます。ここでは、上方と江戸の元禄期を代表する2人の絵師、尾形光琳と英(はなぶさ)一蝶(いっちょう)が紹介されます。
 尾形光琳は、その生涯のうちに正妻をふくめて6人の女性に7人の子どもをもうけた。2番目の子を生んだという女性から、光琳は認知を求める訴えを起こされた。それで、家屋敷1ヶ所と銀10枚のほか、前年の「飯料」として銀500匁、諸道具・畳などを差し出して示談にし、そのかわり子が成人しても光琳の息子と主張しないことを認めさせた。
 うむむ、江戸時代にも認知請求の訴が起こされていたのですね。
 英一蝶は47歳から12年間、三宅島に流罪となった。しかし、江戸での人気は高く、江戸商人が島へ画材を送り込んで、さまざまな風俗画を描かせて、江戸で売りさばいた。
 江戸では流人となった一蝶の絵を求める人々がいた。絵具や紙・絹は江戸から送り込まれた。利にさとい江戸商人は、三宅島に一蝶画を買い付ける手を伸ばしていた。
 一蝶は江戸に戻ると、最上層の町人である樽屋新右衛門の字での振舞いに招かれ、また、お大尽の奈良屋茂左衛門の吉原遊興につきあい、幇間として完全復帰している。さらに、伊紀国屋文左衛門にも取り入っていた。
 すごいですね。江戸の町人文化のたくましさを改めて実感させられます。
 円山応挙(まるやまおうきょ)も日銭を稼ぐため、見世物小屋の眼鏡絵(めがねえ)を描いた。ふむふむ、武士も町人もそれなりにのびのび活動していたのです。
 江戸時代、女性も多くが絵筆をとっている。そうなんですか……。
 葛飾北斎は、生涯に93回の引っ越しをした。身なりも気にせず、粗末な家に住んだ。江戸時代の私生活を知る上で、視覚的にも参考になります。江戸時代の人々が必ずしも生活に窮々としていたわけではないというイメージを具体的に持つことのできる本です。

(2009年2月刊。1600円+税)

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