弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年3月27日

継体天皇、二つの陵墓 四つの王宮

日本史(古代史)

著者 森田 克行・西川 寿勝・鹿野 塁、 出版 新泉社

 継体天皇(大王)の実態を知るために、多くの図と写真があって、大変楽しく学べる本です。
 継体天皇が注目される理由の一つは、現在の天皇家につながる最初の天皇ではないかと考えられていることによる。
 天皇家の系統は実は3系統ある。えっ、日本って、万世一系の天皇が支配してきたんじゃなかったの……。そう思った人は、皇国史観に毒されています。それは間違った認識です。
 よく調べると、皇位継承が円滑にいかなかった時期が2回ある。第1回目は仲哀天皇から広神天皇の間で、2回目が武烈天皇から継体天皇の間。
 日本で馬の国産化が定着するのは400年代後半のこと。このころ朝鮮半島では高句麗が南下し、百済や伽耶諸国を圧迫する。500年ころからは、日本にも騎馬兵が増加する。古墳に副葬されたヨロイが短甲から桂甲、つまり徒歩用から乗馬用に変化した。
 継体天皇にとって、仏教の拡散は耐えがたい憂鬱だったと推測できる。継体天皇が死んで7年目(538年)に、仏教が日本に公伝した。
 鐘の縁に鈴を鋳造した鈴鏡(れいきょう)と呼ばれる一群の鏡が500年代前半の古墳から全国的に出土した。これは中国起源ではなく、日本独自のものである。鏡の周辺部にあとから鈴を溶接したものではなく、鋳型に金と鈴を同時に彫り込み、一鋳づくりで仕上げたもの。
 400年代前半ころから、古墳の副葬品に馬具がみられる。これらの馬具は、乗馬の風習がこのころ伝わって来たこと、馬具が当時の人々にとって非常に重要なものであったことを示している。
この本には、数多くの図版が入っているため、本来の古墳がどのように作られていたのかを容易に理解することができます。
 そして、朝鮮半島からの渡来系の人々が日本の有力な支配層になったことは間違いないと思いますが、いったい言葉はどうしていたのでしょうか。文字は、どうなのでしょうか。いろいろ疑問も湧いてきます。まあ、だからこそ本を読む楽しみは尽きないわけですが……。

(2008年8月刊。2300円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー