弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年3月 9日

原の辻遺跡

日本史(古代史)

著者 宮崎 貴夫、 出版 同成社

 壱岐島へ行ったら、ぜひ原の辻遺跡にも行ってみてください。一見の価値はあります。吉野ヶ里遺跡ほどのすごさはありませんが、古代日本が朝鮮半島そして中国と密接なつながりを持っていたことを実感させてくれる遺跡です。今では、立派な博物館もすぐ近くに併設されていて、解説によってさらに理解できます。
 原の辻遺跡は、「一支国(いきこく)」の中心となる王都であることが今では確定している。「一支国」は、3世紀の中国の正史「三国志」魏書東夷伝倭人の条。いわゆる『魏志倭人伝』に登場している国の一つである。「官を卑狗(ひこ)と言い、副を卑奴母離(ひなもり)という」「3千ばかりの家」があるとされている。他の国が「戸」という世帯数で表されているのに、一支国と不弥国のみ「家」というあいまいな表現になっている。これは、島民の航海のための長期にわたる海外出張や、大陸や本土からやってくる交易のための渡航者が多いため、人数が確定しにくく、魏の使者から人口を問われて、あいまいに答えたことによると考えられている。
 うへーっ、そんな違いがありうるのですか……。
 遺跡から、ココヤシ製笛、青銅製ヤリガンナ、権(はかり。チキリのこと)が出土した。環濠に棄てられた人骨は、男と女、子どもも含んでおり、北部弥生人や西北九州弥生人タイプも認められた。そして、人骨には関節がついた状態や刃物の痕跡も認められた。
 4世紀の壱岐をめぐる情勢は、高句麗が313年に楽浪郡を、314年に帯方郡を滅ぼし、315年に玄蒐城を攻破している。原の辻遺跡は、中国との対外交渉の場所である楽浪郡・帯方郡との足がかりを失ったことが決定的な打撃となった。また、日本列島のほうでは、中国の魏と西晋を後ろ盾とした「邪馬台国連合体制」から「ヤマト政権」への再編がすすんでいた。そのなかで原の辻遺跡の存立基盤が失われていた。
原の辻遺跡には、船着場跡がある。これは、日本最古であり、東アジアにおけるもっとも古い船着場跡でもある。原の辻遺跡には、楽浪系土器、三翼鏃(やじり)、五鎌銭(前漢)などの中国系文物も出土している。韓人、倭人のほか、楽浪漢人も訪れ、交易をしていたことが分かる。
 王奔の「新」14年に作られた「貨泉」も出土している。
 原の辻遺跡は、まだ10%が発掘されたにすぎないそうです。だったら、これからの発掘調査の進展が楽しみですね。
 現場は、だだっぴろい平野地帯です。人家もあまりありませんので、これからも続々すごい遺物が出てくるのではないでしょうか。大いに期待しています。
 土曜美に大分に行ってきました。夜、フグをしっかり賞味しました。いやあ、美味しかったです。フグ肝がこんなに素晴らしい味だとは思いませんでした。いえフグ肝を初めて食べたのではありません。とにかく形は大きいし、その柔らかさといい、とろけるほどの舌触りで、なんとも言えない絶品です。私の前にいた大分の弁護士は、だけどこれを食べ過ぎると痛風になってしまうんだよね、と言いつつ食していました。
 フグ刺しも身が厚くて、ネギを巻いて堪能しました。あっ、フグの唐揚げも絶妙な味でしたよ。それに、あのヒレ酒が出てきたのですが、これがまたなんとも言えぬほどのまろやかな味わいで、ついついおかわりを所望したくなるほどでした。ごちそうさま。
(2008年11月刊。1800円+税)

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