弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年2月26日

天皇・天皇制をよむ

日本史(現代史)

著者 歴史科学協議会、 出版 東京大学出版会

 実在の大王(いまの天皇)と確認できる6世紀から7世紀までの大王の即位年齢は、男女ともに40歳以上。国政関与の経験を豊かに持ち、統率者としての資質・能力を備え、血統上の条件を満たす者が男女を問わず、群臣に要請されて大王となった。8代6人の女性天皇(大王)は、単なる「中継ぎ」というものではない。
 終戦時、天皇家の持つ財産は37億円もあり、三井・宮崎のような財閥家よりはるかに大きかった。そのうえ、国から毎年450万円も支給されていた。戦後の皇室費は、61億円(2008年度)になっている。昭和天皇が死んだときの財産は20億円だった。
 古代の大王・天皇の継承ルールは、時代とともに変化し、皇位継承の在り方を定めた明文はなかった。はじめは直系継承が基本であり、その後、兄弟間の継承となり、再び直系継承となって、その後は兄弟継承と直系継承とが入り混じるようになった。
 平安京を作り上げた桓武天皇は、母が渡来系氏族であったという脆弱さがあった。そこで、遷都と征夷という大事業にあたって桓武が頼りにしたのは、豊富な経済力と学識・技術をもっていた渡来系氏族だった。
 この本では、織田信長が天皇制を消滅させようとしたことはないとしています。
 天皇・朝廷を消滅させることなど、信長も秀吉も家康も誰も考えてはいなかった。対立や緊張はあったとしても、武家政権は天皇・朝廷を排除するのではなく、これを構造的に組み込み、公武が一体化して一つの王権を構成していた。これを公武結合王権と呼ぶ。
 江戸時代、武家への官位叙任は、実質的には将軍に権限があった。しかし、形式的ではあるが、最終的には天皇にも権限があった。将軍と天皇は、お互いに相手を排除して冠位叙任権を一元化しようとはしていない。両者は、ともに相手の権限を前提とし、それを自らの権限の補完材料としていた。
 徳川氏は、征夷大将軍として、武家の棟梁という顔と、もう一つ日本国王という顔をあわせもっていた。つまり、国王は天皇と将軍の2人なのである。
 幕末のころ、江戸の民衆の中に天皇を神権的な権威があるとして尊崇する見方はまれだった。
 天皇と皇族には、日本国憲法の人権規定がまともに適用されないことになっている。
 そうなのです。天皇って、ちゃんとした名前もなければ、人格も、人権も保障されないという特別な存在なのです。いつまで、このような存在が存続するのでしょうか……。
 月曜日に帰宅すると、大型封筒が届いていました。1月に受けた仏検(準1級)の結果の通知です。あれっ、おかしいな、大失敗したと落ち込んでいたのに……と思いました。不合格のときにはハガキが来るのです。前回は2点不足して不合格でした。今回、大型封筒で来たということは……、まさか、と思いましたが、やっぱり合格証書でした。うれしかったです。ダメだと思っていたのですが、トツトツながら話を続けたのを評価してもらえたようです。これで、フランス語の勉強を続けていく元気が出ました。
 仏検3級に合格したのは1990年2月、2級に合格したのは1994年7月のことでした。準1級の合格は2度目です。ペーパーテストには4回から5回合格しているのですが、このところ面接試験で落ち続けてきました。
 いま、NHKラジオ講座は『カルメン』を取り上げています。ドン・ホセとカルメンのやり取りをフランス語で聞き取り、書いています。頭のリフレッシュには最高です。

(2008年5月刊。2800円+税)

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