弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年2月28日

桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった

日本史(戦国)

著者 藤本 正行、 出版 洋泉社新書y

 桶狭間(おけはざま)というと、谷底のような低地というイメージがあります。しかし、実際には、桶狭間山という丘陵地帯に今川義元は陣を置いていた。そして、信長は、堂々たる正面攻撃で今川軍を打ち破った。
 信長は、遺棄された義元の塗輿を見て、「旗本はこれだぞ、これを攻撃せよ」と命じた。ここまでは最初の攻撃で破った今川軍を追撃するのに夢中で、義元を捕捉できるとは考えてもみなかったはずだ。
 決戦は雨上がりに始まった。信長は空が晴れるのを見て、鑓(やり)を取り、大音声(だいおんじょう)をあげ、「かかれ、かかれ」と命じた。信長の軍勢が黒煙を立ててかかってくるのを見た今川軍は、後ろにどっと崩れた。
 今川軍は、初めは3百騎ばかりが真丸になって義元を囲み、退却を始めたが、信長軍の追撃を受けて、二度三度、四度五度と踏みとどまって戦ったものの、次第しだいに人数を減らし、ついには五十騎ばかりになった。そこで、信長軍の若者(服部小平太)が義元に切りかかり、毛利新介が義元の首をとった。
 以上は『信長公記』による。今川義元の出動は、京都に上洛して天下に号令するためという説があるが、本当は、信長との領国拡張競争で境目の城の取り合いをして衝突したということである。当時の史料で「天下」という言葉は、日本全国ではなく、京都を中心とした畿内近国を意味している。
 著者は、「奇襲」説は明治32年に参謀本部が刊行した『日本戦史・桶狭間役』に、信長の奇襲が大成功したとあることによるものだが、それは、資料にもとづかない創作だとしています。この本は、信長の家臣だった太田牛一(おおたぎゅういち)の『信長公記』(しんちょうこうき)を良質の史料として、それに全面的に依拠していますが、なるほどと思わせるものがあります。
 豪雨のなか、信長がわずかな手勢で義元の本陣に突入して義元の首を挙げたという通説のイメージは確固たるものがありますが、どうやら戦前の参謀本部に騙されているだけのようです。
(2008年12月刊。760円+税)

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2009年2月27日

弁護士ムッチーの事件簿

司法

著者 宮田 睦奥雄、 出版 夢企画大地

 愛知県の春日井市に法律事務所を構えている弁護士による、取り扱った事件の顛末記です。大変面白く、また、大いに勉強にもなりました。
 春日井市には地方裁判所の支部はなく、簡易裁判所しかない。したがって、ほとんどの訴訟事件は名古屋まで出かけることになる。弁護士にとっては大変不便ではあるけれど、依頼者の身近にあり、敷居の低い事務所をめざして、あえてこの地に事務所を構えてもう25年になる。いやはや、これってたいしたものですよ。なかなか出来ることではありません。
 法律事務所「友の会」というのをつくった。会員になると、初回の法律相談は無料という特典が受け、会員数は500人をこえる。「友の会」は、コンサートや芝居、講演会、そしてハイキングや山登り、小旅行、ゴルフコンペなどもしている。そして、「友の会」会報を年に4回発行している。そこに宮田弁護士が「私の事件簿」を連載してきたもののなかから、今回の本ができあがった。すごいですね、大したものです。
 相続のとき、特別縁故者として相続財産をもらうため、本来の相続人に相続放棄をお願いしたという話も出てきます。すると、本来の相続人からこころよく「協力します」と言ってもらえたのでした。この話を私の所に来た相談者に紹介すると、目をまん丸くして「そんなことがあるのですか。信じられません」と目をむいて驚いていました。
 宣誓供述書という方式で重要証人の証言を残しておくという方法があることを思い出しました。公証人が供述書の作成者にその記載が真実であることを宣誓させたうえで、その供述書に根拠をあたえるもので、証拠保全の手段の一つです。私は、まだ使ったことがありません。
 読むと、ほんわか元気の出てくるあったかい本です。ムッチーこと宮田先生、これからも元気にがんばってください。

(2008年8月刊。2000円+税)

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2009年2月26日

天皇・天皇制をよむ

日本史(現代史)

著者 歴史科学協議会、 出版 東京大学出版会

 実在の大王(いまの天皇)と確認できる6世紀から7世紀までの大王の即位年齢は、男女ともに40歳以上。国政関与の経験を豊かに持ち、統率者としての資質・能力を備え、血統上の条件を満たす者が男女を問わず、群臣に要請されて大王となった。8代6人の女性天皇(大王)は、単なる「中継ぎ」というものではない。
 終戦時、天皇家の持つ財産は37億円もあり、三井・宮崎のような財閥家よりはるかに大きかった。そのうえ、国から毎年450万円も支給されていた。戦後の皇室費は、61億円(2008年度)になっている。昭和天皇が死んだときの財産は20億円だった。
 古代の大王・天皇の継承ルールは、時代とともに変化し、皇位継承の在り方を定めた明文はなかった。はじめは直系継承が基本であり、その後、兄弟間の継承となり、再び直系継承となって、その後は兄弟継承と直系継承とが入り混じるようになった。
 平安京を作り上げた桓武天皇は、母が渡来系氏族であったという脆弱さがあった。そこで、遷都と征夷という大事業にあたって桓武が頼りにしたのは、豊富な経済力と学識・技術をもっていた渡来系氏族だった。
 この本では、織田信長が天皇制を消滅させようとしたことはないとしています。
 天皇・朝廷を消滅させることなど、信長も秀吉も家康も誰も考えてはいなかった。対立や緊張はあったとしても、武家政権は天皇・朝廷を排除するのではなく、これを構造的に組み込み、公武が一体化して一つの王権を構成していた。これを公武結合王権と呼ぶ。
 江戸時代、武家への官位叙任は、実質的には将軍に権限があった。しかし、形式的ではあるが、最終的には天皇にも権限があった。将軍と天皇は、お互いに相手を排除して冠位叙任権を一元化しようとはしていない。両者は、ともに相手の権限を前提とし、それを自らの権限の補完材料としていた。
 徳川氏は、征夷大将軍として、武家の棟梁という顔と、もう一つ日本国王という顔をあわせもっていた。つまり、国王は天皇と将軍の2人なのである。
 幕末のころ、江戸の民衆の中に天皇を神権的な権威があるとして尊崇する見方はまれだった。
 天皇と皇族には、日本国憲法の人権規定がまともに適用されないことになっている。
 そうなのです。天皇って、ちゃんとした名前もなければ、人格も、人権も保障されないという特別な存在なのです。いつまで、このような存在が存続するのでしょうか……。
 月曜日に帰宅すると、大型封筒が届いていました。1月に受けた仏検(準1級)の結果の通知です。あれっ、おかしいな、大失敗したと落ち込んでいたのに……と思いました。不合格のときにはハガキが来るのです。前回は2点不足して不合格でした。今回、大型封筒で来たということは……、まさか、と思いましたが、やっぱり合格証書でした。うれしかったです。ダメだと思っていたのですが、トツトツながら話を続けたのを評価してもらえたようです。これで、フランス語の勉強を続けていく元気が出ました。
 仏検3級に合格したのは1990年2月、2級に合格したのは1994年7月のことでした。準1級の合格は2度目です。ペーパーテストには4回から5回合格しているのですが、このところ面接試験で落ち続けてきました。
 いま、NHKラジオ講座は『カルメン』を取り上げています。ドン・ホセとカルメンのやり取りをフランス語で聞き取り、書いています。頭のリフレッシュには最高です。

(2008年5月刊。2800円+税)

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2009年2月25日

チェ・ゲバラ、ふたたび旅へ

アメリカ

著者:エルネスト・チェ・ゲバラ、 発行:現代企画室

 チェ・ゲバラがキューバ革命戦争に参加する前、南アメリカから中部アメリカを旅行した時の日記が再現されています。いかにも青年らしい無鉄砲な旅の日記です。
 旅は、1953年7月に始まります。
 ありとあらゆる種類の失敗をやりつくし、相変わらず無駄な期待ばかりさせられている。ぼくは間違いなく楽観的運命論者タイプだ。最近はぜん息に悩まされて過ごしている……。
 怠惰という、ぼくの悪癖がたいして改善されないまま、また一日が過ぎた。
 チェ・ゲバラは1955年7月末、メキシコ・シティでフィデル・カストロに出会いました。このときのことを日記に次のように書いています。
 政治的な出来事といえば、キューバ人革命家のフィデル・カストロに出会ったこと。若くて聡明で、非常に自信家であり、普通では考えられないような勇敢さをもった青年だ。お互いいに気があったと思う。
 この本には、旅行中にゲバラ自身が撮った写真、そしてゲバラの写った写真がたくさん紹介されています。ゲバラのとった写真を見ると、ゲバラが中南米の古代歴史に深い関心を持っていたことが分かります。また、写真のゲバラは本当に好青年です。眼が輝いています。知的魅力にあふれています。幼いころからのぜん息もちだったので、それが悩みだったようです。
 母親への手紙のなかで、ゲバラは次のように書いています。
 知ってのとおり、ぼくはいつでも思い切った決断をするのが好きで、……。ぼくのアメリカ嫌いは1グラムも減っていないけど、ニューヨークぐらいはよく知っておきたいですね。それでどういう結果になるかなんてぜんぜん恐くないし、絶対、入国するときと同じくらい反ヤンキー主義のままで出てきますよ(もし入国できればの話だけど)。
 次は、友人に対する手紙です(1956年10月)。
 だいぶ前に、何人かの革命キューバ人青年たちに、ぼくの医学の知識で運動を支援してくれないかと誘われたので、引き受けました。なぜって、今さら言うまでもないことだと思うけど、これこそぼくがやりたかった仕事なんです。
 先日、福岡でチェ・ゲバラを描いた映画の第一弾を観ました。キューバ革命戦争に従事し、山の中のゲリラ戦が次第に勝利していき、ついに町に攻め込み、ついに首都を開放していく過程をたどっています。戦闘場面が多く、ゲバラの内面の紹介が少ない気はしましたが、困難なゲリラ戦のなかでも本を読んで学習を忘れないゲバラはさすがでした。
 そして、印象深いのは、キューバ解放後、ニューヨークの国連本会議場での演説シーンです。「祖国か死か」と叫んで演説は終わるのですが、そのあと、中南米各国代表から批判されます。それに対して、ゲバラが一つひとつ冷静に的確な反論を展開していくのです。見事なものです。すごいなと思いました。

(2008年9月刊。933円+税)

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2009年2月24日

名もない顔もない司法

司法

著者 ダニエル・H・フット、 出版 NTT出版

 はじめに出てくる椅子と靴の話が私にとって衝撃的でした。アメリカの最高裁法廷の写真をよく見ると、そこに並んでいる椅子は、その大きさと形が微妙に違っているのです。つまり、日本の最高裁の法廷(これは、私も2度、現物をこの目で見たことがあります)には同じ規格の椅子しかありません。もちろん高裁以下の地方裁判所でもこれは同じことです。ところが、アメリカでは裁判官が自分の好みで、好きなように高さも形も選べるのです。
 靴の話は、なんと、日本の最高裁判事は、専用車に乗るばかりで歩くことがまったくないので、10年間に買い求めた靴が一足だけだったという、とても信じられない話なのです。
 このように、日本の裁判所では、裁判官は名も顔もなく、誰が事件を担当しようと判決は均一であるという考えが根強い。
 日本の裁判所に対し、自民党がその政治的意向を直接伝えることは決してないが、最高裁の事務総局は自民党の政治的意向をよく理解している。事務総局は、配置転換や昇進の制度を用い、自民党の意向に従う裁判官に利益を与え、その意向に反する裁判官に不利益を与えることによって、自民党の無言の命令を実現する。その結果、この動機づけの枠組みが裁判官に対して政治的圧力をかけることになる。いや、まったく、そのとおりでしょう。最高裁はあれこれ弁明するでしょうが、事実その通りなのですから、動かし難い真実です。
 日本で弁護士が裁判官になりたがらない理由が、アメリカとの比較で明らかにされています。
日本の裁判官は目立たない態度を取ることが期待され、実際にも目立たない。アメリカでは裁判官は人の注目をあびる職業である。裁判官が目立ち、一般市民がそれを認めていることが、アメリカの裁判官に与えられている栄誉を日本よりも実体のあるものにしている。これに対して、アメリカでは大規模な法律事務所に属する弁護士は、巨大なマシンの歯車の一つにすぎない。弁護士は、上司やほかの弁護士から常に監視されている。そして、アメリカの弁護士はノルマを常に意識し、報酬請求時間についてのプレッシャーを常に受けている。アメリカの弁護士は、仕事の態度や服装に至るまで監視され、年単位で評価されている。
 ところが、アメリカの裁判官は、自分以外に上司のいない自由な立場にある。ふむふむ、なるほどですね。
同じように、日本の弁護士は大きな自由を持っている。これに対して、日本の裁判官は巨大な組織の一員である。裁判官は年次評定され、それが昇進、配転などで大きな意味を持っている。日本の裁判官の自由は、日本の弁護士と比べて制約されている。うむむ、そうなんですよね。
下級裁判官の再任審査に国民の意思を反映させる手続が出来たといっても、その透明性が実現されているとは言いにくい。
この点は、私も少しばかり関与していますので、まったく同感だと声を大にして叫びたいと思います。裁判所はいまだに法曹三者と一部の「有力市民」の声を聞けば十分という考えであり、ユーザーである市民の声を広く聞こうという姿勢がきわめて弱いのが実情です。
たとえば、どの裁判官が毎年ある再任審査の対象になったかという基本的な事実さえ裁判所は一般公開していません。裁判所の再任を希望したのに拒否されてしまったら、それはプライバシー保護の対象として明らかにすべきではないというのがその理由です。とんでもない言い分です。私は、裁判所や弁護士会のホームページにおいて、10年ごとの再任審査対象となった裁判官の氏名と所属裁判所、おもな判決の要旨が公開されるべきだと考えています。
 再任審査にあたっての議事録も簡単すぎて、誰が何と言ったのかもわかりません。なぜ、その裁判官が再任を拒否されたのかも分かりません。これでは、裁判に対する国民の信頼が高まるはずもありません。
アメリカでは毎年500万人のアメリカ人が陪審員選任のために呼び出されて裁判員にやってくる。そのうち100万人が実際に陪審員として選任される。これに対して、裁判員裁判では、日本人の最大3万人ほどが裁判員として関与するのみ。これでは少なすぎる。ううむ、そ、そうなんですけど……。
裁判員裁判について、こんなわずらわしい手続に読んでほしくない、人を裁きたくない、嫌だという人が少なくありません。でも、民主主義というのは面倒なことから逃げたらいけないということでしょ。昔は選挙権だって、フツーの市民にはなかったのです。バカな市民に選挙権なんか与えたら、とんでもない国会議員が生まれてメチャクチャな政治がおこなわれることになる、そう言って反対した人たちがいました。
国の主人公として、さばく立場に立つことは権利でもあり義務でもあるのです。どうぞみなさん、ぜひぜひ裁判員としての呼び出し状がきたら、なんとしても裁判所に来て下さいね。そして、市民感覚を裁判に活かしてください。論理に強い裁判官も、事実には弱いのです。裁判員裁判はぜひ成功させたいと思います。
(2007年1月刊。1800円+税)

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2009年2月23日

日本紀行

日本史(明治)

著者:イザベラ・バード、 発行:講談社学術文庫

 明治のはじめ、日本を女性ひとりで旅行した女性の日本観察記です。
 日本ほど、女性がひとりで旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はないと思う。著者はそう断言しています。うひゃあ、そ、そうなんですかねー・・・。
 日本は花々が大変豊富で、とくに花の咲く灌木に富んでいる。つつじ、椿、アジサイ、モクレン、あやめ、牡丹、桜、梅など。そうなんですよね。我が家の庭にも、椿、アジサイ、モクレン、牡丹、桜、梅があります。四季折々に見事な花が咲き誇り、目を楽しませてくれます。なんとなく心に潤いを感じます。これこそ田舎に住む良さです。
 日本の馬は貧弱で哀れな獣。恨みがましく狡猾な動物で、のろのろと動く、寝ころがる、よろめくの3つの動きで、人間の忍耐力を試そうとする。ひゃあ、そんな……、ここまでいったら、なんだか可哀想ですよ。
 臆病な日本の黄色い犬は、夜間に吠える癖が強い。ええーっ、そうですかね……。
 日本の内陸に住む人々は親切でやさしくて礼儀正しい。ふむふむ、なるほど。
 物乞いや暴徒が日本にはいない。女性は男性のいるなかを、まったく事由に動きまわっている。子どもは父親からも母親からも大事にされている。女性は顔を隠さず、地味な顔だちをしている。だれもが清潔で、きちんとした身なりをしている。みんな、きわめておとなしい。礼儀正しくて、秩序がたもたれている。いやあ、そうですね。日本の女性って、昔から強いのです。弁護士になって35年間、日々、それを実感しています。
 日本人の鼻はぺったんこで、唇は厚く、目は斜めに吊り上がったモンゴル人種のタイプ。これまで会ったなかで、もっとも醜くて、もっとも感じのいい人たちであり、もっとも手際がよくて器用だ。うむむ、これは納得できそうで、できませんが……。
 日本の商店で、買い物をするとき、うるさい値引きの交渉はひとつもない。ふむふむ。
 秋田県の久保田にも地方裁判所がある。司法制度の改革とともに、弁護士が続々と誕生している。ここは、えらく訴訟好きの町ではないかと思えるほど弁護士がいる。法律関係の職業は、たいがいペンをつかうことに長けた士族の好む職業となりつつある。弁護士の免許料は約2ポンド。これは、もうかる職業に違いない。うむむ、昔の秋田にそれほど弁護士がいたなんて……。今は少ないです。
 学校のない地域で子どもたちは教育を受けないままになっていると思っていたが、それは間違いだった。おもだった住民が子どもたちに勉強を教えてくれる若い男を確保し、ある者は衣服を、別のある者は住居と食事を提供する。それより貧しい人々は、月謝を支払い、もっとも貧しい人々は無料で子どもたちに教育を受けさせられる。これは、とてもよくある習慣のようだ。小繋(こつなぎ)では、30人の勉強熱心な子どもたちが台所の一隅で授業を受けていた。ここは、あとで、入会権の裁判で有名になったところです。
 日本の女性や子どもたちが伸びのびと生きていたことをよく教えてくれる本です。
 きのうの日曜日の朝、春雨が降りだす前に春告鳥(はるつげどり)が美しい音色の声を爽やかに響かせてくれました。そうです。ウグイスです。ホーホケキョと済んだ声でした。梅の花も満開、やがて春の初市の季節です。
 今朝の新聞の書評コーナーに私の本が紹介されていました。あまり売れていない本なので、とてもうれしく思いました。元気の出てくる朝でした。

(2008年4月刊。1500円+税)

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2009年2月22日

実録アングラマネー

社会

著者 有森 隆+グループK、 出版 講談社α新書

 山口組若頭の宅見勝は1997年8月、神戸のホテルで4人組の暗殺団に射殺された。享年61歳。宅見は配下に企業舎弟を数千人もち、3200億円の資金力を誇り、オールジャパンの裏経済を支配していた。
 東京都内だけで、暴力団のフロント企業は1000社以上ある。この数字は警視庁が確認したもの。金融、不動産、建設がフロント企業の御三家。風俗、飲食、自動車販売、産廃処理、経営コンサルタント、そしてコンビニ、ペットショップ、俳優養成学校、探偵、人材派遣など……。うひゃあ、す、すごい分野にまで進出しているんですね。驚きました。
2007年現在の暴力団員は8万4200人。正式構成員が4万3300人。準構成員は、
1995年に3万2700人だったのに対して、それから3割も増えている。暴対法は、山口組への一極集中を生んだ。山口組と住吉会と稲川会の3団体で、今や暴力団の73%を占め、寡占化が進んでいる。
 山口組の上納金は幹部クラスで月100万円、他の直系組長で月80万円。
 旭鷲山が引退したのは、暴力団の住吉会系組長に脅迫されたから。モンゴルの金鉱山の開発利権をめぐって、住吉と関西系に2重売りしたのが発覚してのことだった。うむむ、なーるほど、そういうことだったのですか。
 英会話教室最大手のNOVAで創業社長が追放されたのは、資金調達を闇の勢力に頼ろうとしたからだった。猿橋前社長は、業績不振のワンマン銀行の頭取を巻き込んで、見せ金増資を錬金術の舞台につかった。見せ金増資に協力するという名目で、巨額の融資を銀行から引き出そうとしたのである。いやいや、とんだことです。大勢の真面目な教師と生徒が泣かされましたね。
 海軍鎮守府が於かれた横須賀で、沖仲士を取り仕切る近代ヤクザとして生まれたのが小泉組。軍港ヤクザの小泉組の2代目、小泉又次郎が、あの小泉純一郎の祖父である。
 いやはや、現代日本社会って想像以上にヤクザに食いものにされていますよね。知らぬが仏、とはこのことです。仏といえるかどうかは、私たち次第ですが・・・。
(2008年10月刊。933円+税)

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2009年2月21日

パラダイス・イデオロギー

朝鮮

著者 渡邊 博史、 出版 窓社

 奇妙な写真のオンパレードです。通りに人がいません。当然そこにあるべき雑踏というものが見あたらないのです。ええーっ、いったい、人民、いや、民衆はどこに行ったの・・・、と、つい疑問に思ってしまいます。
 街角に映画館があります。タイトルには「海賊王」という漢字が読めます。でも、通行人がまったくいません。不思議です。まるで映画撮影のためのスタジオのようです。黒沢明監督の映画「酔いどれ天使」の看板もかかっています。でも、そこに登場するのは、ホーキをもった清掃のおばちゃん一人です。「乳房拡張美容器店」とか「神経痛」という看板を掲げた店もあります。でも、誰もうつっていません。明るい昼日中の写真なのに、人っ子ひとり歩いていない商店街なのです。あたかも中性子爆弾が落とされて、人間だけが消滅してしまった町並みを撮った写真です。
 偉大なる金正日将軍のどでかい絵の前に、わずかに通行人がいます。そして、大きなビルの前の広場に何かのパフォーマンスを見ている着飾った観客がいます。でも、奇妙です。みんなあまりにも着飾っています。普段着の人が見あたらないのは、やはり居心地の悪さを感じさせます。
 地下鉄のホームには、わずかに雑踏らしきものを感じさせます。それでも、ホームの床があまりにもピカピカすぎて、ふだんは人が利用していないんじゃないの、そうとしか思えません。
 異例づくめの写真集です。大勢の美男・美女がかしこまって出てきます。そこには、残念ながら、暖かい人間味がちっとも感じられません。地上の楽園(パラダイス)というには、あまりにも人工的な、こしらえものの「楽園」としか思えません。
 北朝鮮っていう国は、やっぱり異常な国だと、つくづく思わせる写真集です。

(2008年12月刊。3800円+税)

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2009年2月20日

最後のウォルター・ローリー

世界(ヨーロッパ)

著者:櫻井 正一郎、 発行:みすず書房

 ウォルター・ローリーはイギリスでは有名な人物だそうです。と、言われてもピンと来ませんでした。ところが、映画「エリザベス、ゴールデン・エイジ」を見た人は分かるでしょ、と言われると、はたと思い出しました。たしかにエリザベス女王に世界を航海する楽しさを力説する男伊達の近衛隊長が登場し、エリザベス女王をうらやましがらせるのです。そう、その近衛隊長こそ、この本の主役であるサー・ウォルター・ローリー、その人なのです。
ウォルター・ローリーは、なんと1618年10月29日、ロンドンで断首されます。ところが、その直前に45分間にわたってスピーチしたのでした。そして、そのスピーチのおかげで、生前のローリーの悪評判は一転し、その死後、ローリーはヒーローのようにもてはやされることになったというわけです。
 ええーっ、死刑に処されられる罪人が、公衆の前でスピーチする、それも、45分間もスピーチできたなんて、ウソでしょ。そう思いたくなるのですが、スピーチを聞いた人が何人もいて記録しているのですから、これこそ歴史的な事実なのです。なぜ、そんなことが可能だったのか。この本は、それを解き明かします。
 ローリーが処刑されたのは、スペイン嫌いに原因があった。エリザベス女王からジェイムズ1世の時代になって、スペインとの宥和政策がとられるようになると、ローリーがスペインと衝突していたことから、スペインはイギリスに対しローリーを死刑にせよと要求し、ジェイムズ1世は、それを呑むしかなかった。
 ローリーは、エリザベス女王の侍女と秘密裏に結婚し、それが女王に露見して、ロンドン塔に入れられた。そして、エリザベス女王が死んでジェイムズ1世が即位したあと、陰謀事件に連座してローリーは死刑判決を受け、ロンドン塔で13年間を過ごした。この13年のうちに、ローリーは「世界の歴史」を書き上げた。
 ローリーは、処刑されたとき64歳。10月29日の早朝、教誨師が訪れた。朝食をとり、白ワインを飲んだ。このころ、囚人は処刑される前に必ず白ワインを飲んだ。
 ローリーは、断首台にのぼって、できないかもしれないと思っていたスピーチができた。スピーチは午前8時過ぎから45分間に及んだ。処刑は公開で、処刑場に居合わせた人々が一部始終を書きとめた。ローリーは、処刑のあと崇拝されて聖者になった。急転して、そうなったのだ。ローリーのスピーチは、体制に寄り添うように見せかけながら、その実質は体制に対立していた。ローリーのスピーチの意義は、早い時期における王権への抵抗にあった。というのも、処刑台に登った罪人たちは、決まったスピーチと決まった仕草ができるように、しかも心の底からそれができるように教化されていた。決まった筋書きに従ってスピーチがなされたので、処刑台は芝居の舞台、囚人は役者に等しかった。より多くの庶民が、仲間の死から学んで、国王と政府と教会に従順になることが期待されていた。
 恐らくジェームズ1世の判断停止によって、ローリーは念願のスピーチができた。不覚にも掘られてしまった小穴が、絶対王制という大河の、堤防がやがて決壊するのを助けたことになる。
 なーるほど、そういうことだったのですか・・・。歴史の皮肉というか、めぐりあわせなのですね。

(2008年10月刊。3800円+税)

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2009年2月19日

「生きづらさ」の臨界

社会

著者 湯浅 誠、河添 誠、 出版 旬報社

 現代日本において、若者は自らの労働によって生活を成り立たせることが困難になっている。それは賃金水準が低いこともあるが、同時に、その労働環境があまりに劣悪で、それによって生活そのものが暴力的に破壊されているからである。
 貧困に陥った人は、自分自身で新しい仕事に対応する自信が持てないため、せっかく探した仕事も数日で自分から辞めてしまうことがある。これを「意欲の貧困」という。貧困のなかで、意欲までも奪われている。なるほど、そういうことなんですね。貧困というのを単に現象面のみでとらえるのではなく、人間の内面にまで踏み込んで考える視点が必要なようです。
 「不器用」というのは、具体的には、人間関係の作り方が極端に下手な人というイメージである。家族の基礎体力を、まずは高めるところからやらないといけない。家庭の基礎的な所得とか生活条件の整備が必要である。
 貧困な状態とは、生きる上での生活資源(溜め)が減少している状態である。「不器用さ」は、貧困のなかで階層的に生産されていく。非正規雇用が拡大して階層化が進めば進むほど、階層の固定化、貧困の再生産の程度が強まっていく。
 新自由主義は、あらゆるもの、市場外だったはずの領域まで市場化していく運動である。ふむふむ、鋭い指摘ですよね、これって……。
 1960年代半ばまで、生活保護を受けている人の4割は、働ける年齢の人たちだった。ところが、今は、働ける人が生活保護なんて論外だと、突っぱねられる。
人々は、どうしても貧困問題に関して「この人は救済に値するかどうか」を問題にしてしまう。それに値する人だけが救済されるべきだという発想は恩恵の論理であって、人権ではない。24時間がんばり続ける者だけが「救済に値する」という枠組みは突破される必要がある。そうでないと、そんなに「立派じゃない」貧困当事者は声を上げられないままになってしまう。ううむ、この点は、私にとっても痛い指摘でしたね。誰だって楽したいとか怠け心は持っているわけで、ありのままの状態においてその人の持つ固有の権利として保護されるべきだというわけです。
 正規になりたくない非正規の人は相当数いる。それは、正規がひどいから。生活保護を受けていない人たちの状況は、就業していても、高いストレス、長時間労働で、ぎりぎりのところで暮らしている。就業していたとしても、こうした非人間的な労働条件が標準化されている。
 もはや、雇用と生活の安定が多くの人にとって必然的な結びつきをもたなくなった。働いていれば食べていけるというのは神話になった。
企業は利潤を追求する目的集団であり、その目的に人々の生活の安定は入っていない。働いていれば食べていける状態の創造は、企業の目的外行為であり、目的外行為を行わせるためには、社会の規制力が働かなければならない。
 今や、現代日本で働くことの意義が問い直されていることがよく分かる本でもありました。
(2009年1月刊。1500円+税)

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2009年2月18日

CIA秘録(上)

アメリカ

著者 ティム・ワイナー、 出版 文芸春秋

 CIAのおぞましい歴史が次々に明らかにされています。腐臭プンプンで、読み続けるのが厭になってしまいますが、目をそらすわけにはいかないと思い、読みすすめました。
 CIAの秘密工作は、おおむね闇夜に鉄砲を撃つようなものだった。CIAは海外での失敗を隠し、アイゼンハワー大統領にもケネディ大統領にも嘘をついた。ワシントンでの自分たちの立場を守るためだ。CIAは、大統領が聞きたくないことを取り入れることが危険であることを学んでいた。
 CIAはソ連の内実を知るスパイを一人としてリクルートできたことはなかった。スパイはいたが、いずれも先方からの自発的協力者であり、CIAが獲得したわけではない。そして、これらのスパイは、みな死んだり、ソ連によって処刑された。そのほとんどは、アメリカにいるCIAのソ連部門の職員に裏切られたためだ。
CIAは、イラクに大量破壊兵器があるという間違った報告をホワイトハウスに送った。ほんのわずかな情報をもとにして大量の報告をでっちあげた。
CIAは日本の右翼そして自民党を育成するため大金をつぎ込んだ。
 児玉誉士夫についてのCIAの報告は次のとおり。
 児玉は職業的な嘘つきで、暴力団、ペテン師で、根っからの泥棒。児玉は諜報活動のまったくできない男で、金儲け以外のことには関心がない。
 CIAは、そんな男と長く密接な関係を持っていたのでした。
 CIAと自民党とのあいだでは情報とお金が交換されていた。自民党を支援し、内部の情報提供者を雇うため、お金が使われた。将来性のある若手政治家にお金をつぎこみ、力を合わせて自民党を強化し、社会党や労働組合を転覆しようとした。
 自民党にお金を渡すのは、高級ホテルで手渡すというやり方ではなく、信用できるアメリカのビジネスマンを仲介役に使って協力相手の利益になるような形でお金を届けた。
 岸信介は、CIAと二人三脚で日米安全保障条約をつくりあげていった。
 CIAの役割を知らない日本の政治家は、アメリカの巨大企業から提供されたお金だと伝えられた。自民党へは、4代15年間、CIAからお金が流れ、自民党の一党支配を強化するのに役立てられた。1960年には7万5000ドル、1964年には45万ドルがCIAから自民党に提供されている。
 むひょーっ、自民党はCIAのお金で育成されてきた政党なんですね。こんな政党が日本人に愛国心を持てと説教をしているのですから、世の中の倫理が間違ってしまうのも当然です。それにしても情けない話ではありませんか。自民党の側から反論も弁明も何もなされていないことにも腹ただしい限りです。黙殺してしまおうということなのでしょうか……。
 ケネディ兄弟(大統領と司法長官)は、キューバのカストロ首相(当時)の暗殺にゴーサインを出し、その実行に執念を燃やしていたことが明らかにされています。ケネディ暗殺は、その仕返しだったと言わんばかりの記述がなされています。これは、本当でしょうか。
 CIAがその名前から想像されるほど、インテリジェンスに富んだ集団でないことがよくよくわかる本でした。
(2008年11月刊。1857円+税)

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2009年2月17日

裁判員制度と国民

司法

著者 土屋 美明、 出版 花伝社

 G8(先進国首脳会議)の参加国のうち、国民参加の刑事裁判が行われていないのは日本だけ。世界195ヶ国のうち、80ヶ国で国民が刑事裁判に参加する手続をとっている。おとなりの韓国も陪審員に評決権のない「国民参与裁判」の試行をはじめ、中国でも人民陪審員制度を実施している。
 ところで、アメリカで陪審裁判は、刑事事件全体の5%程度でしかない。
 ドイツの刑事裁判は、捜査段階で警察官がつくった調書はそのままでは証拠にならず、公判での警察官らの証言と証拠物のみにもとづいて審理される。
 フランスの陪審法廷では、判決の言い渡しが夜10時というのは普通で、難しい事件は日付の変わった午前1時ころになることもある。重罪院の判決に対して不服があるときには、他の重罪院に対して控訴できる。そして、このときには参審員を3人増やして12人とし、裁判官3人をあわせて15人で審理する。いやあ、これって大変なことですよね。深夜に帰宅する人はちょっと怖いでしょうね。
 日本の司法に国民が参加することは、司法の姿を決定的に変える。裁判員制度は単に国民が難しい刑事裁判が引っ張り出されるだけの新しい制度というものではない。何世代にもわたる長い時間をかけて、参加が徐々に広がっていけば、日本の社会を根っこから変革していく可能性をもっている。
私も、この指摘にまったく同感です。国民が主人公なのです。それを実感する人が増えたら、この日本ももう少しまともな国になるような気がします。
 重大な刑事事件の裁判は、もともと気持ちの負担の重いものであり、それを国民があえて引き受けてこそ、この制度を行う意味がある。好んで出てくる人だけを集めていては、裁判員制度が広く国民の信頼を得られるようにはならない。簡単に逃げ道を作るようでは、制度そのものが基盤を失い、破綻しかねない。
 今の刑事裁判を批判するのなら、裁判員制度をテコとして批判を少しでも変えていくべきではないのか。そのとおりです。裁判員ぶっつぶせと叫んでいる人には、ぜひ考え直してほしいと思います。
 著者は、裁判員候補者と呼ばれた市民を、選ばれなかったときに、そのまま帰すのではなく、刑務所を案内したり、司法の実情について十分に知ってもらうチャンスとして生かすべきではないかという提案をしています。これまたまったく同感です。国民のなかに死刑賛成の声が高まっているとき、死刑執行はどのようになされているのか、その執行に関わっている人たちはどんな気持ちなのか、多くの市民に知ってもらうことには大きな意味があると思います。また、刑務所の処遇の実情(独居房の様子や労働状況など)も知ってもらったら、「懲役1年」の意味が実感できると思います。
 戦前の陪審制度だけでなく、裁判員制度も失敗するような事態になったら、日本の国民は、そもそも司法への参加になじまない国民性だという批判を裏付けることになるだろう。国民参加は、二度と主張できなくなるに違いない。
 著者のこの不幸な予測が当たらないことを私も願っています。著者は、共同通信社の論説委員をつとめ、裁判員裁判の制度設計に関わったジャーナリストですが、その冷静な論述はかえって溢れる熱意を感じさせるものがあります。私も、5月から始まる裁判員制度は必ず成功させたいと考えていますし、その弁護人をやってみたい気持ちでいっぱいです。弁論で、市民を説得してみたいと思います。
 いま、梅の花がいたるところに咲き誇っています。日曜日に、梅の木の徒長枝を切ってやりました。我が家の梅は少し形が悪いので、形を整えようと思ったのです。紅梅の枝を切って断面を見たら、枝自体が紅く驚きました。白梅のほうとは全然ちがいます。白梅の方は白いというより、普通の木の色なのです。
(2009年1月刊。2500円+税)

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2009年2月16日

昆虫の知恵

生き物

著者 普後 一、 出版 東京農工大学出版会

 いやはや、昆虫って、すごいですね。昆虫に学べ、とは、よく言ったものです。そのとおりですね。
 ヒトの皮膚にとまった蚊は、皮膚の下にある毛細血管を探り当てるために、足の裏にある感覚器官から超音波を発信し、その反響を利用して血管の位置を感知する。
 うへーっ、まるで腹部エコー検査みたいですね。
蚊が吸血するとき、体重の2倍ほどのヒトの血液を一気に吸って消火器に流し込む。一度に腹いっぱい吸血するため、異なったヒトの血液型が混じり合うことはない。そして消化酵素ですぐに消化吸収されるため、血液が凝固することはない。ふむふむ、なるほど。
 蚊のもつ抗血液凝固物質は、酵素反応の最終段階をストップさせる。このプロリキシンSという物質は、血液を凝固させないほか、血管の平滑筋を弛緩させる作用を持っている。蚊は、吸血するとき、ヒトの皮膚感覚を麻痺させるために唾液を注入し、ヒトに気づかれないようにしている。蚊の唾液がアレルギー反応を引き起こし、かゆみの原因となる。ただし、本来、蚊の唾液は吸血終了とともに蚊の体内に戻る。そのため、かゆみも止まる。ところが、吸血が中断されると、蚊の唾液がヒトの体内に残されるので、ヒトはかゆみを感じる。
 つまり、蚊の気が済むまで血を吸わせたら、かゆみはほとんど感じないわけである。
 うひょう、な、なーんと、蚊を叩き潰すことによってかゆみを感じるというわけです。でも、蚊って見つけたらすぐに叩き潰してしまいたいですよね。
 ちなみに、蚊は一般には花の蜜や果物の汁、樹液などを吸っているが、交尾したメスの蚊だけが卵のためにヒトの血を吸う。蚊のオスは人間の敵ではないということなんですね。
 生ゴミを処理するのに、アメリカミズアブを使うといいそうです。初めて知りました。50センチ角の箱にアメリカミズアブを100頭入れて高温にしておくと、有機廃棄物が効率よく分解処理される。ふーん、そうなんですか……。いま、我が家はEMボカシで生ゴミを処理していますが、これより、もっと簡単で効率が良さそうです。
 モンシロチョウからピエリシンという物質がとれ、抗がん作用に役立つという話も初めて知りました。昆虫って、偉大なる遺伝子資源なのですね。絶滅させたら、人類にとって巨大の損失です。ミズスマシやセミの抜け殻が糖尿病に良いなんて、本当でしょうか。
 傷口にウジ(ハエの幼虫)を這わせておくと、早くよくなるという話にも驚きました。戦場での実際の体験的知見による発見だそうです。
 ウジは、自分の持つタンパク質分解酵素を分泌して壊死状態の組織を溶かし、それを吸い上げることによって壊死組織を除去する。このタンパク質分解酵素は、健全な組織を融解することはないので、壊死組織だけが選択的に取り除かれる。そして、この物質はMRSAなどの薬剤耐性菌をふくむ病原菌に対する殺菌作用ももっている。ただし、ウジを使った治療法には健康保険が適用されない。見かけによらず、ウジも人間に役立つということなんですね。
 将来の宇宙食として有望なのは、昆虫(カイコガ)である。カイコガの蛹は、栄養的に非常に優れ、絹は用途が広く、微粉末にして食材にもできる。カイコガをキャットフードに25%混ぜると、猫は喜んで食べるそうです。
 バッタが幼虫時代に劣悪な環境で育つと、身体が褐色となり凶暴化して、大害虫と化す。これまた人間に似た話ですね。
 うひゃあ、すごいすごい。昆虫ってバカにできませんね。人間は昆虫に大いに学ぶべきです。
 先週末、春一番の突風が吹き荒れました。まともに傘をさして歩けず、電車も乱れていました。でも、風が温かいのです。ああ、春一番だとすぐに思いました。隣家の庭に今年も黄水仙が列をなして咲いています。輝くばかりの黄金色です。そして、近所にはしだれ紅梅も咲き誇り、春到来を感じさせます。
(2008年5月刊。1400円+税)

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2009年2月15日

警視庁捜査二課

司法(警察)

著者 萩生田 勝、 出版社 講談社

 まずは業界用語を紹介します。
 起番は、おきばん。宿直のとき、詰めていること。
 猛者は、もさ。スリ係。
 本庁は、警察庁のこと。
 本部は、桜田門にある警視庁のこと。
 司法関係の機関のうち、もっとも低能力な集団は警察である。なかでも、特筆すべき超低能力集団が刑事だ。この記述は、多分に反語的なものであり、だけど集団の力はすごいものがあることが何度となく語られています。
刑事の楽しみであり、美学は、現場で一瞬にして判断すること。ところが、いま、現場に行きたがらない刑事が増えている。若手が現場に出ない。経験豊富なベテランがいなくなる。この二つだけでも警察の捜査能力の低下が心配だ。
 刑事課のなかでは、隣の係は完全に敵だ。ライバル同士なんていう甘い関係ではない。捜査員同士の競争意識は、ケタ違いの熾烈なものだ。
 大企業のトップや高級官僚にいる人間は、地位やプライドが邪魔をして容易には落ちない。落ちるのは、ホネと取調官の人間としての次元がピタリと合ったとき。
 特捜部と違う捜査二課の強みは、人海作戦にある。ただし、そのとき、小さな集団の結束がもっとも大切だ。ただし、そのとき粘りと、証拠品を飽きるほど見つめる態度が不可欠だ。それは、そうなんでしょうね。
 取り調べで大切なのは、調べにあたる刑事それぞれの人格だ。人生そのものの経験が求められる。人生経験の不足を助けてくれるものとして、読書がある。本を読んでも人格形成はできる。まったくそのとおりです。
 警察署の内部にも、収賄のおこぼれにあずかりながら、いけしゃあしゃあと生き残っている幹部が実はかなりいる。いやはや、これは困ったことです。
 警察署内部のことがかなり赤裸々に語られていて、面白く読めました。
(2008年12月刊。1600円+税)

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2009年2月14日

アイバンのラーメン

社会

著者:アイバン・オーキン、 発行:リトルモア

 東京は世田谷に、アメリカ人によるラーメン屋があるそうです。京王線の芦花公園駅の近くです。今度、私も行ってみましょう。といっても、開店日にはかなりの行列が出来ているようなので、行っても食べられるか心配です。
 店主は、生粋のアメリカ人です。それも、コロラド大学を出て、シェフになったうえで、日本にやってきて自己流のラーメンを作り上げたというのです。すごいものです。伊丹十三監督の映画『タンポポ』を見て、ラーメンにあこがれたというのですから、大した根性です。
 店主の父親は知財専門の弁護士です。すごく成功しているそうです。
アイバンで出るラーメンが見事な写真で紹介されていますが、どれも、いかにも美味しそうです。ともかく、メンもスープもトッピングの卵も、すべてが手作りだというのです。しかも、感心したのは、仕入れが近所の商店街からなのです。いやあ、実にいいことですよね。共存共栄の精神をまさに実践しているのです。
サイドメニューとして焼きトマトがあり、豚飯があり、デザートのアイスクリームまであるのです。スープは豚骨スープではありません。塩ラーメンとしょうゆラーメンです。これも脂の多すぎるラーメンにしないようにしているからです。
毎日でも食べられるラーメンであるために、豚の脂は10cc未満しか入れていない。有名ラーメン店のラーメンは、基本的に一杯のラーメンに30~40ccの動物性の脂が含まれている。こんなに大量の脂が入っていると、身体に良くないし、毎日なんか、とても食べられない。
アイバンのラーメンは、さわやかな味だそうです。食べたあと、よい気持ちになるラーメン。これがコンセプトというのです。ここまで聞いたら、一度は食べずにいられません。でも、1日、120人の客しか入れない。営業時間も平日は夕方から夜のみ、土日は昼から夕方まで。そして、水と第四火は休み、というのです。席も10席しかありません。そのくせ、キッチンは広々としているというのですから、異例づくめです。
 メンはスープとよくからんでいる。メンをすすると、スープが口に入り、メンマも細長いので、同時に口に入る。一度に3つの味を楽しめる。さらにチャーシューと卵を合間に食べたら、すべての味がなじんで、ひとつのラーメンの味になる。一口ですべてが味わえるのが、アイバンのラーメンだ。
 いやあ、ぜひぜひ行って味わってみたいラーメンです。

(2008年12月刊。1600円+税)

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2009年2月13日

スーパー弁護士の仕事力

司法

著者 荘司 雅彦 ほか、 出版 日本実業出版社

 弁護士の書いた「仕事術」の本が、ビジネスマンから高い評価を得ているそうです。うひゃあ、そうなんですか。私も『法律事務所を10倍活性化する法』という小冊子(新書版)を出しましたが、マスコミの評判は得られませんでした(ううっ、ついつい涙ポロポロ……)。
 スーパー弁護士のカバンの中に何が入っているか、写真で明らかにされています。なんとアイポッドが2つも入っていました。私も泊まりがけの出張のときにはアイポッドを持参しています。夜、ベッドに入ってシャンソンを聴くためです。
 弁護士は、あらゆる場面で質問力を必要とする。ほしい情報を得るには、いかに適切な質問をするかが大切なのだ。
 時間は現代人にとって、もっとも希少な財だ。だから1分1秒を徹底的に有効活用することが必要である。交渉において、明確な勝者と敗者を生むことがその目的ではない。交渉相手の立場や主張、大義名分を十分に理解し、交渉の結果に対して相手もそれなりの満足度が得られることが大切なのだ。そのためには、交渉の場でかっとならず、あくまでも冷静に組み立てていくことが秘訣である。
 交渉の場で興奮すると、契約書に調印するときに興奮のあまり手が震えてしまうことがあります。これって、ちょっとみっともないんです。気取られないようにしていますが……。
 優秀な交渉人(ネゴシエーター)は、意思を表明する勇気を持ち、裏表のない正々堂々とした態度でいられる人。臨機応変に対応でき、明朗さと包容力がある人を言う。
 自分はすばらしいが、相手もすばらしい。自己も他者も肯定し、受容する。相互にOKの精神をもつ。交渉相手は敵ではなく、知人あるいは友人となる相手であることを忘れない。うむむ、これって、口で言うのは簡単ですが、実行は難しいんですよね。
 クレーム対応の初めての場では、ひたすら謝罪し、いいわけなどしない。出されたお茶には手をつけず、背筋をピンと伸ばし、相手の目を見て謝る。
 口頭でプレゼンするときには、はじめの10分間で全体を見渡せるようにする。
 準備書面では、裁判官が読みやすく、論点をそらさない。その最大の目的は、争点整理にある。よけいなことには触れず、必要最低限のことを押さえ、一番大事なことを厚く書く。
 書面はクオリティを犠牲にして、まずは速度優先で書く。とにかく書き上げて、それから推敲する。そして、最後に一度、声に出して読んでみる。
 なるほど、なるほどと感心することの多い本でした。

(2009年1月刊。1200円+税)

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2009年2月12日

資本主義はなぜ自壊したのか

社会

著者 中谷 巌、 出版 集英社 インターナショナル

 オビに、改造改革の急先鋒であった著者が記す「懺悔の書」とありますが、本文を読むとまさしくそのものずばり懺悔をしています。お金儲けばかりを優先して、人間を大切にしてこなかったことを反省するなかで、キューバやブータンに行って、人々の幸せとはいったい何なのかを考えたというのです。これが対比として、実によく分かるのです。私も、前にキューバもブータンも、その実情を描いた本をこの書評欄で紹介したことがあります。
 著者がグローバル資本主義は間違っていると大きな声で叫び始めたわけですが、これを今さら遅いと叱る向きもあるようです。私は決してそう思いません。過ちは、まだ何とか是正することが可能なのです。もっとも無責任なのは、懺悔も後悔もせずに、論戦の場からこそこそと逃げ出していくような輩(やから)ではありませんか?
 グローバル資本主義は、世界経済活性化の切り札であると同時に、世界経済の不安定化、所得や富の格差拡大、地球環境破壊など、人間社会にさまざまな「負の効果」をもたらす主犯人でもある。そして、グローバル資本が「自由」を獲得すればするほど、この傾向は助長される。
 「改革」は必要だが、その改革は人間を幸せにできなければ意味がない。人を「孤立」させる改革は改革の名に値しない。
 アメリカでは、スーパーリッチ層が輩出した反面、かつてのアメリカを支えていた豊かな中流階級の人々が「消え去った」。所得上位1%の富裕層の所得合計が、アメリカ全体の所得に占めるシェアは、8%から、なんと17%にまで急上昇した。
 ヨーロッパ諸国では、かなりの銀行に公的資金が投入され、事実上の国有化がすすんでいる。
 今回のバブル崩壊の結果、アメリカが主導してきたグローバル資本主義は大きな方向転換を迫られる。
 グローバル資本主義には3つの本質的な欠陥がある。その一は、世界金融経済の大きな不安定要素となること。その二は、格差拡大を生む「格差拡大機能」を内包し、その結果、健全な「中流階層の消失」という社会の二極化現象を生み出すこと。その三は、地球環境汚染を加速させ、グローバルな食品汚染の連鎖の遠因となっていること。
 いまや、グローバル資本主義はフランケンシュタインのモンスターさながら、その創造主である人類そのものを滅ぼしかねないほどに暴走してしまった。
 新自由主義思想は、一部の人々、はっきり言ってしまえばアメリカやヨーロッパのエリートたちにとって都合のいい思想であったから、これだけ力を持った。これは格差拡大を正当化する絶好の「ツール」になりうるものである。
 コーポレート・ガバナンス改革が進むにつれて、実際に起こったことは、実は未曾有の「高額報酬の常態化」であった。
 いやはや、これはひどいですね。私も、コーポレート・ガバナンスって、少しはましなものかと錯覚していました。とんだまちがいでした。いまの経営者に期待するのは幻想でしかないのですね。キャノンの御手洗をよく見ていれば分かることではありますが……。 
 自分のことしか考えず、日本人の多くの若者がどうなろうと知ったことじゃない。そのくせ、今の若者には倫理観が欠如しているから道徳教育が必要だというんですからね。笑止千万ですよ。プンプン。
 従来の資本主義とグローバル資本主義は、同じ「資本主義」という名を冠していても、そこには大きな質的な違いがある。グローバル資本主義においては、労働者と消費者が同一人物である必要はないからである。
 プレカリアートとは、プロレタリアートをもじった言葉で、不安定な立場に置かれた無産階級という意味。
 日本は、いまや貧困層の割合がアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になっている。日本の「平等神話」は崩壊している。日本は、4世帯に1世帯が貧困に分類される国。貧困層に冷たい国になってしまった。
 シングル・マザー(ファーザーも)世帯の貧困率は60%に達している。日本が「希望なき貧困大国」から脱することがなにより優先されるべき政策課題だ。日本社会が安定することこそ、日本の底力を発揮するための前提条件である。
 大変すっきり読みやすい、告発の本でもありました。
(2009年2月刊。1700円+税)

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2009年2月11日

ハダカデバネズミ

生き物

著者 吉田 重人・岡ノ谷一夫、 発行 岩波科学ライブラリー

 世の中には、まさしく珍妙としか言いようのない生き物がいるものです。女王とか兵隊というのは、アリとハチで知っていますからよく分かりますよね。ところが肉ぶとん係というのがいるっていうんです。いったい何のことかと不思議に思いますよね。
 ハダカデバネズミとは、文字通り体毛がなく、前歯が出っ張っていて、そしてネズミである。彼らは、東アフリカのケニアあたりの大草原の地下にトンネルを掘って集団で暮らしている。ネズミなのに、ハチやアリと同じように女王がいて、働きデバや兵隊デバがいる。女王はトンネルを定期的に巡回し、さぼっている個体を見つけると、どやしてまわる。どやされた個体は、服従のポーズをとり、反省の意を示す。
 ハダカデバネズミは、17種類もの鳴き声を持ち、状況に応じてこれらを使い分けている。 女王は王様に交尾を要求する鳴き声をもっている。これを聞いた王様は、女王にマウントして交尾しなければならない。ところが、王さまは交尾すればするほど、やせ衰えていく。
 なぜ体毛がないのか?地下トンネル内の、1年中30度前後に安定した環境のなかで暮らし、しかも、ノミやダニの温床となりうる毛皮を自ら捨てたのだ。
 哺乳類であるけれど、自分で体温調節が出来ない。いや、する必要がない。
 いま飼っている女王の推定年齢は37歳。その身体サイズから予測される寿命の10倍以上は長生きだ。
 デバたちは、80~300匹の群れで暮らす。繁殖に関わるのはメス一匹と、1~3匹のオスのみ。そして、役割分担のある社会で生活する。
 デバの女王は、生れながらの女王ではない。厳しい戦いを勝ち抜き、ようやく女王の座を得る。女王は、常に巣穴をパトロールして、ライバルたちを威嚇してまわる。そやって自分以外の繁殖能力を抑制している。
 女王の在任期間は20年以上に及ぶ。女王は群れの中で一番体が大きく、強くて、偉い。狭いトンネルですれ違うとき、他のデバは女王のために道を譲らないといけない。
 女王への反逆を決意した第二位メスは、最初に女王を襲うのではなく、まずは王様を歯にかける。
 兵隊デバは、トンネルにヘビが侵入してきたとき、闘うというより、まっさきにヘビに食べられてしまうのが仕事。
 ハダカデバネズミの役割は、成長にともなって変化する。生まれつき固定されたものではない。働きデバの一部は、女王に子が生まれると、床に寝そべって、ひたすら子どもたちのふとん係に徹する。もぞもぞ動きながら、子どもたちを保温する役目を果たす。肉ぶとん階級である。ただし、一生この仕事をしているのではない。
ハダカデバネズミの巣穴の全長は、最大3キロメートルにも及ぶ。食べるのは植物の根。ただし、飼育するときは、リンゴが一番の好物。うむむ、なんだか変ですね、これって……。
 大変飼育の難しいハダカデバネズミだということですが、上野動物園のほか、埼玉県こども動物自然公園そして千葉大学サイエンスプロムナードで見れるそうです。私も、この珍妙な生き物を実物で見たいと思いました。やっぱり学者って、すごいですよ。感心・感嘆・感謝です。

(2008年1月刊。1500円+税)

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2009年2月10日

買物難民

社会

著者:杉田 聡、 発行:大月書店

 還暦を迎え、膝が痛かったりする私にとっても、歩いて買い物に行ける商店街がなくなってしまうというのは他人事(ひとごと)ではありません。郊外型スーパーとコンビニばかりになってしまったら、老人は生きていくことができません。少なくともひとりで買い物をする楽しみが奪われてしまいます。
 日本の飲食料品小売店の数がピークだったのは1980年ころ。このとき73万軒の店があった。それから20年間で26万軒が減った。人口10万人未満の地域でもっとも大きな影響があった。
 2005年、65歳以上の老人の自動車免許取得率は28%ほど。女性では半分の14%にすぎない。75歳以上だと免許を持っている人は20%。
 高齢者がバスに乗ったとき、多くの中高年は無視し、むしろ若い人の方が席を譲る。「いまどきの若者は・・・」というより、むしろ「近頃の中年は・・・」と言わざるをえない。
 近年のアメリカでは、大型店、量販店が同じ屋根の下に集まっている「スーパーセンター」の人気が落ちている。その原因の一つは、店内が広すぎて買い物が大変なことにある。大きなスーパーで体を休める場所がなかったり、椅子が少なすぎたり、トイレが外にしかなかったりする。これでは老人は困る。かごもカートも大きすぎて負担がある。
 買い物に行けなくなって、食事をありあわせものでしのいでいるうちに、栄養失調になってしまった高齢者も少なくない。
 日本には2005年現在、4900万世帯がいて、そのうちひとり暮らし世帯は1446万世帯(29%)ある。世帯主が65歳以上だと1350万世帯(28.5%)。75歳以上だと550万世帯(35.5%)である。これから、単身世帯はもっと増えて4割近くになると予想されている。
 コンビニは高齢者にとって便利とは限らない。
 役所は町の中心地に存在し続けるべきだ。このように著者は提言しています。中心地の空洞化は避ける必要があるのです。
 老人を大切にしない社会は、同時に、昨今の「派遣切り」に見られるように若者も切り捨てる、「株主」のみを優先し、人間無視の冷たい社会になってしまいます。
 マイカーがあればいいということでは決してありません。昔は、市の中心部にデパートがあっても、その周辺にたくさんの商店があり、デパートと共存共栄していました。歩いて買い物ができないことになったとき、その人の人生はきわめて味気なくなることは必至でしょう。今のうちに抜本的な解決策をみんなで考え、少しずつでも実行に移す必要があるように思います。
 日曜日、久しぶりに庭仕事をしました。チューリップの芽があちこちでぐんぐん伸びています。クロッカスの黄色い可憐な花が咲いているのも見つけました。あっ、白梅がもう咲いている。そう思ってよく見たら、その上には紅梅がたくさんの赤い花を咲かせていました。隣の家では、あでやかなピンクの桃の花が満開です。
 庭のあちこちに水仙が花を咲かせています。黄水仙も一つだけ咲いて自己の存在をアピールします。枯れたライラックを根から掘り上げ、肥料になる生ゴミを一番下に敷いて新しく買ったライラックを植え付けました。
 庭仕事の最中、ときどきくしゃみが出ます。花粉症に悩まされる候となりました。春近しです。陽が伸びて、夕方6時まで庭に出ていました。

(2008年12月刊。1600円+税)

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2009年2月 9日

もうひとつの視覚

著者:メルヴィン・グッデイル、 発行:新曜社

 見えるというのはどういうことか。「見えない」のに見ている現実がある。意識としては見ていなくても、実は見ているというわけなのです。いやあ、人間の脳の仕組みって、本当に複雑なんですね。限られた容積内の脳を活用するとしたら、要するに組み合わせを変えていくしかないのだと、最近、私も思うようになりました。
この本に主人公として登場してくる女性はイタリア北部の村でプロパンガス中毒(一酸化炭素中毒)で危うく助かったものの、脳の一部が損傷してしまいました。彼女は外見上は何の障害もないように思われたのに、本人からすると何も見えなくなってしまった。ところが、形は分からないのに、物の色や濃淡を見分けることができたのです。なんということでしょう。それでも、やっぱり見えないことには変わりがありません。そして、運動能力には影響がなく、記憶や聴覚、触覚なども変わりませんでした。
彼女は、物が「見えない」のにもかかわらず、目の前にあるエンピツを指で正確につかむことができたのです。つまり、意識的な視覚ではない、気づかないところの視覚能力によって、運動できる能力を保持していたというわけです。
視覚システムにおいては、2つがまったく独立している。一つは行為を誘導し、もう一つは知覚を担当する。知覚を担当するのは腹側経路である。これは、外界に関する豊富で詳細な表象を伝えるが、自己を基準にした光景の詳細な計測情報を捨てている。
 行為の背側経路のほうは、行為に必要な自己中心座標で、物体の正確な計測値を伝えるが、その計算は一瞬のもので、たいていは選択された特定の目標物に限定されている。この二つのシステムはうまく調和しあう必要がある。たとえば、背側経路は、物体の大きさを計算していて、物体に手を近づけながら、空中で手の開き幅を調節している。
 背側経路は、いま現在の視覚入力にほぼ完全に支配されていて、単独では物体の重さを計算できない。背側経路だけでも物体の大きさを計算することはできるが、物体がどんな素材でできているかという点を理解するには、腹側経路が必要である。そして、腹側経路は大きさの計算も材質の計算もできる。結局、腹側経路は、ヒトの知覚体験を構築する上で、休みなく大きさを計算し続けているのだ。
テーブルの上にある物が何かを認識し、そこにある他のものと自分のカップとを区別できるのは腹側経路のおかげである。また、カップの取っ手の部分を選び出せるのも腹側経路のおかげである。しかし、カップの取っ手だと分かり、ある行為を決めてから、取っ手に手や指をうまく持っていけるかどうかは背側経路の視覚運動システムによる。
このように、外界に関する意識的な社会体験は、背側経路ではなく、腹側経路の産物なのである。そして、腹側経路の神経活動と視覚的意識との間には強い相関がある。腹側経路は視覚的意識の回路に必須である。腹側回路がなければ、視覚的意識は生じない。
腹側の知覚経路と背側の行為経路の間には、複雑だが、たえまない相互作用があって、適応的な行動が生み出されている。
うむむ、単に見るというだけでも、それって実は簡単なことではないのですね。とても面白い、脳に関する本でした。

(2008年4月刊。2500円+税)

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2009年2月 8日

無法回収

司法

著者:椎名 麻紗枝・今西 憲行 発行:講談社

 サラ金業者は大激減した。2002年に2万7000社あったのが、2008年6月にはその3割の8272社となった。これに対して、債権回収業者(サービサー)のほうは取扱額が急増している。法務大臣の許可を受けたサービサーは113社(2008年8月)で、1999年の取扱件数は15万件だったのが、2007年6月に4955万件となり、その取扱債権額は207兆円だった。そして、その回収額は21兆円をこえ、トヨタ自動車の国内販売高に匹敵する。
 RCCは、銀行から無担保債権を1件一律わずか1000円で買い取り、2004年9月末までに6342件を買い取って、112億円を回収した。つまり、600万円の元手で112億円もの売り上げをあげたわけだ。銀行は無担保債権をポンカス債権と呼んで、サービサーに売却している。かつては、「ひと山いくら」とバルクセールがなされていたが、今では、個別譲渡のチェリーピック方式に替わった。サービサーを競争させて、個々に高く債権を譲渡する方式だ。
 サービサーは、県営住宅の未払い家賃の回収、保育園の滞納保育料の回収なども地方自治体から受託している。そして、奨学金の支払い督促もサービサーの仕事となった。しかし、このサービサーは古くからあったわけではなく、バブル崩壊の前には、日本には存在していなかった。
 RCCの調査は預金保険法の付則7条1項の「財産調査権を」根拠としている。そして、RCCは、強制力をつかって隠匿された財産を見つけて刑事告発を乱発する。ただし、RCCが伝家の宝刀をつかうには、金融再生法53条にもとづいて金融機関から買い取った債権でなければならないというしばりがある。
もちろん、サービサーが野放しにされていいはずはありません。サービサーは営利企業であると同時に、重要不可欠な公共的存在の一員でもあるという性格を見失ってはいけない。つまり、営利の追求のために債務者の人権や経済的基盤を無視してはいけないのだ。
 この指摘に、私もまったく同感です。鋭い告発の本でした。
(2008年9月刊。1700円+税)

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2009年2月 7日

森鷗外と日清・日露戦争

日本史(明治)

著者:末延 芳晴、 発行:平凡社

 森鷗外は、夏目漱石と並ぶ明治の文豪であり、同時に、文学者でありながら陸軍軍医官僚であるという矛盾をかかえ通したことで、謎の文学者でもある。そもそも軍人でありながら文学者であることが可能なのか。
 私は、『五重塔』や『阿部一族』など、森鷗外の重厚な文体に強く惹かれるものがあります。その森鷗外の実態に迫る本書は、私の知的好奇心をますますかき立ててくれました。森鷗外は、日清・日露戦争に軍医として従軍し、日記や妻への手紙を書き、歌まで詠んでいたというのです。戦争の残虐さを実感し、綱紀がいいはずの日本軍が罪なき市民を大虐殺したことも現地で実見しながら、立場上そのままを日本に伝えることはできませんでした。それでもストレートでは伝えられなかったものを、それなりに伝えているようです。
 日清戦争のとき、日本軍は旅順に入って一般市民を無差別に殺戮した。旅順虐殺事件として世界に広く知られた。しかし、日本国内ではほとんど知られていません。乃木将軍も関わっている虐殺事件です。
 森鷗外は、軍医として台湾侵攻作戦にも従軍している。このとき、現地住民によるゲリラ的反撃にあい、予想もしなかった苦戦を強いられた。戦争の過酷さ、恐ろしさを体験させられた。
 森鷗外は、実家にいる妻あてに、実にこまめに手紙を書いて送った。ヒラの兵士だと月に2回という制限がある。しかし、鴎外は1年10ヶ月のあいだに妻へ133通もの手紙を書いて送った。1週間に1回のペースである。妻は鷗外より18歳も年下だった。1年10ヶ月というのは、日露戦争に鷗外が従軍した期間である。
 森鷗外は、しばらく小倉で軍医をしていました。それが初めての挫折といわれるほどの左遷であったことを初めて認識しました。明治32年(1899年)6月のことでした。
「左遷なりとは、軍医一同が言っており、得意な境地はない」
「実に危急存亡の秋(とき)なり」
小倉での鷗外の軍医としての仕事は、徴兵を忌避しようとする若者をチェックすることにあった。
 明治42年2月、森鷗外は朝日新聞の記者によると、怒鳴りあい、取っ組みあうという喧嘩沙汰までひきおこした。偉大な文豪と呼ばれる人でも、こういうことってあるんですね。よほど記者がカンに触るようなことを言ったのでしょうか……。
 森鷗外は軍医として最高峰の地位にまでたどり着き、元老の最長老として政・軍に絶大なる影響力を行使していた山県有朋とも交流を深めた。
 明治43年5月に大逆事件が起きた。逮捕された幸徳秋水らは、翌1月に処刑された。大逆事件は、「時代閉塞の状況」(石川啄木)をさらに決定的にした。
 いやあ、よくよく考えさせられる森鷗外の評伝でした。

(2008年8月刊。2600円+税)

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2009年2月 6日

黄金郷伝説

アメリカ

著者:山田 篤美、 発行:中公新書

 まったくの偶然ですが、イギリスのサー・ウォルター・ローリーについて書かれた本を同じころに読みました。エリザベス女王のころ、イギリスはスペインとはりあってアメリカ大陸へ進出(侵略)しようと必死だったのですね。そのころ、イギリス側で活躍した一人が、このサー・ウォルター・ローリーだったのです。結局、エルドラド(黄金郷)を発見することができず、失意のうちにイギリスに戻って、逮捕され、スペインの要求どおりに死刑に処せられてしまうのでした。
 コロンブスのアメリカ大陸発見というのは日本では定着した考えです(私の高校生時代、教科書でそう習いました。今でもそうだと思います)。しかし、アメリカ大陸にはそれ以前も多くの「インディアン」が平和のうちに生活していたのだから、「発見」というのはおかしいと指摘されています。私も、なるほど、と思います。それは、ともかくとして、コロンブスは
1498年の第3回航海で南米大陸のベネズエラに到達しました。そうです。今、反アメリカで健闘しているチャベス大統領のいるベネズエラなのです。
 コロンブスが他の人と違っていたのは、地球球体論を取り入れ、東方世界に行くために西を目ざした逆転の発想だ。コロンブスの計算では、西に向かうとまず日本(ジパング)に到達し、その後に中国に到達できると考えた。目ざす財宝は真珠と黄金である。
 コロンブスの到達を祝う記念日は、今では先住民の受難がはじまった日と考えられている。この日は、中南米の各地で「民族の日」と呼ばれ、民族の権利回復を求める先住民族によるデモや集会が行われている。
 さて、ローリーである。ローリーは、エリザベス女王の近衛隊長に就任し、出世していった。その本質は、エルドラド探検隊であり、海賊、つまり侵略者であった。
 当時、イギリスはスペインと敵対関係にあった。スペイン船団を襲撃するイギリス人は国から特命状をもらっていたので、単なる海賊ではなく、私掠船(しりゃくせん)と呼ばれていた。ローリーには、キリスト教徒の君主が所有していない土地を征服する権利が与えられていた。だから、その地を未発見の地にカモフラージュする必要があった。そこで、スペインが発見したグアヤナではない、別のギアナという地方を発見したと言いつのった。
 ローリーたちは発見できなかったが、ベネズエラには、本当に金を産出する地方があった。これが今の悲劇をもたらしている。
 大航海時代から続く大土地所有のルールでは、先住民しかいない土地は誰もいない土地であり、最初に到着したヨーロッパ人が、その地を領有することができた。
 いやあ、、これって、よく考えたら、とんでもないルールですよね。私も高校時代まで習った世界史で、このことをまったく疑いもせず、ただひたすら暗記していました(日本史も世界史も私の得意科目でした)。しかし、先住民がいるのに、なぜ、突然現れた「先進国」が勝手に自分の領土だと宣言できるのでしょうか。おかしなことです。人間みな平等なんですからね。

(2008年9月刊。940円+税)

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2009年2月 5日

豊かさへもうひとつの道

社会

著者:暉峻 淑子、 発行:かもがわ出版

 公共とは、テーブルの周りに多様な意見を持つ人々が集まって、ある共通のテーマについて、さまざまな角度から討論しあう場所のこと、というハンナ・アーレントの言葉が紹介されています。なんだか、日本人の「常識」とはずいぶん違うんだなと考えさせられました。
 スクール(学校)の元々の原義であるスコーレという言葉は、ギリシャ語で暇とか余暇を意味し、働く時間以外の時間でものを学んだり、考えたりするということから発している。うへーっ、そ、そうなんですか・・・。余暇にものを考えるというのは、小人閑居して不善をなす、という中国のことわざをつい連想してしまいます。忙しいときの方が、頭はよくまわると思うのですが、ちょっとイメージが違っていました。
 資本主義社会というのは、自分を限りなく増殖させていきたいという資本と、絶えず新しいものを求める技術が合体しているもの。
 経営者や自民党の政治家は、よく競争に勝つ教育を目ざすという。しかし、勝ってどうするのか、と問われると答えに窮してしまう。うむむ、そうなんですね・・・。
 中国人が日本人を評して、日本人は決して心を開くことなく、みんな心の中に計算機をもっていて、いつも計算している音が聞こえる、という。いやあ、そんなつもりはないのですが・・・。ちょっと、ショックを受けた評価でした。
 自民党の政治家たちは、よく国益がどうのこうのと言う。しかし、国益というのは「国民益」のことではないのか。国民がいない国益はいったいどこにあるのか。そして、国民益とは、国民の生活の質を高めることに他ならない。
 若者が非正規社員になると、社内研修が全然受けられず、単純労働の繰り返しになる。年金や医療保険など、社会保険の掛け金も払えないので、社会保障制度はくずれてしまう。フリーターが多くなっていくと、社会的に技術を伝承するということもなくなる。すると、30年か40年もたつと、専門的能力もなく、職もないので、生活保護を受けるしかない人々ばかり。そんな日本になってしまう・・・。
 つましく生きている人々のふところから富を奪い去って富裕層に貢いだのが、「改革なくして成長なし」という小泉ワンフレーズ改革の実態だった。
 貧困世帯の割合は、アメリカに次いで日本は2番目に多い。シングルマザーの貧困率は60%で、OECDの平均20%に比べるとケタ外れに多い。生活保護を受けている家庭は107万世帯、151万人いる。これに対して、年収1億円をこえる人々も同じく150万人いる。日本もアメリカ並みに両極分化しつつあるのですね。
 子ども時代に大人の管理や命令から離れて自由な遊びを経験することが大切だ。子どもは遊びの中でだけ、大人に管理されず、命令されず、本当に自由な自分の人生の主人公になれる。自由であればこそ、自分の能力を精一杯に発揮する喜びを知ることができる。自分の人生の主人公になる喜びを経験しなかった子どもは、大人になっても自立する喜びを知らない大人になる。管理されることに何の抵抗感も持たない大人は、自立する喜びを知らない大人だ。自分の価値に目覚め、自分の人生を生きる喜びが分からない人である。
うーん、何という鋭い指摘でしょうか。頭を抱えて、つい我が身を振り返ってみました。
 精神の老化は、必ずしも身体の老化に平行せず、創造、連合、洞察等の高度の精神的能力は年とともにかえって深まる。ゲーテが『ファウスト』を書いたのは82歳のときだ。
 人間らしい老後のある社会は、子どもや若者にも人間らしい生活を保障している社会であり、人権第一、生活第一、平和第一の社会である。
 日頃、何気なく過ごしている時を、ふと立ち止まって、もう一度よく考えてみようという気にさせる話が満載の本でした。

(2008年11月刊。1600円+税)

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2009年2月 4日

対テロ戦争株式会社

アメリカ

著者 ソロモン・ヒューズ、 出版社 河出書房新社

 イギリスのジャーナリストが、対テロ戦争と名付けて金儲けに狂奔している保守本流やネオコンの政治家たちを鋭く告発しています。思わず身震いするほどのおぞましさです。
 9.11のあと、投資家たちに現金を出資しないかと声がかかった。アメリカは、以前から、災害をタネに金を稼ごうという企業家たちに事欠かない。見積もりによると、9.11のあとアメリカ政府はテロ対策費に600億ドルを費やすと考えられた。
 対テロ戦争とは新しい奇妙な混合物であり、新たな脅威に立ち向かうべく増大する国家の力と、縮小に向かおうとする民営化論の現状を融合させたものだ。英米の政府は新しい力を握り、それをすみやかに民間企業にゆだねることで、新たな安全保障産業を生み出した。
新しい警備保障会社は国内にある民間の拘置所に人々を監禁し、外国では銃をうつことができるようになった。刑務所や難民収容所の民営化によって、国が独占してきた力を営利企業に下請けさせられるという原則がうちたてられた。アメリカで1984年に民間刑務所が開設し、イギリスで初めてのウォルズ拘置所が開所したのは1992年。
ところが、現実には、新しい民間刑務所は、公営の刑務所より効果的でないことが明らかになった。民営化された刑務所で、企業は犯罪者の更生には関心を持たない。収監者の自殺や自傷行為の発生率が全国平均よりも高くなった。やる気をなくした職員は、自分たちの困難な任務に対処できなかった。民営化された少年院では、暴力と虐待が横行した。
 イラクのアブグレイブ刑務所における収容者への虐待行為には、アメリカの民営刑務所で懲戒処分を受けた3人の男たちも関与していた。
 イギリスでテロ容疑者として逮捕された人々が裁判手続によらずに自宅監禁とされ、電子タグをとりつけられた。電子タグを監視するのは民間の警備保障会社である。ところが、この電子タグが実はいいかげんなもので、現実には機能していなかった。
 民間による安直な自宅監禁が、その指令に従った善良な人々の精神を破壊し、もとから強い意志を持っていたテロ容疑者は逃亡をゆるした。
 うへーっ、これって、ひどいですね。そんな杜撰なものなんですか、電子タグって……。
 アフガニスタンにおいて、アメリカのダインコープ社は警察の再建に取り組んだことになっている。5年間でダインコープ者は11億ドルを受け取った。しかしながら、アフガニスタン国家警察は、犯罪に対してもタリバンに対しても何ら有効に機能していない。
 イラクにおいて、英米の当局は、契約書に署名するだけで、契約した民間業者が軍事機構に熟練した人員をたっぷり補ってくれるものと信じていた。市場の優越という原理によって、イラクの民間兵士が占領軍に効率と創意をもたらすだろうと確信していた。ところが、現実には、民営化は占領の妨げになった。民間業者がもたらしたのは、腐敗と失敗そして暴力だった。重要なことは、民間業者がイラクという国家の崩壊に貢献したことだ。イラクの政府と経済はバラバラに解体された。
 イラクにおけるもっとも重要なアメリカの財産の2つ、アメリカ大使館と司令官はアメリカ軍によってではなく、雇われた兵士の手で守られていた。
 イラクにいるアメリカ軍部隊は14万人。民間業者に雇われている人は10万人。ある人は4万8000人の警備員が180もの別々の会社にやとわれていると見積もっている。
 しかし、民間軍事会社のもたらす最大のコストは、政治的なコストだ。彼らの存在や影響は、戦略を捻じ曲げ、テロ戦争をさらに大きな軍事行動へと押しやった。
 民営化された占領は、実際には、欠陥だらけの困難なものだったが、企業は公共セクターより効率的であるという先入観を持つ英米当局は、民間軍事会社の売り口上を素直に受け入れた。民間軍事会社にしてみれば、商売の宣伝をしていたわけで、自分たちの能力を過大評価気味に言いたてるのは当然のことだった。
 イラク経済へのアメリカ企業の侵攻は、再建の失敗によって、反乱者となる敵を増やす結果となった。第一に、基本サービスの失敗がイラクに住む人々を遠ざけてしまった。サダム体制のころより水が汚れ、電気が足りず、病院や学校が貧しくなった。お金はアメリカ企業を伝って、イラクに届く前に湾岸諸国の契約業者に滴り落ち、現金の鎖は、情実・賄賂・腐敗のためにすり減って切れた。そのあとに残ったのは怒りだった。失業者やろくにサービスを提供されない人々は、反乱の呼びかけにすぐ反応した。
 イラクの安定のために雇われた兵士を使うという決定は、サダム後のイラクの失敗の原因となった。アメリカ・イギリス連合軍はイラクで敵を打ち負かしたが、気がつくと、周囲に友人はほとんどいなかった。サダム体制が終わったことへのイラク国民の安堵は、まもなく米英占領軍への怒りに変わった。加えて、占領軍の悪行は、ただイラクの人々の心を失う方にしか作用しなかった。
 2003年の侵攻から数年のうちに、イラクとアメリカの何億ドルものお金が帳簿から消え失せた。それでも、腐敗の罪を問われる当局者はほとんどいなかった。
 イラクで活動する最大の傭兵グループの一つは、南アフリカから来た。
 イラクは戦場の民営化、占領業務の契約業者への移譲という試みの、きわめて壮大な実験場となった。その結果に疑問の余地はなかった。新しい傭兵たちはイラクの失敗を助長した。彼らはひたすらイラクからお金をしぼりとった。イラク自身の治安部隊をつくる代わりに、警備保障会社を利用することの利点と見えたものは、すべて空論だということが判明した。軍事部門の民営化がおしすすめられていったとき、その民間企業の経営陣には、ネオコンやタカ派の政治家たちが名を連ねている。ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・パールなど……。
ひどい、ひどい。「民営化」の美名のもとに、自分たちはぬれ手に粟でもうけていたわけですよ。許せません。ネオ・コンの連中なんて、汚い金もうけの戦争屋でしかありません。広く読まれてほしい本です。

(2008年10月刊。2400円+税

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2009年2月 3日

内部告発、潰れる会社、活きる会社

司法

著者:諏訪園 貞明・杉山 浩一 発行:辰巳出版

行政に対する内部告発が日本全国で年間5000件をこえているというのを知り、驚きました。しかも、8割について何らかの措置が講じられています。公益通報者保護法は実効的に機能しているのですね。いいことだと思います。
内部告発があったとき、その会社がシラを切って否定し続けていると、内部告発者は、さらに詳しい情報をもってメディアや行政に提供する。メディアや行政は、これによってさらに追及する。このパターンがあまりにも多い。
内部告発する人の大半は、普通の人。内部告発する前は、みんな不安にかられている。反社会的な人間はいないし、会社を混乱させるためだけに内部告発する人もいない。本人も悩んでいて、結局、告発したあと会社を辞める人は多い。内部告発の内容に誇張があったり、推測もあったりはするが、決定的なところにウソはない。自分の告発をある行政機関が取り上げてくれないと、別の行政機関なりメディアを次々に探そうとする。いったん内部告発を決意した人は、簡単にはあきらめないわけです。
内部告発する人は、程度の差はあれ、会社の倫理に乗って、違反行為に直接または間接的に関与していたことが多い。したがって、罪の意識を押さえて違反行為の論理に乗っかっていたので、何かのきっかけで押さえが外れると、その分バネがきいて思い切った行動に出やすい。否定されると、二重否定されたとして火に油を注ぐ結果を招く。だから、むしろ会社の役員が、従業員によって不正告発がなされたことを知ったとき、「ありがとう」と述べたら、その後、社内の違反行為は激減するだろう。
行政は内部告発を握りつぶすことができなくなっている。
企業内で不祥事が起きていることが発覚したときには、会社が自ら記者会見を開いて事実を公表し、かつ、内部への処分も決め、対外的にも公表しておく。そうすると、メディアとしても、それ以上の掘り下げはできない。
一に言い訳をしないこと。二に、今後の対応を話の中心にすえること。三に、真摯に対応すること。
会社が面白くないと、不祥事は繰り返される。
内部告発をバカにしてはいけないこと、きちんと対応することの大切さが実例とともに簡潔に良くまとめられた本です。
 やはり、失敗を繰り返してはいけないのですね。
 還暦を迎えたお祝いに、同僚の弁護士たちと夫婦同伴で会食しました。そして、例の赤い帽子と半纏を着せられ、赤い座布団に座ったところを写真を撮られてしまいました。せっかくの好意を拒むわけにはいきませんでしたが、内心では、お前も60歳になったんだぞ、よく自覚しろ、と迫られているみたいで、還暦すなわち老人視されることに、まだまだ大いなる違和感があります。まあ、これも仕方のないことです。健康に留意して、これからも、生まれ変わったつもりで(なにしろ、暦を巻き戻して0歳になるのでしょうから)ボチボチとマイペースでやっていきます。どうぞよろしくお願いします。
(2008年10月刊。1400円+税)

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2009年2月 2日

昆虫、4億年の旅

生き物

著者:今森 光彦、 発行:新潮社

 うひゃあ、すごい、すごーい。昆虫って、こんなにきれいだったのか、えーっ、こんな不気味な色と形をしていたの・・・。身近な昆虫たちを間近で見ると、まったく驚きと発見にみちみちています。くっきり鮮明なカラー写真が200点もあって3600円とは、なんと安いこと。写真を撮る苦労を考えたら、本当に申し訳ない気持ちになります。
 虫にとりつかれた子どもたちのことを、昆虫少年という。昆虫少年という言葉があるのは、おそらく世界中探しても日本だけではないだろうか。かけ事ではない、カブトムシを喧嘩させて遊ぶ純粋な子どもたち。こんな国は、世界広しと言え、いちども見たことがない。「ファーブル昆虫記」のファンの数も日本が世界一だというのも十分納得できる。日本の子どもたちは、美意識と科学心にあふれる好奇な目で、昆虫たちを見ている
 頁をめくって一番始めに登場するのが南米(ブラジル)に棲むヨツコブツノゼミの顔です。頭の上のほう(オプションには胸部とあります)に、たしかに4つのコブがついているのです。その奇妙さといったら、思わず噴き出してしまいそうです。そして、このヨツコブツノゼミから、「おまえ、今、なんか笑ったか?」と重々しい声で問いを投げかけられたら、あわてて口に手をあてて、「いえ、別に・・・」と返事して、ごまかすことでしょう。世にも珍妙なるセミです。ぜひ、実物を写真でご覧ください。
 インドネシアに、ホタルのとまる木があるというのは聞いていました。幾万とも知れないホタルが高さ20メートルの木に集まり、集団発光するのです。いやあ、一度ぜひ見てみたいですね。こればっかりは、写真では実感できません。我が家から歩いて5分のところにも初夏(梅雨前)になるとホタルが飛びかう小川があります。最近、そのすぐ近くで道路工事をしていますので、今年もホタルがちゃんと見れるのか、今から心配しています。
 著者は、プロの写真家になる夢を捨てず、大学を卒業してコマーシャルスタジオに2年間勤め、ファッションや料理など、あらゆるコマーシャル撮影の技術を習得した。そして、著者は29歳のときから、毎年3ヶ月間、のべ2年4ヶ月の歳月をエジプトでのスカラベ撮影に費やした。2年目から昆虫学者(佐藤宏明)がアシスタントとして同行し、著者が写真をとり、助手は生態に関する論文を執筆した。いやあ、すごい執念です。大したものです。
 取材ノートが公開されていますが、手書きの絵もまた実に精妙です。細かいところまでよく観察していることが実感できます。
 虫の卵というのが、こんなに個性的なものであって、虫によって色も形もまるで異なるものだということも知りました。まるでケーキ屋さんの店頭にたくさんの新作ケーキが並べられている感じです。いかにも美味しそうな色をして輝いています。これって、きっとケーキ職人の新作づくりの参考になるんじゃないかと思います。
 昆虫ではありませんが、オーストリアにいるメリディオナリスシロアリのつくった塚が大平原に立ち並んでいる写真は不気味です。西洋の墓地、今でいうと、イラクで戦死したアメリカ兵の墓地を連想させます。
 よくぞ、これだけの写真を撮って公開していただきました。感謝感激です。ありがとうございました。これからも身の危険には十分用心して、頑張っていい写真を撮って公表してくださいね。
 久しぶりに湯布院の温泉につかってきました。初日は小雨模様のなか、夕方、金鱗湖あたりを歩いたのですが、観光客の中にハングルや中国語を話している人の多さに驚きました。
 2日目は雨も上がって、青空の見えるなかを歩きました。小さな美術館がいくつもあるのは湯布院の良さですね。依然として変に俗化していないので、とてもいい雰囲気です。お昼を金鱗湖に面したレストランで、湖の先の山々を見ながら、美味しくいただきました。由布岳の頂上は、白く霧氷で覆われていて、浩然の気を大いに養うことができました。

(2008年7月刊。3600円+税)

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2009年2月 1日

獣の奏者、王獣編

ファンタジー

著者:上橋 菜穂子、 発行:講談社

 いやあ、とても面白いです。ワクワクドキドキする痛快ファンタジーです。『ハリーポッター』の第一作を読んだときと同じように興奮してしまいました。いえ、別に変な意味ではありませんので誤解しないようにお願いします。
 ファンタジーですので、物語の紹介はいたしません。ただ、オビに書かれているキャッチコピーは次のようなものです。
 王国の陰謀に勇敢に立ち向かう少女、エリン。獣を操る技を身につけた彼女が選んだ未来とは?
ふむふむ。でも、それだけでは分かりませんよね。王獣(おうじゅう)とは何か、闘蛇(とうだ)とは何か、王獣と闘蛇が戦ったらどうなるのか。ともかく手にとって読んでみる価値はあります。ちょっと疲れたな。気分転換したいな。そう思ったときには最適ですね。そして、あとがきを読んで、私は驚きました。なんと、著者は『ミツバチ、飼育・生産の実際と蜜源植物』という本を読んでヒントを得たというのです。そして、養蜂に関わる場面については、実際に養蜂している専門家に教えを乞い、ゲラもみてもらったというのです。
すごいですよ。ミツバチから、これだけのファンタジーを着想したというのですから。やっぱり、世の中にはすごい人がいるものです。
 テレビのアニメになって放映されているようですね。

(2006年11月刊。1600円+税)

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