弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年1月30日

江戸子ども百景

日本史(江戸)

著者:小林 忠・中城 正堯、 発行:河出書房新社

 いやあ、実にカワユーイ。江戸時代に子どもを描いた浮世絵があったなんて、ちっとも知りませんでした。それがまた実に愛らしいのです。江戸時代の子どもたちが実に伸びのびと生きていたことを実感させてくれる絵のオンパレードです。そしてまた、子どもたちの遊びが少なくとも私たちの子どものころとあまり変わらないのにも驚きです。どうなんでしょうか、今の子どもたちも、こんな遊びをしているのでしょうか。少子化、ケータイ、ネットの時代には、もうなくなった遊びも多いのではないかと、ちょっぴり心配もしました。
幕末から明治はじめに日本にやってきた外国人は一様に、日本は「子どもたちの楽園」のようだと賛嘆を惜しまなかった。モース(日本考古学の父)は、「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」と、目を細めた。
 グリフィス(化学の教師として福井や東京で教えた)は、「日本ほど、子どもの喜ぶ物を売るオモチャ屋や縁日の多い国はない」と、驚きを隠さなかった。
親は、西洋の親のように体罰を加えてまでしつけを強制することはなかったが、それでいて子どもたちは、みな聞き分けが良く、利発で、礼儀正しかった。
 浮世絵の一ジャンルである「子ども絵」は、江戸の社会にあっては、かなり需要の高い商品であった。
 江戸の子どもたちの遊びは、第一に季節感に富んでいた。正月は追い羽根、2月は凧あげ、3月はおままごと。4月は花見や金魚遊び・・・。第二に、子どもの遊びとオモチャの種類の豊富さに驚かされる。第三に、大人たちの周囲でのイタズラだったり、大人たちの姿の巧みな真似であったりした。
 江戸時代は、子どもをかけがえのない後継者として大切に育てようとする社会であり、子どもは「子宝」とされた。
銀も 黄金も花も なにせんに まされる宝 子にしかめやも(万葉集。山上憶良)
 浮世絵に描かれている子どもたちって、どれもこれも丸々と太って、いかにも大切に育てられているという、幸せ一杯の笑顔を見せています。
カラー図版がたくさんありますので、本当に実感できます。「子をとろ子とろ」「芋虫ころころ」「鬼ごっこ」「めんない千鳥」などのゲーム的な遊技は、仲間との競争や助け合いなど、仲間遊びであった。
 「子をとろ子とろ」は、子をとる鬼から親が子を守る遊びとされるが、本来は、地蔵菩薩が子を守る姿で、地蔵信仰に由来する。私も幼いころ、「こーとろ、こーとろ」というかけ声で遊んだような気がします。
 輪回しという絵が描かれていますが、私も、自転車のタイヤを外した輪に棒をあて立てて転がす遊びをしていた覚えがあります。江戸時代の子どもたちは竹製の輪をどうやってまわしていたのでしょうか・・・。
 江戸時代には職人がつくるおもちゃが豊富で、子どもにとって歴史はじまって以来の「玩具天国」となった。黒田日出男は「子どものおもちゃや遊びどうぐをつくる職人の登場は近世社会の文化現象」とみなしている。
 わずか90項ほどの大判の浮世絵による子どもの百景なのですが、眺めているうちに何やら童心に返って、ほんわか心があったまりました。

(2008年5月刊。2800円+税)

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