弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年1月17日

幸せな子

ドイツ

著者:トーマス・バーゲンソール、 発行:朝日新聞出版

 現職は国際司法裁判所の判事である著者は、ユダヤ人として、あのアウシュヴィッツに10歳の時に収容され、奇跡的にも助かり、父親は収容所内で死亡するものの、母親も収容所を生きのび、戦後、再会することができました。まさに奇跡の積み重ねがありました。こんなこともあるんだなと、つい思ってしまいましたが、本人は、強い生存本能のもとに、死ぬとは思わずに頑張ったようです。
子どもの生存本能は強く、環境が変わっても、そこで生きるために適応することができる。子どもは本能的に自分が死ぬことはないと、そして、自分には生きる権利があると信じている。
 自分が生き残ったのは、まったくの幸運だったと思っている。生き残るか生き残らないかは、自分にはどうしようもない運のゲームであり、だから、その結果の責任は自分にあるわけではないと考えるようになった。ドイツ語もポーランド語もなまりなく上手に話せたこと。そして、ユダヤ人に見えなかったことも、生き延びるためには好都合だった。
ドイツ語が話せたおかげで何度も助かっただけでなく、ドイツ人っぽい顔つきのおかげで助かった。もしかして、私を見て、ナチの将校たちは自分の子どものことを思い出したのかもしれない。収容所の司令官は、私が働けると言ったとき、私を生かしておこうと決めたのかもしれない。ポーランド語を話せることでも何度も大いに役に立った。間違いなく、これらのことが組み合わさって、生き残るうえで役に立った。そして、それらは、ほとんどが偶然のことだった。
 著者の子どものころの顔写真があります。いかにも利発そうで、愛らしく、可愛さあふれる男の子です。こんな可愛らしい男の子が目の前にいたら、いくらナチスだって、人間としてとても殺す気にはならなかったでしょう。
そして、当時40歳ほどの著者の父親の毅然とした態度が妻と子を生きのびさせたのです。たいした父親です。そして母親もすごいものです。単なる免許証をいかにも重要な証明書であるかのように言い通したり、ハッタリを堂々とかませてナチスをやりこめたのです。
収容所では子どもが一番危ない。それを出し抜く方法を著者の父親は考え出した。毎朝の点呼のとき、できるだけうしろの方に著者を立たせる。バラックの入り口の近くに。点呼が終わって死の選択が行われそうな気配が見られたら、著者はバラックにこっそり入って、そこに隠れた。な、なーるほど、ですね。すごい勇気です。
 アウシュヴィッツでは、一度も鳥を見なかった。人間を焼く火葬場の煙と悪臭のせいで鳥がこなかったのだろう。
 収容所の中に子ども用バラックがあった。あるドイツ政治犯が考え、ナチスを説得したのだ。子どもは収容所で役に立つ仕事ができるのに殺すのはばかげていると。そして、子どもたちの主な仕事はゴミの回収だった。
 戦後、母親から著者に手紙が届いたときの様子を語ったくだりが泣かせます。
間違いなく母の字だと分かった。お母さんが生きている。ぼくは何度も何度も自分にそう言った。それは人生で一番幸せな瞬間だった。ぼくは泣き出し、同時に笑い出した。孤児院に来て以来、一生懸命つちかってきた自制心や強がりをみんな脱ぎ捨てて、ぼくにはお母さんがいて、だから、ぼくはまた子どもに戻ることができるのだ。
そうなんですよね。生きのびるために精一杯、背伸びをして大人を装っていたのをやめていいなんて、すばらしいことではありませんか。
 戦後まもなく、ドイツ人が楽しそうに話しながら歩いているのを見て、著者はバルコニーに機関銃をすえて、ドイツ人がぼくの家族にしたのと同じことをしたいと考えた。でも、そんな無差別な復讐をしたところで、父も祖父母も戻ってこないと気がつくのには、それから長い時間がかかった。そして、憎しみや暴力の悪循環を絶たねばならないと気がつくまでには、さらに長い時間が必要だった。憎しみや暴力は、罪のない人々の苦しみを増やすだけなんだ・・・。
 生きのびるって、本当にすばらしいことなんだと実感させてくれるいい本でした。

(2008年10月刊。1800円+税)

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