弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2009年1月 8日
潜入工作員
アメリカ
著者:アーロン・コーエン、 発行:原書房
カナダ生まれ、ビバリーヒルズ育ちのユダヤ人青年がイスラエルに渡って猛特訓を経て対テロ特殊部隊員になる展開です。その訓練のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
両親が離婚し、母親はハリウッドで脚本家、プロデューサーとしての仕事をしはじめた。そのためアーロンは、子どものころ、幾度となく引っ越し、学校もしばしば変わった。
こんな生活が幼い精神にどれほど混乱を与えたか。ためらいや不安を押し隠し、思考的な壁をめぐらせて、何事にも動じないふりをする術を身につけた。なーるほど、そういうことなんですね。ふり、でしかないのですか・・。
若い世代のイスラエル人は、もはや分かち合いの犠牲的精神に魅力を感じなくなっている。そのため、キブツでは、手作業や工場での労働に、パレスチナアラブ人やアフリカやアジアからの移民を雇わざるをえなくなっている。そして、キブツの青年たちの中に、麻薬中毒患者の割合が非常に高くなっている。キブツも変わりつつあるようです。
訓練が始まった。運が良ければ疲労困憊のすえに4時間ほど居眠りできた。将校たちは、1日20時間、ノンストップランニングや腕立て伏せや腹筋運動を課した。そのうえ、24時間内、ずっと眠らせてくれない日もあった。まるで悪夢だ。絶叫、ストレス、苦悩、落胆、そして涙。
体力的にも精神的にも強さが試されると同時に、あらゆる人格的側面も評価された。誠実さ、スタミナ、正直さとチームワーク、プレッシャーの中での思考力に、状況判断力。教官は、訓練生をバラバラに分解し、ひっくり返し、心の深部に潜む真の姿に迫ろうとする。そして1週間、毎日24時間、ヘブライ語で怒鳴り続けられた。
毎日の訓練は、適者生存の法則に支配されていた。少しでも弱みを見せると、たちまち攻撃され、食いものにされ、容赦なく罰せられる。100人の内99人までが送り返される。ここで生き残るためには、思情のないロボットに、戦うための機械になりきらねばならなかった。
基礎訓練のあいだ中、共感は嵐のように訓練生を容赦なく苦しめる。教官は何度もこう言った。
「お前らは役立たずだ。お前らなど必要ない。」
肉体的苦痛だけでも十分きつかったが、精神的加圧はさらに耐え難かった。絶え間なくからかわれ、ののしられる経験は、それまで味わったことのない経験だった。
長い年月のあいだに、訓練中の若者が命を落としている。基礎訓練のあいだに、体力的にも精神的にも限界ぎりぎりまで追い詰められた。
基礎訓練で唯一良かったといえることは、睡眠のありがたさが身にしみて分かったこと。ごくわずかな時間でも、最大限の眠りを得られるような身体に鍛え直された。床につく時間が5時間あれば、きっかり300分のあいだ目を閉じていた。夢さえも見ることはなかった。消灯とともに目を閉じたかと思うと、次の瞬間には、起床ラッパとともに目が覚めた。
睡眠を奪われることは、軍隊生活のもっともつらい面の一つだった。ドゥヴデヴァンは、イスラエル軍で唯一、対テロ作戦を専門とする部隊である。占領地で、隠密に対テロ作戦を遂行することが唯一の目標なのだ。
そこの訓練は、たとえば、こういうもの。攻撃性トレーニング訓練は、長い一日の野外訓練のあと、バスに乗り込んだとたん、教官が叫ぶ。
「20番の席に座った者は、3番の席に移動しろ。残りの者は全力でそれを阻止せよ」
バスに乗っている者全員が車内で全力を尽くして戦わなければならない。殴られることへの本能的な恐れを克服するのが、この訓練の狙いだ。無差別暴力、全員参加の乱闘騒ぎだ。基地に着くまでのバス内の2時間、攻撃性トレーニングはノンストップで展開される。2ヶ月のあいだ、毎日30人から40人の相手と戦っていると、人間の精神に重大な変化が起こる。本来備わっていた攻撃性が強められ、常にスイッチが入った状態になる。攻撃性トレーニングは人間の精神に深く浸透し、永遠に人を変えてしまう。
射撃訓練は、一人につき、1週間に5000発を打つ。反応速度が向上するにつれ、1秒間に3発を続けざまに打ち、いずれの弾も狙った場所を正確に撃ち抜けるようになった。さまざまな距離から正確にターゲットを選んでの狙撃術や、走りながら、あるいはバリケードや壁をまわりこみながら銃を撃つ技術を磨くには、繰り返し何千発も実弾を撃つしか方法はない。
基礎訓練が始まるときに40人いた訓練生は、2週間も過ぎたときには14人に減っていた。特殊部隊の兵士を育成するには、1人50万ドルから100万ドルの経費がかかる。
実戦では、あらかじめ決められていた手順にこだわらず、臨機応変に作戦を変更する心構えが必要だ。ロボットにはなるな。第一の作戦がダメなら、第二の作戦、それがダメなら第三の作戦で行く。
特殊部隊には、対テロ攻撃によって愛する身内を失った経験のある人は入れない。復讐心で正しい判断を失っている者は排除される。作戦遂行中は、感情は厄介者でしかない。判断力を鈍らせ、自分やチームの仲間を死に追いやる。この種の仕事には、客観的で冷たい無関心が必要とされる。
イスラエル軍がハマスの幹部を次々に殺しているようですが、この本にも幹部を拉致した時の状況が描かれています。周到な準備をして、完璧な欺騙工作によって瞬時のうちにからめ取るのです。
でも、力で抑えようとしても、結局のところ、反発を生んで暴力の連鎖が深く広がるだけではないでしょうか。
イスラエルの対テロ特殊部隊の実像の一端が語られている本です。著屋は志願して猛特訓を経て特殊部隊に入ったわけですが、3年間そこにいて、これ以上はもたないと思って退役しました。人を殺すことが人間として耐えられなかったのです。いくら猛特訓をしても人が人を殺すことに慣れてしまうことはできないようです。そうですよね、やっぱり。
大晦日は、いつも近くのお寺に除夜の鐘をつきに出かけます。山の中腹にある古いお寺です。歩いて20分ほどのところにありますので、完全防寒スタイルを整えて12月31日の夜10時40分ころ出発します。フトコロには生命の水(オードヴィ。つまりブランデーと、アイポッドを市のまえます。どんなに寒い冬でも、坂道を上がっていくと、汗ばむほどになります。お寺の境内には、ちゃんとたき火が用意されています。丸太を組み合わせた本格派のたき火ですので、何時間かは持ちます。
このところ、到着するのは先頭から3組目ほどです。毎年、一番手の顔ぶれは変わります。私が、年越しの除夜の鐘つきに来るようになったのは、もうかれこれ30年前になりますので、最古参であることは間違いありません。
今年は鐘つきに並ぶのは少ないのかなと心配しながら待っていると、11時半過ぎになって急に参列する人が増えました。なかには小さい子どもや犬連れもいます。私は列に並ぶと、アイポッドを操作してシャンソンを聞きます。しばらく好きな歌を聴いたあとは、NHKのフランス語講座も聴いて、しっかりフランス語を復習します。なにしろ、語学はリピートが大切なのです。耳慣らしを怠ると、たちまち上の空になってしまいます。
やがて12時が近づいてきました。先ほどはポツポツと小雨が降る気配すらあったのに、いつのまにか星も見えています。大きな北斗七星がくっきりと頭上高く見えだしました。
鐘つきを始める前に、若いお坊さんが高齢の簡単な挨拶をします。今年は非正規雇用の人たちが解雇されるなど、厳しい状況でもありますが……、という話でした。短い言葉の中にも、今の世相を反映しているなと思いました。除夜の鐘をついたあと、紅白の小さなお鏡もちをいただいて帰ります。
その前、0時になったとたん、遠くにあるレジャーランドから続けざまに花火が打ち上がるのがきれいに見えました。いつもは音だけだったのですが、邪魔になっていた林が霧払われて見通しが良くなったおかげです。
(2008年11月刊。1800円+税)