弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年1月 3日

絵が語る知らなかった江戸のくらし

日本史(江戸)

著者:本田 豊、 発行:遊子館

 前に「庶民の巻」というのがあるそうで、この本は「武士の巻」です。豊富な絵によって、ビジュアルなものになっていますので、活字で想像していたものとの異同を味わうことができます。
 隠れキリシタンは全国各地にいた。そして、「踏み絵」は全国どこででも行われていたのではない。実際には、キリスト教徒の多かった九州の天草や、その周辺に限られていた。ええーっ、本当でしょうか?
 隠れキリシタンの多くは非人に紛れ込んだ。鎌倉・由比ヶ浜の長吏頭(ちょうりがしら)のように江戸時代を通して隠れキリシタンだった者もいる。甲州(山梨県)をはじめ、各地の銅や銀山の鉱山労働者の中には、かなりたくさんの隠れキリシタンがいた。うへーっ、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
 江戸時代の武家屋敷は、大から小まで、表札は掲げていいなかった。武士は常在戦場を建前としていたからだ。これは前にも聞いたことがあります。時代劇で表札が出ているシーンを見た覚えがありますが、間違いなんですね。
 江戸をはじめ、城下町には必ず武士専門の口入屋(くちいれや)があり、かなり繁盛していた。口入屋には、武士専門の業者と商工業者向けの派遣業者の2種類があった。田舎から出てきた単身赴任の武士は浅黄裏(あさぎうら)と呼ばれて、からかわれた。着物の裏におもに浅黄木綿をつかっていたから。実用的で丈夫ではあったが、野暮天だった。
 この本は、「武士や名主・庄屋といった人たちの間では、離婚はありえなかった」としていますが、これは間違いだと思います。江戸時代の離婚は、上は大名・旗本から、下は町人・庶民にいたるまで、ありふれたことでした。日本は昔から離婚王国の国だったのです。それほど日本の女性の力は偉大でした。この点は、戦国時代の宣教師ルイス・フロイスの観察記にもありますので、間違いないところだと思います。
 江戸時代の出版物には、かなりの影響力があった。たとえ300部しか出版されなかったとしても、繰り返し読まれ、総計では何万人もの人たちがよんでくれる。したがって、出版物に対する幕府による統制は、厳しいものがあった。
 江戸時代の日本人も、けっこう伸び伸びと趣味を楽しんでいたりしていたようです。今の日本と共通するところが多いのは、やはり400年くらいで人間が変わるわけはないということなのでしょうね。
(2008年10月刊。1400円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー