弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年12月10日

浜風受くる日々に

社会

著者:風見 梢太郎、 発行:新日本出版社

 関西の中高一貫の名門高校を舞台として、そこに通う高校生の悩み多き青春の姿が組合活動にいそしむ教師群などを混じえて生き生きと描かれています。私と同世代、団塊世代の話なので、共感を覚えながら読みすすめました。といっても、私は、ここに登場してくる高校生たちほど社会的に目覚めてはいませんでした。
 実のところ、私は自分の卒業した県立高校に、残念ながら、あまり親近感を抱いていません。よほど大学の方に親近感を抱いています。高校の同窓会にも、地元にいながら出たことがありません。というのも、地元の保守系政財界をこの同窓会出身者が牛耳っているとしか思えないからです。また、教師陣もあからさまな右寄り教師が幅をきかせ(例の変な教科書をいち早く採用したり)、生徒指導も自由を奪ってガンジガラメ。その結果、地元の評価は今や見るも無残に低下してしまっています。本当に残念でなりません。
私は学区制を復活すべきだと考えています。また、教師集団がもっと伸び伸び自由に取り組めるように改められるべきだと思います。
私は高校生のとき、生徒会の副会長そして生徒会長も務めました。2年生のとき、昼休みにタスキをかけて全クラスを立候補の挨拶に回りました。派手な選挙活動が流行っていたのです。対立候補も同じことをしましたが、私の方が見事に当選することができました。生徒会役員の他校訪問というのがあって、四国や広島の高校まで見学に出かけたことがあります。生徒会指導の教諭が引率しての旅行でしたが、とても楽しい思い出となっています。こちらは、少し前、一度だけ生徒会役員だった人だけの同窓会を京都でしました。
ところが、生徒会活動に熱中していると成績が下がってしまい、英語の教師から「どうした。最近、ぱっとしないやないか」と苦言を言われ、はっとしました。
 もう一つ、高校生活の思い出といえば、『ぺるそな』と名付けた同人誌を3号まで発刊したことです。私も下手な小説を書いて発表しました。しかしながら、あとは灰色の受験勉強に追われていました。思い出したくもありません。といっても、当時使っていた参考書は今も記念に大切に保存しているのですが……。
 この本の主人公(哲郎)は、中高一貫の有名校に高校から入りました。当初は苦労したのですが、たちまち成績優秀者として頭角をあらわしました。理科系の得意な哲郎ですが、新聞部に入りました。文章もよくしたのです。
 先輩の大学生がセツルメント活動をしているという会話が登場します。
「なんや、そのセツルメントって」
「生活が苦しい人たちが集まっている地域に行って、子どもと遊んだり、勉強を教えたり、法学部の学生は法律相談とか、医学部の学生は健康相談とか、やるんだって」
「ふーん、そんなことする人たちがおるんか」
「どこの大学にもあるようだよ、そういうサークルは」
 この会話はだいたいあたっています。ただ、私はセツルメントに入って青年部に所属していました。若者サークルのなかで、レクリエーションを主体としながら週1回交流するのでした。なんということもない話しかしないのですが、よく考えてみたら、こんな関係がいつまで続くのか、続けられるものなのか、ときどき胸に手を当てて考えざるをえませんでした。
「Kさん、ほら、さっき言ったセツルメント活動なんかやってて、まあ透明無色じゃないんだよ。それで、そういう人がD通信公社みたいなところに就職したことに対して、皮肉っぽくKさんに言う人がいたんだよ」
「D通信公社の中で、思想を貫けるのか。ものすごい弾圧が待っているのに……」
 そうなんです。セツルメント活動のなかで良心を自覚したとき、それが官庁や会社に入ってからも変質しないでいられるのか、私はすごく心配でした。そして、その心配は現実のものでしたし、あたっていたのです。
大学でセツルメント活動をやっていて、就職してからも自分の生き方を貫くのだ、と書いた手紙を同級生から見せてもらった。企業で過酷な差別を受けたとき、果たして乗り切っていけるだろうか……。
 この本には哲郎の独特の勉強の仕方、記憶法も紹介されています。
 世界史や生物のノートの余白に小さなカットを描いた。すると、哲郎は、それぞれの絵がページのどこに位置するかを容易に思い出せた。その絵に照らし出されるように周りに書かれた文字もおぼろげに思い出せた。絵に工夫をこらすと、いっそう文字も思い出しやすくなった。哲郎はノートの1ページを丸々覚えることができるようになった。
 そうなんです。視覚的に、あそこにこんなことが書いてあったというように記憶していくのは、私も得意技の一つでした。
高校では字をきれいに書くことをやかましく言われた。答案の字が汚いと受験のときに損をするという趣旨のようだ。哲郎も、中学時代の癖のある乱暴な字から、きれいな素直な字に変わった。字をきれいに書くということが精神の緊張を要し、それが思考を助けることも経験した。
私の場合、字がきれいになったのは、大学に入ってセツルメントのなかでガリ切りをするようになってからです。大勢の人に読まれる字、読みやすい字を書かなければ何時間も苦労して書いてもムダになってしまいます。一生懸命にきれいに書く練習をしました。
名門高校の授業についていけず、反発してドロップアウトしていく生徒がいた。また、早くも立身出世のみを願う生徒がいた。
「オレはなあ、たった3年間、勉強に専念するだけで、一生莫大な利益が得られる道に進もうとしてるんだ。ほかのことをやってる時間なんかないよ」
「大蔵省やら通産省の役人になるとなあ、自分の娘を嫁にもらってくれって、大会社の社長どもが押し寄せてくる」
「なんでや」
「役人は絶大な権限を握ってるんや。それが娘婿だったら、会社経営に断然有利やないか。娘婿を通じて役人に人脈もつくれるやろ。政府の情報はいち早く入ってくる」
「それは政略結婚やないか」
「別にええやないか。お互いに得になることやし。美しい、性格のいい嫁さんをこっちから選んでやる」
ええーっ、高校生が当時こんな会話をするなんてありえたのでしょうか……。いくらなんでも、私には想像を絶します。

(2008年10月刊。2200円+税)

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