弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年11月26日

アメリカの宗教右派

アメリカ

著者:飯山 雅史、 発行:中公新書ラクレ

 アメリカ人と宗教というのが密接不可分のものだということを改めて認識させられました。アメリカでは州によって多数派の宗教が異なっているのですね。そして、そこそこの州は自分のところの多数派宗教を守るために連邦政府の介入を排除したいわけで、そのために憲法で政教分離がうたわれている。これって、初めて知りました。
 バージニア州では、イギリス国教会が唯一の公認教会だった。ピューリタンはマサチューセッツを拠点とした。クエーカーはペンシルバニアをつくった。バプテストは、ロードアイランドに移り住んだ。カトリックはメリーランドに住んだ。アメリカ独立のときの13植民地は、こんな状態だったから、合衆国憲法を定めるにあたって、「連邦政府は国教を樹立してはいけない」という項目が入ったのも当然だった。それぞれの州が長い歴史と犠牲の末に樹立した宗教政策に対して、連邦政府が干渉するなんて言語道断だった。それに対して、州政府が州内に公認宗教をもつのは違憲ではなかった。ううむ、なるほど、なるほど、ですね。
 会衆派はハーバードとエール大学。イギリス国教会(聖公会)はウィリアム&メリー大学とコロンビア大学、長老派はプリンストン大学を建設した。
 アメリカ国民の8割以上は、信仰は自分の生活にとって重要だと考え、同じくらいの人が何らかの教派に所属している。
 アメリカの宗教右派はこれまで3度にわたって隆盛を誇った。第一期は1980年代のこと。このとき共和党は奇妙な新興勢力が票を集めることを歓迎したが、あまり真剣に相手はしなかった。第二期は1990年代で、共和党はモンスターに成長した宗教右派のパワーに恐れをなし、ギングリッチの暴走をコントロールすることもできず、黄金の中間世帯からそっぽを向かれて支持率を落とした。第三の全盛期である2000年代になると、共和党は宗教右派を同志として受け入れ、赤い絨毯を敷いて厚遇したが、決して宗教右派の囚われの身になっていたわけではない。むしろ、共和党の集票マシーンとして、宗教右派のほうを手なずけた。ううむ、なるほど、このように荒廃を繰り返していたのですか……。ところで、今はどうなんでしょうか?
 かつて何十万人もの信徒を熱狂させたカリスマ的な宗教右派の指導者たちは高齢化して、力を失い、他界する人も出てきた。最強の選挙マシンだった「キリスト教連合」は指導部の内紛や分裂から、もはや弱小組織にすぎない。そして、オバマ候補に敗れ去ったが、共和党の候補者として、マケインの選出を許してしまった。マケインは宗教右派をこけにしてきた人物だとのことです。
 アメリカ人の70%は、死後の世界を信じている。フランス人は35%だ。悪魔を信じるアメリカ人は65%もいる。イギリス人は28%でしかない。
 アル・カポネの名前と結びついて有名な禁酒法の制定(1919年)は、カトリックへのプロテスタントからの嫌がらせという側面を無視できない。アメリカ新参者のカトリックは貧困層が多く、強い飲酒癖をもっていた。
 アメリカにおける「家族の崩壊」は、幻想ではなく、現実である。1994年の政府統計によると、母親と子供だけのシングル・マザー世帯は全世帯の3割近い。ワシントンの黒人でみると、9割の子どもが非嫡出子である。黒人社会では、親と子どもとおばあちゃんで暮らすのが「普通の家族」なのである。
 アメリカのカトリック教徒は6600万人もいて、単一の教派としては最大の勢力をもっている。そして、この膨大なカトリック票が共和党から民主党へ激しく揺れ動く、究極の浮動票なのである。民主党も共和党も、カトリックの意識にはぴったりはまらない。だから、選挙のたびごとに投票先が変わる。
 黒人教会は、もっとも忠実な民主党支持層である。ユダヤ教徒も、黒人有権者と同じくらい忠実な民主党支持層である。
 アメリカの宗教右派運動には、しばらく冬の時代が到来しそうである。宗教右派運動は絶頂期を過ぎて、今後は長期的にも下降線をたどっていくのでしょうか・・・・・・。 
(2008年9月刊。760円+税)

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