弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2008年11月19日
トゥイーの日記
東南アジア
著者:ダン・トゥイー・チャム、 発行:経済界
私は始めから終わりまで涙なくして読み続けることができませんでした。だって、あのベトナム戦争を戦っていた英雄的なベトナム青年による命がけの日記なのですよ。心が震えるほどの感動を久しぶりに味わいました。
私の大学生のころ、「ベトナム侵略戦争、反対!」という叫びを何度あげたか、数え切れません。いくつもの大小さまざまの集会に参加し、デモ行進をしました。夜の銀座通りいっぱいに広がったフランスデモをしたときは感動に胸が震えました。アメリカ帝国のベトナム侵略戦争に反対しようという呼びかけは私の心を奮い立たせるものでした。
ベトナム戦争が終わったのは、私が弁護士になった年か、その翌年4月のことでした。メーデーの会場で先輩弁護士たちと喜んだことを思い出します。
この本は、北ベトナムに生まれ育った若い女性が、医師として南ベトナムへ志願して出かけ、ついにアメリカ軍に殺されてしまうのですが、その若き女医さんが毎日書いていた日記を、敵のアメリカ兵がこっそりアメリカに持ち帰って大切に保存していて、35年後にベトナムの親へ送ったことから、ついに活字になったという経緯で作られたものです。
若き女医さんは、森の中の診療所がアメリカ軍に発見されようとしたとき、1人で120人のアメリカ兵を相手にして戦い、額に銃撃されて死んでしまいました。でも、そのおかげで診療所の人々は助かったのでした。そんな勇ましい女医さんが、実はこまやかな感情とともに生活していたことが本当によく分かります。
日記は、1968年4月に始まります。私が東京で大学2年生になった時期です。トゥイーは、このとき25歳ですから、私より6歳うえになります。トゥイーは、2年前の1966年12月にハノイを出発し、ホーチミンルートと呼ばれていた山道を3か月のあいだ歩き続けて、南のクァンガイに着きました。
生きていくうえで、謙虚な気持ちは大切だけれど、自信や自主性も備えていなければ。正しいことをしているのなら、自分自身に誇りを持つこと。
戦争は依然として続いている。毎日、毎時、毎分、手のひらを返すように、いとも簡単に人が死んでゆく。誰かに愛されて生きてきた大切な命がいとも簡単に失われていく。
みんな、今のこの光景を思い出してほしい。この解放事業のために血を流し、犠牲になった人たちのことを記憶にとどめてほしい。私たちの国土に悪魔が住み続ける以上……。
そしてトゥイーは、アメリカ軍と戦う味方の陣営にもさまざまの弱点があることも書いています。解放後のベトナムで幹部の汚職が絶えないようですが、それは壮烈な解放闘争の中でも同じようなことは起きていたというわけです。
人の心臓は赤い血ばかりではなく、半分はどす黒い血で満たされているらしい。だから、人の頭の中も、快活で聡明な面と暗く卑怯な面があるのだろう。
何より悲しいのは、こんなひどい日常の中で、公平な行為がなされないこと。党員の名誉を汚し、診療所のみんなの意欲を損なわせる卑劣な行いがあるのに、誰も対抗できないでいる。
トゥイーは、戦場で長年の恋人と別れてしまいます。しかし、心の中ではずっと割り切れない思いを引きずるのです。日記にそのことが何度となく書かれます。それがまたトゥイーの人柄に親しみを感じさせます。
「さよなら。いつかキミはキミにふさわしい恋人が現れるだろう。でも、これだけは言える。この世でボクほどキミを愛した人はいない、と」
おそらく、この言葉は本当だろう。でも、私は後悔していない。だって、あなたを愛していないのに、あなたの高尚な愛を受け入れることなんてできないから。でも、今では私はあなたを大切に思っている。あなたと、もう一度やり直したい。
ここには、トゥイーの揺れ動く心が如実に表れています。
戦争は、あまりにも残酷だ。今朝、リン爆弾で全身を焼かれた患者が運ばれてきた。患者の身体はまだくすぶって、煙がたちのぼっている。20歳の少年だ。かつての愛らしい少年の面影は残っておらず、いつも楽しそうに笑っていた真っ黒な目は、ただの小さな二つの穴にすぎない。その姿は、まるで、オーブンから出されたばかりのこんがり焼いた肉塊のようであった。
この3ヶ月で診療所はアメリカ軍から4回の襲撃を受けた。
大雨の中、壕にもぐって1時間あまりたった。雨水がだんだん増えて、水面は胸元に届くまでになった。寒さに震え、ついに耐えきれなくなって外に出た。
このとき、トゥイーは、これは、まるでパリの下水溝の中を進んでいるマリウス(『レ・ミゼラブル』)のような気になった、と書いています。
私の青春は、戦火の中で過ぎた。戦争は、若さと愛でいっぱいだったはずの私の幸福を奪っていった。20代なら誰だって青春を謳歌したい、輝いた瞳とつややかな唇でありたいと思う。しかし、今の20代は、幸せになりたいという当たり前の願いさえ捨て去らなければいけないのだ。
私の青春は、大勢の人たちの血と汗と涙がしみている。
私の青春は、厳しい試練の中で鋼のように鍛えられている。
私の青春は、日ごとにつのる怨恨の炎の中で熱く激しく燃えている。
私の青春は、それでも私の青春は、私を見ていてくれる誰かがいれば、夢と愛の色に染め上げられる。
トゥイーがこのような壮絶な心の叫びを日記に書き付けたとき、私は20歳になっていました。申し訳ないことに、平和のうちに夢と愛の色に染め上げられていました。
トゥイーがアメリカ軍に殺されたのは、日記の最終日(1970年6月20日)の2日後のことでした。母と妹が、額の真ん中にぽっかりとあいた銃跡を確認しています。
そして、この日記は、アメリカ軍の情報部に届けられ、点検された結果、軍事的価値はない不用品として危うくドラム缶に投げ込まれようとしたのです。そのとき、ベトナム人通訳がそれを止めました。「それは焼くな。それ自体が炎を出している」と言って……。
アメリカに持ち帰ったホワイトハースはFBIで働くようになり、FBIを内部告発して退職しました。そして、ベトナム女性と結婚した弟に日記を渡して、この日記の価値を理解したのです。35年ぶりにはるか南の地で戦死したわが娘の日記に対面した母親の驚き、悲しみ、また喜びはどれほどのものだったでしょうか。
ベトナムで本になって出版されると、43万部を売り上げる大ヒットになりました。ベトナム戦争の真実を、ベトナムの若者が知ることができたのです。
日本語に翻訳し、出版してくれたことに心から感謝します。かつてベトナム戦争に反対した多くの日本人に読まれることを願います。
私は、布団の中に入ってからも、この本を思い出して涙が止まりませんでした。2年分の日記を読んで、すっかりトゥイーに感情移入していたからです。アメリカ軍に殺されてしまった夢多き若き女医さんの悔しさが、自分のものであるかのような思いに駆られたのです。
(2008年8月刊。1524円+税)