弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年11月27日

近代日本の右翼思想

社会

著者:片山 杜秀、 発行:講談社選書メチエ

 私は右翼とか左翼とかいう言葉が好きではありません。ですから、自分が右翼だということはありませんが、自分が左翼だという意識もあまりありません。では何か、と問われると、革新派だというのが私の自称です。それに対する言葉は、もちろん保守です。保守というのは守旧派です。それには頑迷固陋というイメージがまとわりつきます。革新は変革。オバマ次期大統領ではありませんが、change、変えようということです。今の世の中の悪いところは大胆に変えていきたい。私は本気でそう思っています。昔のままの自民党政治でいいなんて、私はまっぴら御免です。汚職、腐敗、土建政治、財界本位、弱者切り捨てではありませんか。
 この本は、少し私にとって難し過ぎました。でも、安岡正篤(まさひろ)についてだけは、私の関心をひきつけました。
 歴代首相の指南番と呼ばれ、財界の大物にとっても指導者だということで高名だった人物です。晩年に、あの細木数子と浮き名を流していたなんて、まったく知りませんでした。それほど私にとってはどうでもいい人物なのでした。ところが、財界人に大モテだった安岡は、右翼から嫌われ、馬鹿にされていたというのです。いやあ、そうだったの……と、私は驚いてしまいました。
 竹内好は安岡正篤を口舌の徒と評している。口先のみ発達し、言葉をもてあそび、さももっともらしいことを言いながら、実際には革命家らしいことは何もしない者の典型だ。
 松本健一も、安岡のことを大川周明と同レベルにまで価値が下がっているとして、安岡をバカにしている。
 その大川周明は安岡のことを日記で次のように書いている。
 ひさしぶりで安岡君の話を聞いたが、言うことが万事そらぞらしく響いて、まことに不快だ。安岡君と藤田君と相並んでいると、嘘と真の標本を並べ見る気がする。
 安岡は過激な変革を叫ばない。体制側に安心と思わせる思想傾向は、政官界に安岡の名声を一段と高からしめた。
 安岡にとって、天皇が革命の唯一の主体であった。だから、日本の具体的な変革を目ざす右翼からは、安岡は微温的と非難された。下からの革命を企む者にとって、安岡は最悪の思想家だった。安岡は革命を説いた。しかし、その革命論は下々は絶対に革命を起こしてはならないという革命論だった。
 安岡が教え導き、言いなりにしたいと熱望していた要人とは、首相ではなく、天皇だった。安岡は国家の「最高我」(天皇)の師となることで、倫理国家実現のための、あらゆる具体的施策をたちまち断行できるような種類の革命を起こしたかったのだろう。
 世の中に不満がある。変革を考える。けれど、うまくいかないから、保留する。決定的なことは天皇に預けて考えないようにする。もう、ありのままに任せて、考えるのをやめる。考えなくなれば、頭がいらなくなる。正しく考える力は天皇にある。それなら、変えようなどと余計なことは考えない方がいい。
 今、日本の右翼はいまの天皇を苦々しく思っているようです。そうでなければ、雅子妃バッシングが相変わらず続いているのを黙って見過ごすはずはありません。昭和天皇の過ちを一身に受け止めて、世界に向かって謝罪しつづけている今の天皇に不快に思っているのです。ということは、右翼にとっても天皇は絶対至高の存在ではないということでしょう。自分の都合のいいように支配できるときだけ天皇には利用価値があるわけです。私はむしろ、父である昭和天皇の犯した過ちを繰り返し謝罪し続ける今の天皇には人間味を感じています。
(2008年2月刊。1500円+税)

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2008年11月26日

アメリカの宗教右派

アメリカ

著者:飯山 雅史、 発行:中公新書ラクレ

 アメリカ人と宗教というのが密接不可分のものだということを改めて認識させられました。アメリカでは州によって多数派の宗教が異なっているのですね。そして、そこそこの州は自分のところの多数派宗教を守るために連邦政府の介入を排除したいわけで、そのために憲法で政教分離がうたわれている。これって、初めて知りました。
 バージニア州では、イギリス国教会が唯一の公認教会だった。ピューリタンはマサチューセッツを拠点とした。クエーカーはペンシルバニアをつくった。バプテストは、ロードアイランドに移り住んだ。カトリックはメリーランドに住んだ。アメリカ独立のときの13植民地は、こんな状態だったから、合衆国憲法を定めるにあたって、「連邦政府は国教を樹立してはいけない」という項目が入ったのも当然だった。それぞれの州が長い歴史と犠牲の末に樹立した宗教政策に対して、連邦政府が干渉するなんて言語道断だった。それに対して、州政府が州内に公認宗教をもつのは違憲ではなかった。ううむ、なるほど、なるほど、ですね。
 会衆派はハーバードとエール大学。イギリス国教会(聖公会)はウィリアム&メリー大学とコロンビア大学、長老派はプリンストン大学を建設した。
 アメリカ国民の8割以上は、信仰は自分の生活にとって重要だと考え、同じくらいの人が何らかの教派に所属している。
 アメリカの宗教右派はこれまで3度にわたって隆盛を誇った。第一期は1980年代のこと。このとき共和党は奇妙な新興勢力が票を集めることを歓迎したが、あまり真剣に相手はしなかった。第二期は1990年代で、共和党はモンスターに成長した宗教右派のパワーに恐れをなし、ギングリッチの暴走をコントロールすることもできず、黄金の中間世帯からそっぽを向かれて支持率を落とした。第三の全盛期である2000年代になると、共和党は宗教右派を同志として受け入れ、赤い絨毯を敷いて厚遇したが、決して宗教右派の囚われの身になっていたわけではない。むしろ、共和党の集票マシーンとして、宗教右派のほうを手なずけた。ううむ、なるほど、このように荒廃を繰り返していたのですか……。ところで、今はどうなんでしょうか?
 かつて何十万人もの信徒を熱狂させたカリスマ的な宗教右派の指導者たちは高齢化して、力を失い、他界する人も出てきた。最強の選挙マシンだった「キリスト教連合」は指導部の内紛や分裂から、もはや弱小組織にすぎない。そして、オバマ候補に敗れ去ったが、共和党の候補者として、マケインの選出を許してしまった。マケインは宗教右派をこけにしてきた人物だとのことです。
 アメリカ人の70%は、死後の世界を信じている。フランス人は35%だ。悪魔を信じるアメリカ人は65%もいる。イギリス人は28%でしかない。
 アル・カポネの名前と結びついて有名な禁酒法の制定(1919年)は、カトリックへのプロテスタントからの嫌がらせという側面を無視できない。アメリカ新参者のカトリックは貧困層が多く、強い飲酒癖をもっていた。
 アメリカにおける「家族の崩壊」は、幻想ではなく、現実である。1994年の政府統計によると、母親と子供だけのシングル・マザー世帯は全世帯の3割近い。ワシントンの黒人でみると、9割の子どもが非嫡出子である。黒人社会では、親と子どもとおばあちゃんで暮らすのが「普通の家族」なのである。
 アメリカのカトリック教徒は6600万人もいて、単一の教派としては最大の勢力をもっている。そして、この膨大なカトリック票が共和党から民主党へ激しく揺れ動く、究極の浮動票なのである。民主党も共和党も、カトリックの意識にはぴったりはまらない。だから、選挙のたびごとに投票先が変わる。
 黒人教会は、もっとも忠実な民主党支持層である。ユダヤ教徒も、黒人有権者と同じくらい忠実な民主党支持層である。
 アメリカの宗教右派運動には、しばらく冬の時代が到来しそうである。宗教右派運動は絶頂期を過ぎて、今後は長期的にも下降線をたどっていくのでしょうか・・・・・・。 
(2008年9月刊。760円+税)

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2008年11月25日

カムイ伝講義

江戸時代

著者:田中 優子、 発行:小学館

 『カムイ伝』というと、私が大学1年生のころ、『ガロ』という雑誌に出会って、目を大きく開かされた思いがした思い出のある本です。寮で、いつも一心に読みふけり、その迫力あるマンガに圧倒されっぱなしでした。本(活字)だけでは分からない、江戸時代についてビジュアルなイメージを抱くことができたのです。
 でも、マンガ本が大学で学生向けの教材としていま使われているというのには驚きました。そして、カムイ伝に描かれた状況が、江戸時代の百姓と武士の日常生活をかなり正確に反映していることを改めて知ることができました。やっぱり、すごいマンガだったのですね。
 『カムイ伝』と『カムイ外伝』があります。読んだことのない人には一読をおすすめします。といっても、私自身は、大学生のころに読んだきりで、あれからもう40年たっています。いずれまた読んでみたいとは思いますが……。小学館から『カムイ伝全集』として刊行されているそうです。
 カムイ伝の時代背景は江戸時代の初期。
 江戸時代が戦国時代の価値観から完全に方向転換するのは1640年ごろ。徳川三代将軍家光の時代が終わったのは1651年のこと。武士は兵士ではなくなり、戦争のない時代の文治官僚となった。
 穢多と非人には違いがある。非人は足洗い、足抜きが認められている。非人に定められた職業から離脱することで非人ではなくなり、中心部への移住も可能だった。というのも、非人には犯罪や心中未遂によって非人となった者や、困窮のため乞食となった無宿非人などを含んでいたからである。これに対して、穢多には周辺部に居住地域が決められており、その身分から抜け出せなかった。
 非人には肘より長い着物を着ることが禁止され、着物の色も藍から渋染めに限定されていた。ところが、穢多の一部は絹織物を着ていた。
 非人は町中に暮らし、物乞い、大道芸、犯罪者の市中引き回し、処刑上での増益が主な仕事だった。これに対して、穢多は囲い地や穢多村に暮らし、皮革処理、皮細工、灯心売買の特権を持っていた。非人は田畑を持つことがなかったのに対して、穢多は農地領有高がふつうの百姓以上のこともあった。
穢多は脇差しや十手を持つことができたが、非人は持てなかった。
 穢多は非人の上に立っていた。職業を離れたら平民になれる非人が、身分を離れることのできない穢多より下に置かれ、その下人のように働いていた。
 乞胸頭(ごうむねがしら)・仁太夫は芸人たちを支配していたが、非人頭・車善七に冥加金(みょうがきん)を支払い、非人頭・車善七は浅草弾左衛門に冥加金を支払っていた。
 弾左衛門組織内は治外法権であり、弾左衛門支配の人間による犯罪が起こったとき、町役人や奉行はさばくことが出来ないし、犯罪人を小伝烏町の牢屋に入れることもできなかった。乞胸・仁太夫とその組織は武士が出自であった。
 明治維新のとき、浅草弾左衛門支配下の人は4373人で、非人頭支配は700人、乞胸頭支配は550人だった。
 『カムイ伝』には、江戸時代の百姓のさまざまな事業(たとえば綿作など)がことこまかく具体的に描写されています。しかし、なんといっても圧巻なのは一揆場面です。
『カムイ伝』の一揆の表現は迫力に満ちている。一期の手順に従って、具体的かつ詳細に描かれている。一揆は祭と同根で、古代からの日本の伝統だった。
 江戸時代(1590〜1877年)3710件の一揆が起きている。1年に平均13回。したがって、月1回は全国のどこかで一揆が起きている。一揆は、現代の組合や政治党派とかテロ組織とは異なり、組織体でなく、運動である。
 江戸時代は書類によって左右される法治国家であって、一揆の前には文書で訴えを起こしていた。訴状である。そうなんです。日本人は昔から読み書きできる人が指導者になっていたのです。それは百姓でも同じです。
結局のところ、武士とは一体どういう存在なのかを『カムイ伝』は問い続けている。このように著者は指摘しています。なるほど、と思いました。
 江戸時代の人々の生活などについて、大変勉強になる本です。
 (2008年10月刊。1500円+税)

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2008年11月24日

自衛隊員が死んでいく

社会

著者:三宅 勝久、 発行:花伝社

 自衛隊員の自殺者は年間100人を超える。その自殺率39.3人(人口10万人あたりに換算した数字)は、アメリカ軍の2倍を超える。
 自衛隊員のかかえるストレスは高い。ギャンブルや酒、女遊びに興じた末の借金苦、いじめ、うつ病。自殺した自衛隊員の多くが孤独やストレス、精神的な飢餓感を抱いていた。
 イラクなどに派遣された自衛隊員はのべ2万人。日本に帰国したあと在職中に死亡した隊員は35人で、このうち自殺した人が16人もいる。この35人のなかには退職したあとの死亡者は含まれていない。
 2006年度の1年間に懲戒処分を受けた自衛隊員は自衛官1234人、事務官106人の合計1340人。うち、免職130人、停職582人。懲戒免職130人のうち、もっとも多いのが窃盗・詐欺・恐喝・横領の74人。そして、無断欠勤33人。
 先日、例の田母神元航空幕僚長が自衛隊員の不祥事の公表は士気に関わるからするなと指示していたことが明るみに出ました。これでは旧日本軍の綱紀は良好だったと高言する資格なんてないですよね。臭いものにフタをしておいて規律良し、なんて笑っちゃいます。
 自衛隊内のいじめ自殺やセクハラ事件が次々に明るみになって、裁判が起こされています。健全な常識の通じない自衛隊では、市民に向かっても非常識なことしかしない(できない)存在だと恐れます。
 田母神氏のような、まったく現実を無視した人間をトップにすえた政府の責任は極めて大きいと思います。自衛隊内部の教育システムと内容に国会がきちんとメスを入れることによって、シビリアンコントロールは機能していると言えると思います。政府見解を真っ向から反した田母神氏を懲戒免職としなかった間違いは直ちに是正されるべきです。
(2008年5月刊。1500円+税)

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2008年11月23日

気骨の判決

司法

著者:清永 聡、 発行:新潮新書

 いやあ、恥ずかしながら、ちっとも知りませんでした。年間500冊の単行本を読んで、それなりに物識りを自負している私ですが、私のまったく知らないことを私より2回りも若い著者に発掘されてしまうと、なんとしたうぬぼれを抱いていたことかと、耳の先まで赤く恥ずかしくなってしまいます。
 東条英機の恫喝にもめげず、大政翼賛会一色に塗りつぶそうとした選挙の無効を宣言する判決を大審院が下していたのです。すごいことですよね。軍部や右翼の暴力と圧力を跳ね返して鹿児島での現地審理を実現し、200人近い証人を調べ、直後に警視総監となった県知事まで証人喚問して追及したというのです。よほどの信念ある裁判官でなければできませんよね。しかも、選挙無効にする条文は、極めて形式的条項しかなかったのに、その趣旨に照らして無効としたのですからね。偉いものです。
 昭和17年4月に衆議院の総選挙が実施された。立候補者1079人は普通選挙が始まって以来、もっとも多かった。大政翼賛会の推薦する候補者が、そのうち466人。残る6割613人は非推薦だった。非推薦の政治家には、片山哲、鳩山一郎、芦田均、三木武夫という4人の戦後の総理(首相)が含まれている。ほかにも、尾崎行雄、中野正剛、赤尾敏、笹川良一、一松定吉、西尾末広、犬養健など多士済々だ。特定のイデオロギーを持つ人物ということではなく、政府に反発し、議会を活性化しかねない人間が排除された。
 そして、推薦候補には、国庫(臨時軍事費)から1人あたり5000円の選挙費用が支給された。非推薦候補者は、対立候補と戦うというより、政府によって組織された妨害を受けて困難な選挙戦をすすめざるをえなかった。露骨な演説会の妨害、投票妨害があった。投票率は83%で、前回より10%増。推薦候補の当選率は8割。非推薦候補も85人が当選した。多くの非推薦候補が落選させられた。
 そこで、鹿児島2区から立候補して落選した冨吉栄二は東京の弁護士を代理人に立てて大審院に対して選挙無効の裁判を起こした。事件は大審院の第3民事部に係属した。部長は当時57歳だった吉田久判事。苦労して中央大学を卒業して判事になった経歴を持つ。
吉田部長は部下である4人の裁判官を引き連れて鹿児島まで出向いて、出張尋問を実施した。このとき、吉田判事は、わたしは、死んでもいいという覚悟を決め、遺書まで書いていた。鹿児島で証人200人を調べたなかには官選知事であった鹿児島県知事もふくまれている。
このころ東条英機首相は、首相官邸で全国の裁判官を前に恫喝する大演説をぶった。
 戦争勝利なくて司法権の独立もあり得ない。戦争遂行上に大きな支障を与えるようなことがあれば、緊急措置を講じざるを得ない。
 大審院長も同じような考えであった。そんななかで、昭和20年3月1日、吉田久裁判長は、選挙無効の判決を下した。いやあ、これってすごいですよね。終戦の年の3月ですよ。最近になって、アメリカ軍の空襲のために焼失したと思われていた判決原本が今も現存することが判明したとのことです。このような気骨ある裁判官がいたことを知ると、日本の司法もまだまだ捨てたものじゃないと思わされます。
 いい本でした。著者はNHK記者とのことですが、今後の活躍を大いに期待します。
(2008年8月刊。680円+税)

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2008年11月22日

すべての経済はバブルに通じる

社会

著者:小幡 績、 発行:光文社新書

 サブプライムローン破たんの本質が理解できる本です。
 投資家にとっての最大のリスクとは何か。それは、投資した資産を売りたいときに売れないということ。つまり、住宅ローン債権を他の投資家に転売できないことである。流動性のない資産に投資してしまうと、その資産を永遠に持ち続けるしかなく、その資産が生み出すキャッシュフローを長期にわたって少しずつ受け取る以外の選択肢がなくなってしまう。こうなると、財政事情が変わったり、他の投資機会が生じたりしたときにすぐに現金化しようとしてもできない、という問題が生じる。
 アメリカは、雇用の流動性の高い経済社会なので、誰も30年後の借り手の収入など予測できない。つまり、借り手の継続的な収入を頼りに融資するなんて無理だった。貸し手のサブプライムローン会社は、はじめから借り手が給料などの収入にもとづいて30年かけて返済することはまったく期待していなかった。住宅を売却させるか、住宅ローンを借り替えさせて繰り上げ返済によって完済させるつもりだった。
 サブプライムローンは、当初の2,3年のあいだは、毎月の返済額は少額だけど、その後、返済額が急増する構造になっていた。30年かけて地道に完済するという選択肢はなかった。
 これは、住宅価格が上昇し続けていくということを前提としている。住宅ローン会社はバブルに群がったのではなく、自らバブルを作り出したのである。
サブプライムのバブルが弾けて大きな損失を出したのは、素人ではなく、投資家の中でもプロ中のプロだった。投資のプロにとって、目先、ライバルよりも高いリターンを上げられるかどうかというのが最優先だった。ライバルに勝つために、リスクの高いサブプライムローンに投資した理由なのだ。
 プロの投資家は、バブルだからこそ投資している。なぜなら、バブルはもうかるからだ。プロはバブルが大好きなのである。まともな投資家は、バブルをバブルと認識せずに投資することなどありえない。バブルだと分かっているからこそ投資する。だから、投資したことに後悔することもない。
 全員がバブルだとわかってバブルに乗っており、そして、その全員が、バブルが崩壊する瞬間、その一瞬前に降りようとしているのだ。つまり、ライバルである他の投資家を出し抜いて抜け駆けしたいと全員が思っている。ところが全員の抜け駆けは、抜け駆けにはならない。同時に降りようとしたのは中途半端なプロではなく、世界に名だたるプロ中のプロの投資家だった。
 真実は、投資のプロであればあるほどバブルを探し歩き、あるいは自分でバブルを作り、膨らませ、そのバブルに最大限に乗ろうとする。つまり、バブルというのは、最初から最後まで儲かるものなのである。
 こんなギャンブル資本主義に頼るようでは、世界と日本に未来はありませんよね。 
(2008年9月刊。760円+税)

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2008年11月21日

ストレスとはなんだろう

人間

著者:杉 晴夫、 発行:講談社ブルーバックス

 アドレナリンとタカジアスターゼは、発見後100年以上たっても盛んに使われ続けている。このほかには、アスピリンがあるだけ。そこで、アドレナリン、タカジアスターゼ、アスピリンは世界の3大医薬と言われている。高峰譲吉は3大医薬の2つまでを発見したわけである。
 ストレス反応の抵抗期の体内の反応には、第一に、脳下垂体→副腎皮質ホルモン→副腎皮質→コルチコイド→体細胞という内分泌系の経路と、第二に自律神経→副腎髄質→アドレナリン→体細胞という自律神経系の経路の2つがある。
 ストレスに対する抵抗を持続する動物のエネルギーには限りがあり、このエネルギーが尽き果てると、動物は急に死んでしまう。それまで加えられ続けているストレスに動物が懸命に耐えているにすぎない。結局、ストレスに抵抗するエネルギーが尽きると、動物は急激に死を迎える。
 副腎皮質がないとコルチコイドが分泌されず、免疫反応を起こすリンパ組織が委縮しないので、ストレスに対し全身に起こる過剰な免疫反応、アナフィラキシーによって動物は死んでしまう。
 コルチコイドは、その抗炎症作用によって、ストレスによる動物のアナフィラキシーによる死をも防止している。不愉快な状況に置かれてイライラして過ごしていると、「なんとなく気分がすぐれない」状態になることが多い。この不快感は、昔から不定愁訴が置かれています。
 不定愁訴を感じているとき、セリエが発見した動物植物の警告反応と同様な、?副腎皮質の肥大、?リンパ組織の委縮、?胃腸壁の出血が実際にヒトでも起こっていることが確かめられた。
 不定愁訴の感覚は、実験動物の体内の警告反応により感じている違和感と同じである。つまり、ヒトが感じる不定愁訴は、まさにストレスを加えられた動物に現れる警告反応と同じ現象であり、ストレスに対して身体が全力で抵抗していることを人間に警告している。
 自律神経が心臓の活動や全身の血液循環をコントロールしている。自律神経系の失調は、心臓や血液循環の疾患を引き起こす。強烈な精神的ストレス(精神的ショック)によりヒトや動物が急死するのは、自律神経系の急激な失調が心臓の拍動を速やかに停止させるから。また、自律神経系の失調は、身体の局部の血液循環(血行)を阻害し、さまざまな疾患を引き起こす。たとえば、精神的ストレスによって起こる頭部の円形脱毛症は、皮膚の血行が局部的に阻害されるため。また、胃腸壁の潰瘍を起こす粘液分泌の減少は、粘液を産出する組織への血流が阻害されるため。
 細胞増殖因子は身体の組織を増殖・更新するはたらきをもつが、ウィルスによりその構造が変化すると、組織の細胞を無制限に増力させるようになる。この無制限の増殖ががんに他ならない。長く続く精神的ストレスは発がんにつながる。
 ストレスについて、その身体的メカニズムを少し認識することができました。やはり、ストレス発散を日常的に心がけておく必要があるようです。
 仏検(準1級)を日曜日に受けました。1997年が1回目ですので、もう12回目です。それでも試験前はいつも大変緊張します。
 はじめは、動詞を名詞に変える問題です。出だしからつまづきました。5問とも全滅です。ああ、これでは1級の試験の二の舞かと暗い気分になりました。なんとか気を取り直して、次に進みます。次は、一つの単語がいろんな意味を持つことで、文章の中にあてはめるものです。このときも分からない単語が次々に出てきましたが、なんとか4問はクリアーしました。次は前置詞です。これはもうヤマ勘でいくしかありません。その次からは長文読解ですので、なんとかなります。およそこういうところだろうとあてはめるのですが、時制を考えると、ほとんど全滅に近い出来でした。
 最後の仏作文にたどり着いたときには、残り時間が20分しかありません。見直すひまもなく、フランス語で文章をつづります。といっても、気の利いた文章なんて書けるはずもありません。似たような文章をやっつけるだけです。ヨーロッパでは日本と違って時間に追われてアクセクしていない。はじめはイラだったが、のんびりした生活を過ごす方が気が休まることに気がついた。そんな内容を仏作文にするのです。私にはちょっと難しすぎる表現でした。
 試験会場は大学の教室です。50人ほど受験生の大半は若い女性でしたが、私と同じようなおじさんも何人かチラホラいました。風邪をひいたのか、途中から鼻をすする女性がいて、すごく気になりました。いえ、そのせいで成績が悪かったと言うつもりはありません。
 試験前の2週間ほどは、過去問を一生懸命にやりました。そして前日からは予想問題のテキストで勉強しました。頭をフランス語モードに切り替えるのが大変なのです。
 試験が終わって校舎を出ると外は暗く、小雨も降っていました。さみしい気分で駅に向かい、電車に乗りました。車内で早速、自己採点します。自分に大甘の採点をしたところ、なんとか7割はとれていそうです。もしそうなら、1月に今度は口頭試問があります。
 年に2回の緊張から解放され、夜は11時過ぎ、早く寝ました。やはり疲れていたのです。
(2008年6月刊。820円+税)

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2008年11月20日

コンビニのレジから見た日本人

社会

著者:竹内 稔、 発行:商業界

 コンビニでは、日本人は一切の緊張から解放される。緊張しながらコンビニに入ってくる客などいない。コンビニは、お客の「もっと便利に」というわがままに応える形で成長してきた業態だから、お客はリラックスして、自由気ままにふるまい、本音が出る。
 今、日本全国にあるコンビニは4万店舗を越す。客は、コンビニの従業員を人間として見ていない。客は、売り場に並んでいるもの以外は、すべてタダでもらえる物と認識している。コンビニで働いてみると、お客から受けるストレスですぐにこの商売に嫌気がさすだろう。
 コンビニの従業員は仕事に誇りをもてない。こんなひどい客にしたのは、実はコンビニ側だ。今、コンビニを訪れる客に常識はない。多くの経営者がコンビニのレジに立ち、客の相手をすることに嫌気がさし、コンビニをやめていく。
コンビニがトイレを無料で開放したころから、何かがおかしくなった。コンビニのトイレを利用した客の7割は、商品を購入せず、レジを素通りし、お礼の一言も発せず、しかも汚すだけ汚して出ていく。そこで、きれいなトイレを維持するためには、コンビニは最低でも1時間に1回はトイレを清掃する必要がある。
 いやあ、こう言われると、私も切羽詰まってコンビニのトイレを利用したことがありますので、申し訳ないとしか言いようがありません。それでも、私は、そのあと、別にほしくはなかったのですが、お菓子を買って一応、客にはなりました。
 現在、客の行動や言葉は限度を超えている。コンビニには、どんなことでも要求してかまわないと思いこんでいるし、その要求が叶えられて当然だとも思いこんでいる。つまり、コンビニは下僕(しもべ)だと認識している。当然、発する言葉も命令口調だ。命令が実行されないと、口汚く罵倒する。そして、下僕なのだから、無償で労働すべきであって、何かしてくれたから余計に買い物をしてあげようなどといった気遣いをする必要もない。
 挨拶のないコンビニ店舗では、お客がコンビニに対する緊張感を失い、それこそ「何でもアリ」の状況となっていく。万引きが蔓延し、備品は手荒く扱われる。これに対して、コンビニ店員が大きな声で挨拶すると、それだけで自信があると思わせる効果がある。
コンビニで雑誌を立ち読みしている客は、ほとんど商品を購入しない。そこで、雑誌をビニールひもでしばってみた。すると、完売するようになった。というのも、漫画雑誌を立ち読みする人は、その雑誌を購入しない。購入する人はできるだけ状態の良い雑誌をほしがる。
 横柄な態度をとる客、想像力が欠如しているとしか思えない客は決して若者ではない。その多くが、人生の酸いも甘いもかみ分けたはずの熟年世代なのである。コンビニで支払うとき客がお金を投げつける。そんな人が増えている。そして、そんな人の持っているお金(お札)はクチャクチャになっている。そのうえ、お金を大事に扱わない人は、コンビニで募金する確率が非常に高い。いやあ、そうなんですか……。
 コンビニの店内で、ケータイで話しつつ徘徊する客が増えた。そのため、コンビニ店員は身動きが取れなくなった。1時間や2時間程度は、平気で店内を徘徊する。
 コンビニが襲われることがある。しかし、警察は全くあてにならない。自らの仕事に命をかけているのは、警察官よりコンビニ経営者なのではないか。
私の知人も、午前3時から5時までの魔のゴールデンタイムは他人に任せられないし、かといって自分もおっかなビックリなので、ストレスがたまるという話をしてくれました。日本人とコンビニという切っても切れない関係にあるところに存在する大きな問題の一端が鋭く提起されています。私のような、月1回コンビニを利用するかどうかというのと、日本人の状況はまるで違うようです。私は出張したとき、ミネラルウォーターと朝食用の野菜ジュースをコンビニで買い求めますが、コンビニに入るのはそれだけです。コンビニは日本社会を破壊する存在だと考えているので、なるべく利用したくないのですが、このときばかりは仕方がありません。ホテルの近くに昔ながらのパパ・ママ・ストアーなんて絶対にありませんからね。
ピアノとフルートの生演奏を聴く機会がありました。久しぶりのことです。ビゼー作曲の「アルルの女」のメヌエットも演奏されました。この曲は私が小学生のとき、昼休みに流す校内放送を担当していて、1年間、毎日のように流していましたので、私の身体にすっかりなじんだ曲なのです。一度、昼休みの前、中休みのときにかけて先生に叱られるという失敗もしました。すばらしい演奏を聴いていると、身体が自然に揺れ、陶然とし、陶酔感から脱力して深い睡眠モードの心地になっていました。
 知人の女性にもフルートを習っている人がいますので、一度、彼女の演奏も聞いてみたいと思ったことでした。
(2008年9月刊。933円+税)

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2008年11月19日

トゥイーの日記

東南アジア

著者:ダン・トゥイー・チャム、 発行:経済界
 私は始めから終わりまで涙なくして読み続けることができませんでした。だって、あのベトナム戦争を戦っていた英雄的なベトナム青年による命がけの日記なのですよ。心が震えるほどの感動を久しぶりに味わいました。
 私の大学生のころ、「ベトナム侵略戦争、反対!」という叫びを何度あげたか、数え切れません。いくつもの大小さまざまの集会に参加し、デモ行進をしました。夜の銀座通りいっぱいに広がったフランスデモをしたときは感動に胸が震えました。アメリカ帝国のベトナム侵略戦争に反対しようという呼びかけは私の心を奮い立たせるものでした。
 ベトナム戦争が終わったのは、私が弁護士になった年か、その翌年4月のことでした。メーデーの会場で先輩弁護士たちと喜んだことを思い出します。
 この本は、北ベトナムに生まれ育った若い女性が、医師として南ベトナムへ志願して出かけ、ついにアメリカ軍に殺されてしまうのですが、その若き女医さんが毎日書いていた日記を、敵のアメリカ兵がこっそりアメリカに持ち帰って大切に保存していて、35年後にベトナムの親へ送ったことから、ついに活字になったという経緯で作られたものです。
若き女医さんは、森の中の診療所がアメリカ軍に発見されようとしたとき、1人で120人のアメリカ兵を相手にして戦い、額に銃撃されて死んでしまいました。でも、そのおかげで診療所の人々は助かったのでした。そんな勇ましい女医さんが、実はこまやかな感情とともに生活していたことが本当によく分かります。
 日記は、1968年4月に始まります。私が東京で大学2年生になった時期です。トゥイーは、このとき25歳ですから、私より6歳うえになります。トゥイーは、2年前の1966年12月にハノイを出発し、ホーチミンルートと呼ばれていた山道を3か月のあいだ歩き続けて、南のクァンガイに着きました。
 生きていくうえで、謙虚な気持ちは大切だけれど、自信や自主性も備えていなければ。正しいことをしているのなら、自分自身に誇りを持つこと。
戦争は依然として続いている。毎日、毎時、毎分、手のひらを返すように、いとも簡単に人が死んでゆく。誰かに愛されて生きてきた大切な命がいとも簡単に失われていく。
 みんな、今のこの光景を思い出してほしい。この解放事業のために血を流し、犠牲になった人たちのことを記憶にとどめてほしい。私たちの国土に悪魔が住み続ける以上……。
 そしてトゥイーは、アメリカ軍と戦う味方の陣営にもさまざまの弱点があることも書いています。解放後のベトナムで幹部の汚職が絶えないようですが、それは壮烈な解放闘争の中でも同じようなことは起きていたというわけです。
 人の心臓は赤い血ばかりではなく、半分はどす黒い血で満たされているらしい。だから、人の頭の中も、快活で聡明な面と暗く卑怯な面があるのだろう。
 何より悲しいのは、こんなひどい日常の中で、公平な行為がなされないこと。党員の名誉を汚し、診療所のみんなの意欲を損なわせる卑劣な行いがあるのに、誰も対抗できないでいる。
 トゥイーは、戦場で長年の恋人と別れてしまいます。しかし、心の中ではずっと割り切れない思いを引きずるのです。日記にそのことが何度となく書かれます。それがまたトゥイーの人柄に親しみを感じさせます。
 「さよなら。いつかキミはキミにふさわしい恋人が現れるだろう。でも、これだけは言える。この世でボクほどキミを愛した人はいない、と」
 おそらく、この言葉は本当だろう。でも、私は後悔していない。だって、あなたを愛していないのに、あなたの高尚な愛を受け入れることなんてできないから。でも、今では私はあなたを大切に思っている。あなたと、もう一度やり直したい。
 ここには、トゥイーの揺れ動く心が如実に表れています。
 戦争は、あまりにも残酷だ。今朝、リン爆弾で全身を焼かれた患者が運ばれてきた。患者の身体はまだくすぶって、煙がたちのぼっている。20歳の少年だ。かつての愛らしい少年の面影は残っておらず、いつも楽しそうに笑っていた真っ黒な目は、ただの小さな二つの穴にすぎない。その姿は、まるで、オーブンから出されたばかりのこんがり焼いた肉塊のようであった。
 この3ヶ月で診療所はアメリカ軍から4回の襲撃を受けた。
 大雨の中、壕にもぐって1時間あまりたった。雨水がだんだん増えて、水面は胸元に届くまでになった。寒さに震え、ついに耐えきれなくなって外に出た。
 このとき、トゥイーは、これは、まるでパリの下水溝の中を進んでいるマリウス(『レ・ミゼラブル』)のような気になった、と書いています。
 私の青春は、戦火の中で過ぎた。戦争は、若さと愛でいっぱいだったはずの私の幸福を奪っていった。20代なら誰だって青春を謳歌したい、輝いた瞳とつややかな唇でありたいと思う。しかし、今の20代は、幸せになりたいという当たり前の願いさえ捨て去らなければいけないのだ。
 私の青春は、大勢の人たちの血と汗と涙がしみている。
 私の青春は、厳しい試練の中で鋼のように鍛えられている。
 私の青春は、日ごとにつのる怨恨の炎の中で熱く激しく燃えている。
 私の青春は、それでも私の青春は、私を見ていてくれる誰かがいれば、夢と愛の色に染め上げられる。
 トゥイーがこのような壮絶な心の叫びを日記に書き付けたとき、私は20歳になっていました。申し訳ないことに、平和のうちに夢と愛の色に染め上げられていました。
 トゥイーがアメリカ軍に殺されたのは、日記の最終日(1970年6月20日)の2日後のことでした。母と妹が、額の真ん中にぽっかりとあいた銃跡を確認しています。
 そして、この日記は、アメリカ軍の情報部に届けられ、点検された結果、軍事的価値はない不用品として危うくドラム缶に投げ込まれようとしたのです。そのとき、ベトナム人通訳がそれを止めました。「それは焼くな。それ自体が炎を出している」と言って……。
 アメリカに持ち帰ったホワイトハースはFBIで働くようになり、FBIを内部告発して退職しました。そして、ベトナム女性と結婚した弟に日記を渡して、この日記の価値を理解したのです。35年ぶりにはるか南の地で戦死したわが娘の日記に対面した母親の驚き、悲しみ、また喜びはどれほどのものだったでしょうか。
 ベトナムで本になって出版されると、43万部を売り上げる大ヒットになりました。ベトナム戦争の真実を、ベトナムの若者が知ることができたのです。
 日本語に翻訳し、出版してくれたことに心から感謝します。かつてベトナム戦争に反対した多くの日本人に読まれることを願います。
 私は、布団の中に入ってからも、この本を思い出して涙が止まりませんでした。2年分の日記を読んで、すっかりトゥイーに感情移入していたからです。アメリカ軍に殺されてしまった夢多き若き女医さんの悔しさが、自分のものであるかのような思いに駆られたのです。
(2008年8月刊。1524円+税)

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2008年11月18日

ジェローム・ロビンスが死んだ

アメリカ

著者:津野 海太郎、 発行:平凡社

 アメリカのアカ狩りの様子が分かる本です。
 映画「ウェスト・サイド・ストーリー」が上映されたのは、私が中学生の時でした。おそらく3年生だったと思います。新しい友人だった古田君が、「オレはもう3回見た」と言ったのを聞いて驚きました。私も1回は見たのですが、同じ映画を3回も見るなんて、私には考えられもしないことでした。そして、古田君は、ジェスチャー入りで歌をうたいはじめるのです。このシーンは、なぜか今でもよく覚えています。
 この本は、その『ウェストサイド物語』 の監督兼振付家だった人が、アカ狩りのとき密告者になった状況を描いています。「密告者」という点では、エリア・カザンが有名です。『波止場』や『エデンの東』の名監督として有名なのですが、密告者として、よぼよぼの老人になって死ぬまで非難を浴びていました。
 ロビンスは、1953年2月にワシントンの非米活動委員会室で証言し、5月にニューヨーク連邦裁判所の法廷で証言した。
「あなたが共産党員だったという情報は正しいですか?」
「正しいです」
「党員だった期間は?」
「入党申請したのは1943年のクリスマスのころ。初めて会合に出席したのは1944年春。最後に出席したのは1947年春です」
「グループにいた人の名前をあげてください」
 ロビンスは、その問いに答えて、次々と人の名前をあげていきます。これでは密告者と呼ばれても仕方がありません。
 非米活動委員会は、すべてのアメリカ人に、のっぴきならない場に追い込まれた左翼やリベラル派のぶざまなふるまいをリアルタイムで見せつけるのが狙いだった。
 アカ狩りの背景として、1948年6月にベルリン封鎖、1949年8月にソ連が原爆実験に成功、1949年10月に中華人民共和国の成立、1950年6月に朝鮮戦争の勃発があげられる。それまで戦勝気分もあって未来に対して楽観的だったアメリカ社会の空気が一変し、ソ連による原爆攻撃と共産主義による世界制覇への恐怖が広がった。機を逃さず、非米活動委員会は、共産主義者はソ連のスパイとみなし、すべて死刑ないし終身刑に処すべし、という法案を提出した。この脅迫に、ハリウッドの世論は屈してしまった。
 エリア・カザンは、アメリカでもっとも有名な監督だった。誰もが、彼こそはその影響力で非米活動委員会と戦えるだろうと思っていた。なのに、カザンは屈してしまった。
 ロビンスに対して、質問した下院議員は次のように問いかけた。
 「ここで証言して、ほかの人びとの名前を挙げた人をイヌとか密告者と呼んだ者がいる。もちろん、あなたは、他の人の名前をあげた以上、その部類に入れられることは覚悟していますよね?」
「はい」
 非米活動委員会は、彼らを地獄の底に突き落とすこと、その裏切りと自滅の現場をマスメディアを通じてアメリカ国民にしつこく見せ続けること、みせしめと宣伝と愛国イデオロギー教育、これが目的だった。
 ロビンスが若いころ、ナチスの反ユダヤ主義を恐れるアメリカのユダヤ人の多くが、スターリンのソ連に親愛感を抱き、そのうちの少なくない若者がアメリカ共産党に入党した。
1919年の結成当初から、アメリカ共産主義の中心にロシア系のユダヤ人移民がいた。
 1930年代のアメリカ社会で、ユダヤ人差別が比較的少ない場が2つあった。芸能界と共産党である。そして、ロビンスは同性愛者(ゲイ)だった。それこそがロビンスにとって最大の問題だった。ロビンスに対する脅迫の核心は、ゲイであることを暴露するということだったのだ。その当時、公然とゲイだと名指しされるのは、今考えるよりずっと致命的なことであった。
 非米活動委員会によるアカ狩りは、単なる反共キャンペーンというだけでなく、ニューディールの申し子世代に対する集団的リンチであった。それはニューディール時代に冷や飯を食わされた共和党や右派勢力による報復という性格をもっていた。いやあ、そんなこととはちっとも知りませんでした。そうだったんですか……。
 いまさらアカ狩りでもあるまいという気がする。しかし、9.11同時多発テロ以来のアメリカ社会の空気は、急速に変化し、自分と異なる人間の在り方に対して、またたく間に不寛容になっていった。これでは、とうていアカ狩りが過去のものになったとは言えない。
 なるほど、なるほど、そうなんですよね。「自由・平等の国」というイメージのアメリカですが、実際にはひどく民主主義に反することをたくさんやっています。日本にも乗り移ってきましたが、毛色の変わった人をすぐ異端視して排除しようとする不寛容な社会になりつつありますよね。日本で死刑賛成の人が増えているというのも、そのあらわれだと私は考えています。困ったことです。つい最近、国連は日本政府に対して、世論の動向にとらわれず死刑廃止に向かって行動するように、また、国民に対して死刑廃止の意義をよく普及するよう勧告しました。私も、まったく同感です。
(2008年6月刊。2800円+税)

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2008年11月17日

手塚治虫

社会

著者:竹内 オサム、 発行:ミネルヴァ書房

 手塚治虫は、代々、医者の家系である。手塚治虫の曾祖父にあたる手塚良仙は、江戸末期から明治にかけての開業医で、高名な蘭学医であった緒方洪庵のもとで学び、天然痘から多くの人を救うのに功があった。
 祖父にあたる手塚太郎は、医者にならずに法律家の道に進む。大阪控訴院、大阪始審判事としてつとめたあと、大津と函館・大阪地裁の検事正、仙台地裁所長、名古屋控訴院検事長、長崎控訴院院長を歴任した。ということは、当時の福岡の弁護士もお世話になっていたわけですね。そのころ福岡の弁護士が長崎控訴院に行く時は当然泊まりです。丸山でドンチャン騒ぎしていたという大先輩弁護士の話が記録として残っています。
 手塚治虫は、母に対して限りない感謝と愛情を表明しているのに対して、父に対しては嫌悪感を抱いていた。いやあ、そうだったんですか。父と息子って難しい関係ですよね。
 治虫は、小学校では初め目立たない子どもだったが、次第にその才能が知られていった。家庭において、治虫は泣き虫でないどころか、ふだんはかなり強気で、頑固で、意地っ張りだった。目立ちたがり屋だった。人一倍自己顕示欲が強いが、そのくせ、心の底に鋭敏な感性に根差した弱さをかかえていた。
 手塚家は裕福であったうえに、父親がマンガ好きだった。ドストエフスキーの「罪と罰」は治虫にとって素晴らしい教科書になった。
 治虫は医学部を卒業して医師になったと思っていましたが、少し違うようです。治虫が入ったのは、医学部ではなく、医学専門部でした。卒業までは兵役が免除されるし、兵隊にとられても前線に出されることはないという理由からだった。医専は戦時下で急きょ戦地に赴く軍医を育成するため、にわかに作られた医者養成課程である。医学部と医専とでは、大きな開きがあった。医専は兵役逃れの駆け込み寺といえた。
 手塚は流行に敏感で、子どもの感性を重視する。こうした態度は終生、過敏なまでに手塚の心を支配していった。売れっ子になった手塚は、1日の平均睡眠時間は1〜2時間でしかなかった。眠りながら筆を動かした。
 ストレスと疲労が極限に達すると、手塚は無理難題を原稿取りにやってきた編集者にふっかける。それによって休息するためであった。いやあ、超人的ですね。
 手塚は、ほぼ2,3年ごとにアシスタントの交代を促した。もちろん独立するようにという親心からだが、もう一方には、手塚自身が若い人の感性を吸収するためでもあった。
 手塚は1961年1月に医学博士の学位を取得した。
 手塚は流行を取り入れ、劇画風の画風やテーマを取り入れた。これには大きな苦痛が伴った。体が覚えている、それまでの表現スタイルをスイッチしなければいけないからだ。
 手塚は少しでも自分の人気が下がると落ち込み、もうオレはダメではないかと頭を抱え込んだ。病気で何週間も休むと、読者から忘れ去られてしまうと本気で思い悩んだ。
 手塚治虫全集は、なんと、今400巻。これを総計1900万部売りつくした。手塚の歴史ものは、教科書に出てくるような偉人に焦点を合わせるのではなく、歴史に翻弄される名もなき人々に光を当てる点に特徴がある。
 手塚治虫には、私も大変お世話になりました。「鉄腕アトム」なんて、いま見ても、おそらく最高傑作ではないでしょうか。
(2008年9月刊。2400円+税)

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2008年11月16日

少年院のかたち

司法

著者:毛利 甚八、 発行:現代人文社

 マンガ『家栽の人』は本当によくできています。これが裁判官を取材せずに、まったく想像でつくられた本だなんて、驚きの一語に尽きます。
 僕は小説を書くために雑誌の世界に入った。大学(日大芸術学部文芸科)時代に数編の小説を書いた経緯から、取材する力がなければ職業として数多くの小説を書くことはできないと考えた。
 『家栽の人』は、『家裁少年審判部』(全司法労働組合。大月書店)と少年法を頼りに、前15巻のうちの最初の3巻は、まったく想像によって書いた。僕は主人公の桑田判事に「家族が大切」「子どもの気持ちが大事」という、ひどく古臭いメッセージを、さまざまな言葉に変奏して語らせ続けた。いま振り返ってみると、裁判所を何も知らない人間が描いたにしては、意外によくできていると思う。そして、現実の裁判官などに会って話を聞くと、自分が描いているような裁判官など、どこにも存在しないことがわかった。
 いやあ、そうでもないんじゃないでしょうか・・・。そして、著者は大分の少年院の篤志面接委員になったのです。ウクレレを教えたりしているそうです。すごいですね。
 少年院にいる子どもは、総じて成功体験が少ない。挑戦して失敗するところを他人(ひと)に見られるのが恐ろしい。少年院に来る子どもは隠し事をしてきた。こっそり悪いことをしているので、嘘をつくことから始まる。そこで、この業界の人間は、その点の嗅覚は発達している。
子どもたちは、もともと甘えたいという気持ちが蓄積されている。誰に対しても甘えが出てくる子どもがいる。
 この本の後半は、小説『法務教官・深瀬幸介の件』というものです。財団法人・矯正協会の『刑政』に連載されたそうですが、なかなか良くできています。法務教官の悩み、失敗、そして生き甲斐が語られ、ホロリとし、また考えさせられます。
亡くなった義父は久里浜少年院につとめていました。特別少年院だったので、大変だったようです。事務畑ですが、とても真面目な人でした。そんなこともあって、私は、法務教官とか矯正現場の人たちの日頃の大変な労苦に思わず親近感を覚えます。
 なんでも処罰してしまえばいいという風潮が日本で強まっていますが、本当に困ったことです。もっと社会が温かい心をもって犯罪に走った人に接しないと、日本はますますギスギスした国になってしまいます。
 先日、見知らぬ男性とたまたま路上で論争する機会がありました。その男性は、今の子どもたちはなっとらん。道徳教育が必要だと盛んに息巻いていました。これに対して、私は、子どもは大人社会の反映なんです。もっと大人がゆとりを持って、ゆっくり子どもと接することができるようにならないとダメでしょう。年寄りを差別したり、若者に不安定雇用を押しつけて人生の展望を奪っておきながら、子どもばかりに道徳教育なんかしたって意味はないと反論しました。その男性は、まず大人を変えないといけないということですか……と絶句し、なるほど、そうかもしれないと言って、首をかしげながら帰って行きました。はじめは会話が成り立つか不安でしたが、なんとか成り立ちました。路上といえども、やっぱり話し込むのは大切なんだと実感したことでした。
(2008年7月刊。1700円+税)

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2008年11月15日

人生は勉強より世渡り力だ!

社会

著者:岡野 雅行、 発行:青春新書

 痛くない注射針を作り上げた東京下町の町工場のオヤジさんなのですが、その言葉には重みがあり、なるほど、と思うところがいくつもあります。
 本業以外のプラスアルファを持つことが大切だ。
 勝負は、ふだんから人付き合いにどれくらいお金を使っているか、だ。誰が価値ある情報を持っているか、まずそれを見極めなければいけない。
 世渡り力というのは、こすっからく生きていく、安っぽい手練手管ではない。人間の機微を知り、義理人情をわきまえ、人さまに可愛がられて、引き上げてもらいながら、自分を最大限に活かしていく総合力である。仕事で頭をつかわない奴は伸びない。ただ真面目なだけではダメ。
 自分の仕事は安売りしてはいけない。ただし、そのためには、他人(ひと)にできないことをやる必要がある。
 変わり者と言われるような人間じゃないとダメ。変わっているから、他人(ひと)と違う発想ができるし、違うものが出来る。他人と同じようなことをするのが世渡りのコツだと思うのはとんだマチガイだ。何かしてもらったら、4回、お礼を言う。そうすると、言われた人は感動して、また誘ってやろうという気になる。
 いやあ、さすがに出来る人の言葉は違いますね。変わり者だと言われることも多い私は、この本を読んでひと安心もしました。
 アメリカ領事が日米安保条約の必要性を力説する講演会に出席しました。このとき領事は、北朝鮮がハワイに向けてミサイルを発射したとき、日本の自衛隊は自分の国を攻撃されるわけではないから何もできないことになるが、それではアメリカ国民は納得しないと強調していました。でも、北朝鮮がハワイを狙ってミサイル攻撃をするなんて考えられるのでしょうか。日本本土の上で北朝鮮のミサイルを迎撃してやっつけるというのですが、その真下に住む人は大惨事に巻きこまれてしまいます。ミサイルを確実に撃ち落とすことは不可能です。そもそも北朝鮮がミサイルを発射しないようにするのが政治の義務ではないでしょうか。軍事力は戦争の抑止力になると力説していましたが、本当でしょうか。軍備拡張競争になってしまうのではないでしょうか。アメリカ領事の話は、考えれば考えるほど、本当に日本人として納得できないことばかりでした。
(2008年9月刊。750円+税)

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2008年11月14日

最新・月の科学

宇宙

著者:渡部 潤一、 発行:NHKブックス
 アポロ計画で持ち帰られた月の岩石を調べたところ、月は地球の年齢と同じくらい古いことが分かった。人類が地球上でもっている月資料のうち、アポロ回収試料は400キログラム。月隕石は100個で34キログラムである。月隕石は南極や砂漠で次々に発見されている。水分子はおろか、鉱物構成要素レベルで水(OH基)もまったくなかった。地球上では生成し得ない岩石・鉱物ばかりが見つかった。月は、非常に高温の過程を経たようだ。
 月は、地球の直径の4分の1、体積の50分の1、質量にして80分の1である。地球よりずっと早く冷え切ってしまい、大気がないので地球のような風化・侵食も起きず、大昔の情報をそのまま保持している、化石のような天体だ。ところが実は、月にも希薄な大気がある。といっても、大気圧が地球の10京分の1(10の17乗分の1)、1立方センチ当たりナトリウム原子が70個、カリウム原子が17個、という希薄さである。これは、超高真空環境に相当する。
 月は地球に表だけを見せながら公転している。月の自転周期が地球を周回する公転周期と一致しているためである。月の表側は裏側に比べて、やや重くなっている。月は、そのお尻を地球に向けて、安定した状態になった末に、そのまま止まってしまったのだ。
 昔の地球は、今よりずっと早く回っていて、月も地球にずっと近いところを回っていた。だから、数億年前の古代史には、地球の1年は365日ではなく、400日前後だった。
 月は、火星級の原始惑星が原始地球をこするように衝突したことで、両者の一部が飛び散って月になったもの。これをジャイアント・インパクト説と呼び、現在の有力説だ。ただし、検証できないという弱点をもつ。
 月の表面は、我が家のベランダから望遠鏡で見ることができます。いかにも静かな砂漠地帯を見ている気になります。そんな月にも、もちろん生成の歴史があったわけですし、地球とのかかわりも面白いものです。
 私たちの身近な天体である月について、少しだけ認識を深めることができました。 
(2008年6月刊。1070円+税)

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2008年11月13日

イラク崩壊

著者:吉岡 一、 発行:合同出版

 日本は今もアメリカのイラク侵略戦争に深く関わっています。一見、平和な日本は遠く離れたイラクの人々をアメリカ軍が殺しているのに加担していることは動かしがたい事実です。4月の名古屋高裁判決も、そのことを明確に指摘しています。ところが、多くの日本人は私を含めて、そのことの実感が持てないままでいます。無理もありません。イラクの実情がほとんど日本に伝えられていないためです。
 この本は、朝日新聞の元中東アフリカ総局特派員として、バクダッドにも駐在していた記者による生々しいレポートです。支局周辺だけでなく、イラクに住む普通の人々のナマの現実をもっと知りたいと思いますが、そうは言っても、この本だけでもすごい迫力があります。アメリカのイラク侵略戦争が間違いだということは、この本からも明らかです。ですから、少なくとも日本は一刻も早くアメリカのイラク侵略戦争に加担するのをやめるべきです。
 バグダッド陥落時にアメリカ軍が真っ先に占領したイラク石油省を、アメリカは2004年春に手放した。アメリカのつぎ込んだ戦費が91兆円(8,450億ドル)。アメリカの支払った代価の総額は324兆円(3兆ドル)をこえたと言われる今、石油利権だけでイラク戦争を説明するのは難しい。
イラクにいたとき、強盗に襲われることを考えて、1万ドルの現金を次のように小分けして身体に身につけていた。まず、4000ドルを二つにわけ、ビニール袋に入れて靴底に隠す。財布の中には800ドルを入れ、最初に強盗にくれてやる分とする。さらに1200ドルをウェストポーチの隠しポケットに入れる。強盗が「まだあるだろう」と言ってきたときに差し出す。さらに、腹巻の中に残る4000ドルを隠す。命を奪われそうな時にはこれを差し出す。
 うーん、な、なーるほど。ここまで小分けして次の手を繰り出して時間を稼いで、生命だけは助かろうというのですね。すごい工夫ですよね。
 イラク人は、武器を家庭に備える習慣がある。だから、一家に1丁や2丁は必ず拳銃がある。 
 大きな問題は、アメリカ軍がいい加減なタレこみ情報に基づいて「容疑者」宅を襲撃すること、そして、男ならだれでも捕まえてしまうやり方にあった。容疑者には、2500ドルの報奨金がアメリカ軍から支払われる。そして、アメリカ兵は家宅捜索のたびに、イラク人の持っている現金を持ち去る。
 アメリカ兵にとって、見えない敵、不気味な沈黙、突然の襲撃、というゲリラ戦の恐怖が次第に募った。それが、無実の市民の拘束や誤射による市民の殺害、デモ隊への発砲という不始末を積み重ねる要因となっていった。
 イラクの人は次のように言う。
 ここの人間は、今や誰でもアメリカと戦う。子どもも同じだ。いま、アメリカと戦う人間は2種類いる。直接に武器を持って戦う人間、そして、聖戦士に資金を援助する人間だ。
 アメリカ軍は、今なお、アメリカ軍に対する攻撃者をテロリストと呼んでいる。しかし、それはもはや、一部の孤立した武装集団による攻撃ではない。イラクの国民運動なのである。
 いま、イラク政府の腐敗はすさまじい。イラク国防省では、ヘリ購入契約を巡って250億円が闇に消えた。電力省は、2億ドルの発電所建設契約をアメリカの企業と結んだ。しかし、実際に支払われたのは3億ドル。しかも、発電所は完成されなかった。
 イラク復興資金は20億ドルを使ったというが、まともに使われたのは500万ドルもあるだろうか、という状況である。
 イラクでは、2005年の1月に月に2回、国政選挙があった。どちらもシーア派が過半数をとった。ところがアメリカが介入した。アメリカは敵国イランの強い影響下にあるシーア派政権を認めることが出来ない。そこで、多数党派の連立政権が誕生した。政党の間で内戦に突入していった。犠牲者は1日80人ペースにまでなった。
 挙国一致内閣は、身動きならず、なにも出来ないままだった。
 アメリカは、イラクだけでなく、中東全体で民文化の芽を摘んでしまったことになる。2008年時点で、500万人のイラク人が家そして故郷さらに国を追われて異郷の地をさまよっている。これはイラク人口の2750万人の20%に近い。
 イラクの自爆件数は、08年7月末まで658件。爆弾テロによる死者は1万6千人、負傷者はその2倍の3万4千人近い。爆弾テロのうち自爆テロが37%を占める。
 自爆攻撃で死ぬのは、常に若者であり、命じる年長者は最後まで死なない。
 殉教攻撃で死んだ者は天国に行くことができる。そこでは、一生72人の処女が付き従ってくれる。このように信じて死地に赴く。自爆テロを止めるには、アメリカ軍がイラクから撤退するしかない。
 イラクにアメリカ兵は16万人いる。基地業務などで働く民間人が15万人をこえる。民間軍事(戦争)会社の要因が1万3千人。そのすべてが、イラクの国内法の適用が除外される特権的な存在である。
 この本の最後に、私もよく知っている高松あすなろの会の鍋谷賢一氏の名前があがっていたのに驚きました。最初に原稿を読んで応援したのだそうです。えらいものです。
 日弁連会館前にある日比谷公園は、すっかり秋景色でした。皇居前広場の銀杏並木は見事に黄金色となっていました。晩秋になって寒さも一入、コート姿が目立つようになりました。皆さん、風邪などひかれませんように。
(2008年9月刊。1800円+税)

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2008年11月12日

イマイと申します

社会

著者:日本テレビ報道特捜プロジェクト、 発行:新潮文庫

 私も最近、振り込め詐欺の被害者から相談を受けました。例の葉書が送られてきたので、ケータイ料金を滞納したという督促内容に心当たりはなかったものの、つい心配して電話をかけてしまったところ、わずか二日間で200万円もの送金してしまったという事件でした。そのとき、東京の「弁護士」が二人登場してきます。そして、被害者は20代の独身女性でしたが、50代の母親も止め役にはならず、一緒になって定期預金を解約してまで娘のために送金してしまったというのです。
 この本は、振り込め詐欺や宝くじ詐欺の犯人団に迫り、海外まで飛んで行って、その実像を暴こうとしたものです。
ドイツ国営のロトサービスセンターから、宝くじ800万円に当選したという手紙が届いので、そのために30万円も振り込んでしまったという。日テレの取材班が代わって電話すると、コールセンターは実はドイツではなく、オーストラリアのシドニーにあることが判明した。海外にインターネットを利用したIP電話で転送されているらしい。
 そこで、日テレ取材班はシドニーに飛んだ。そこには、日本人女性を含んだテレコールセンターが確かに存在した。しかし、日本人女性たちは素顔をさらすことはなかった。
 昔、豊田商事というのがありました。金の延べ取引をしてもうけているという宣伝文句でしたが、実際には純金なんてまったく扱っていなかったというインチキ商法でした。このときもパートのおばちゃんたちによるテレコールセンターが「活躍」しました。時給1000円でひっかける役割を担ったのです。自分が話す儲け話のセールストークが本物なら、時給1000円なんてものではありません。 ところが、パートの女性たちは時給1000円をもらいながら、100万円を投資したら数ヶ月で何百万円にもなるというような夢のような話を売り込んでいたのです。シドニーにいた日本人女性も、同じようなことをしていた(させられていた)わけです。
 日本で海外宝くじの販売は違法である。このダイレクトメールは、一通当たり200〜300円のコストがかかっている。いったい日本、そして世界にどれだけ送られているのだろうか。ダイレクトメールはフランスから送られ、その返信先はすべてオランダ。オランダの私書箱が返信用封筒の宛先となっている。
 フランスから発送するのが最も安いから。ただ、大量に送ると日本の税関に捨てられてしまうので、小分けにして何回も送る。1年間に送るダイレクトメールは、日本だけで500〜600万通。世界全体では年に8000万通になる。宝くじにあたった人は一人もいない。まるでインチキなのである。いやあ、これってすごい数ですよね。それだけの経費をかけても十分採算があうのですね。
 ハガキに書かれている電話番号は、電話転送を請け負う業者のもの。そこに電話をかけると、自動的に転送されて、この振り込め詐欺グループの携帯電話にかかる。間に転送業者をはさむため、詐欺グループが電話を受けたときも、転送業者への支払いが発生する。
振り込め詐欺の舞台裏を暴くという点ではもうひとつ物足りなさを覚えましたが、その真相に迫るという点で、勉強になりました。
(2008年9月刊。740円+税)

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2008年11月11日

新聞―資本と経営の昭和史

日本史(現代史)

著者:今西 光男、 発行:朝日新聞社

 朝日新聞社から出版され、朝日の記者が書いた、朝日の裏面を鋭くえぐった画期的な労作です。
 大正14年(1925年)ごろ、大阪では朝日と毎日新聞が激しくしのぎを削っていた。朝日は夏目漱石を迎え入れ、毎日は原敬を年俸5000円で社長に招聘した。
 原敬が大阪毎日新聞社の社長として勤めていたことを初めて知りました。
 この両紙は、関東大震災前にそれぞれ100万部を超える巨大紙になっていた。
 ところが、大震災によって東京各紙は壊滅的な打撃を受け、朝日、毎日という大阪紙が首都でも席捲することになる。そこで、廃刊の危機にあった読売新聞を内務官僚だった正力松太郎が買収し、面白い新聞、売れる新聞を前面に押し出した激しい販売攻勢をかけた。
 このころ、新聞は「政権打倒」を標榜し、政権側も新聞の政治的影響力を無視できなかった。そこで、寺内内閣は内相の後藤新平が先頭に立って公安刑事に内偵を命じるなど、権力を動員して虎視眈々と新聞社弾圧の口実を探っていた。
 大阪朝日は、時の権力から「一大敵国」と名指しされ、言論弾圧の標的とされた。
 そして、事件が起こり、ついに朝日新聞は、権力に全面屈服した。編集綱領に定められた「不偏不党」は、「偏った政権批判」をしないという恭順の誓いだった。そうなんですよね。今でも新聞は、結局、政権与党ですよね。
 ところで、朝日新聞社はスタートした時点で政府から資金援助を受けていた。政府の機密費から2万5千円が支払われていたのである。
 政府は、朝日のような中立的大衆紙を、御用新聞や政権新聞としてではなく、報道主義を中心とした新聞に育てて国民の信頼を得、あわせて、そのような新聞によって官民の調和を図ろうとしたと推測される。
 朝日をはじめとする言論機関が、安寧秩序、朝憲紊乱という天皇政護持を口実にした権力の弾圧や、右翼による物理的な脅迫にはきわめて弱いことをさらけ出した。1925年1月、朝日の社長と勘違いした右翼が緒方竹虎編集局長を帝国ホテルで襲った。このとき、朝日は右翼に裏金を支払った。それが広告主への圧力が新聞社脅迫の手段として有効であることを右翼に教え、以後、この種の右翼交渉には金銭的解決をはかることが常套化した。
 1928年、朝日は右翼からの襲撃に備えて、東京編集局長室に何丁かのピストルを用意して壁にぶらさげた。当時は、一定の条件がある人は護身用のピストルを所持することができた。社内でピストルを調達するのに困難はなかった。緒方竹虎は日本刀を会社に持ってきた。また、浅草のヤクザに頼んで、人を集めて社屋を警戒する「自警団」を組織した。
 うひょーっ、こ、こんなことが朝日新聞社であっていたのですね。右翼の襲撃に備えて、日本刀やピストルを編集局長室などに用意していたなんて、とても言論機関のなすべきこととは思えません。信じられない記述でした。
 済南事件、満州事変による中国大陸での戦争勃発によって、新聞は再び号外競争に突入した。号外は、当時、最大最強の速報手段だった。
 朝日も毎日も、関東軍を中心とする日本軍の「快進撃」を連日報道し、満州の日本の権益擁護に同調していた。やがて、朝日は、満州事変容認、政府支援が社論統一の大方針となった。
 この社論転換は、ただちに軍部に伝わった。憲兵司令部から参謀本部次長への極秘通報がある。当局は、昔も今もジャーナリズムをこまかく監視しているわけです。
 満州事変が勃発してから、朝日新聞の販売部数の増加はすさまじい。1931年に91万部だったのが、1932年には105万部となった。全社で39万部増えて182万部となった。まさに、戦争は新聞にとって神風だった。
 日中戦争が激化すると、朝日新聞は1937年(昭和17年)7月から、軍用機献納運動を読者に呼びかけ、1ヶ月で462万円ものお金を集めた。
 残念なことに、いまや朝日新聞も含めた日本の新聞は「一大敵国」と呼ばれるような、権力から本当に恐れられるような存在ではもはやないようだ。権力によって新聞が「馴化」された面もなしとしない。
 本当にそのとおりだと思います。自民党と民主党とでは本当はどこが違うのか、また本質的には同じではないのか、もっと広く市民の声を反映するにはどうしたらよいのか、いろいろ本質的なところで日本のジャーナリズムは安心できないところが多々あります。いえ、ありすぎます。その本質的根源がこの本によって究明されています。
 私と同じ団塊世代の著者から贈呈されて読みました。ありがとうございました。
 渡り鳥のジョウビタキの鳴き声が聞かれるようになりました。人にすごく近づき、尻尾をチョンチョンと振って挨拶する愛想のいい小鳥です。
 曇り空の日曜日、チューリップの球根を200個植え付けました。富山産で、40個で1000円しません。1個20円あまり。畳一枚ほどの区画を掘り起こして整備して植え付けていきました。これで500個近くにはなりました。
(2007年6月刊。1400円+税)

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2008年11月10日

清冽の炎(第5巻)

社会

著者:神水理一郎、出版社:花伝社

 今から40年前、全国の大学で学生がストライキに突入し、毎日のようにデモ・集会があっていました。今のおとなしい大学生の姿からは想像を絶する事態です。東大でも日大と並んで、全国の学園闘争の天王山として激しい闘争が半年以上も続きました。今をときめく政府高官もその時代の人間です。町村前官房長官は右翼スト収集派の親玉として東大・本郷で策略を得意としていました。舛添要一厚労大臣は同じく駒場でスト解除派で動き、代表団(10人)に立候補したものの、見事に落選しました。鳩山邦夫国務大臣は日和見ネトライキ派だったのではないでしょうか。少し前に自殺した新井将敬自民党代議士は過激な全共闘の闘士でした。
 「清冽の炎」の第5巻が出て、1968年4月から翌1969年3月までの1年間の東大駒場を中心とする東大闘争の全体像を明らかにするシリーズが一応完結しました。1巻は闘争の始まるまでと勃発した直後(4,5,6月)、2巻は無期限ストへ突入してからの状況(7,8,9月)、3巻は全国学園闘争と結びついて高揚すると同時に、学内で要求実現のために団交を目ざす取り組み状況(10,11月)、4巻は、ついに全学団交を勝ちとる一方で、警察による安田講堂攻防戦がショー化していった状況(12,1月)が語られています。
 今回の5巻は、全学ストを解除し、授業再開に至る経緯という地味な場面となります(2,3月)。しかし、そこで問われていることは、今日なお通じる大切な提起です。つまり、キミは、これから知識人としていかに生きていくのか、という問いかけです。これは地域で地道にセツルメント活動をした学生にとっては、まさしく人生をかける重たい問いかけでした。また、組織に入るのかどうか、労働者階級を裏切らない生き方は可能か、そのためには何をしたらよいのか、などについても真剣に議論していました。
民主的な官僚はやはり必要ではないのか。官僚機構を内側から健全なものに変えていく努力が必要なのではないか。このように問いかけて官僚になっていった学生活動家がたくさんいました。それは全共闘にも民青にも共通しています。そして、彼らは今どうしているのでしょうか?
そんなことは幻想だ。そんなに簡単に決めつけてはいけません。私の知る限り、裁判官のなかにも学生時代のそんな思いを変えることなく持ち続けている人は少なくありません。
 では、企業に入ったらどうなのでしょうか。労務管理ばかりをさせられることになってしまいかねないんどえはないか・・・。私の友人にも早々と見切りをつけて、今は弁護士また教師になった人がいます。一人はノイローゼになりかけたと言っていました。
 第1巻が発刊されたのは2005年11月でしたから、1968年4月から1969年3月までの1年間が今回の5巻で完結したのは3年ぶりだということになります。
 著者は、自分の手元に残っていたメモやチラシ・総括文集だけでなく、当時のことについてふれた本の大半を探し求め、国会図書館にある当時のチラシ・パンフを合本した資料、そして関係者からの聞き取りなど取材収集に10年以上かけたということです。そんな膨大な資料をもとにして一つのストーリーにまとめた読みものにするのは至難のわざです。弁護士活動の合間にまとめたというのは、たいしたものと言ったら身びいき過ぎでしょうか。
 登場人物があまりに多いため、いささか読みにくいことは否めませんが、東大闘争そのものが主人公の本であると思って、そこを少々我慢して読み続けていくと、当時の学生の青春日記でもあることがきっと分かると思います。思いがなかなか通じないホロ苦い青春の日々が激しい闘争に明け暮れるなかで爽やかに描かれている本でもあります。
 相変わらずさっぱり売れていないようです。ぜひ、書店で注文して買って読んでやってください。東大闘争の全貌とその過程を語るときには絶対に欠かせない本であることは私が責任をもって保証します。
        (2008年11月刊。1800円+税)

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2008年11月 9日

見えない宇宙

宇宙

著者:ダン・フーバー、 発行:日経BP社

 とても暗い、あるいは見えない物質が宇宙の質量の大部分をなしていることが確認されている。それをダークマターという。このそれをダークマターという。このダークマターは、ほとんどの銀河をおおよそ球状の雲の形で取り囲んでいる。
 星は静的な物体ではない。星は長い時間にわたって変化し、進化する。中性子星は、普通の星よりとても重いだけでなく、かなりの速さで自転している。太陽は1年間に13回自転する。これに対して、中性子星は毎秒数百回ないし数千回も回転している。
 電子は、ある場所で、また、ある時刻でのはっきりと定まった物体として考えることはできない。電子は「存在の雲」のような波としてあり、その波は空間と時間にぼんやりとした広がりをもっている。粒子波が正確な位置と正確な速度の両方をもつことは不可能なのである。
 ニュートリノは、ただの一度も物質と相互作用することなく、まるでそこに地球がないかのように、地球全体を通り抜けることができる。光よりわずかに遅い速さで旅する何十億個というニュートリノが、人間の体を毎秒毎秒通り抜けている。が、人間は決してそれに気のつくことがない。
 宇宙が若く、非常に高温であったとき、たくさんのニュートリノが作られ、その多くが現在まで生き残ったと考えられる、現在の宇宙空間の1立方メートルあたりに平均して数百億個のニュートリノが過去の遺産として存在する。
 太陽で生み出されたニュートリノは、地表からスーパーKの検出器までの1000メートルの距離をたやすく移動できる。スーパーKを通り抜ける1兆個のニュートリノのうち、およそ1個が水中の陽子または中性子と衝突する。
 太陽の中心部のダークマターの消滅は、ガンマ線、陽子、電子、反陽子、陽電子、ニュートリノの高エネルギー粒子を生み出す。しかし、太陽が高密度であるために、それらの粒子はどれも太陽から脱出することができない。唯一、ニュートリノだけが例外で、太陽から脱出することができる。
 通常のエネルギーや物質は、宇宙が重力によって引き寄せられる原因となるのに対して、ダークエネルギーの存在は、一種の反重力効果を持ち、宇宙を引き離す。ダークエネルギーは、薄まることがない。宇宙が膨張すると、物質や電磁放射線の密度は低くなる。宇宙が膨張して体積が2倍になれば、ダークマターを含む物質の密度は半分に減少する。一方、ダークエネルギーの密度は一定のまま変わらない。現在の1立方メートルの空間が持っているダークエネルギーの大きさは、10年前の宇宙の1立方メートルの中にあるダークエネルギーの大きさと同じである。
 宇宙が膨張し、物質の密度が減少したため、ダークエネルギーは次第に重要な役割を果たし始めた。宇宙がますます多くのダークエネルギーをもつにつれて、膨張速度が加速に転じた。数十億年前、ダークエネルギーの密度は、我々の宇宙の物質の密度を追い越し、支配的な成分となった。現在、宇宙のエネルギーの3分の2以上が、この奇妙な形をとっている。時間がたつにつれて私たちの世界の物質の密度はますます低くなっていく。宇宙の運命とは、最後はダークエネルギーしか残らないところにまで、ますます加速膨張することだと考えられている。
 宇宙の物質とエネルギーの総密度は、宇宙の臨海密度と1〜2%の精度で等しい。私たちの宇宙は平坦であるか、あるいは非常にそれに近い。しかし、この質量とエネルギーの70%は物質の形であるのではなく、ダークエネルギーである。残りの30%のほとんどはダークマターである。宇宙の物質とエネルギーの全体のわずか4%が原始の形で存在する。私たちに見えている世界は、宇宙の密度全体のわずか20分の1未満でできている。
 ダークエネルギーとダークマターの組み合わせが支配的な宇宙に我々は住んでいるというのが、今のコンセンサスである。 
 このように、宇宙の話はなんだかスケールが大きすぎて、なんだか分かったようなわからないような話でしたが、たまには気宇壮大な話にふれるのもいいことですよね。

(2008年9月刊。2200円+税)

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2008年11月 8日

ヤメ検

司法

著者:森 功、 発行:新潮社

 ヤメ検という言葉は、「正義の味方」が、「悪の擁護者」へと転落・腐敗したというイメージを伴って語られることが多いのです。いえ、元検察官で今は弁護士として素晴らしい活躍している人が私の身近に何人もいます。ただ、悪徳ヤメ検がごく一部でも生まれると、悪いイメージが拡大再生産して、独り歩きしてしまうのです。
 つい先日も、ヤメ検の弁護士が国選弁護人としての被告人への面会回数を水増ししたということが大きく報道されていました。たかだか数万円から20万円ほどの悪さを働いたわけですが、弁護士全体の社会的評価を著しく下落させてしまいました。 
 ヤメ検弁護士とは、文字通り検事をやめた検察官OBの弁護士の俗称である。昨今話題になった大事件では、必ず大物のヤメ検弁護士が被告人に寄り添い、後ろ盾になっている。
 緒方重威は、仙台と広島の高等検察庁の検事長をつとめた元エリート検事である。公安調査庁の長官もつとめた。その父親は、満州国最高検の検事であった。緒方は、若いころ、法務省の営繕課長をつとめた。このポストは目立たないが、全国に影響力がある。
 防衛庁汚職の山田洋行の法律顧問は豊島秀直弁護士。同じく、高松と福岡の高検検事長をつとめた。
 東京高検の検事長をつとめていた則定衛は、検事総長まちがいなしとされていた。ところが、女性スキャンダルを朝日新聞が一面トップで報道したため、辞職せざるを得なかった。そして、この則定弁護士は、サラ金「武富士」の弁護士をし、JALの顧問弁護士として活躍している。
 大物ヤメ検弁護士の報酬は高い。8000万円から1億円するのも珍しくない。
 大阪の加納駿亮弁護士は、大阪府の裏金調査委員会のメンバーとなったが、本人は検察庁の裏金事件の当事者でもあった。最近まで福岡高検の検事長をしていたので、福岡の弁護士にも顔が知られている人です。
 刑事事件専門のヤメ検弁護士は、用心棒のようなもの。
 検察庁をやめたばかりの無名の弁護士が、先輩のヤメ検弁護士から仕事を紹介してもらうことは多い。先輩にしても、山ほどの依頼が来るから、こなしきれない。それを振り分ける。やがて、ヤメ検弁護士が系列化していく。細かい刑事弁護は、若手に任せてしまう。
 この本の主人公の一人、田中森一について、次のように書かれています。
 もはや田中に司法エリートとしての自信は、みじんも感じられない。転落の最大の要因は、他のヤメ検弁護士と同じく、かつて対峙してきた不正との同化だろう。
不正と対決してきたはずの検察庁のトップが、弁護士になったとたんに、その不正の新玉の弁護人として、マスコミに華々しく登場するというのは、やはり異常なように思いますが、いかがでしょうか。
 この本には、そんな異常事態がゴロゴロしていることが、厭になるほど紹介されています。
(2008年9月刊。1500円+税)

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2008年11月 7日

シャドウ・ダイバー(上)

アメリカ

著者:ロバート・カーソン、 発行:ハヤカワ・ノンフィクション文庫

 水深が20メートルより深くなると、判断力と運動能力が低下する。これは、窒素酔いとよばれている状態だ。深く潜れば、窒素の作用はいっそう顕著になってくる。沈没船のある水深30メートル以上になると、条件は著しく不利になる。
 もし、何かが起きても、ただちに海面へ泳いであがることはできない。深い海で一定の時間を過ごしたダイバーは、水圧に身体を慣らしながら、あらかじめ決められた時間をおいて、徐々に上昇していかなければならない。空気が足りずに窒息することが分かっていても、そうしなければならない。パニックに陥って、「太陽とカモメ」を目ざして一目散に浮上するダイバーは、ベンズとも呼ばれる減圧症を発症する危険がある。重症のベンズでは、身体に障害が一生残ったり、麻痺したり、死に至ることもある。重症のベンズの苦痛にもだえ苦しみ、悲鳴を上げる患者を目にしたことのあるダイバーは、長時間のディープ・ダイビングのあとで減圧せずに浮上するよりは、いっそ海底で窒息して死ぬ方がましだと口をそろえて言う。
 水深40メートルでは5気圧となり、ほとんどのダイバーの頭は正常には働かない。手先がぎこちなくなり、紐を結ぶといった簡単な作業にも苦労する。知っていることでも、苦労して思い出さなくてはいけない。
 さらに、50〜55メートルに降りると、幻覚を見ることもある。
 水深60メートル以上になると、窒素酔いによって、恐怖、喜び、悲しみ、興奮、失望などの感情を、いつものようにうまく処理できない。
 急速に浮上すると、気圧は急激に下がる。それによって、組織に蓄積した窒素ガスは、ソーダのボトルのふたをポンと開けたときのように、大量の大きな泡となる。この窒素の大きな泡が、ディープ・ダイバーの憎き敵である。血流の外側で大きな泡が生まれれば、それが組織を圧迫して、血液循環を妨げる。関節内部や神経のそばなら激痛を引き起こし、痛みは数週間、悪くすれば終生つづく。脊髄や脳で発生した泡は、身体の麻痺や致命的な発作の原因となりかねない。大量の大きな泡が肺に流れ込むと、肺機能が停止してチョークスと呼ばれる障害が起き、呼吸が停止する恐れがある。大量の大きな泡が動脈系に入り込むと、空気塞栓症という肺気圧障害を陽子お越し、卒中、失明、意識不明もしくは死に至ることもある。
 水深60メートルに25分間もぐったダイバーは、1時間かけて海面へ浮上する。まず水深12メートルで5分間停止し、ゆっくり9メートルまで上がって、そこで10分間待ち、そのあと6メートルで14分、3メートルで25分を費やす。減圧のための時間は、もぐった深さと時間で決まる。時間が長くなるほど、水深が深くなるほど、減圧停止の時間は長くなる。2時間もぐったとすると、なんと9時間もの減圧が必要になる。
 うひゃーっ、す、すごーいですね。ダイビングってこんなに危険な行為なのですね。そういえばスキューバダイビングを趣味とする私の姪っ子が沖縄に飛行機で行ったら、その日は海中に潜れないって言ってました。
沈没船を見つけて、そこに入り込んだダイバーは、死の危険と隣りあわせだ。出口を見つけられなかったら溺れて死ぬ。出口を見つけても、それまでに空気を使い果たしたら、適切な減圧をするための空気がもはやないことになる。
大西洋の沖の海底でドイツ軍のUボートを発見したダイバーの話です。ダイビングって、こんなに死の危険と隣り合わせのものだということを知って、大変驚いてしまいました。
 
(2008年7月刊。700円+税)

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2008年11月 6日

加害者は変われるか?

司法

著者:信田さよ子、 発行:筑摩書房

 過去に例を見ない貧困層の発生、不況脱出の掛け声とはうらはらな格差社会の進行。増え続ける子どもの虐待は、そこを行き続ける若者の希望のなさを知らないと、理解不能だ。
 なーるほど、ですね。これって鋭い指摘だと私は思います。でも、日本経団連も、自民・公明の政権も、それでよしとするのです。格差があって何が悪い。格差の存在こそ、社会発展のバネだというのです。先日、新聞を読んでいましたら、アメリカのAIGグループが行き詰まったけれど、その社長の月給は、なんと1億円だったというのです。従業員がどうなろうと知ったことじゃない。社長が毎月1億円もらって何が悪いと開き直っているそうです。ひどい経営者です。でも、今の御手洗・日本経団連は、まさにアメリカ式高給優遇の経営者を目ざしています。許せません。労働者を首切って、食うや食わずの状況に追いやっていながら、自分さえ良ければ、というわけです。アメリカも昔はもう少しましでした。経営者が超高給取りになったのは、この20年ほどの現象なのです。
 言葉も持たず、大切にされた経験もなく、ただただ年齢だけ大人になった人々。お金もなく、暴力以外に人に関わるスキルもなく、親から保護を受けた記憶もない。将来、豊かに暮らせる見通しもなく、目先の消費と快楽しか存在しない。
 子どもの虐待は、これまで、世代間で連鎖すると考えられた。しかし、今では虐待は多くの研究から必ずしも連鎖するわけではないことが明らかになっている。世代連鎖が必ず起きるという強迫観念にとらわれることはない。だから、世代連鎖という言葉は慎重に用いるべきだ、と著者は提唱しています。
 もっとも危険な親は、当事者性を持たない、つまり、虐待しているという自覚のない親たちである。子どもを栄養失調で餓死させた虐待事件の親は、口をそろえて「しつけだった」と弁解する。
子どもを殴っているとき、私を見つめる怯えた目の中に、不意に幼い頃の自分の姿を見てしまうことがある。
これは子どもを虐待していた母親がグループ学習のときに発表した言葉。
悪い夫は、良き父親にはなれない。
DV被害者の妻は、夫を許すものかという怒りと、DV被害者と呼ばないでほしいという。私が夫の被害者だなんて、そんなことは認めたくありません。だって、夫に負けたことになるでしょ。このように主張するのだそうです。
 あまりに暴力がひどいので、110番通報した妻が驚くのは、警察官が駆けつけると「妻はいま精神的に不安定でして、ご迷惑をおかけしました」と穏やかな口調で語る夫の姿だ。このようなDV夫に共通して欠けているものは、妻に対する共感と想像力である。
 痴漢常習者は、スイッチが入ってから、計画し遂行するまでのプロセス自体が快楽なのである。それは決して一瞬の気の迷いなどという刹那的とか一時的なものではない。彼らは電車に乗り込むときから、すでにスイッチが入っている。痴漢常習者は、決して対象のほうを見ていない。指と性器に神経を集中させながら、目は吊広告を見たり、電車の窓外の景色を何気なく見るふりをしている。
 うむむ、なるほど、そうなんですか・・・・・・。
(2008年3月刊。1500円+税)

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2008年11月 5日

障害者の権利と法的諸問題

司法

著者:大分県弁護士会、 発行:現代人文社

 10月下旬、別府で開かれたシンポジウムで報告された内容がまとまっている本です。大分県弁護士会はシンポジウムを開いた後に本にするのではなく、その前に本にまとめてシンポジウム当日に発表するのをよき伝統としています。たいしたものです。ただ、シンポジウムでの議論も取り入れたら、もっと素晴らしい本になると私は思います。
 私はシンポジウムの会場でこの本を読みながら、報告とパネリストの発言を聞いていました。障害者自立支援法って、本当にひどい悪法だということをしみじみ実感しました。
 というのも、気持の上でこそ、まだ青年法律家なのですが、現実には還暦を迎えるのもあと1か月あまりに迫ってきているからです。60歳なんて、立派な老人じゃありませんか。
 老人ホームにおいて養護されることは、老人に与えられた権利ではなく、反射的利益にすぎないという判決を今から16年も前に東京高裁の裁判官が出したそうです。その裁判長も、今や、きっと後期高齢者になっているでしょうから、自分の出した判決の誤りを深く反省していることでしょう。誰だって、明日は我が身なのですから。
 憲法25条は、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障している。ところが、障害者自立支援法は、応益負担制度をとっている。これによると、障害の重い人ほど必要なサービスの量は多くなるので、障害の重い人ほど負担がより大きくなる。
 この法律は、福祉サービスを利用することを「受益」「私益」ととらえ、その利用に対して対価を課している。受益者負担の意味するところは、障害者の自己責任論であって、障害者に対する「差別」にほかならない。障害を持つことを「自己責任」とみなしてしまう。
 そして、応益負担制度は、サービス需要を抑制する有効な装置として機能している。
 「受益者負担」の理論は、本来、社会保障の分野への適用の余地はない。
 この本は、障がい者をめぐる逸失利益についての判例の動向もまとめており、その点も大変に参考となります。
 人間一人の生命の価値を金額ではかるには、障がい者作業所における収入をもって基礎とするのでは、あまりに人間一人(障がい児であろうが、健康児であろうが)の生命の価値をはかる基礎としては低い水準の基礎となり、適切ではない。換言すれば、不法行為によって生命を失われても、その時点で働く能力のない重度の障がい児や重病人であれば、その者の生命の価値をまったく無価値と評価されてしまうことになりかねない。
 施設などのサービスが不足している現状で契約自由の原則を貫徹すると、施設の側が利用者を逆に選択するという心配がある。
 障がい福祉サービス事業全般について、国と地方自治体に整備責任があることを法に明記すべきである。
 応益負担を廃止して、10割給付を実現しなければいけない。今の制度では食べていけるかもしれないけれど、人間らしく生きていくことはできない。たとえば、冠婚葬祭の支出を出す余裕がない。そうすると、交際ができないことになる。それは社会的な孤立化をもたらす。現代日本で餓死者を生み出している原因の一つがこれである。
 自由基底的理論という、私にとっては初めて見る言葉が登場しています。社会保障全般の制度を設計するうえでの根本理念を提供するものだということですが、正直言って、よく分かりませんでした。
 いずれにせよ、障がいのある人々を差別する制度は75歳以上のお年寄りを後期高齢者と勝手に名付けて一くくりにし、保険料を年金から天引きしていくという悪法と同じ発想です。こんなことでは、日本人の老後は安心できません。保険会社に頼るのではなく、国と地方自治体の責任で対処すべき問題です。そのための政治ではありませんか。私は、この本を読んで、ますます今の自公政権の冷たい福祉政策に怒りがわいてきました。プンプンプン。
 連休中にチューリップの球根を植えました。これで400個ほどは植えたと思います。庭のあちこちを掘り返して、整備しなければと思っていますが、一度にはできません。いま、エンゼルストランペットの黄色い花が満艦飾です。これが今年最後の花でしょう。霜が降りると幹から枯れてしまいます。
(2008年11月刊。3200円+税)

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2008年11月 4日

アフリカ・レポート

世界(アフリカ)

著者:松本 仁一、 発行:岩波新書

 この本を読むと、アフリカの現状には絶望的な気分に陥ってしまいます。アフリカ解放運動の栄光が地に堕ちてしまったようで、残念でなりません。
 列強の植民地からの脱却を目指した指導者がとてつもなく腐敗し、堕落してしまったというのを知ると、ええっ、どうして・・・・・!?と、つい叫びたくなります。
 まずはジンバブエ。その人口1300万人の4分の1にもあたる300万人が隣国の南アフリカへ越境出国していった。しかも、不法出国者のほとんどが40歳以下の男性。働き盛りが大量出国するようでは国は壊れてしまう。
 ジンバブエのインフレ率は、政府発表でも年率7634%(2007年7月)。それが2008年には16万%という。まるでなんのことやら、わけの分からない数字ですよね、これって。
 かつて、アフリカには希望の星とも言われたルムンバ大統領がいた。1960年6月にベルギーから独立したコンゴ(旧ザイール)の大統領だ。ルムンバは獄中で暗殺される前に遺書を書いた。
 「子どもたちよ、私はもうお前たちに会えないかもしれない。しかし、お前たちに言っておきたい。コンゴの未来は美しい、と」
 しかし、それから半世紀がたった今、コンゴは美しくない。ルムンバ政府をクーデターで倒したモブツ将軍は、独裁者となった。1997年にモブツ政権が崩壊しても、今なお政情は不安定だ。銅、コバルト、そして希少金属に恵まれたアフリカ最大の鉱物資源国でありながら、その富は国家の会計に寄与することなく消えていく。
 1960年代から70年代にかけて、アフリカの国の多くは農業輸出国だった。しかし、腐敗した指導者たちは、農業に関心を払わなかった。その結果、アフリカは農業輸出国から輸入国に落ち込んでしまった。そのマイナスは年間700億ドルにものぼる。
 アフリカのほとんどの国で、指導者は自分の部族に属するもの、地縁、血縁者に国家利益を分配し、それによって自分の地位の安定を図っている。その結果、国づくりが放置される。指導者が私物化した巨額の公金は海外の銀行に蓄財され、国内の市場に出回らない。蓄財したお金が社会資本として回転しないため、経済の進展もない。指導者は「敵」を作り出すことで自分への不満をすりかえる。そして、それは国内の対立を激化させ、国家的統一とは逆の方向へ国民を駆り立てる。
 南アフリカの国民解放組織(ANC)も、政権の座に就くと、幹部たちはあっけなく腐敗しはじめた。その結果、治安が悪化する。マンデラ政権が誕生した1994年に、1ヶ月平均の殺人事件は1400件を超した。1日あたり47人が殺された。警官殺しも月に15件あった。そして、2005年度は、殺人が1万8千件を超し、強盗は20万件に近く、強姦事件は5万件を超す。
いま、アフリカでは、中国が新植民地主義の主役となろうとしている。中国政府がアメリカの石油を持ち出し、中国人商人が安価な中国製品を持ち込んで、その国の市場を占拠しようとしている。そこで、中国人は、ギャングに目を付けられている。アンゴラで中国批判はご法度だ。
 そんな大変なアフリカにおいて、何人かの日本人が国の再建に貢献している話も最後に紹介され、少しだけほっとします。いやあ、ともかく大変すぎる深刻な状況です。南アメリカで進んでいる革新の息吹とは違って、アフリカには残念なことがあまりにも多すぎますね。人間も大変ですけれど、シルバーバックのゴリラなども破滅の危機にあるようで、こちらも心配です。 
(2008年8月刊。700円+税)

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2008年11月 3日

色を奏でる

社会

著者:志村 ふくみ、 発行:ちくま文庫

 10月のなかばに福島に行ったとき、県立美術館で志村ふくみ展があっていて出会った本です。展示されていた織物、そして糸の色合いの素晴らしさに感嘆して、この本を買い求めました。カラー写真で、たくさんの色が紹介されていますが、現物にはまったくかないません。でも、写真でおよそのイメージはつかめます。
緑と紫は決してパレットの上で混ぜるな。ドラクロアは、このように警告した。
 緑と紫は補色に近い色彩だ。この補色どうしの色を混ぜると、ねむい灰色調になってしまう。ところが、この2色を隣り合わせに並べると、美しい真珠母色の輝きが出る。これを視覚混合の作用という。
 また、赤と青の糸を交互に濃淡で入れていった着物を見て、ある人が美しい紫だと言った。しかし、そこには紫は一色も入ってない。これが補色の特徴であり、視覚混合の原理だ。いやあ、そうなんですか。ちっとも知りませんでした。
 ゲーテが、色彩は光の行為であり、愛苦である、と言った。光が現世界に入って、さまざまの状況に出会うときに示す多様な表情を、ゲーテは色彩としてとらえた。
 植物(木)を炊き出して色を得る。しかし、時期はいつでもいいというわけではない。植物にも周期があって、春を迎えるためにために桜が幹の中に、枝の先々まで花を咲かせる準備をしていた、その時期こそ、見事な色が出る。同じように、梅も刈安(かりやす)も、花の咲く前、穂の出る前の色に精気がある。
 植物が花を咲かせるために、樹幹にしっかり養分を蓄えて開花の時期を待っているとき、残酷なようだけど、そのつぼみの季節に炊き出して染めると、えもいわれぬ初々しい、その植物の精かと思えるような色が染まる。
 草木の染色から直接に緑色を染めることはできない。緑したたる植物群の中にあって、緑が染められないなんて、不思議なことだが事実だ。青と黄を掛け合わせて初めて緑が得られる。藍がめに刈安・くちなし・きはだなどの植物で染めた黄色の糸を浸けると、緑が生まれる。
 織物の色を作り出す仕事をしている著者が写真つきで、たくさんの色を解説してくれています。色は光の加減で生まれてきます。そもそも、色に実体があるのかないのか、私には良く分かりませんが、この本に出てくるさまざまな色調と、それを言い表す言葉の豊富さに、私は目を見開くばかりです。よく晴れた秋の日の昼下がりに美術館を訪れ、目と心を洗っていい気分でした。福島大学が移転した跡地が広々とした美術館になっています。
 10月末に別府に出かけました。駅前の横丁に有名なラーメン屋さんがありましたが、まったくの更地になっていました。地元の人の話によると、高層マンションを建てる計画があるそうです。別府駅前の商店街もシャッター通りにまではなっていませんでしたが、かなり寂れていました。
 夕食をとるためにステーキハウスに入りました。横丁の2階にある小さな店です。コース料理を頼むと、魚のほうは少し皮が焼きすぎて固くなっていましたが、豊後牛のほうは、久しぶりに肉を堪能することができました。ナイフを入れるとスーッと切れます。レアを注文したので、ほどよい赤さが目に快く、いかにも美味しそうで食欲をそそります。実際、口に入れると舌の上でとろけてしまう柔らかさです。そのうえ、さっきまで大自然のなかに放牧されていたと思わせる牛肉の香り高いうまみが口中にひろがり、幸せ感をもたらしてくれるのです。いつものようにテーブルワインを2杯飲みながら美味しくいただきました。そのあと、久しぶりのスギノイ・ホテルで温泉に入り、満ち足りて夜10時過ぎにシャンソンを聴きながら眠りに就きました。 
(1998年12月刊。1000円+税)

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2008年11月 2日

不平等国家、中国

中国

著者:園田 茂人、 発行:中公新書

 中国の不平等現象には、市場経済を導入しているすべての地域で見られる普遍的な現象と、社会主義で顕著に見られる特殊な現象が複雑に絡んでいる。
 中国で腐敗が深刻化しているのは、中国が党の幹部や官僚を中心とした社会主義的国家運営をし、彼らに巨大な権力が与えられていることと無関係ではない。
 1992年の中国で下海(シアハイ)という言葉が流行した。党や政府の幹部や学者、技術者などがその職を辞め、経済界に身を投じることを意味している。1992年に「下海」した官僚は12万人に達する。
 1991年に10万社だった私営企業は2004年に365万社となった。1990年代半ばからは、それまでの国有企業が私営企業へと転換していった。
 社会主義の中核部分から市場経済の担い手が現れたことは、それだけ市場経済化が本格化したことを意味する。同時に、共産党員が市場経済の中核に位置するようになり、経済的資源の多くを手にする可能性が高くなったことも意味している。国有企業の民営化や「下海」を通じて、1990年代半ば以降、多くの共産党員が私営企業のオーナー経営者になっていった。
 それまで共産党への入党が認められていなかった私営企業家を先進的な生産力を支える階層とみなし、彼らを取り込むことで広範な人民の利益を代表しうるというメッセージを送った。これは私営企業は資本家であり、階級敵だといった公式的階級制と決別したことを意味している。
 党員比率の点で、中国共産党は、もはや農民労働者を基盤としていない。2000年初めに党中央組織が極秘のうちに党員対象で質問した結果、共産主義を信じるか、という問いに対して、7割以上が「信じない」と回答した。4分の1以上の党員が「もう一度入党の誘いを受けても入党しない」と回答した。
 中国の人々がチベット問題について冷淡なのは、民族や宗教が不平等の原因になっているという意識が薄いからだ。
 中国には、日本語で死語になりつつある「立身出世」の観念が依然として生きている。子どもの教育費かせぎのための農村からの大量の出稼ぎ者、子どもの学費捻出のために親は自分の食費を切り詰めている。
 一般家庭の支出における教育費の割合は3分の1に達している。現在の中国における過酷なまでの学歴獲得競争は、さまざまな理由で大学に進学することが出来なかった親たちの「リターンマッチ指向」の現れである。
 中国の人々は、学歴によって所得が決まることに異議を唱えるどころか、それを公正なものとして認めている。権力を利用した高収入の獲得には批判的だが、学歴など業績主義的要因の高収入には肯定的なのが中国人の一般的な傾向だ。
 中国の高学歴者は外資系企業(18%)で一番高く、国有事業体(16%)、国家機関(16%)で働く人がこれに続く。国家機関で働く者の57%、国有事業体で働く者の26%が党員資格を持っている。国家機関や国有事業体といった、共産党の幹部が集中する職場の平均年収は高い。
 私は、マスコミがときとして振りまく「中国・脅威論」にはまったく根拠がないと考えています。 
(2008年5月刊。740円+税)

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2008年11月 1日

健腸生活のススメ

人間

著者:辨野 義巳、 発行:日経プレミアシリーズ

 私と同じ団塊世代の著者の本です。大腸は大切だと、ストレス性の便秘・下痢に悩まされたことのある私も思います。
 日本人のがんは、かつては胃がんが多かったが、最近は大腸がんが急増している。とくに女性では1位になっている。
 大腸がんは、腸内の悪玉菌が便から発がん物質をつくったり、二次胆汁酸によってがん化が促進されることが分かっている。
大腸は第二の脳と呼ばれるように、大変重要な臓器で、あらゆる病気の発信源である。女性はストレスが加わると便秘するが、男性は逆に下痢をする。
 肉を食べるときは、三倍の野菜を食べろ。
 人間の乾燥した便には、6000億から1兆個の細菌がいる。500〜1000種類。大腸内に棲息する腸内細菌の総重量は1〜1.5キロ。大便の3分の1は生きた腸内細菌である。便秘によって便が大腸に長時間たまると、腸内細菌が産出した物質が大腸に直接働きかけて、大腸がんや大腸ポリープ、大腸カタル症、急性大腸炎などを起こす原因となる。
 アルツハイマー病と認知症の患者は、共通してウンチがとても臭い。それは、悪玉菌のクロストリジウム・バーフィリンゲンス菌が多いから。高齢者のウンチが臭いのも同じ原因。
 便秘しないためには、ヨーグルトをたくさん飲むのがいいようです。さらに花粉症を予防するのにも効果があるとのこと。2年前から急に花粉症に悩まされるようになった私には耳よりの話です。この本を読んで、特保のヨーグルトを買って食べています。といっても、やはり何か月、いえ、何年も続けないといけないのですよね。
便所は、たんに便器のある場所ではなく、身体からのお便りを受けるところ、すなわち、お便り所なのだ。他人にみせるものでなくても、自分だけはしっかり手紙を読み取ろう。そして病気の発信源の状態を確認しよう。うむむ、な、なーるほど、ですね。毎朝、しっかり自分のウンチを確認することにしましょう。 
日曜日にチューリップの球根を200個ほど庭に植え付けました。雨がポツポツ降っていましたので、ひどく降り出す前に少しでも多く植えようと思い、シャベルをしっかり握って、焦っていると、右手の親指の付け根に豆ができ、やがてつぶれてしまいました。
結局、雨はひどくなりませんでしたので、続いて花の終った芙蓉の木を根元から切ってしまいました。毎年のことです。芙蓉とエンゼルストランペットは、根元から切ってしまうと、翌年また大きく枝が伸びて見事な花を咲かせてくれます。よく切れない剪定バサミを使いましたので、腕が痛くなってしまいました。
 いぜんとして、両膝に痛みがあります。少ししびれ感もあるので、もう一度病院に行かないといけないかなと思っています。としを取ると、いろいろ体に支障が来るものですね。
(2008年7月刊。850円+税)

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2008年11月30日

貧困の現場

社会

著者:東海林 智、 発行:毎日新聞社
 ホームレスは、3年を超える野宿生活が身体をむしばみ、内臓がボロボロの状態になる。
 いったん住居を失うと、再び住居を借りるのは至難の技だ。不安定な仕事では、驚くほど簡単に住居を失う。
 児童養護施設出身者のすべてが人生に失敗するわけではない。だが、貧困に陥っていく確率はかなり高い。
 店長になって、月収が8万円も下がった。残業時間は過労死の危険が指摘される80時間を超え、86時間にもなった。そして、店長として、1年間のうちに6回も店を変わった。配置転換が多すぎる。
 派遣労働者は名前を呼ばれない。「そこの派遣さん」とか「お兄さん」「お姉さん」。まるで機械の部品のよう。個を奪われてしまった。
 職場のいじめが増え始めたのは、成果主義が導入されたのと同じ。職場の雰囲気がギスギスしてしまった。成果主義の導入は、労働者同士の人間関係を押しつぶす方向での成果を上げている。職場の連帯感は希薄になった。成果を競い合い、その結果が正確にかは別として賃金に跳ね返るのだから、人にかまっている余裕はない。ギスギスした職場の人間関係は、小学校のようないじめさえ引き起こす。個性の尊重や労働者の意欲の発揮を狙うという旗のもとに導入された成果主義は、人件費削減の目的の方が最終的に強くなってしまった。
 今の日本社会は本当にギスギスしていますよね。政治の世界で嘘がまかり通り、なんでも自由競争を必要かつ善とするなかでは、強い者、お金持ちばかりが優遇される世の中だからです。やはり、弱者、貧乏人にもっと社会全体があたたかい目をもってきちんと人間らしく生きられるように処遇されるべきだと思います。
 庭のあちこちから水仙の仲間がぐんぐん伸びています。冬に咲く花たちです。急に寒くなって風邪をひいている人が目立ちます。新型インフルエンザが猛威をふるうと最大6万人の死者が出ると予想されているそうです。お互いに気をつけましょうね。といっても、結局のところ、その人の持つ自然免疫力ですよね。そのために私も、早寝早起きの健康的な生活を心がけています。
(2008年8月刊。1500円+税)

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2008年11月29日

中国、静かなる革命

中国

著者:呉 軍華、 発行:日本経済新聞出版社

 著者は、2022年までに中国は共産党一党支配の現体制から民主主義的な政治に移行するが、それは、農民・大衆の反乱という下からの革命に触発されてではなく、中国共産党のイニシアチブによって粛々と進められていくとみる。その理由が詳細に述べられていますが、なるほどとうなずくところが多くありました。でも、まだ中国は一応は社会主義社会を目ざしているのだと思うのですが……。
 旧ソ連の社会主義体制の崩壊は、ソ連邦の解体とともに進んで行った。これは、伝統的に「中国は一つ」という思想の影響を強く受けてきた中国人、とりわけ知識人をふくむ人口人の絶対多数を占める漢民族(全人口の92%)の人々にとって、感情的にとても受け入れがたいことだった。
 そこで、共産党体制に対する人々の考え方は、共産党に強い不満と怒りを持ちながらも、とりあえず共産党体制のままほうが無難だという方向に大きく変わった。
 現在の中国においては、金銭的なゆとりを持っている層が予想を超えてはるかに大きくなっており、その生活実態は、裕福さが日本の平均的サラリーマンと比較して決して遜色のない水準にまで達している。
 中国では、中産階層は現体制の安定を支える大きな柱の一つとして期待されている。
 2007年現在、中国の中産階層は、人口の1割を超える1億5000万人以上に達しているとみられている。2020年には、全人口に占める中産階層の比率が45%に達するという予測がある。中国は、いまや、アメリカに次いで世界でもっとも多くの億万長者を輩出する国になっている。
 程度の差こそあれ、中産階層入りしたほとんどの人は、所得を増やし、富を蓄積する段階において、共産党一党支配体制の恩恵を受けてきた。つまり、中国の中産階層は、共産党の「育成」があってはじめて、ほぼ皆無の状態から短期間に、ここまで急拡大することができた。
 1990年代に入って、北京、上海、広州といった大都市だけでなく、地方都市まで不動産開発ブームが巻き起こった。中国は、いまや世界の土建国家となった。
 中国の富豪の多くは、不動産業に携わっている。不動産業が蓄財産業となったのには、まさしく権力と資本の結託があった。
 経済的利益を上げるに際しての国民の自由度は大きく拡大された。これを受けて、中国社会は劇的に変化した。
 政権の維持が至上命題になったのに伴い、政党としての共産党の政治的目標と行政の目標との一体化が急速に進み、政治は実質的に行政化した。
 そして、中国社会は脱政治化に向けて大きく動き出した。
 政府レベルでGDP至上主義、個人レベルで拝金主義が蔓延した結果、中国社会の脱政治化は急速にすすんだ。
北京オリンピックを成功させることによって、長い文明の歴史を有しながらも、アヘン戦争以降、列強に蹂躙された過程で鬱積してきた中国の人びとは、その民族的屈辱感をかなり晴らすことができた。
 かつての共産党は、上層部から末端までの利益が一致していたが、今は、こうした構造が大きく変わった。党員数7730万人という巨大組織のうち、ほとんどの人は党員であっても、自らの専門知識・技能をベースに官僚やエンジニア・教師などの職業についた専門家、または労働者、農民である。共産党という組織の一員になることは、彼らにとって、よりよい出世につながるキャリアパスになりえても、生活に不可欠な要件ではない。
 共産党は、一見するとひとつの利益集団になっているが、その内部では利益の多元化が急速に進んでいる。
中国社会の現状分析として、なるほど、と思うところの多い本でした。私も中国には何回か言っていますが、行くたびに、その近代化、大変貌ぶりに驚かされます。 
(2008年8月刊。2000円+税)

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2008年11月28日

学歴・階級・軍隊

日本史(近代)

著者:高田 里恵子、 発行:中公新書

 日本の高学歴者たちは、ドイツと違って、兵役をすませて予備役少尉になっておくことを男の名誉ととらえる心性をついに持たなかった。
 日本の官僚や高級サラリーマンにとって、兵隊さんの位はなんの益ももたらさなかった。
 日本における職業将校の社会的威信は低かった。
 職業将校への道は、あまり元手をかけずに「月給取り」になれる道の一つだった。ただし、軍人の給料は、「貧乏少尉のやりくり中尉のやっとこ大尉で114円」と揶揄されたように、大学出のサラリーマンと比べて低かった。職業将校も世俗的な学歴序列、「月給取り」序列のなかに組み込まれ、しかも大学出よりも下位のランクを与えられていた。
 多くの優秀な少年たちは、立身出世やエリート志向ではなく、精神の自由を求めて旧制高校への進学を希望した。とりわけ昭和10年代の後半は、そうだった。
 そこで、庶民の味方を自称した陸軍が、国家のための官僚養成所のように見える一高と東京帝国大学法学部を「自由主義者の温床」あるいは「左翼と反戦主義者の温床」として憎んだ。
日本軍は、最後の最後まで、学生、学徒兵の力を信じていなかった。
 それでも兵営は、高学歴者が、教育を受けない、受けられない層と接触しうる数少ない場所だった。
 三島由紀夫は即日帰郷になって入営を免れた。つまり、徴兵を疫病か、あるいは軍医の好意的な「誤診」によって忌避したのだろう。
  日本軍の構成、そして欧米の軍隊との違いを考えさせられました。
 朝、庭に出るとエンゼルストランペットのピンクの縁取りのある白い花が露に濡れていました。霜でやられてしまうのも、もうすぐです。クルミの木と桜の木の間に大きな黄金グモの巣がかかっていましたが、取り払ってしまいました。夫婦なのか、兄弟なのかわかりませんが、見事な2匹の黄金グモでした。庭仕事の邪魔になりますので、ゴメンネと言ってはらいのけました。今、イチゴの木が白い小さな壺のような花をたくさん咲かせています。
(2008年7月刊。880円+税)

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