弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年10月 6日

筑豊の近代化遺産

社会

著者:筑豊近代化遺産研究会、 発行:弦書房

 嘉穂劇場での年に一回の全国座長大会を見てきました。初めのショータイムは、あまりのボリュームに、演歌もカラオケも嫌いな私には少々きつい思いがありました。スピーカーの音質も良くないように思いましたが、これって私だけだったのでしょうか。それにしても、役者の首に万札のレイが次々にかかるのには驚きました。噂には聞いていましたが、追っかけおばちゃんたちの気前の良さには呆れるばかりです。この座長大会も30年間続いているそうですが、ほとんど満席でした。狭い座敷にぎっしり詰め込まれます。
筑豊で炭鉱全盛期のころには、筑豊だけで50もの芝居小屋があったそうです。熊本・山鹿の八千代座も残っていますが、残念ながら外からしか見たことはありません。来年は9月12日に座長大会が開かれるということでしたが、早速、申し込んだ人もきっと多いことでしょうね。
 ショーのあと、芝居「一本刀土俵入り」を久しぶりに見ました。私も、小学校に入る前に父に連れられて、近くにあった芝居小屋にお芝居を見に行ったことを覚えています。チャンバラ芝居で、観客席は満員でした。なにしろ、映画館なんて、町のいたるところにあった時代です。いま、私の住む町には映画館はひとつもありません。残念です。やっぱり映画は大きなスクリーンで見たいものです。
 芝居が終わって、伊藤伝右衛門邸を見学してきました。筑豊の炭鉱王の一人ですが、むしろ柳原白蓮の公開絶縁状によって世間的には有名でしょう。
 屋敷内を見て回りましたが、廊下は板張りではなく、すべて畳敷きになっていました。
 九州で初めてという水洗トイレもちらっと見かけました。これだけの豪邸を作れたというのは、それだけ多くの炭鉱労働者の犠牲の上に成り立っているのでしょうね。
 筑豊の炭鉱で災害死した人は、公式統計に現れただけで5万人いるとのこと。実際には10万人はいるだろうということです。私も一度だけ、炭鉱の坑内に下がったことがあります。労働現場として、これほど過酷なところはないと実感しました。地底深く、漆黒の闇の中へ入っていくときの恐怖感というのは、言葉で表しにくいものです。身体が無意識のうちに拒否反応を起こします。
 筑豊の炭鉱の実情も聞きましたが、頭領や納屋制度で炭鉱労働者はがんじがらめに縛られていたようです。それでも、それを少しずつはねのけていったのです。大変な苦労があったことだろうと思います。
 カラー写真もたくさんあって、筑豊のことを知るのに良い事典だと思います。 
 富山で美味しいワインと食事の店に入りました。こじゃれた小さな店です。カウンターがあって、テーブルはいくつかしかありません。ワインはテーブルワインが主です。まずはキールロワイヤル。シャンパンに甘いカシスを入れます。ロゼより少しだけ赤い、甘くさっぱりしたのどごしで、食欲をそそります。はじめは地元でとれた新鮮な魚のカルパッチョ。フグ皿のような見事な盛り付けで、こりこりした魚の刺身をいただきます。そして白エビの甘酢漬け。ジャガイモをサイコロのようにカットして、軽くローストしたもの、また、ジャガイモを潰してゴルゴンゾーラチーズと一緒にしたものが出てきました。ブルーチーズのような大人の味わいです。まいたけも入った野菜の天ぷら、そして、地元鶏の照り焼き。小さな皿に少しずつ、いかにも心のこもった料理が次々に出てきました。ワインは初め軽いブルゴーニュの赤、そして次は重みを感じさせるイタリア・ワインの赤です。飲むほどにだんだんワインが舌になじみ、料理にぴったりマッチして、美味しく、味わい深くなっていきます。
 最後のデザートは、レモンのシャーベットとアイスクリーム。シャーベットは口の中を改めてさっぱりさせ、アイスクリームはくるみの粒入りで、しっとりとした甘さです。これで、前の晩に食事した居酒屋と同じ料金でした。
 ANAホテルの並びにあり、夫婦で深夜までやっているお店です。
(2008年9月刊。2200円+税)

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