弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年8月 8日

遊女(ゆめ)のあと

江戸時代

著者:諸田玲子、出版社:新潮社
 いやあ、まことに作家の想像力というのは想像を絶するものがあります。ロマンあふれる時代小説、これはオビに書かれたキャッチフレーズですが、まさしく、そのとおりです。
 全国各地で大飢饉に見舞われ、財政難にあえいでいた幕府は八代将軍吉宗のもとで、倹約に次ぐ倹約で財政を立て直そうとしていた。ところが、尾張名古屋だけは違った。尾張徳川家七代宗春(むねはる)を藩主とあおぐ名古屋には、飢饉もなければ貧困もない。重税もなければ圧政もない。死罪もなければ諍(いかさ)いもない。大道に商店がひしめき、各地から押し寄せた商人の威勢のいい売り声が飛びかう。老若男女が愉(たの)し気に行きかい、城下は活気にみちている。不夜城のごとき遊郭からは、華やいだ嬌声や音曲が流れ、雨後の筍のごとく出現した芝居小屋の幟(のぼり)で、道の両側は埋め尽くされている。
 藩主宗春が江戸からお国入りしたときは、黒装束に縁がくるりと巻きあがった鼈甲(べっこう)の丸笠という奇抜ないでたちで、人々の度肝をぬいた。
 そんな名古屋の地へ、女2人、旅立った。ひとりは博多から。もうひとりは江戸から。
 宗春は正室をもたない。これも幕府への反発のあらわれだった。正室は人質として江戸に住まわせるという定めがある。それはよいが、御三家まで従えというのは、がまんがならない。
 宗春のしなやかな細身の体にまとっているのは、派手な青海波(せいがいは)文様の絹小袖、ゆるめにしめた細帯は黒びろうどで、髪は江戸で大流行の文金風。髷(まげ)の根を一気に上げて前へ折り曲げるこの髪型は、宗春の音曲の師匠でもある浄瑠璃語り、宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の発案だった。
 宗春は鮮やかな紅の小袖と羽織袴をつけ、緋縮緬のくくり頭巾を被っていた。くくり頭巾とは、頭をすっぽり覆う丸頭巾の先端が縫い閉じられている。白牛ではなく、この日は駕籠(かご)に乗っていた。駕籠には天井がない。左右の簾も巻き上げてあるから、沿道の人々には宗春の姿がはっきりと見える。もとより、見せるために趣向を凝らしている。
 「ひゃあ、目が醒めるようやわァ」
 これが江戸時代の藩主の服装なんですよ。いやあ、すごいものです。
 真夏の陽射しを浴びて、紅と緋が禍々しい(まがまがしい)ほどの光彩を放っている。
 初夏の陽射しが降りそそいでいる。南天、芍薬、梔(くちなし)・・・。御下屋敷の北東の一画を占める薬草園では、草木の緑が萌え立ち、花々が妍(けん)を競っていた。
 鉄線とはクレマチスのことです。昔からあったんですね。今とまったく同じものなんでしょうか。私はクレマチスの花も大好きです。牡丹は私の庭にも2株、もらったものがあります。地植えにしています。毎年、見事な花を咲かせてくれます。その豪勢さには、つい見とれてしまいます。芍薬は、なぜか今年は花を咲かせてくれませんでした。枯れてしまったわけではなく、あとになって緑々した葉だけを茂らせてくれました。
 江戸情緒たっぷりのロマンあふれるお話でした。さすが、プロの書き手は読ませます。
(2008年4月刊。1900円+税)

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