弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年8月 1日

ゲバルト時代

社会

著者:中野正夫、出版社:バジリコ
 東京は神田に生まれ育った早熟の高校生時に全共闘活動家になり、浪人してからも中核派のデモに参加していた著者の半生をつづった本です。
 共産党に対する敵意心が強く、ひどい悪口もあって辟易するところがありますが、当時の三派系学生の生態をかなりあからさまに描いているところを興味深く読みました。
 ベ平連が党派との距離を置いていた(努力していた)ことも知ることができます。
 三里塚へデモに行ったとき初めて警察に捕まりましたが、19歳の浪人生だと身分を明かして、釈放されます。警察も、こんなチンピラ浪人を相手にしても仕方ないと思ったのでしょう。
 やがて、著者は日大闘争そして東大闘争に浪人生として関わるようになります。
 そのころ、全共闘の必読雑誌として月刊『現代の眼』と週刊『朝日ジャーナル』がありました。『現代の眼』は右翼総会屋からお金を巻き上げるための雑誌だったが、その執筆陣は新左翼の人間で占められていた。総会屋は売れる雑誌であれば、内容は問題にしなかったわけだ。なーるほど、そういうことだったのですね。新左翼と右翼、財界とは黒い結びつきがあったわけです。
 東大駒場の第八本館に全共闘がたてこもっているところにも著者は出かけています。「八本」の内部はまだ整然としていた。全共闘は民青にはゲバルトで勝てなかった。民青の部隊はよく訓練されていて、統制がきいていた。全共闘は掛け声と気合いだけで、自己表現と自己満足のみであり、甘かった。これは本当のことです。私も目撃しました。
 駒場寮(明寮)攻防戦にも参加しています。私は、寮生の一人としてたまたま明寮にいました。それというのも私の部屋が明寮にあったからです。ですから、「既に民青がすべての寮をバリケード封鎖して立てこもっていた」というのは事実に反します。
 700人いた寮生のかなりは依然として寮で生活していました。1969年2月の駒場寮委員長選挙でも、全共闘支持派の寮生が当選こそしませんでしたが、かなりの票数を集めていたことからも裏付けられます。色眼鏡で世の中を見ると、まったく間違ってしまうという見本のようなものです。
 民青と全共闘の捕虜交換があったことは事実ですし、民青の応援部隊に学生ではない人たちがいたのも事実のようです。
 そして安田講堂にも著者は立入っています。大講堂の中にグランドピアノがあり、インターナショナルを弾いてみたそうです。それはありうることです。このピアノは結局、機動隊が進入してきたときに楯につかわれて壊されたようです。
 著者はブントに入り、やがて赤軍派に接近します。ただし、連合赤軍には入っていません。1970年5月に赤軍から逃亡しました。
 連合赤軍の森恒夫と永田洋子に対する評は手厳しいものがあります。
 著者は、その後、共産同RG(エルゲー)派に入りますが、連合赤軍のリンチ殺人事件の発覚を知って、吹っ切れてしまうのです。
 「革命ごっこ」は終わったと心底から思った。
 それはそうでしょうね。あんなひどいことって考えられもしませんよね。
 「努力」や「決意」や「死の覚悟」で革命ができると信ずるなら、それほど簡単なことはない。しかし、それではテロリストと同じレベルだ。飛び込んで自爆すればいいのだから。
 この本には、当時の活動家たちのその後、現況が報告されています。既に何人も亡くなっています。そのなかで、こんな文章が目にとまりました。
 緒方は70年に東大文?に合格し、フロントの活動をしていた。当時のフロントの上司活動家たちの中に、今は衆議院議員になってホラやラッパを吹いている者が何人もいるという。ええーっ、いったい誰のことでしょうか。実名で知りたいものです。
 同じ時代を描いた『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)の第4巻がとくに、この本と同じ時代を描いています。正確かつ詳しく知りたい人は、ぜひこの本を読んでみてください。秋には1969年2月、3月を描いた第5巻が刊行される予定です。そして、その後、登場人物がいま何をしているのかを明らかにする第6巻が出る予定です。やはり、みんな、その後、いま何をしているのか、知りたいですよね。この本は大胆にそこまで踏み込んだところがいいと思いました。
(2008年6月刊。1800円+税)

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