弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年7月25日

のぼうの城

日本史(戦国)

著者:和田 竜、出版社:小学館
 非常にユニークな時代小説とオビにかかれています。なるほど、そうでしょうね。戦国時代のお城の攻防戦を描いているのですが、とてもユニークな物語です。そして、それが史実をふまえているというから、余計に面白いわけです。
 ときは戦国時代末期。秀吉の小田原攻めの最中に起きました。信長が本能寺の変で倒れる前、秀吉は毛利軍と戦っている最中でした。そのときとられた作戦は有名な備中高松城の水攻めです。
 秀吉がつくった人工堤は、下底が12間(22メートル)、上底が6間(11メートル)の幅があるという、途方もない分厚さがあるものを、3里半(14キロメートル)という気の遠くなるような長大さをもっていた。
 いやあ、これはすごいですね。北条攻めに動いた秀吉軍は総勢16万騎。そして、石田三成を総大将とする2万の大軍が忍城に向かった。忍城は関東7名城のひとつに数えられていた。忍城にいた成田長親は、周辺の百姓を城に呼びこみ、迎え入れた。
 三成は、籠城は内より崩れることを知っていたので、それを止めなかった。無駄な数の籠城兵は、兵糧を喰い散らす。兵糧が減るにしたがって裏切りの噂が噴出して城内は疑心暗鬼となり、裏切り者とされた者はどんどん粛清されてしまう。やがて籠城方の大将は、この状態では開城やむなし、と城を明け渡す。すなわち、城内に人が多いと、ほころびも増すことになる。
 やがて、忍城には3740人の籠城兵が充満した。ところが、城内には戦闘心旺盛で、士気は衰えなかったのです。
 三成は緒戦で忍城の計略によって負けたので、水攻めに切りかえた。7里(28キロ)の堤をつくることにしたのだ。秀吉の堤の倍である。のべ10万人を5日間、昼夜兼業で働かせる。人夫に対し昼は永楽銭60文、夜は100文。それぞれ米一升をつける。夜だけでも夫婦2人が5日間働くと、家族4人が1年食べられる米が買える。なーるほど。
 三成が人工堤の建設に着手したのは天正18年6月7日。数十万人が人夫として集まった。人工堤は、断面の台形の下底を11間 (20メートル)、上底を4間(7メートル)という厚さとし、高さを5間(9メートル)とした。秀吉のつくった備中高松の人工堤とほぼ同じ大きさ。三成は秀吉をはるかに上まわる長大な人工堤防を短期間のうちに完成させ、あわや忍城は落城寸前。ところが、アリの一穴が始まったのです。
 本を面白さがなくなりますので、これ以上は紹介しませんが、奇策によって忍城は助かってしまうのです。これだけ面白く読ませるのですから、たいしたものです。さすがに大絶賛を浴びた本だけのことはあります。
 三成は意外や意外、敗軍の将となってしまったのでした。
 最後に、「のぼうの城」というのは、「でくのぼう」の「でく」をとった呼び名からきています。「でくのぼう」でありながら、民衆の心をつかんでいた殿様だったというわけです。
(2007年12月刊。1500円+税)

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