弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2008年5月14日
雲の都、第3部・城砦
社会
著者:加賀乙彦、出版社:新潮社
私は、毎朝、NHKのラジオ講座でフランス語を聴いています(弁護士になって以来ですから、もう35年になります)が、そのテキストに加賀乙彦が若かりしころのフランス留学記を3月まで連載していました。若さ故の無謀なイタリア単独自動車旅行記にはハラハラさせられたものです。なにしろ生きているのが不思議だと言われるほどの九死に一生を得たという大事故まで起こしていたのですから・・・。
その著者による自伝的大河小説の第3部は、1968年に始まる東大闘争の渦中に巻きこまれたという展開です。著者は医学部助教授として、しかも反動的な精神科医師として全共闘(そのなかでも精神科の医師は「戦闘的」でした)から糾弾の対象とされ、その貴重な資料を持ち去られて焼かれてしまいます。著者は、当然のことながら、全共闘を厳しく糾弾します。
全共闘運動のもっていた本質的な誤りの一つが、この本でも明らかになります。といっても、今の私は、全共闘の活動家だった個々のメンバーまで全否定するつもりはありません。今では私の仲のいい友人となった弁護士も実は少なくないからです。もちろん、昔も今も、全共闘がした目茶苦茶な暴力を肯定する気はまったくありません。
この本には、セツルメント活動という言葉が何回となく登場します。それは著者自身が学生セツルメントにかかわっていたからです。私も1967年4月から4年近くセツルメント活動に打ち込んでいました。東大闘争の無期限ストライキのおかげで、大学2年生の6月から翌69年4月までは授業がまったくありませんでしたので、ますます没頭してしまいました。それこそ、人生に必要なことは川崎セツルメント実践活動ですべて学んだ、という感じです。いえ、ほんとうにたくさんのことを学びました。ただひとつ残念だったのは、そこで出会った素晴らしい女性にふられてしまったということです。
菜々子は亀有の東大セツルメント診療所で看護婦として働いていたが、薄給のため、ほとんど明夫の助けにならなかった。アメリカより帰国したあと、セツルメント診療所の診療をときどき引き受けていた。こんなセリフも登場します。私のいた川崎にもセツルメント診療所というのがありました(今もあります)。竹内事務長、斉藤婦長(故人)以下、大庭さんなど、何人もの人に可愛がられました。ありがとうございます。おかげで、なんとか初心を忘れることなく、故郷の地でそれなりに真面目に弁護士としてやっています。
1969年1月18日からの安田講堂攻防戦は、当時、空前の視聴率を誇りました。まさに世紀のスペクタクルショーでした。しかし、それは、警察と全共闘の共同演出にほかならないものです。著者は、次のように評しています。
その姿は醜い。これは革命ではなく、新しい世を創り出す情熱でもなく、ただ国家権力に反抗してみせるだけの、戦争ごっこだ。大学当局も機動隊も、一人の死者も出さずに封鎖を解除せよと命じられているのを、つまりその暴力はテロでも革命でもなく、単なるお遊びとして嘲笑されていた。逮捕された学生は、楽しい戦争ごっこをした子どもたちのように平然としていた。
全共闘に共鳴する精神科の医師は、次のように驚くべきことを言った。
あらゆる精神病者は、体制に反対するゆえに革命家である。だから、あらゆる精神病者は即時解放して、自由を与えよ。体制に対して反対する者は狂人にならざるをえないのだ。精神病質、人格障害、変質者は、この世に存在しない。それを存在すると主張するのは、権力者におもねる犯罪学者という、政治的・権力迎合の人々である。
いやあ、ひどいですね、信じられませんね。それこそ「狂って」います。
医学生時代にセツルメント活動をしていたかつての貧民窟は、今では集合住宅とビルの新式の街に変わっている。著者がセツルメント活動をしていたのは、メーデー事件のあった1952年のころ、今から17年も前のこと。そのころ23歳だった青年は、今や40歳のおっちゃんだ。
全共闘の学生は、個人主義を認めず、いじめの対象にする。まるで戦争中の特高みたいな連中だ。全共闘という学生たちが暴れ狂って学園紛争が全国におこり、大学が破壊されると思わせたのが、大学はかえって強固となり、紛争はウソのようにおさまった。いったい全共闘は何をしたのか?
2.26の青年将校たちの叛乱と全共闘はよく似ている。全共闘の目ざした大学解体、産学協同反対、高度成長反対は、大学を強固にし、産学協同を促進し、高度成長を現実のものにしてしまった。革命家気取りで全共闘は暴れまわったが、実際には、彼らの敵を結束させて反革命の国家へと向かわせてしまった。
この世の中の風潮という奴、流行という奴、悪魔のささやきは、一群の若者たちを狂わせるが、それは決して長続きしない。
いやあ、こう言われると、そうだよねと言いつつ、怒れる若者すべてが全共闘だったかのように受けとられても困るんだよねと、つぶやかざるをえません。
著者は、学生時代には、戦後の貧困を放置した政府を攻撃してセツルメント運動なんかに夢中になり、貧困者の犯罪に興味をもって犯罪学なんかの研究をし、もちろんベトナム戦争には反対し、今の政府の企業優先の政策にも批判的でした。ところが、全共闘の学生からは、政府と権力者寄りの反動学者とみなされるのです。
全共闘の学生たちが全員まったく同じ思想をもっていて、それに反対する人間はすべて反動ときめつけるのは異様に思われる。これでは、まるで戦争中のファシズムそっくりで、自分たちの思想に反対な人間は撲滅しようとして暴力をふるう。
安田講堂内に立て籠もっていた学生は、ほとんど毎日、惰性で過ごしていたのであり、討論、総括、相互批判、自己批判という言葉のイメージでは語れない。美化しすぎるのは単純すぎる誤りだ。
1968年に起きた東大闘争の全貌を知りたいと思った人には、『清冽の炎』(第1〜4巻。花伝社)を強くおすすめします。
(2008年3月刊。2300円+税)