弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2008年4月 2日
生活保護、「ヤミの北九州方式」を糾す
社会
著者:藤藪貴治・尾藤廣喜、出版社:あけび書房
飽食の現代日本で餓死する人が後を絶たない現実。行政の現場で、いったい何が起きているのか。元ケースワーカーと元厚労省のキャリア公務員だった弁護士の共著である本書は、現代日本の現実を鋭く告発しています。
せっかく頑張ろうと思っていた矢先、切りやがった。生活困窮者は、はよ死ねってことか。小倉北(福祉事務所)のエセ福祉の職員ども、これで満足か。貴様たちは、人を信じることを知っているのか。市民のために仕事せんか。法律は飾りか。書かされ、印まで押させ、自立指導したんか。
腹減った。オニギリ、腹一杯食いたい。体重も68キロから54キロまで減った。全部、自分の責任です。人間、食ってなくても、もう10日生きています。米、食いたい。オニギリ、食いたい。ハラ減った。オニギリ、食いたーい。25日、米、食ってない。
このように日記に書いた52歳の平野さんは、日記の途切れた6月5日から1ヶ月たった7月10日に餓死した状態で発見されました。遺留品のなかには46円しかありませんでした。2007年の小倉北区での出来事です。前の年、2006年5月にも、北九州市門司区で56歳の男性が市営団地でミイラ化した状態で発見されています。地元の門司福祉事務所に生活保護を申請しようとしたけれど、申請書すらもらえなかったのです。
さらに、その前の2005年1月にも、八幡東区の自宅で68歳の男性が餓死しています。2006年1月に刑務所を出所したばかりの74歳の男性が小倉北福祉事務所で生活保護を申請しようとしても、わずかに下関市役所までの交通費が支給されただけでした。
ホームレス状態であっても、生活保護利用の要件に欠けることはない。
北九州市は、福祉事務所からベテランのケースワーカーを排斥し、係長試験合格前の30代の男性職員に入れ替えた。当局は、福祉事務所から北九州市職労の組合員を排除していった。まず役員クラスの組合員が外へ配転され、次に熱心な組合員たちが追い出された。それまでの北九州の福祉事務所は、福祉をやりたい人を人材を迎え入れていた。ところが、福祉ではなく、「惰民取締まり」に変質していった。1967年に北九州市長となった谷伍平市長は、生活保護は怠け者をつくると高言し、厚生省から多くの天下り官僚を迎え入れ、生活保護の切り捨てをすすめ、保護率を急激に下げた。
ケースワーカー、職員側の声が紹介されています。
過去は自由気ままに税金も国保料も払わずに好き勝手に生きてきた人間が、高齢になって働けず、お金がないと申請してきたとき、何の懲罰もなくて保護を認めるのか、納得できない。これまで好き勝手にしてきて、最後に保護とは、いかがなものか。
うーん、そうは言っても、人生いろいろあるわけです。過去を問題にして目の前の困っている人を救わなくていいのでしょうか?
1982年より北九州のすべての福祉事務所に面接主査制度が導入された。昇任試験をパスしたばかりの若手係長が新規申請の窓口業務を担った。その結果、わずか5年間で申請率は半減し、全国最低の申請率(15.8%)となった。
1998年から2003年までの政令市の生活保護関連予算の平均伸び率は52%であるのに対して、北九州市だけはマイナス0.12% と、唯一減っている。
北九州市の特徴は反省がないこと。厚労省の生活保護行政の実験場となっていること、ヤミの北九州方式が日本全国に広げられていることにある。
いやあ、格差社会日本のひずみをよくよく垣間見る思いがしました。北九州のひどさというのは、国の冷たさの象徴なんですよね。許せません。
やっと桜が満開となりました。耕耘機が動いて水田づくりも始まりました。わが家のチューリップは今朝かぞえると117本咲いていました。まだまだです。紫色のムスカリ、あでやかな赤紫色のアネモネも咲いています。よく見ると、ハナズオウも花をつけていました。
(2007年12月刊。1500円+税)
2008年4月 1日
貧困大国アメリカ
アメリカ
著者:堤 末果、出版社:岩波新書
サブプライムローン破綻が世界経済をゆるがしています。いったい、何のこと・・・?
アメリカの住宅ブームが勢いを失いはじめたとき、業者が新たに目をつけたターゲットは国内に増え続けている不法移民と低所得者層だった。破産歴をもつ者やクレジットカードがつくれなくても、住宅ローンが組めるといって顧客をつかんだ。利率は同じ所得層の白人に比べて3〜4割も高い。2005年、アメリカで黒人(アフリカ系のアメリカ人)の55%、ヒスパニックの46%がサブプライムローンを組んでいる。白人は、わずか17%だ。
2007年1月から6月までの半年間で差押物件は全米で57万件をこえた。これは前年比58%増。このサブプライム債権を担保とした証券は、一般の住宅ローンを担保とした証券よりリスクは高いけれど、金利自体が高いために利回りが大きく、ヘッジファンドや銀行が飛びついた。住宅価格が下がって貸し倒れが増えはじめると、日米欧の中央銀行は銀行間の決済が滞ってパニックになるのを防ぐため、巨額の資金を市場に供給しはじめた。しかし、2007年7月にアメリカの大手格付機関が格下げを発表し、8月にフランスのBNP銀行がファンドの一部凍結を実施したことから、世界中を大パニックに追いこんだ。
むひょう。いやですね。大金持ちが貧乏人を食い物にしておいて、破綻したら、また貧乏人にしわ寄せするというのですからね。許せません。
貧困は肥満を生む。メタボになりかけ、ダイエットに励んだおかげで半年で5キロの減量に成功し、標準体重まであとわずかというところまで来ている私にとっても、他人事(ひとごと)ではありません。ニューヨーク州では、公立小学校の生徒の50%が肥満児だというのです。それは、ひどーい。家が貧しいと、毎日の食事は、安くて調理の簡単なジャンクフードやファーストフード、揚げもの中心になってしまう。学校予算が切り詰められているため、給食しようとしても、メニューは、安価でカロリーが高く、調理の簡単なインスタント食品かジャンクフードになってしまう。
アメリカ国内の「飢餓状態」を経験した人は3510人(全人口の12%)。うち2270万人が成人(10%)、1240万人が子どもである。「飢餓人口」の特徴は、6割が母子家庭、子どものいる方がいない家庭の2倍、ヒスパニック系かアフリカ系に多い。収入が貧困ライン以下。その39%が何らかの職業についている。
国民の生命にかかわる部分を民間に委託するのは間違いだ。国が国民に責任をもつべきエリアを絶対に民営化させてはならない。
私も、まったく同感です。国は税金を徴収する以上、やるべき最低の義務があるのです。
2005年にアメリカで個人破産した204万人のうち、半数以上は高額の医療費負担によるもの。私も、20年以上も前に、アメリカでそのことを聞いて耳を疑いました。アメリカには国民健康保険制度がなく、民間の保険会社が適当にやっているので、医療費負担がものすごいのです。映画『シッコ』を見るとよく分かりますが、貧乏国のキューバで市民が安心して生活しているのは教育費も医療費もまったくタダだから、なのです。
病気になって医療費が支払えずに自己破産した人のほとんどが中流階級であり、民間の医療保険に加入していた人なのです。
アメリカの医療保険制度(日本でいう生活保護)であるメディケイドの受給者は、 5340万人であり、貧困層が急増しているため、50%もの増加率となっている。
アメリカの巨大病院チェーン(HCA社)は、全米に350の病院をもち、年商200億ドル、従業員28万5000人。市場原理とは、弱者を切り捨てていくシステムである。
軍隊に若者が入る理由の一つに医療保険がある。貧困層の高校生は、家族そろって無保険のことが多く、入隊したら本人も家族も兵士用の病院で治療が受けられるようになる。これは、非常に魅力的だ。
2003年の時点で、アメリカ国籍をもたない兵士が4万人近くもいる。軍は年間26億ドルをリクルート費用につぎ込んでいる。
アメリカには350万人以上ものホームレスがいて、その3分の2は帰還兵である。心の病いが深刻になっている。2007年8月の時点で、イラクにおいて死んだアメリカ兵は3666人(最新のニュースでは、ついに4000人をこえました)。その5%が自殺によるもの。
トラック運転手を募集という広告。しかも、2年間の契約で、高額。応募すると、勤務地はクウェートと書いてあったのに、実際に連れていかれたのはイラクのアメリカ陸軍基地だった。派遣社員がイラクで死んでも、民間人なので戦死者にはならない。政府には発表する義務がない。
ネパールから生活のために派遣会社を通してイラク入りするネパール人が1万7000人もいる。月収2500ドル。そんなハリバートン社は、イラクでの売上が日本円にして7500億円にもなる。そして、ハリバートン社に対してアメリカ軍は、業務奨励賞と7200万ドルというボーナスを与えた。
まさしく、戦争で肥え太っているアメリカ企業がいるのですね。許せません。
日本人がアメリカ兵の一員としてイラクにまで出かけている実情があることを初めて知りました。日本人もアメリカ軍の一員としてイラクへ出かけているのですね。もちろん、例の自己責任の原則の範囲内のことでしょうが、ひどいものです。日系アメリカ人将校は、イラク出兵を拒否して軍法会議にかけられてしまいましたが・・・。
アメリカに永住権さえ持っていれば、国籍に関係なく入隊できるのです。そういえば、40年前のベトナム戦争のときにも、清水君という日本人青年がアメリカ軍の一員としてベトナムの戦場へ派遣され、戦争の現実を知って脱走して日本に帰国してきたということがありました。
今は、黒人も白人も、男も女も、年寄りも若者も、みな目の前の生活に追いつめられたあげくに選ばされるのに戦争があるというだけのこと。格差社会の下層部で死んでいった多くの兵士にとってこの戦争はイデオロギーではなく、単に生きのびるための手段にすぎない。貧乏人の黒人だけがイラクの最前線に行くわけではない。
アメリカ社会は憲法25条を奪った。人間らしく生きのびるための生存権を失ったとき、9条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは、人間としてあたり前のこと。狂っているのは、そのように追いつめる社会の仕組みの方である。
そうなんですよね。アメリカのような社会にはなりたくないものです。
(2008年1月刊。700円+税)
2008年4月30日
携帯電話はなぜつながるのか
社会
著者:中嶋信生、出版社:日経BP社
私も、もちろんケータイは持っていますが、実のところ一日一回もつかいません。自分でかけることもないし、かかって来ることもありません。依頼者には絶対教えないし、知っている人でもほとんどかけては来ません。いつもカバンの中に入れていますので、鳴っていても気づかないことが多くあります。それでもケータイを持ち歩くのは、公衆電話がすごく少なくなったからです。小さな裁判所からは公衆電話が撤去されてしまいました。福岡地裁本庁にもいくつかしかありません。相手方と交渉するときには私のケータイ・ナンバーを知られたくないので、必死で公衆電話を探します。ホント、苦労します。
そんなケータイですが、いったいなぜこんな薄っぺらな機械ですぐに全国にいる人と通話ができるのか、不思議でなりません。それに、最近よく目立つケータイ用のアンテナ塔。低周波公害が問題となりましたが、電磁波公害はどうなんでしょうか。なぜ、あんなに高密度にあちらこちらにアンテナ塔が必要なのでしょうか・・・。
ケータイは、多くの装置やノードビルを経由してつながっている。
NTTドコモのFOMAは、屋外に3万5000局、屋内にも1万の無線基地局がある。郵便局は全国に2万、小中学校は3万4000校ある。それと同じくらいの多さだ。
ケータイの特徴は、音声とデータの2本立て。ケータイの本質は次の3つ。移動すること。電波をつかうこと。
ケータイがどこにいても瞬時に相手を見つけて着信できる秘密はホームメモリーにある。
ケータイは、途中に大きなコア・ネットワークという有線のネットワークが介在している。ケータイは、音声を5K〜10Kbpsという低速で送る。
ケータイは、いつでも送受信できる状態にしておくと電池がすぐになくなってしまう。そこで、待ち受け時には着信に必要な最小限の機能だけを動作させておいて、送信機には通電しないように工夫している。つまり、ケータイは必要なときだけ通電し、あとは通電せず、電池の消耗をおさえる間欠受信と呼ぶ技術をつかう。
ケータイと無線基地局との間は電波で接続している。しかし、無線基地局から先は、光ファイバーなどでつないで、いくつかの装置をつかって、相手の最寄りの無線基地局まで音声を伝送している。
ケータイで音を送るときに欠かせないのが音声コーデック。アナログの音声をデジタル・データに変換する機能・装置のこと。
音声通信は、会話が不自然にならないように、送信から相手に届くまでの遅延を0.1秒以下におさえたリアルタイム通信が必須条件。データ通信では1秒や2秒遅れても差し支えない。そこでデータ通信はパケット通信をつかう。パケット通信は、待ちの時間をつかうので、リアルタイムの通信はできない。
音声データをブロックに分割したあと、特徴を抽出して音量や波形を分類する。符号化装置は、さまざまな波形を記録した辞書をもっており、送信しようとする波形にもっとも似た波形のパターンを波形情報のかわりに相手に伝送する。音量など、ほかの 情報も並列に伝送する。
受信側は、送られてきた波形コードにしたがって辞書を引き、元の波形を復元する。この方法によって、伝送すべき情報量は非常に少なくてすむ。音声品質の良さは、辞書の良さにかかっている。
結局のところ、よく分かりませんでしたが、なんとなくイメージがつかめたところもあります。基礎的な知識がないと分からないという典型ではありますが、それでもあきらめずに、今後とも、この種の本にも挑戦します。
(2007年7月刊。2400円+税)
読む力は生きる力
社会
著者:脇 明子、出版社:岩波書店
ほんとうにすばらしい本は、読む人を自分だけの世界に閉じこもらせるのではなく、書き手と読み手とを人間的な共感でつなぎ、何か大切なものを受け取ったことによって開かれた新しい目で、まわりの世界を見直すように促す。
人間の生存に不可欠な衣食住だが、人間は、それだけでは生きていけない生きものだ。
衣食住に加えて何が必要かというと、それは自尊心である。自尊心とは、自分には生きていくだけの価値があると思うこと。この世のなかで、いくらかの場所を占領し、食べものを食べ、水を飲み、空気を吸っていきていてもかまわないのだ、と思うこと。そう信じられなくなったとき、私たちは生き続けるために必要な気力を失い、ときには生命を絶つことさえある。
私たちに一生にわたる自尊心の基盤を与えてくれるのは、幼いときに育ててくれた親や、それにかわる人々の、無条件の愛情だ。ところが、幼稚園や保育園などの集団に入ると、親の愛の上に築いた自尊心は、もろくも崩れてしまう。自分にとっては絶対であった親が、世の中のたくさんの人たちの一人にすぎないことが見えてくる。そうだとすると、その親に保証してもらった自分という存在の値うちも、ちっぽけなものにすぎないことが明らかになってしまう。そこから、子ども自身による、自尊心回復のための戦いが始まる。それは、なんでも自分が一番だと言いはじめたりすることにあらわれる。しかし、それは、子どもなりの自尊心回復の手段なのである。
うむむ、なるほど、なーるほど、そういうことだったのか。この指摘に、私は思わずうなってしまいました。
想像力をトレーニングしていけば、やがて、言葉による描写から人物や情景を思い浮かべることもできるようになる。これは、本を読むのに不可欠な力であって、読書が苦手だという子どもの大半は、この力がうまく身についていない。
想像力は、とっぴな空想をめぐらす力なのでは決してなく、現実の世界で先を予想して計画を立てたり、さまざまな人とうまくコミュニケーションをとったりしていくうえで、万人に必要な能力なのである。そ、そうなんですね・・・。
子どもには旺盛な好奇心とともに、臆病さもあって、一度何かでつまづくと徹底してそれを避けようとし、そのために世界を狭めがちになる。子どもは、柔軟であるかと思うと、ささいなことが原因で、とんでもない偏見をいだくことも多い。
子どもが狭い世界に閉じこもろうとしているようなら、うまくその偏見をときほぐし、新しい出会いのチャンスを増やしてあげるべきだ。それもまた、冒険の付添人としての、身近な大人の果たすべき役割だ。
なーるほど、これは、偏食についても言えることではないでしょうか。大人が、何でも、おいしい、おいしいと言って食べていると、子どもも安心してどんなものでも食べるようになると私は思います。
いまの子どもたちを取りまく娯楽の多くが、情報満載の型である。子どもたちは、たっぷりと盛り込まれた情報を読みとって楽しんでいるのではなく、情報が満載されたにぎやかさを、感覚として喜んでいるにすぎない。
情報量の多さを子どもを喜ぶようになったのは、映像メディアつまりテレビの影響だ。 映像は本に比べて、はるかに大きな力で見る者をとりこにする。映像を見ながら、物事を筋道立てて考えるというのは、非常に困難である。
読書力は、全体を見渡して論理的に考える力を身につける。
なーるほど、そうですね。そうだよね、と思いながら読んだ本です。
(2005年1月刊。1600円+税)
2008年4月28日
拡大するイスラーム金融
中東
著者:糠谷英輝、出版社:蒼天社出版
最近、ときどき話題になるイスラーム金融について知りたいと思って読みました。
世界におけるイスラーム教徒(ムスリム)は15億人。これはキリスト教に次いで第2位で、シェアは20%。しかし、ムスリムは人口増加率が高く、2030年代には世界人口の3分の1となり、キリスト教を抜いて、世界最大の宗教となる。地域別でみると、最大のムスリム人口をかかえるのはアジアである。ヨーロッパでは、フランスに6000万人、ドイツに300万人いる。中国にも3900万人、ロシアに2700万人いる。日本には18万人と言われているが、実数は1万人以下とみられている。
イギリスに居住するムスリム人口は180万人で、総人口の3%。ただ、そのうちの6割が中流以上であって、富裕層が多い。イギリスのムスリムは、6割がパキスタンとバングラデシュ系であって、ムスリム人口の3分の1がロンドンに集中している。
アメリカには600〜800万人のムスリムが居住しているが、イスラム金融の拡大はすすんでいない。アメリカでは、ムスリムは地域的に分散していて、ムスリム地域社会を形成していない。むしろ、アメリカの地域社会に溶けこもうとしている。
2007年3月に、サウジアラビアの石油化学プラント建設事業に向けて三井住友銀行が58億ドル(7000億円)の融資をしたとき、うち6億ドル(720億円)はイスラーム金融で調達された。
イスラーム金融とは、イスラム教の規範にしたがった金融のこと。具体的には、シャリーアと呼ばれるイスラム法に適合した金融のこと。シャリーアは次の4つを禁止している。第1に、利子の禁止。利子の受払いはコーランによって明示的かつ絶対的に禁止されている。イスラム教の原理の一つとして、資金は退蔵せず、生産・役務の提供に向けるべきとされている。金銭は商品ではなく、価値保存の手段であり、商業活動等に利用されて利益配分を受けられる。
第2に、不確実性の禁止。不確実性のある取引は、投機的な要素を有するものとして禁止されている。第3に、賭博・投機の禁止。第4に、アルコール・タバコや豚肉、武器、ポルノなどの禁忌とされる物品やサービスに関する取引の禁止。
シャリーアに適合する形式で発行されるイスラム債券はスクークと呼ばれる。はじめて価値を生み出すもの。単に時間の経過を待つだけで金銭が増加するのは不当利得である。
イスラム金融では、利子のかわりに利益配分という概念がつかわれる。物的財産はすべて神に属するものであり、人はそれを信託されているに過ぎない。信託された財産を有効活用した結果として、人はこのスクークが増加したことでイスラム金融が世界的に拡大した。イスラム金融は、ここ数年、年平均で15%を上回る拡大を示している。イスラム金融資産は総額で1兆ドル(120兆円)をこえる。それでも、世界全体の金融資産に占める割合は1%にすぎない。
イスラム金融は、ムスリム社会においても10%のシェアでしかなく、ムスリムも一般金融を利用している。イスラム金融はムスリムのみが利用するものではなく、非ムスリムが利用することも可能である。マレーシアでは、非ムスリムの利用が7割を占める。
イスラム銀行の特徴は、一般に銀行の規模が小さいこと。
イスラム金融という言葉を最近よく聞きますので、読んでみました。少しだけ分かりました。
チューリップは最後の一群がまだ咲いてくれています。黄色い花と赤い花の固まりです。アイリスも咲き続けています。そのそばにボタンの濃い赤紫色の花が咲いているのを見つけました。2、3日前までは固いツボミだったのですが、開いてくれました。深い赤紫色の花ビラが八重に重なっているさまは重厚さと気高さを感じさせます。島根の妻波弁護士より5、6年も前にいただいたものですが、肥料もやらず、何の世話もしていないのに、毎年ちゃんと咲いてくれます。去年いただいたボタンはお休みのようで、ツボミもつけていません。
スモークツリーの若葉が赤味がかった茶色で光りかがやいています。若葉が緑とは限らないのですね。ちょっと見ると紅葉しているようですが、少し違います。みんな違って、みんないい。金子みすずの詩を思い出します。
(2007年9月刊。2800円+税)
ひきこもりの著者と生きる
社会
著者:安達俊子・尚男、出版社:高文研
すごいですね、私にはとてもこんなことはできません。すごい、すごーい、なんとかして続けてほしいです。でも、本当に身体を大切にしてくださいね。何年も自宅に引きこもりの生活をしていた青年たちを受け入れる施設(ビバハウス)なのです。この本を読むと、その大変さが、ひしひしと伝わってきます。
ビバハウスで生活する若者たちは、春はつらいと言います。なぜか?
自然界が生気に満ちあふれている春が、自分たちにとっては一番つらい時期なんだ。
では、一体、どんな若者たちなのでしょう?
進学高校で陰湿ないじめにあい、2年の3学期で退学した。極度の対人恐怖症となって、7年間、自宅にひきこもっていた。
風俗バーのマネージャーをやっていた。ストレスに耐えられなくなり自殺しようとした。 統合失調症として治療を受けている。
10年ものあいだ自宅に引きこもっていた若者もやって来た。いやあ、大変な若者たちです。
ビバハウスは、若者たちがいつまでも留まるところではない。ひと時、疲れた心と身体を休め、充電を図り、それぞれが目ざす道へと進む準備をする場所。それに要する時間は、さまざま。自分の目標が達成できたら、卒業できる。ビバハウスに滞在して3日間とか 1ヶ月で自分を取り戻した人もいる。だから、ビバハウスは出入りが激しい。
日本語のひきこもりは、直訳英語の Social Withdrawal とは表現できない。きわめて日本社会に固有の現象である。
ビバハウスでも、両親の離婚にかかわる若者たちを受け入れてきた。どの若者にも共通しているのは、仲の良い両親のもとで幸せな家庭の子どもとして育ちたかったというごく当たり前の願いだ。繊細で優しい彼らの多くは、親たちの不和の原因は、自分がほかの家庭の子どものように良い子ではなく、学校に行けなかったり、親の言うとおりにきちんと勉強ができないからではないかと不安を感じて育っている。両親に仲良くなってもらおうと、彼らの多くは自分の力以上にがんばって、ほとんどつぶれかかっているにもかかわらず、なお親への期待をもち続ける。その期待が現実に裏切られたときの彼らの心の闇の深さを真剣に大人は受け止める必要がある。
うーん、これってすごく重たい指摘ですね。
長く引きこもっている若者が、人と接触することに慣れてくると、話したくてしようがなくなる。そして、いろんなことを知りたがる。ちょうど、3、4歳児が、親に、「これ、なに?」「あれ、何?」と訊くのと同じ。
長くひきこもっていると、筋肉が衰えてしまっている。椅子から立ち上がることもできない。
散歩していると、周囲にいる人々の視線が目に刺さる。初めて列車に乗ったとき、まわりの視線を感じて、怖くて生きた心地がしなかったという。
小樽水族館へみんなで見学に行ったとき、館内での見学のあと、イルカのショーをみてから、若者たちの表情が一変した。固く、何も言わない。帰りの車中は、お通夜のようになった。なぜか?
同世代の大勢の幸せそうなカップルや子ども連れの若い夫婦に広い会場で出会い、ショックを受け、本当につらかった。輝いているあの人たちと比べ、現在の自分の惨めさをいやというほど味わわされた。あそこから逃げ出したかった。自分は、今いったい何をやっているのだろう、そう思うだけで自己嫌悪に落ち込んだ。
日本全国に数十万人はいるだろうと言われている引きこもりの若者たちに、その立ち直りのきっかけを与えようとして奮闘努力中の施設の現状がよく分かります。あのヤンキー先生(なぜか、今では自民党の国会議員です・・・)を教えていた先生でもあります。すごい、すごいと思いながら読みすすめました。個人の善意と体力だけにまかせていいとは、とても思えません。ともかく、お体を大切にして、続けてくださいね。
(2008年1月刊。1600円+税)
2008年4月25日
生命科学の冒険
人間
著者:青野由利、出版社:ちくまプリマー新書
AIDとは、夫以外の匿名の第三者から精子をもらって、子どもをもうける方法のこと。このAIDは、日本でも50年以上前から慶応大学を中心に実施されていて、1万人以上が生まれている。しかし、ほとんどの両親が子どもに真実を伝えていないため、その実態は明らかではない。そのような子どもの一人は、自分にとってショックだったのは、自分がAIDで生まれたという事実でなく、親がそれを自分に隠していたことだと言います。うむむ、これは難しい問題ですよね。
いま、条件つきながら、AIDで生まれた子どもには、精子を提供した人の住所・氏名を知る権利を認めようということになっています。ただ、そうすると、精子を提供する人(男性)が減るかもしれませんね。
日本で祖母が孫を出産したケースがあるそうです。2006年10月、病気のために子宮を失い、自分で子どもを産めない娘のために、その母親がかわって「代理出産」したというのです。妻の卵子と夫の精子とを体外受精し、代理母が妊娠・出産するという方法です。代理母となった祖母は、50代の後半で、すでに閉経していたため、ホルモン剤をつかって妊娠・出産できるように調整した。うーん、これも考えさせられます。
2007年、日本初のクローン豚が生まれた。クローン豚は食べるためではなく、人間の臓器移植につかえないかとして研究・開発されてきた。人間の臓器移植には、人間の臓器をつかうのが普通だが、そうすると数に限りがある。豚は、臓器の大きさや機能が人間に近いので研究されている。人間へ移植したときの拒絶反応をおさえた組み換えクローン豚がつくり出されている。
問題の一つは、移植を受けた人が豚のもつウィルスに感染する恐れがあること。下手すると、人間界に豚のウィルスが蔓延してしまいかねない。
映画『ジュラシック・パーク』では恐竜が再生されていた。絶滅した哺乳類を再生できる条件は3つある。第1に、再生させたい動物の完全な「生きた細胞」が残っていること。第2に、近縁の動物の卵子があること。第3に、代理母になる動物がいること。「生きた細胞」とは、凍結保存されていてもいいけれど、培養すると活動を始めることのできる細胞のこと。もし細胞が残っていても、中のDNAがこわれていたら、培養しても生き返らせることはできない。DNAだけが存在しても、今の技術では、その生物を再生することはできない。つまり、『ジュラシック・パーク』は、今のところ不可能だということです。
クローン人間は、技術的には作ることは可能だ。しかし、人間は遺伝子だけで決まっているものではない。育った環境や教育、本人の努力にも大きく左右されている。実は、これは、動物でも同じことである。クローン牛でも、性格が違っている。そうなんですね。
クローン動物は、大腸菌が分裂するのと同じように、無性生殖によって生まれる。科学技術の発達は、これまで考えてもみなかったような新しい課題を人間に対して突きつけている。人間よ、おまえは一体、何者なのか、と。
人間とは、どんな存在なのか、改めて考えさせられました。
(2007年12月刊。760円+税)
インド
アジア
著者:堀本武功、出版社:岩波書店
富豪の数でもインドの躍進はすさまじい。2007年度版の世界長者番付は世界の富豪(10億ドルつまり1200億円以上の資産家)946人をランク付けしているが、インド人はそのうち36人を占め、アジア1位の座を獲得した。日本は、これまでアジア一位を占めてきたが、今回は24人でしかない。日本人トップの孫正義は129位で、インド人のトップは5位。
海外に印僑は2000万人いる。その1割はアメリカにいる。インド系アメリカ人は 230万人いて、アジア系では、最大の人口増加率にある。
冷戦期に大学教育を受け、印米関係が最悪だった時期に青春時代を過ごした40歳以上のインド人のインテリには、社会主義への親近感とともに、反米的傾向が顕著だ。
インド経済の成長にともなって、自動車などの耐久消費財を購入する余裕をもつ中間層が急速に増加している。アメリカの総人口に匹敵する3億人の中間層がいるとアメリカのブッシュ大統領は言ったが、それほどでなくても、2億人には近い。それにしても多いですよね。中間層だけで日本の総人口より多いのですからね。
インドのITサービス産業は70万人を直接雇用し、250万人に間接的な雇用を提供している。
インドのITサービス輸出額の7割はアメリカ向けである。
インドの農村に貧困者が2億人近くもいる。問題は、現在も3億人は読み書きができないということ。うむむ、これって、大問題ですよね。
しかし、人口増加がインドの強みである。インドでは、24歳以下の人口が全体の半分(54%)を占めている。圧倒的に多い若年層は、豊富な労働力であり、今後とも、インドの長期的な成長を支えていくだろう。
インドの選挙では、替玉投票、投票済み投票箱の強奪、差し替えなどの不正が日常茶飯事である。候補者殺害事件も起きる。議員の質も低下している。国会議員の4分の1(136人)が犯罪歴をもつ。しかし、そうは言っても、インドは世界最多の有権者をもつ。有権者が6.7億人もいて、世界最大の民主主義国でもある。
テレビは120チャンネルもある。
今、世界的に注目されているインドについての基礎的な知識を得られる本です。しかし、それにしても、インドのミタル製鉄がヨーロッパの製鉄会社を吸収合併してしまい、日本の新日鉄まで併合のターゲットになっているというのですから、恐るべき変化です。
(2007年9月刊。1000円+税)
先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます
生き物
著者:小林朋道、出版社:築地書館
鳥取環境大学は5年前につくられた。学生数1200人。人と社会と自然の共生をめざす人材の育成が目標だ。そんな大学で学生を教えている著者による、大学周辺の環境と身近な動物たちとの楽しい格闘記です。豊かな自然に囲まれて、人間が自然の体系と調和しながら生きていくことの大切さを実感させてくれる素敵な大学だと思いました。
タイトルは、大学の廊下をオヒキコウモリという珍しいコウモリが飛んでいるのを学生が発見したことによります。その事件で目覚めた著者は、近くの洞穴でキクガシラコウモリにも出会うことができました。
自然界で、ある出来事が起こると、その出来事に関連した事象に対する脳の反応性が増大する。
近くの森でヘビに出会い、ヘビの写真もとっています。子ヘビでした。その口の中に白い穴が見える。何か? 肺に通じる気管の入り口である。人間もふくめて他の動物では、ノドの奥に開いている気管入口が、ヘビでは口の中ほどに位置している。なぜか? それは、大きな獲物をゆっくり飲みこむとき、気管が塞がれて窒息することを避けるためだ。うむむ、なーるほど、そういうことだったのですか。それにしても奇妙な穴です。
タヌキは、地面の餌を探しながら、いつも下ばかり向いて歩くので、前方の対象物に気づかないことが多い。そのときも、著者のすぐ近くに来るまで気がつかなかった。すぐ前で気がつき、著者と目が合うと、驚いて逃げていった。
著者は小さな無人島に雌ジカが一人ぼっちで暮らしているのを発見します。愛着がわくと個別の名前をつけたくなる。それは、外部世界、とくに社会的な関係をしっかりと把握するための、人間万人に備わった脳の戦略だ。
岡山県の山中でニホンザルの生態を調べていたとき、夕暮れどき山奥に帰っていくニホンザルを追いかけていた著者は、ホーッと出来るだけニホンザルの声に似せて鳴いてみた。すると、群れの前方を行く数匹のサルが声に答えて、ホーッと鳴いた。半信半疑でもう一回、鳴いてみた。同じように、また、鳴き返してくれた。サルも交信できるのですね。
ドバトは、他の個体と一緒に群れをつくる特性を備えている。そこで、一人になるのは不安を感じる。著者に飼われていたドバトは、著者が見えないと不安そうにきょろきょろあたりを見まわし、見つけると急いで歩いてやってくる。ふむふむ、そうなんですか。
ヤギは、社会的な順位を強く認識する動物である。なじみのない人に対しては、競争的、威圧的にふるまう。ところが、小さいころから親のように優しく厳しく接してきた著者に対しては、従順だった。ヤギの社会では、移動の際には、順位の高い個体から前を歩く。
うひょう、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
この本を読むと、動物を飼うことの大変さと素晴らしさを実感させてくれます。
庭先のフェンスにからみついているクレマチスが花を咲かせてくれました。赤紫色の花です。ほかにも真紅の花や純白の花などが、これから咲いてくれるはずです。アスパラガスがやっと食べられそうなほどの太さになりました。早速、春の味をいただきました。このところ毎日タケノコを美味しくいただいています。きのう、誰かがコラムに子どものころ毎日毎日タケノコを食べていて、竹になってしまいそうと悲鳴をあげていたと書いていました。味噌煮のタケノコは鶏肉なんかとよく合いますよね。春らしい味です。
(2007年3月刊。1600円+税)
2008年4月24日
イラク戦争のアメリカ
アメリカ
著者:ジョージ・パッカー、出版社:みすず書房
ネオ・コンはアメリカの戦争推進論者です。その一人ウォルフォウィッツは学生だったので、徴兵猶予でベトナム戦争に従軍していない。ディック・チェイニーは学生であることを理由として5回も徴兵猶予を受けている。60年代には兵役よりも他にしたいことがあったと本人は弁明している。ジョン・ボルトンはブッシュ大統領と同じで、州兵になった。東南アジアの水田で死にたくなかったというホンネを語っている。
官僚組織の重鎮はチェイニーとラムズフェルドだったが、9.11以降の政策における精神的指導者はウォルフォウィッツだった。才気あふれる俗世派のユダヤだ。
ブッシュ大統領とウォルフォウィッツは同じ世界観をもっていた。悪の存在を信じ、アメリカは救世主としてそれに立ち向かわなければならないと考えていた。
イラク問題はブッシュ大統領にとって、エディプス・コンプレックスから脱却して男を上げるチャンスだった。父親よりもうまく宿敵に対処できることを証明する、またとない機会だった。
ネオコンの第一世代は、かつて左派そのものだった。トロツキストもふくまれていた。イラク戦争の大物タカ派の中に左派出身者が混じっているのは、そのためだ。
左派とか右派という視点は無意味になった。存在するのは、介入主義者と非介入主義者、革命論者と現実主義者という違いだけだった。共和党主流派の守旧的な現実主義者は、気づくと反帝国主義の左派や極右の孤立主義者と同じ陣営にいた。一方で、かつて人道的戦争を支持していたリベラルたちが、ブッシュ政権のタカ派を不本意ながら支持していた。
2002年夏の終わりから秋にかけて、過剰に攻撃的な表現を用いて、イラクを先制攻撃する必要性をアメリカ国民に納得させるための派手なキャンペーンが始まった。イラクは無法国家で、5年もたてばアメリカに脅威を与えかねないと言われていたのが、突然、一刻の猶予もならないということになった。明確な証拠があるかどうかは問題ではなかった。理由を考える前に、戦争することを決めてしまったため、ブッシュ政権はあとに引けなくなっていた。
彼らは、これは解放の戦争であり、復興はすぐに終了するので、比較的簡単でやりやすい戦争だと考えていた。ウォルフォウィッツは小規模な兵力、戦後復興への最小限の関与という条件を認めた。復興費用はそれほどかからないし、イラクの石油収入でまかなうことができると国民に説明した。ホワイトハウスが推算した復興費用は桁外れに低かった。4月に行政管理予算局は戦後復興費用を25億ドルと見積もった。戦争費用は2000億ドルに達すると予想した。ブッシュ政権は、戦争費用の試算を意図的に公表しなかった。
フランクス将軍の革新的な戦略に動員された兵力は、国を制圧するには十分だったが、治安を維持するには不十分だった。それでも組織的に対応していれば、最悪の略奪を阻止したり、警告を発して暴力行為を予防したりできたかもしれない。ところが、略奪の現場にいたアメリカ兵は、介入するように命令されていなかったので、それを傍観していた。
バクダッド市民による施設の破壊は、爆撃や銃撃による被害を上回った。アメリカ兵は黙ってみていただけでなく、略奪者をたきつけて協力した。アメリカ兵に警備されていた石油省だけは略奪を免れた。
戒厳令はしかれず、夜間外出禁止令もすぐには発令されなかった。しかし、アメリカ軍は、早くから権力を確立していた。すべての元凶は略奪だった。そのときに、無秩序であることが明らかとなった。最初の数週間におきた略奪の経済的損失は、120億ドルと概算された。それは、戦後1年間のイラクの予想収入に等しかった。しかし、物質的な損害よりも、壊滅的な打撃を受けたのは、数値化できない損害だった。イラク人の経験した最初の自由は、混乱と暴力だった。新たな得体の知れない恐怖が解き放たれた。
CPA(連合暫定施政当局)は、地理上はバクダッドの中心に位置しながら、完全に孤立していた。人権担当のイギリス人職員は、5週間のうち、グリーンゾーンを出たのは3回だけ。グリーンゾーンで働いていた職員は、まるで家の外に放火犯が集まっていることも知らずに、新築家屋の内装の仕上げに余念のない作業員のようだった。
イラクに行ってみると、バクダッド国際空港と市の中央部を結ぶ道路をパトロールする十分な兵力がなかったので、イラクに到着するや否や命の安全は保証されなかった。
アメリカ人にとって一番難しいのは、尊厳と敬意をもってイラク人に接すること。なぜなら、信用できるイラク人に会ったことがないから。ここでの最大の戦いは、イラク人に親切にするべく自分と戦うこと。
アメリカのイラクへの侵略戦争が誤りであり、失敗していることは明らかです。少なくとも日本はアメリカのためにお金をつぎこんではいけないし、自衛隊は一刻も早く撤退させるべきです。ところで、先日の名古屋高裁判決は久々に感動しました。日本国憲法に定める平和的生存権は具体的な権利だというのは、まったくそのとおりです。にもかかわらず、「傍論だ」とか、「そんなの関係ねえ」という政府高官の発言は許せません。行政が司法を尊重しなければ三権分立なんてありません。軽々しく見過ごすことのできない暴言です。
(2008年1月刊。4200円+税)
2008年4月23日
南京大虐殺と日本の現在
中国
著者:本多勝一、出版社:金曜日
南京大虐殺は、中国語では南京大屠殺と表記される。
日本軍が南京城内に突入した1937年12月13日からの大小の虐殺は、長江(揚子江)の岸辺での2万人を含めて、被害者の合計がどれほどになるのか正確な数はつかみにくい。しかし、難民区(安全区)からの大量連行・集団銃殺が翌1938年(昭和13年)1月まであったこと、杭州湾と上海から南京への進撃途上でも南京まで切れ目なく続いた虐殺から推察すると、膨大なものにならざるをえない。このような虐殺の実態は、戦前の日本そして戦後になってからも伝えられることはなかった。それが南京大虐殺否定論を受け入れる素地をなしている。
日本軍が南京で大虐殺して既に70年が過ぎました。今も、堂々と大虐殺を否定して開き直る日本人が多いというのが悲しい日本の現実です。だからこそ、石原慎太郎が400億円もの大金をさらに無駄づかいをするのを許してしまうのですね。ひどいものです。
虐殺なんてなかったという「まぼろし派」の人々は、便衣兵の処刑を戦闘行為の延長線上にある行為だとして虐殺の範囲から外してしまう。便衣兵というのは、本来、一般市民の服を着て、ゲリラ的な戦闘行為に従事する者をいう。ところが、南京では、厳密な意味での便衣兵は存在しなかった。そこにいたのは、崩壊した中国防衛軍が軍服を脱ぎ捨てて一般市民の衣服を身にまとって難民区の中に逃げこんでいた中国軍将兵だった。それを日本軍は狩り出して集団処刑していった。仮に便衣兵が存在したとしても、その処刑には、当時の国際法の理解でも軍事裁判の手続が必要だった。ところが、南京では、そういう手続は一切省略して、青壮年の男子の兵隊とおぼしき者はかたっぱしから連行し、集団処刑していった。
ひゃあ、すごい、ひどいものです。法律なんてまったくあったものではありません。
南京攻略戦に参加した日本軍は、早期凱旋の夢が破れて、やぶれかぶれになっていた。そのうえ、中国軍の激しい抵抗にあって戦友をたくさん失い、敵愾心に燃えていた。さらに軍紀風紀が十分でなかった。憲兵隊も少なかった。
日本軍の戦闘詳報とか陣中日誌とか、日本軍自身の公的な記録の中に捕虜殺害の事実が、たとえば捕虜何十名を処分するとか処刑するといったことが公然と書かれている。捕虜を殺害すること自体に違法性の認識がない。
まぼろし派は、南京大虐殺を30万人虐殺を必須条件とする固有名詞と勝手に決めつけ、30万人虐殺が証明されなければ大虐殺はなかったと主張する。これは、勝手に10人以上の人を殺さなければ強盗殺人でないと規定し、9人まで殺しても問題ないというのと同じ論理である。なーるほど、そうですよね。
現在の日本では、まぼろし派による本が書店で圧倒している。1990年代はじめまでは、文藝春秋、サンケイ、新潮社といった札つきの右翼・保守出版社だけだったのが、今や、小学館、草思社、幻冬舎、PHPなどからも出版されている。出版メディアにおいては、南京大虐殺否定の巨大メガホンが繰り返し嘘をたれ流している。
うひゃー、これってひどいですよね。売れたらいいっていうことでしょうか。同じ日本人として、まったく許せません。
南京大虐殺による中国人の被害者が正確に30万人だったかどうか、なんてことはまったく問題外のことでしょう。日本軍が国際法をまったく無視して、大量の中国人を虐殺し続けた事実があるわけですから、日本人として大いに反省すべきは当然です。
当時の日本軍の中枢にいた軍人のうち何人もが、そのことを認めているのです。それって、どう考えても重い事実ですよ。歴史に学ばない日本人は、愚行をくり返すものです。
(2007年12月刊。3000円+税)
2008年4月22日
冤罪司法の砦、ある医師の挑戦
司法
著者:石田文之祐、出版社:現代人文社
贈収賄事件で有罪となった医師が司法制度を激しく弾劾した本です。
日本の裁判は、とても裁判といえるものではない。少なくとも、欧米諸国がとっくの昔に到達した近代司法に遠く及ばない。これが著者の結論です。
事件は、国立大学の医局を主宰する教授に対して著者の営む民間病院への医師派遣を要請し、その見返りに月10万円を医局に寄付したことが教授個人への贈収賄とされたというものです。教授は公務員であり、お金が動いたことには争いがありません。
民間病院の理事長である著者は、あくまでも医局への寄付だったという認識(主張)です。最高裁は、法令上は根拠のない、医局に属する医師を派遣する行為は職務密接関連行為と認定して贈賄性ありとし、有罪にしました。これは、ロッキード事件で首相の行為を職務密接関連行為と認定したのと同じ論法です。
これについて、医局医師の派遣行為にまで拡大することは、処罰範囲をいたずらに拡大するもので、罪刑法定主義に反する。土屋公献元日弁連会長はこのように批判しています。
司法の世界は、まさに惨状であり、信じられない怠惰・蒙昧・不正義の世界だ。
被告人が法廷でしゃべったことを裁判官は信用できない、虚偽だという。しかし、取調中の供述調書には、被告人の署名があるとはいえ、それはあくまでも検察官の作文であり、文責は検察官にある。もちろん、供述調書作成の共同作業者としての責任が被告人にもある。しかし、妥協や迎合も当然考えられてよい。しかも、長い勾留という異常な抑圧状態のもとで、まったく虚偽だと意識しつつも、署名捺印せざるをえないときもある。つまり、供述調書には、被疑者の供述がそのまま記述されてはいない。ところが、裁判官は、取調中の検察官作成の供述調書は信用できても、法廷での被告人本人の発言は信用できないという。なぜか?
勾留42日間の中でとられた検察官調書を全面的に評価し、5年間、1人の被告人が誠実に、できる限り正確に、と心がけて公判で話したことを信用できないという裁判官とは、一体どんな人種だろう。彼らも日本人なのか?
外国に比べてはるかに長い勾留は、日本の司法が人質司法と呼ばれる所以の一つだ。これは、適性手続に対する検察と裁判所の無知と無理解、法令無視か歪曲の結果であり、専門職としての責任感と使命感の欠如、すなわち堕落が原因だ。
判決文を読めば分かるとおり、被告人が公判廷で述べることに裁判官は聞く耳をもたない。もっぱら供述調書に依存する。法令を守る頭脳と精神がない。
著者は、取り調べを受けているとき、検察官に対して黙秘権はあるのかと質した。それに対する検察官の答えは、黙秘権はあるが、捜査に協力しないということになって、取り調べが長引くだけだ。というものだった。
このような黙秘権を否定する検察官の発言を弁護人は無視した。裁判官も重大な憲法違反だと認識しなかった。この点、法曹三者は、みな一蓮托生のなれないだ。日本の司法は生きていない。
検察と裁判所は、市民の厄介者でしかない。有罪と冤罪とのふり分けができないのであれば、厄介者以外の何者だというのか。市民の名誉を汚し、ウソを並べ立てて正義を台なしにし、市民の人生を破壊し、場合によっては汚名を着せて生命さえ奪っている。彼らを早く撲滅しなければならない。彼らこそ、人の世の悪の極みである。
ここまで言われると、35年間、司法の世界で生きてきた私は身の縮む思いがします。なるほど、大いに反省すべきなのですが・・・。
1日15分だけ認められる接見のとき、弁護人は、できるだけ本当のことをしゃべってくださいと言うのみだった。被疑者はできるだけ真実を言いたいが、検察官の思いこみと期待は、逆である。供述調書の作成作業は、まさに検察官と被疑者との闘いでもある。
裁判官の有罪主義は、眼に見えないもっとも難儀な心の問題である。検察官に不利益な決定をすることは、一般的にいって、裁判官にかなりの勇気を必要とする。
日本は、検察にとって、天国とも楽園とも言われる所以である。
うむむ、法曹三者に対する厳しい指弾のオンパレードです。これで裁判員裁判になったら、どうなるのだろうかと、ちょっと論点はずれますが、つい心配になりました。
(2007年12月刊。1600円+税)
2008年4月21日
シェフの哲学
世界(フランス)
著者:ギイ・マルタン、出版社:白水社
パリの三ツ星レストラン『グラン・ヴェフール』のシェフが語った美味しい話です。読むだけで思わずよだれがこぼれ落ちてきます。フランス人は食に人生をかけているのです。
私がフランスが好きなのは、そこに魅かれるのです。あっ、中国人も食を大切にしていますよね。それに比べてアメリカ人って、なんであんなに食事を粗末にするのでしょうけ。ファーストフードなんて、身体にも良くありませんよ。
原産地証明つきの食材でしか仕事をしない。そのためには納入業者の質が重要だ。その質こそが食文化を洗練するための基礎になる。そして、もっとも時宜にかなった最良の食材を探し求める。季節の移り変わりに完全に合致した旬の食材追求を片時も中断してはならない。これには、強い好奇心が必要だ。
著者は冷凍魚や長期にわたって氷漬けになっていた魚は断固拒否します。ブルターニュや地中海から直接に取り寄せたものですし、養殖物ではありません。
食材のなかの最良のものを探し出すのが、シェフの挑戦なのだ。
な、なーるほど。やっぱり、まずは素材なんですね。インチキ産地はいけません。
人は単に食べるためだけにレストランにやって来るのではない。期待にみち、喜びを求めてやって来る。だから料理には、香り、味わい、彩りはもとより、質感、たとえばぐっと凝固しているとかスポンジ状であるとか、蜂の巣状であるといった姿。さらに柔らかい、溶ろける、パリパリした、カリカリしたという食感が求められている。
料理は、感覚全体、つまり味覚は当然のこととして、さらに嗅覚、視覚、触覚そして聴覚の五感で賞味されるものだ。シェフはこんなあらゆる要求を満足させるように、あらゆる期待感を呼び起こすように自分だけのレシピを入念に仕上げる。
シェフは幸福を売るセールスマンのようなものである。
多くのシェフと違って、著者はゼロから始めました。業界内にコネはなく、家系も別にありません。今日の有名シェフの多くは、その両親もこの業界に身を置いていたそうです。
プロフェッショナルな試食・試飲は、冷静に、技術的に、客観的に行われなければならない。著者が自店でつかうすべての食材をパリで試食・試飲するのは、そのためだ。余人を交えずに比較し、メモをとり、議論し、最後に自分たちだけで決める。
たとえば、フォワグラの生産者が売り込んできたら、その鴨はどのように飼育されたのか、どこから来た鴨か、何日間肥育したのか、肥育にはどのような穀物のどのバリエーションをつかったのか、その原産地はどこか、などを訊く。それに答えられなかったら、話はそこで終わる。それに詳しい説明ができたら、その人が有機農法規則にしたがって仕事をしていたら、見本を求める。そして試食してみる。見本をみて、このフォワグラは、処理場まで生きたまま運ばれたのか、殺されて処理場で取り出されたのか、などを確認する。
うむむ、おぬし、そこまでやるか・・・。驚きました。
私はフランス料理のなかでは、リ・ド・ヴォーが大好物なのですが、日本ではなかなかめぐりあうことができません。もし、あなたがリ・ド・ヴォーを食べたことがなかったら、一度、挑戦してみてください。もちろん、人によって好きじゃないということになるかもしれませんが・・・。
厨房では、舞台裏と同じく、秩序ある興奮が支配していなければならない。
料理という芸術を実践することは、毎日、綱渡りをしているようなものなのだ。シェフは独奏者であると同時に、オーケストラの指揮者でもある。常に自分の協力者たちの真ん中にいて、ジュを味わい、火入れの加減を確認するまさにその瞬間に、これから起こることを想定し、うまくいかないであろうと思えることを見分け、修正し、改めて必要な説明を行ない、安定して質的に統一されたやり方で、正確なリズムをチームにもたらすことができなければならない。
もし、シェフが美食の殿堂の警護を自認するなら、それぞれの皿のごく細かい部分までコントロールしなければならず、料理人たちの驚きを誘うことにこだわりながら、新しいレシピを構成しなければならない。そのためには、まず何をおいてもオリジナリティ、創造性、新しいアイデアが不可欠である。
あらゆる料理は、いくつ作っても同じ出来でなければならない。シェフと同等と考えられているセカンドたちと、スー・シェフは、シェフが不在であっても、火入れの加減、香り付け、盛り付けを変えることなく、それぞれのレシピが料理できなければならない。
シェフの協力者たちは、単に創造のプロセスを全体として理解しているだけでなく、シェフ固有の感受性にいたるまで、ミリ単位ですべてを転写するように、また、シェフのどんな細かい眼差しの違いにもいちいち対応させられるように同化していなければならない。
うひょー、これってすごいことですよね。たしかに、毎回ちがった味では困ります。といっても、マックといったファーストフード店のように、全世界どこでも同じ味つけというのはいやですね。私はマックは食べません。合成的な味つけに舌を慣らしたくないからです。あんなものを食べるくらいなら、メロンパンにしておきます。
フォワグラは、曲げの力を加えたときに割れずに曲げられなければならないし、かといって、あまりにも柔軟であり過ぎてもいけない。つまり、固すぎても柔らかすぎてもよろしくない。その次に、見た目、色、肌理(きめ)が検証される。目に快い仕上がりでなければならない。小さな粒子感があって、高密度に締まっており胆汁の痕跡は無視できる程度でなければならない。
料理人には味覚がもっとも重要だ。味覚を訓練し、繊細なものにしていかなければならない。これは一朝一夕ではつくり出せない。さまざまな味に徐々になじんでいく必要がある。繊細な舌、繊細な味覚をもつというのは、必ずしも生まれつきの才能ではなく、勉強であり、一つ一つの味や匂いを記憶していくことだ。薫り(アローム)は、個々の食材や香辛料の香りがきわめて複雑にまざりあって出来あがっているものだが、シェフであるからには、さまざまな香辛料を含んだ料理を味わったとき、直接的に何がつかわれているかを識別できなければならないし、つかわれた主な香辛料は何か、これをだいたい把握出来なければいけない。
むひゃあ、すごーい。とても私にはできそうもありません。さすが三ツ星レストランのシェフですね。そのプライドがよく伝わってくる本です。
高級レストランの経営も大変なんだという話も出てきます。こんなお店で、気のおけない友だちとおしゃべりしながら美味しく味わいたい、そんな本です。
(2008年2月刊。2700円+税)
2008年4月18日
トカゲ
司法(警察)
著者:今野 敏、出版社:朝日新聞社
『隠蔽捜査』もなかなか読ませましたが、これも面白くて、車中で一気に読み上げてしまいました。とてもよくできた警察小説です。
警視庁捜査一課には、トカゲと呼ばれる覆面捜査チームが存在する。トカゲはバイク部隊だ。特殊犯係だけでなく、刑事部のなかにメンバーが分散していて、いざというときに招集される。ウソかマコトか知りませんが、ありうる設定になっています。
銀行員3人が誘拐され、犯人は身代金として10億円を要求した。ところが、銀行のトップは他人事のような対応で、銀行の蒙る損害のみを気にしている。
銀行が庶民のことを考えたことなど、歴史上一度もない。これからは小額の口座なんか作らせたくないと考えている。1千万円以下は小額口座だ。いずれ口座維持手数料を支払えと言ってくるだろう。
なーるほど、そうですよね。私の事務所との対応をみても、まったくゴミのような存在としかみていないことがよく分かります。もちろん、億単位ではありませんが、1千万円よりはずっと大きい預金なのです。それでも、やっぱり小額扱いされています。何億、何十億円もの預金する人だけが得意先なのですね。だけど、銀行員に聞くと、合併・統廃合がすすんで内部も、ますます大変のようです。ノルマ、やっかみ、対立抗争など・・・。
銀行は、ほんまの悪もんや。世の中、えげつないことやる連中はぎょうさんおる。トイチの金貸しも地上げやるヤクザも悪もんやけど、その裏に必ず銀行がおる。銀行は手を汚さんと、汚い金を吸い上げるわけや。金をたいして必要としてへん大企業には格安の金利で金をどんどん貸して、一方で切実に金に困っとる中小企業には、びた一文貸さへん。なあ、こんな悪いやつ、ほかにおるか。銀行員てのは、人殺しより悪いやつや。人殺しは、少なくとも切実な理由があることが多いし、罪の意識もある。けど、銀行のやつら、どんなに悪いことしても、罪の意識があらへん。
なーるほど、なるほど、そうですよね。もちろん、大半の銀行員はノルマに追われながらも真面目に働いておられることと思います。問題はトップの意識と行動です。
犯人検挙のためにNシステムが活用されている。Nシステムの全貌は明らかにされていない。これって怖いことですよね。莫大な税金を投入しているのですから、私たちには知る権利があります。
銀行がなぜ、警察OBを顧問として雇うかというと、脅迫などの問題を自力で解決したいという思惑があるから。銀行には、なるべく警察沙汰にはしたくないという体質がある。それは、銀行内部は叩けば埃だらけなので、できるだけ警察なんかに触ってほしくないからだ。
警察内部の特殊捜査犯、殺人犯、公安などのナワバリ根性のぶつかりあいも描かれていて、ふむふむ、そうなんだろうなと読ませる本です。
チューリップの花が散りはじめました。そばにアイリスがすっくと伸びた花を咲かせています。白地に気品のある黄色い花です。少し離れたところに青紫のアイリスも咲いています。アスパラガスが伸びてきました。でも、まだエンピツほどの太さしかありません。親指ほどの太さのものが出てきたら食べようと思っています。
(2008年1月刊。1500円+税)
南京、南京、南京
中国
著者:仙洞田英子、出版社:草の根出版会
54歳の独身女性が一人で、南京大学に語学研修のため留学した体験記です。すごいですね。たいしたものです。本文を読んで、さすが土性骨がすわっていると感嘆しました。
ほとんど団塊世代です。司法書士を48歳で辞め、50歳のとき大学に入ったといいます。子ども3人を育て上げ、41歳のとき離婚して独り身でした。
授業は朝8時に始まる。だから、朝は5時半に起床する。6時半に食事、7時半に登校。その途中、屋台で温かい豆乳を買い、教室で飲む。
昼には食事のあと、1時間ほど昼寝する。そのあと、復習や宿題をする。夕方は散歩に出かける。土曜と日曜は授業がないので、一人で映画をみに行く。そのあとは、繁華街やデパートをぶらぶらする。
私も、エクサンプロヴァンスで過ごした4週間を思い出しました。40歳になってまもなくのことでした。弁護士生活10年ごとに40日間の休暇を保障するという北九州第一法律事務所を真似て、さっそく実行したのです。午前中は9時からみっちりフランス語の勉強をして、昼食は大学の食堂で安くて美味しいものを食べ、午後からは市内を散策したり、映画をみたりして過ごしました。夏でしたから陽が長くて、夜10時近くまで真昼のような明るさでした。家族を放っぽらかして一人出かけたバカンスでしたので、大変な顰蹙を買いましたが、今も、あのとき行って良かったと思っています。やはり、行動あるのみです。
中国では、一回その店で買い物をすると、老客(なじみの客)と呼んで大事にする。店員は老客の顔を感心するほど覚えていて、素晴らしい笑顔で迎え、そして安く負けてくれたりする。
中国のバスの運転手の4割は女性。中国の女性は強い。仕事から帰ると、ソファに腰をおろし、新聞を読む。夫は仕事を終えると、買い物をして帰り、食事の支度をする。夕飯ができたら、「ご飯ができたよ」と妻や家族に声をかける。
うへーっ、そ、そうなんですか・・・。とても信じられません。
日本人で南京大虐殺記念館(正確には殉難同胞記念館)に行ったとき、「30万人は多すぎる」とか「政治的メッセージが強すぎる」と言う人が多いそうです。日本で南京事件否定論が大手を振って横行しているせいでしょうね。でも、日本軍が大虐殺をしたことはまぎれもない事実です。それを人数が30万人だったかどうかに焦点をしぼって議論するようなことを日本人はしてはいけません。私も著者の考え方にまったく同感です。日本人は反省が足りなさすぎると思います。
私も南京には一度行きましたが、とてもいい古都だと思いました。申し訳ありませんが、記念館には行っていません。
(2007年9月刊。1800円+税)
2008年4月17日
自衛隊の国際貢献は憲法9条で
社会
著者:伊勢?賢治、出版社:かもがわ出版
現在の日本国憲法の前文と第9条は、一句一文たりとも変えてはならない。
これが著者の結論として言いたいことです。なにしろ世界の戦争現場に臨場してきた日本人のいうことですので、説得力があり、迫力があります。
いやあ、日本人の男にも、こんなにたくましい男性がいたのですね。ほれぼれ、します。
著者は戦火のおさまらない東チモール(インドネシア軍と戦いました)に派遣された国連平和維持軍を統括し、アフリカのシエラレオネでは国連平和維持活動の武装解除部長として何万人もの武装勢力と対峙し、アフガニスタンでも日本政府の代表として同じく武装解除に取り組んだのです。その体験をふまえて、護憲的改憲論から、すっきりした護憲の立場に変わったというのです。では、一体、どうして変わったのか。素直に耳を傾けてみようではありませんか。
著者は、改憲派も護憲派も現場を知らなければいけないと強調しています。そのうえで、日本国憲法9条を生かしてこそ、日本は外交できるというのです。その言葉には圧倒的な重みがあります。
普通、国家の武力装置というと、軍か警察をさす。そして、軍と警察の役割分担は明確で、軍は領土・領海・領空を守る。つまり、外敵に対して国を守る。いわば、国境の問題を担当する。一方、警察は日常の暮らしを守る。警察は、毎日、市民の隣にいるけれど、軍はいない。軍は国家有事のためにある。ところが、途上国では、この2つの区分けが難しい。この2つの役割分担があいまいな複数の武力装置が存在することには危険性もある。
著者は、1988年から4年間、シエラレオネにいて、NGOで福祉や開発の仕事をしました。内戦が広まっていった時代のことです。
シエラレオネは、世界でも最良質のダイヤモンドの産地であり、チタンの原料の産出国でもあるから、本来は豊かな国であっていいはず。ところが、世界最貧国のままだった。その原因は腐敗にある。国の富は、外国企業やそれに結びついた一部の政治家と官僚によって国外へ持ち出されていく。そして、現場で虐殺を指揮した指揮官400人全員が免責された。しかも、トップは副大統領になり、ダイヤを所管する天然資源大臣を兼任した。
ひゃー、すごいことですね。これって・・・。
アフガニスタンでの武装解除は2005年に完了した。もと北部同盟側の軍閥勢力6万人以上が武装解除された。ところが、現在のアフガニスタン情勢はどんどん悪化している。武装解除は完了したが、治安改革の分野では武装解除が生んだ力の空白が埋められずに、タリバンが復活し、治安情勢が極端に悪化している。
著者はアフガニスタンでの経験から、日本は憲法9条を堅持することが大切だと確信するようになったのです。
アフガニスタン人にとっての日本のイメージは、世界屈指の経済的な超大国で、戦争はやらない唯一の国というもの。もちろん、アフガニスタンの軍閥が憲法9条なんて知るはずもない。しかし、憲法9条のつくり出した戦後日本の体臭がある。9条のもとで暮らしてきた我々日本人に好戦性のないことは、戦国の世をずっと生き抜いてきた彼らは敏感に感じる。そういう匂いが日本人にはある。これは、日本が国際紛争に関与し、外向的にそれを解決するうえで、他国にはもちえない財産だ。そんな日本の特性のおかげで、よその国には絶対にできなかったことをアフガニスタンでできた。これは美しい話ではなく、誤解なのだ。そこに、悲しさがある。
日本は、アフガニスタンの武装解除のため、100億円を拠出した。つまり、アフガニスタンの軍閥が武装解除されたのは、日本のお金があったればこそのことなのである。
日本は、憲法9条があったからこそ、軍事的な貢献は難しいということで、お金を出すことに集中した。お金を出してきたことは、日本が恥じるようなことではない。
先進国の中で日本だけがもっている特質は、中立もしくは、人畜無害な経済大国というイメージである。したがって、日本にとってもっとも重要な判断基準は、憲法9条にもとづく外交という特徴が維持・活用できるのかどうかということになる。海外へ自衛隊を派遣することによって、それが台なしになるなら、それは日本の国益にならない。
傾聴に値する貴重な本です。150頁たらずの本ですから、重たい内容にもかかわらずさらっと読めます。ぜひ、手にとって読んでみてください。
(2008年3月刊。1400円+税)
2008年4月16日
ヒトラーとは何者だったのか?
ドイツ
著者:阿部良男、出版社:学研M文庫
文庫本なのに、700頁もあります。ナチス・ヒトラーについて書かれた本を3000冊以上も読んだ人が、そのうちの220冊を厳選して要旨を紹介した本です。なんと、学者ではありません。銀行に勤めながら、長いあいだ、ヒトラー関連の文献を集めたというのです。私も、この220冊のうち、かなりの本は読んでいますが、負けました。といっても、私も、ナチス・ヒトラーに関連する本は300冊は読んでいると思います。
ある分野について一応読んだと言えるためには最低300冊は読了することが必要だという説を読んだことがあるからです。ですから、私の書庫も、同じテーマのものは、集中しておくようにしています。そのテーマで書くときに必要な文献を、すぐに取り出せるようにするためです。私は、ヒトラーと同じように、ソ連とスターリンについても多くの本を読んでいます。
ヒトラーは臆病で、総統などという柄じゃない。優柔不断で、考えがぐらつき、人の意見に左右される。いま誰かと話すと、そのたびにころっと意見が変わる。だが、抜け目がなく、立ち回りはうまいし、気の弱い人間に限ってそうなのだが、残忍なところがある。
これはヒトラーと同時代の人の評価です。なるほど、と思います。ヒトラーは単純な精神異常者ではありませんでした。
ヒトラーは、暴力行為がもっとも効果的な政治の手段であることはよく理解して実行していた。その効果は噂と恐怖の拡大現象で増殖し、次第に民衆の独立的な抵抗意識を奪っていった。
アメリカのフォードは、ユダヤ人嫌いで、ドイツに輸出した自動車の売り上げから、ヒトラーに資金援助した。
ナチス突撃隊(SA)のレームは、資本家と決別することをヒトラーに要求した。それは旧体制との妥協を考えているヒトラーには同意できないことだった。
ヒトラーが1934年6月にSA隊長レームなど89人を粛清したことからナチ党の腐敗に対する断固たる処置としてヒトラーを高く評価し、神話が生まれた。
ナチス・ヒトラーは、生きるに値しない障害者を計画的に抹殺した。精神障害者、結核患者、知的障害者など20万人がドイツ内の6施設で薬物やガスで殺された。
この本で私が初めて知ったのは、アメリカ軍が200万人のドイツ兵を捕虜としたのに、通常の捕虜(POW)として扱わず、扶養する義務のない「新しい身分の捕虜」(DEF)と扱ったことから、100万人ものドイツ人が消えて(死んで)いったということです。アイゼンハワー元帥の考えによるものでした。
「水晶の夜」の真相は、ゲッペルス宣伝大臣がチェコ人女優と恋に落ちて結婚を望み、宣伝大臣の辞任と日本大使を希望したのに対してヒトラーが怒ったことから、ゲッペルスが名誉挽回を図ったものだというのです。ひどーい話です。
ホロコーストは、並の人間の想像力をはるかに超えていた。だからこそ、ホロコーストを否定する人々は、現在に至るまで、そんなことはウソだと言いはることができた。ナチ犯罪はあまりにも特異で、容易には理解しがたいものであるからこそ、これを否定しようとする、よどんだうねりは絶えることがなかった。
それでも、ウソはウソなのです。日本軍が南京で大虐殺をしたことが事実であるのに、あたかもウソであるかのようにいいつのる日本人が絶えないのが悲しい日本の現実です。 1944年7月のヒトラー暗殺計画に直接加担したのは200人近い。21人の将軍、33人の将校、2人の大使、7人の外交官が含まれていた。処刑されたのは年内に5764人、年が明けてさらに5684人だった。ヒトラー最大の危機だったのですね。
ヒトラーは、人種的観点からはむしろ問題の多い日本人との同盟を拒否はしなかったが、日本との対決を遠い将来に覚悟していた。ヒトラーは、日本が話題になるたびに、いわゆる黄色人種と手を握ったことを残念がる口ぶりを示した。
ヒトラーは黄色人種、つまり日本人も蔑視していました。ヒトラーの言葉が紹介されています。
白色人種の国々が結束していれば、極東を手に入れて、日本がこれほどのさばることもなかったはずだ。
ヒトラーと妻エヴァの遺体は、埋葬場所を転々と変え、1970年4月、ソ連のアンドロポフKGB議長が最終処分を指示した。遺体は火葬され、灰はエルベ川支流に捨てられた。
ヒトラーについて、その全体像を知る手がかりを与えてくれる本です。
昨日は絶好の春うららかな日和でした。車で山間部の支部まで出かけました。桜の花がハラハラと散っています。ナシの白い花が満開です。民家の庭先に咲くハナズオウの赤紫色の花があでやかに輝いていました。レンゲ畑となっていた田んぼにトラクターが入って、すきおこしをしています。
わが家のチューリップは今400本咲いています。いまが真っ盛りで、写真でお見せできないのが残念です。
(2008年1月刊。1300円+税)
2008年4月15日
仲間を信じて
社会
著者:小林明吉、出版社:つむぎ出版
面白くて、とても勉強になる本です。読んでいるうちに、思わず背筋を伸ばして襟を正し、粛然とさせられます。でも、決してお固い本ではありません。
大阪そして奈良で労働運動一筋に生きてきた著者を弁護士たちが何十回もインタビューし、苦労して一つの物語にまとめた本です。ですから、まるで落語の原作本を読んでいる軽快さもあります。
著者は今年、満77歳の喜寿を迎え、今なお労働分野の第一線で活動しています。同じ年に生まれた、私の敬愛する大阪の石川元也弁護士から贈呈された本です。一気に読みあげてしまいました。
労働組合運動の活性化を志すすべての人に、そして労働事件に関わる多くの弁護士に読んでほしいという石川弁護士の求めにこたえて、私はとりあえず5冊を注文しました。本が届いたら、身近な弁護士と労働運動の第一線でがんばっている人に届けて読んでもらうつもりです。
著者は初め、大阪でタクシーの運転手として働きました。当時、ゲンコツというシステムがあったとのこと。水揚げの一部を会社に納めず、自分のものにしていたのです。
制服の右ポケットは会社への納金用、左ポケットはゲンコツ用。会社に納金するよりもゲンコツの方が倍くらい多いこともあった。雨が降ったり、風が吹いたりすると、もっと多かった。いやあ、ひどい話ですね。まるで信じられない牧歌的な時代があったのですね。
タクシーの世界は奥が深い。客と知りあって出世した人も多い。信用が大切で、ついに証券屋になった運転手もいる。当時のタクシー運転手は、よく稼げた。しかも、それも調子のいいときだけ。事故にあったりしたら、もうどうしようもない。そこで労働組合をつくらなアカンという話になった。20代の著者もその中心人物の一人になった。
組合を結成した。1960年ころは、1年半のうちに22回も、全国統一行動に参加していた。苦しくてヒマだったから。毎日が退屈で仕方なかった。だから、今日は統一行動だというと、みんな目が輝いた。デモ行進で、往復8キロ歩いても平気だった。
著者は1967年3月、警察に逮捕されます。ちょうど、私が大学に入る年のことです。会社の労務係をケガさせたというのです。石川弁護士らの奮闘で一審は完全無罪となります。この裁判闘争のとき、裁判所前に長さ25メートルもの横断幕をかかげたというのです。無罪判決を求める運動のすごさですね。6年間の裁判闘争でした。今も福岡地裁の前に横断幕をときどき見かけますが、そんなに大きいのは見たことがありません。
著者は全自交大阪地連組織争議対策部長として、丸善タクシー事件に関わります。社長が夜逃げしたため、残された従業員が自主管理したのです。そのとき社会保険について、労働者負担分はちゃんと納付したものの、企業負担分は、保留しておいたのです。それが、なんと数千万円にもたまり、結局、争議の解決金として組合側がもらえたというのです。すごい発想です。
オリオンタクシー事件のときは、会社が倒産したと聞いたニッサンはまだ従業員がつかっているのに、車を差押さえて執行のシールを車に貼っていった。トヨタはそんなことはしない。執行官から、車に貼ったシールをはがすと犯罪になると警告された。さあ、どうするか。運転手たちは車を一生懸命に洗ってピカピカにみがいたのです。ホースで水をかけてモップで洗っているうちに、なぜかシールは自然にはがれていく・・・。うむむ、おぬし、やるな、という感じです。
著者は、大阪から奈良へ活動の舞台を移します。奈良のタクシー会社に労働組合をつくるために大阪から派遣されたのです。大阪の組合がずっと著者の給料を出したというのですから、えらいものです。いま、東京でフリーターの若者を労働組合に加入してもらおうという動きがあります(首都圏青年ユニオン)。それに弁護士もカンパしていますが、同じような発想です。
労働基準法違反のひどい会社に対して正当な要求をつきつけたところ、会社は労基法は守る。その代わりに残業は一切させないと対応してきました。残業できなかったら、労働者にとって一大事です。でも、これくらいでヘコむようでは組合活動なんてできない。労基署に要請行動すると、署長は「組合に要求を突きつけられて残業させないのは違法だ」と明快な回答。そして、会社に対して是正指導した。ひゃあ、これってすごいことです。当時はホネのある労基署幹部がいたのですね。
納金ストをしたという話が出てきます。初めて聞く言葉です。つまり、会社に納金せず、組合が料金を保管するのです。下手すると業務上横領という刑事事件になりかねない行為です。だから、組合はきっちり現金を管理しなければいけない。売上は組合の名前で銀行に預け、売上日計表をつくって会社に通知しておく。な、なーるほど、ですね・・・。
労働組合の団結にも、強・弱と、上・中・下がある。 組合ができるときは、緊張と興奮が続き、感情が高ぶり、感情的団結がうまれる。社長はけしからん。賃金が低い。労働時間が長い。このような興奮状態から生まれる団結水準。しかし、いつまでも感情的であってはいけない。組合も時間の経過にともなって成長していく。勉強を積み上げてだんだんに意識が向上していく。つまり、努力次第で、意識的団結へと成長する。ところが、意識的団結に高まっても、何かの事情で勉強回数を減らしたり、止めたり、リードする幹部がいなくなると、その団結が揺らぎ出す。
したがって、労働組合が目ざすべき団結は、思想的団結である。幹部は目的意識的に一般組合員との人間関係を大切にしなければならない。そして、幹部は人間としても信頼されなければならない。礼儀・恩義に無頓着、金銭にルーズ、サラ金の常連というのでは困る。労働態度(働き方)も大切。職場の模範である必要がある。
孫子の兵法に学べ。著者はこのように言います。有利、有理、有節。有利とは、その要求と闘いに利益があるかどうか。有理とは、理屈と根拠が正当か。有節とは、要求が正当でも、社会的に支持されるものかどうか。
私が弁護士になって2年目のときでした。日本のほとんどの交通機関で1週間ストライキが続きました。スト権ストです。当時、横浜方面に住んでいた私は、いつもより何時間もかけて苦労して出社しました。それ以来、日本ではストライキが死語同然になってしまいました。最近やっとマックの店長は労働者かということで労働基準法が脚光をあびるようになりましたが、まだ労組法は死んだも同然です。やはり日本でも労働者が大切にされる国づくりを目ざすべきだとつくづく思います。
石川先生、すばらしい本をご紹介いただいてありがとうございました。元気をもらいました。
(2008年3月刊。1600円+税)
2008年4月14日
物語が生きる力を育てる
社会
著者:脇 明子、出版社:岩波書店
私と同世代の女性の書いた本ですが、すごいなあ、なるほどそうだなあと、同感の思いを抱きつつ読みすすめていきました。
子どもがちゃんと育つために必要なのは、一にも二にも実体験だ。言葉という道具を身につけて、それでコミュニケーションを行うというものではない。まわりの人たちを相手に、音声や表情や動作のキャッチボールをたっぷり行うことこそが、生きるために不可欠な対人関係を育て、言葉をつかう力を育てる。
赤ちゃんに必要なのは、全身をつかって可能な限り世界を探索し、それを通じて五感を発達させ、運動能力を高めていくこと。
幼児には、喜んで耳を傾けてくれる人、この人に伝えたいと思える人が近くにいることが必要だ。子どもの発達にとって不可欠な二つのこと、すなわち身体をつかって世界を探索することと、まわりの人たちとコミュニケーションをとることは、密接にかかわりあっており、その両方が保証されてはじめて人間的知性が身についてくる。
問題は、これほどまでに大切な実体験が、いま子どもたちから奪い去られつつあること。その元凶は、何よりもまず、近年大発展をとげた電子メディアにある。テレビ、ビデオ、DVD、ゲーム、インターネット、ケータイが子どもの成長発達を脅かしている。
ところで、子どもの成長には、実体験が何より大切だが、物語による仮想体験にも、場合によっては、実体験では不足するものを補う大きな力がある。
人間には、「物語」をもっているというユニークさがある。五感で世界をとらえただけでは、物語は生まれてこない。物語が生まれるのは、語感でとらえた事実と事実とのあいだに、目で見ることも耳で聞くこともできないつながりが感じられたとき。そのつながりは、語感でとらえた世界に実在するわけではなく、いわば人間の脳のなかにだけある。
ヨーロッパの昔話の主人公は一般に若く、日本では、じいさんばあさんの話が主流だ。
日本の昔話に目立つのは、花咲かじい、こぶ取りじいのように、2人のじいさんを対比させる。ヨーロッパでは、3人姉妹や3人兄弟だらけ。まず長男が失敗し、次男も失敗し、最後に末っ子が成功する。ところが、日本の昔話では、まず最初のじいさんが幸運に恵まれ、それをまねた2人目のじいさんが失敗して終わる。序列がまるで逆だ。
うへえ、そんな違いがあるのですか・・・。
子どもは残酷性に強い。幼児期の子どもは、まずは動物として生きる力を身につけようとしていると考えられる。私たちは、人間として育つと同時に、動物としてもしっかり育たねばならず、動物の部分を切り捨てようとすると、基礎工事を手抜きした建物のように不安定になる恐れがある。
赤ちゃんとテレビのあいだには親密な交流は生じない。人間なら、赤ちゃんが笑えば自分もうれしくなって笑顔を返し、声をかけたり身体をゆすったりして、うれしさをさらに増やそうとする。そうされると赤ちゃんは、自分の感情を肯定されていると感じ、養育者との情緒的なつながりを強めると同時に、自信をもって感情を動かせるようになっていく。
ところが、テレビが相手だと、赤ちゃんの感情に同調してくれないし、身体的な働きかけもしてくれない。それでは、赤ちゃんはあやふやな感情しかもてないし、他者の感情を推しはかる力をうまく身につかない。
不快感情の体験にかぎっては、物語で味わうほうがいい部分もある。子どもにいろんな不快感情をわざわざ体験させるわけにはいかないけれど、物語なら、多様な体験ができるから。
筋だけを追う読書では、情景や心情を想像してみるヒマなどないから、想像力が育たない。思考力も記憶力も育たない。想像力を働かさなければ、感情体験や五感体験はできない。ましてや、心の居場所など、見つかるはずもない。
これは速読術への批判です。私も本を読むのは早いわけですが、なるべく、情感を味わうようにはしています。それで、どれだけ思考力が身についたのかと問われると心もとないのですが・・・。
早くも、1本だけですが、ジャーマンアイリスが咲きました。ビロードのようなフサフサをつけた、気品のあるライトブルーの花です。ジャーマンアイリスを植えかえようかと思っていたのですが、しないうちにぐんぐん葉が伸びて、ついに花が咲いてしまったので、なりゆきにまかせることにしました。あちこちに株分けしていますので、それらに再会するのも楽しみです。福岡の弁護士会館の裏口あたりにもあります。
チューリップは7〜8割方は咲きました。毎朝、雨戸を開けるのが楽しみです。チューリップの赤や黄色そしてピンクなど、色とりどり、また形もさまざまの花を眺めていると心がすーっと軽くなります。
(2008年1月刊。1600円+税)
2008年4月11日
ハイチ、いのちとの闘い
中南米
著者:山本太郎、出版社:昭和堂
2003年7月27日、ハイチの首都ポートプランス空港におり立ち、2004年3月10日、ハイチからニューヨークへ身ひとつで脱出した日本人医師の体験記です。
ハイチの失業率は70%をこえ、国民の3分の2以上が1日2米ドル以下という貧困生活を送っている。国民一人あたりの国内総生産は400ドル。これは日本人一人あたりのそれの70分の1にすぎない。
面積2万8千平方キロに860万人の人口。国民の90%が黒人、10%が黒人と白人の混血のムラトー。雨が多く、本来は緑豊かな島国だが、長年の森林の無秩序な伐採によって、国土の森林面積の90%を失い、いまや薄赤茶けた肌が露出する山々だけが無惨な姿をさらしている。
ハイチの隣にドミニカ共和国がある。東側3分の2を占める。人口800万人の国。ハイチから1844年に独立した。ドミニカ側の山には緑が残っている。ドミニカの方が物価が安く、ハイチの3分の2程度。
大半の住民はクレオールしか話さず、フランス語を話すのは人口の10%程度、エリートに限られている。クレオールは、ピジンと違って、それ自身が文法的にも表現能力としても充実した土地の言語である。クレオールはハイチだけでなく、世界各地でつかわれている。マルチニク、グアトルループなど・・・。
NHKラジオのフランス語講座でハイチが取りあげられて勉強したことがあります。
ハイチは、独立して200年間、独裁と政治的混乱を繰り返してきた。
ハイチでは、ハイチ・ドルという実体のない、つまり紙幣やコインのない仮想通貨が日常的につかわれている。正式な流通通貨であるグルドでいうと、5グルドが1ハイチ・ドルということになる。10ハイチ・ドルは50グルドで、これは1.25米ドル。
ハイチでは何ごとも交渉によって値段が決まる。 ハイチに住む日本人は18人ほど。
ハイチの成人人口の5〜10%がHIVに感染している。エイズ治療薬は、かつて年間1万2000米ドル(144万円)かかるといわれていたが、今では300米ドル(3万6000円)にまで低下した。
ハイチに暮らす860万人に対して、島の外、海外に150万人のハイチ人が住んでいる。
デュバリエ独裁時代は恐怖の中での秩序があった。自由と競争が、ある面で、社会を壊していく。アメリカがそうだし、自由のない社会での秩序は、それ以上に恐ろしいものである。これは、あるハイチ人の言葉です。
著者は長崎大学の医学部を1990年に卒業した若手の医師です。アフリカ諸国でも活躍されています。このような日本人がいるおかげで、日本人に対する海外の評価は高いのですよね。頭の下がる思いをしながら読みました。
(2008年1月刊。2400円+税)
ビルマとミャンマーのあいだ
東南アジア
著者:瀬川正仁、出版社:凱風社
正直言って、この本を読む前には、ちっとも期待していませんでした。また、どうせ観光案内に毛のはえた程度のおじさんの探訪体験記くらいになめてかかっていたのです。ところが、どうして、どうして、ふむふむ、なるほどなるほど、そうだったのか、とうなずきながら興味深く一気に読みすすめてしまいました。
ビルマには2つの顔がある。一つは、人々をトリコ(虜)にする微笑(ほほえみ)の国・ビルマ、底知れぬ優しさにあふれた顔。もう一つは、軍隊や秘密警察が生活の隅々まで目を光らせている軍事独裁国家・ミャンマーという顔だ。
ただし、ツァー旅行に参加して、お寺めぐりと川下りだけを楽しんでいるだけでは、この現実は体感できないだろう。この本を読むと、そのことが実感として伝わってきます。
バーマもミャンマーも、もともとは同じ意味の言葉だ。バーマは口語的で、ミャンマーは文語的だというだけのこと。
首都だったラングーン(ヤンゴン)は、人口600万人。2006年、突然、首都はネピドーに移された。ヤンゴンは、ビルマ語で戦争の終わりを意味する。1757年、長年の宿敵モン族に打ち勝ってビルマを統一したアラニパヤ王によって名づけられた。
ラングーン市の中心部に高さ98メートルの黄金の仏塔シュエダゴン・パゴタがある。仏塔の全面に張りめぐらせてある金箔の総量は10トン以上。これは、イギリス統治時代の大英帝国が保有する金の総量を上回っていた。仏塔の上部に埋め込まれているダイヤは2000カラットをこえる。ルビーやサファイヤなどもあり、お金に換算したら、ビルマの全国民を30年間養えるほどの額になる。
ビルマでは、その昔、1週間を8日ごとに区切る8曜日となっていた。今は、もちろん7曜日。だから、水曜日を午前と午後とで分けている。
ビルマ人は、とても読書好きだ。慢性の電力不足のため、テレビはあまり普及していないし、政府系のテレビ局しかないからだ。
ビルマ政府は外国人を絶対に立ち入らせないブラック・エリアのほか、許可をもらって初めて行けるブラウン・エリア、誰でも自由に行けるホワイト・エリアの3つに分けている。
ビルマでは、輪廻転生(りんねてんしょう)を信じている人が多い。教養ある女性が次のように言った。あの人たち(政府高官)は、前世で立派な行いをしていたのでしょう。だから、現世では、いい暮らしができるのよ。でも、来世はないわね。地獄におちるか、虫けらに生まれるわ。
かつて覇権を争ったビルマ民族は今3000万人。モン民族はわずかに100万人(ただし、モン民族によると400万人)。
しかし、ビルマ民族にとって、モン民族は煙たい存在だ。タトン王宮、シュエダゴン・パゴタなど、有名な遺跡は、ほとんどモン民族の文化遺産なのである。
行ってみたいような、行くのが怖いようなビルマ・ミャンマーです。
(2007年10月刊。2000円+税)
旗本夫人が見た江戸のたそがれ
日本史(江戸)
著者:深沢秋男、出版社:文春新書
江戸時代を生きた女性が、いかにたくましかったかをよく知ることのできる本です。日本女性は古来、男から虐げられてきたという説が誤っていることを、この本も実証しています。弱い女性はたしかにいましたが、それは同時に同じように弱い男性もいたということです。むしろ、日本女性の特徴は、昔から男なんて気にせず、のびのびと生活していた人がとても多いということです。この本の主人公である井関隆子もその一人でした。日本の女は昔からすごかったのです。ただし、この本のタイトルは感心しませんね。なんだか本の内容とイメージがちがいます。
井関隆子日記12冊は、隆子の56歳から60歳までの日記。天保11年から14年というと、ちょうど天保の改革(老中水野忠邦による)が始まり、失敗したころのことです。
井関家は年収3千万円程度はありましたし、大奥づとめでしたので、大奥からの下され物も多くて、家計と生活を助け、潤していました。隆子は江戸城のすぐ近く、清水御門と田安御門の近くに350坪の屋敷に住んでいました。
井関家は、四季折々の花を眺めたり、また月を眺めたりしながら、よく酒盛りをした。隆子自身もお酒が大好きだった。
江戸時代のお見合いは、お互いに芝居などの席で、それとなく相手を見て、お互いによければ話をすすめるということも多い。ええっ、そうなんですか。現代日本にもありそうなスタイルです。
主席老中・水野忠邦は、11代将軍家斉の死を機に、天保の改革に着手した。家斉は 50年ものあいだ将軍の座にあった。
上知令(あげちれい)は、天保の改革の末期に幕府が発令した、江戸と大坂近郊の大名・旗本の領地を幕府の直轄地にしようとする、一連の命令である。しかし、これは実行されることなく撤回された。そして、水野忠邦は罷免された。ここにも幕府の実行力の衰退をみることができる。
水野忠邦が罷免されたとき、世間は歓呼の声を上げた。
このまま政権の座にあるなら、さらに世の乱れを招きかねないと、嘆かない人はいなかった。このたびの処置に天下の人々は万歳を唱えて喜んでいる。
数知れぬ人々が水野家の屋敷を取り囲み、大きな石を雨あられのように投げつけて、つらい目にあった恨みをいいつのるのが、まるでトキの声をあげるように響いた。この騒ぎを見物しようと集まった群衆の数もものすごかった。
すごくリアルに水野忠邦の屋敷を人々が攻めている情景が描かれています。
隆子の日記によると、将軍家斉の死は、本当は1月7日だったという。公式発表の1月29日ではなかった。そこには、水野忠邦と家斉側近とのあいだの権力抗争が隠されていた。なーるほど、ですね。
それにしても、再婚して後妻に入った家で、夫の死後も、隆子は女主人としてのびのびと過ごしていたようです。血のつながらない息子たちも、隆子を母親としてうやまったのでした。今度は、「井関隆子日記」そのものを読んでみようと思います。
私にとって列車の中は貴重な読書タイムです。ひととき没頭して本の世界(いわばアナザーワールド)に浸っていたいのです。ところが、それがときどき邪魔されてしまいます。車中検札です。無用に声かけられないように、前のテーブルに見えやすいように切符をおきます。それでもわざわざ声をかけてくる車掌さんがいるのです。先日などは、切符を手にとっているのに、なお「お客さん、いいでしょうか?」と何回もしつこく声をかけてきました。かなり偏屈なところのある私は、つい「うるさいですよ」と言ってしまいました。本当は、「その切符に何か問題もあるのですか?」と聞き返せば良かったと後で思ったことでした。検札するなとは言わないのです。検札の目的は切符を正しく買って乗っているかどうかを確認することだと思います。なにも、わざわざ車中で一人静かに読書している人に声かけて邪魔してほしくないのですが・・・。
いま咲いているチューリップは360本ほどです。雨が多いので、真っ先に咲いていた花はもう散りはじめました。先日、山で出会った面白い形をした花を図鑑で調べたらツクシマムシグサでした。ちょっと怖い名前がついていて、びっくりしました。
(2007年11月刊。730円+税)
2008年4月10日
君のためなら千回でも(下)
著者:カーレド・ホッセイニ、出版社:ハヤカワepi文庫
泣かせます。ここで紹介できないのが残念ですが、上巻で呈示された謎解きがすすんでいきます。人間の悲しい性(さが)が次第に解明されていきます。そして、それを人は簡単に受けいれることができないのです。
アメリカは楽観主義のおかげで偉大な国になったが、おまえにも楽観主義を植えつけたようだな。それに比べて、私たちアフガニスタン人は、憂鬱な国民だ。悲観や自己憐憫の泥沼でのたうちまわってばかりいる。喪失や苦しみに屈し、人生の事実として受けいれ、必要なものとさえ見なしている。それでも人生はすすむ、と言って。だが、私自身は、この運命に屈したわけではない。現実を正視しているだけだ。
人生には、何をやるか、何をやらないか、しかない。
しょせんヒンディー映画は、人生とは違うのだ。それでも人生は進むと、アフガニスタン人はよく言う。成功者だろうと、落伍者だろうと、はじまりも終わりにも、危機もカルタシスも関係なく、人生は前に向かって進んでいく。ゆっくりと、遊牧民のホコリっぽいキャラバンのように。
著者は、「親友」だったハッサンの息子であるソーラブをアメリカに連れてくることができました。アメリカでアフガニスタン人の集いがあったとき、凧合戦が久しぶりで企画されました。ソーラブは、当初、亡くなった両親もこんなことを認めないだろうと考えて消極的でした。ところが、ソーラブは、いつのまにか凧合戦に加わっていました。
すごい本です。一読をおすすめします。
ところで、この本とはまったく無関係なのですが、菅野昭夫弁護士(富山県)があるニュースに、アフガニスタンでアルカイダの容疑者として拘束され、キューバのグアンタナモ基地収容所に入れられている人々の救援活動に、アメリカの巨大ローファームで働く弁護士が多く関わっていることを紹介しています。
プロボノ活動なのですが、ペンタゴンがそれを問題にして、そんな弁護士のいるローファームへの依頼をやめるように企業へ圧力をかけました。すると、弁護士側も企業側もはねかえしたというのです。アメリカにも見識ある人はいるということです。
グアンタナモ基地収容所における無法な身柄拘束から釈放を求めるには、何百人もの収容者のために、身柄拘束の違憲性、違法性をつくばかりでなく、「不法敵戦闘員」には該当しないことを、中東やアフリカなどの親族、知人から宣誓供述書を集めて立証し、人身保護令状の申立を連邦地裁に行うという作業が必要である。
そこで、全米の弁護士に「アメリカ憲法を守ろう」という呼びかけが行われた。その結果、今日まで、約500人の弁護士たちが、釈放を求める闘いに参加した。彼らは、プロボノワークとして、この闘いにはせ参じたのである。多数の弁護士たちが、グアンタナモ基地を訪れ、軍のさまざまな妨害を撥ね退けて収容者と面会し、人身保護令状の申立などの法廷闘争に取り組んでいった。その結果、ブッシュ政権は、五月雨式に収容者を釈放するようになり、収容者が275人にまで大幅に減った。
こうした多数の企業法務弁護士の参加は、ブッシュ政権にとって、我慢のならないことであった。2007年1月に、軍事基地での収容所のペンタゴンにおける責任者であるチャールズ・スティムソンは、テレビのインタビューの中で、「わが国の一流の法律事務所が、こともあろうに、グアンタナモ基地の囚人の弁護をしている。依頼人の企業は、テロリスト弁護の資金源とならないために、これらの法律事務所への依頼をやめるべきである」と発言した。続いて、これら約120の法律事務所の名前が、ワシントン・ポストに発表された。これに対する反応は、政府の予想を超えるものであった。ABA(アメリカ法曹協会)は、「刑事事件において、全ての被疑者のために弁護活動を行うことは、弁護士の崇高な使命であり、これを妨害する試みは、弁護士職に対する挑戦と受け止められなければならない」との談話を発した。
そのような中で、それら法律事務所の依頼人の一つであるGE(ジェネラル・エレクトリック)の副社長は、メディアに対し、「プロボノサービスと法の支配は、わが国法曹の偉大な伝統である。我々GEは、法律事務所がプロボノと公共奉仕の精神に基づき依頼人を選択し弁護したことで、その法律事務所を差別することに反対であり、またそうする意図はない」と表明した。同じくヴェリゾン・コミュニケーションの顧問弁護士は、「私の企業は、この法律事務所への依頼を継続する。その事務所が、私が嫌悪するものをプロボノワークとして弁護していても、この方針には何ら変わりはない」と述べた。結局、依頼を断る企業はなく、チャールズ・スティムソンは、ワシントン・ポストに謝罪の談話を発表して、ここでもブッシュ政権は敗北した。
いやあ、すごい、すごーい。心からの拍手を送ります。パチパチパチ・・・。
(2007年12月。660円+税)
2008年4月 9日
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京」(上下)
社会
著者:楡 周平、出版社:講談社
今から40年前の1968年に起きた東大闘争とは一体、何だったのか。そのとき活動家だった学生は今、何をしているのかを鋭く問いかけた小説です。当事者の一人でもある私の問題意識にぴったりあう舞台設定なので、大変興味深く、一気に読了しました。東大闘争の経緯については不正確なところが多々ありますが、さすがプロの書き手ですので、ぐいぐい魅きつけていくものがありました。最後まで、次はどういう展開になるのだろうかと、手に汗をにぎりながら読みすすめていきました。
「当時は、本当に私たちの力でこの国を変えられると思っていた」
「ああ、あの時代は、本気でそう思っていた」
「だけど、何も変わりはしなかった。それが、私たちが行った運動は、すべて間違いだったってことの証明ってわけ。当時の仲間たちのほとんどは、あの頃のことなどおくびにも出さずに、安穏とした生活をむさぼっている」
「プロの活動家なんて、もはや絶滅人種だ。デモに出かける人も、日頃は、思想信条を明らかにせず、一介の公務員として国家体制に寄生して糧(かて)を得ている。どこかの中小企業の労働者として、資本主義社会の恩恵に与っているのがせいぜい。私は、両手に手錠がはめられた時に、初めて目が醒める思いがした。権力に歯向かうことの愚かさ。屈辱と、全てを失うのではないかという恐怖を感じた」
これは、それから30年後の元活動家同士の会話として語られています。たしかに私も、自分たちが大人になったときには世の中は根本的に変わっていると思いこんでいました。しかし、大きく変わったのは世の中というより、自分たちのほうでした。といっても、当時していたことが「全て間違いだった」などと私が思っているわけではありません。資本主義の片隅で、その恩恵を弁護士として受けていることは否定しませんが・・・。
先日、高校の同級生だった医師と話していたとき、「あんたは、まだ弱者のためと思って(活動)しているのか?」と問いかけられました。私は、即座に、「そうだよ」と返事しました。弁護士になって35年になります。ずい分、安穏とした生活を過ごしていると自分でも思いますが、学生時代に抱いた理想、つまり弱い人のために役に立つ人間になろうということを主観的には忘れたことはありません(客観的に、どれだけのことができたか、しているかと問われると心苦しいのですが・・・)。
体制を変えるためのもっとも早い方法は、権力の中に入り込み、その頂点に立つことだ。
久しぶりにこのような文句に出会いました。そうなんです。学生のころ、よく聞いたセリフなのです。とりわけ、私のいたセツルメントでは、とりわけ法律相談部のセツラーのなかに、そのように言う学生セツラーが何人もいました。セツルメント活動を真面目にやっていた人のなかから、高級官僚や裁判官になった人は何人もいます。そしてセツルメント活動は、このセリフとのあいだの葛藤から成り立っている面があると言うと、いささか言い過ぎになるかもしれませんが、それほど重たく魅力的なセリフでした。だけど、多くの場合、結局のところ、このセリフにかこつけて権力に取りこまれて理想を喪っていくことになりました。もちろん、すべての人にあてはまるということではありませんが・・・。
あのころ、セクトに属していた女性活動家に課せられた任務は熟知している。一般学生をセクトに誘うために、幾多の男たちと体を重ねた。
うへーっ、まさかと、私は思いました。そんなセクトがあるなんて、当時、少なくとも私は聞いたことがありません。私の交際範囲の狭さからかもしれませんが・・・。もっとも、私の交友関係の大半を占めていた民青は、歌って踊って恋をしてという路線をとっていると批判されていましたし、私自身も女子学生が半数ほどを占めるセツルメントにいましたが、そんな「任務」なんて聞いたことはありませんし、あろうはずもないと私は考えています。
アメリカのヒッピー学生のあいだでは乱交が常態化していたという本を読んだことがありますが、日本では、あったとしてもごくごく一部の話だと私は思います。もし、あっていたとするなら、ぜひ、どこの大学であっていたのか教えてほしいと思います。
もちろん、男女学生が同棲生活をするというのは多数ありました。私自身は、残念なことに、そこまで至ることができませんでした。この本で最大の違和感があるのは、この「ドグマ」を前提としてストーリーが展開していることです。
東大闘争とは言っても、実際のところ当の東大の学生活動家はそれほど多くはなかった。輝かしい将来を約束されている東大の学生にしてみれば、現体制が続くことが自分たちの安泰につながると考えこそすれ、その崩壊を望んだりはしないからだ。だから、東大生をオルグすることができれば、スリーパーとして権力の中に送り込むことだってできる。
いやあ、これって完全な間違いだと思います。もちろん、その定義にもよりますけれど、あのころの東大のセクト・メンバーは、全共闘にしろ民青にしろ、どちらも数百人単位をこえていたと思います。なにしろ、東大の学内集会とデモにそれぞれ少なくとも500人以上は集まっていたのですから。私は、当時、駒場の学生(2年生)でしたが、6千人の学生のうち双方の活動家の合計は少なくとも1000人ほどいたというのが私の実感です(組織メンバーになっているか、強烈なシンパかはともかくとして・・・)。
この本を読んで、東大闘争の事実経過を詳しく正確に知りたいと思った人には、『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)を一読されることを強くおすすめします。
(2008年2月刊。1700円+税)
2008年4月 8日
自衛隊2500日失望記
社会
著者:須賀雅則、出版社:光文社ペーパーバックス
自衛隊に7年間いて、事務方をつとめていた著者が自衛隊で起きている信じがたいほど莫大な税金の無駄づかいを体験にもとづいて告発した本です。顔写真入りの実名(のよう)ですから、勇気がありますね。左翼の人間が自衛隊に潜入して実態を暴露するルポを書いたというものではありません。著者は、どちらかというと今も自衛隊賛美論者ですが、あまりのひどさに怒りを覚え、言わずにおかれないという気持ちに駆られたのです。
洋の東西を問わず、軍需産業と高級軍人の癒着は昔からひどいものがありますが、日本の自衛隊もひどいものです。こんな莫大な税金ムダづかいをしているから、福祉予算の方が削られてしまうのですね。
自衛隊の好待遇は建前上は本当だ。新兵は年間270万円の給料をもらえる。アメリカでさえ150万円。ところが、実際にお金を残すには、人間関係を犠牲にして付き合いをある程度絶たねばならない。自衛隊員には、飲む打つ(パチンコ)買う大好き人間が多数派を占める。だから、現実には、金欠病に苦しむ隊員が多い。家庭をもつと基地外居住となるので、衣食住費が自己負担になる。そのとき年収300万円で家族を養うのは厳しい。なーるほど、ですね。
日本の自衛隊は、軍人数や国防予算額で軍事力ランキングで少しでも多く見せようとしている。軍事力でハッタリかませるのも抑止力の一方法なのだ。うむむ、そういうことができるんですか・・・。
偏屈な自衛事務系の隊員が定年まで勤めあげ、なんと1億円も貯めたという話が紹介されています。そんなことができるんですか・・・。
マルボウという言葉を知りました。法曹界では、マルボウというと暴力団をさしますが、ここでは防衛関連企業のことをさす。多くの防衛関連企業は自衛隊からの天下りを受け入れ、それまで以上に利益が出るよう製品価格をつりあげ、暴利をむさぼる。
過去5年以内に防衛省と取引があった企業には、再就職2年前まで調達に携わっていた隊員は、営業職として就職できないので、製造管理者と名づける。通常の調達隊員は、上が気を利かせて退官数年前に閑職にまわす。そこで、ほとんどの調達隊員、調達事務官は利害関係の深いマルボウに堂々と再就職する。
5兆円の防衛費にたかる防衛産業は非常においしい。ほとんど随意契約という悪質な契約がまかりとおる。この甘い蜜は、一度味わうとやめられない。こんな一大利権を官僚・政治家・自衛官が手放すわけがない。
そこで、著者は、天下り職員をすべて例外なく禁止する法律を制定すべきだとします。その点、日本共産党が大嫌いな著者が、唯一、この点だけは日本共産党を評価しています。
ミサイル防衛システム(MDシステム)は国防上ムダであり、即刻やめるべきだと著者は主張しています。なぜなら、MDシステムの主力であるパトリオットミサイルが実戦ではまったくあてにならないから。
90式戦車が10億円以上するのについても、著者は疑問を呈しています。アメリカのより強力な戦車は1台4億円しかしない。そう聞くと、ええーっ、なんで・・・と思わず叫んでしまいました。日本の軍事企業がいかにボロもうけしているか、ということなんでしょう。
日本の兵器国産主義の本音は、退職後の自衛官や防衛官僚に対する超高額の生活保障を維持するためだ。うむむ、いやあ、ひどい。これって許せませんよね。おかげで福祉はどんどん切り捨てられているのですからね。先日、ヨーロッパのある国で、教育費と医療費は全額無料にするという国民投票があり、可決したというニュースがありました。日本も、軍事費を削ったら、このようなことができると思いますよ。
自衛隊の生命保険はこれまで協栄生命と東邦生命だった。今や、いずれもアメリカのGEエジソン生命とジブラルタ生命になってしまった。むひょー、そうなんですか。そこまでアメリカの言いなりになっているのですね。ひどいものです。
(2008年2月刊。952円+税)
2008年4月 7日
葉っぱで2億円稼ぐおばあちゃんたち
社会
著者:ビーパル地域活性化総合研究所、出版社:小学館
アウトドア月刊誌『ビーパル』というものがあるそうです。私は読んだことがありません。でも、「ゲンキな田舎」という連載企画を連載したものをまとめた、この本は本当に読んで元気が出てきます。田舎だって、まだまだやることはたくさんあるということを実感できます。
全国の直売所の総売上額は年間2500億円もある。といっても、農水産物の生産総額は9兆円あり、日本人の食料支出費にいたっては75兆円になる。日本最大級の直売所といわれるのは愛知県大府市の『げんきの郷』内にある「はなまる市」。JAあいち知多が建てた大規模複合施設。農産物を売る「はなまる市」は、1000平方メートル。700軒の農家が出品し、年間売り上げ高は15億円。
珍しいものも売れるが、あんがい普通のものがよく売れる。スーパーになくて直売所にあるもの。それは、やっぱり安心感と鮮度。
徳島県上勝(かみかつ)町は、山の多い谷あいに面した小さな町。人口2200人、半分近くが65歳以上。ところが、年寄りがやたら元気で、よく稼ぐ。70〜80歳で月収50万円はざら。年収1000万円という人も何人かいる。
葉蘭、南天、もみじ(かえで)、松葉、笹の葉、柿の葉、椿の葉、ゆずり葉。春蘭、梅、ぼけ、桃、桜の花。どれも裏山や農家の庭先にあるものばかり。これらの葉や枝は、日本料理を彩る「つまもの」として、全国の料亭や旅館に流れていく。上勝町は、全国の「つまもの」市場の8割を占有する小さな大産地なのだ。
たとえば、農家の庭に樹齢100年の柿の木がある。在来品種の渋柿だが、秋の紅葉がとくに鮮やかで、その葉っぱだけで売上30万円。スタート以来すでに数百万円を稼ぎ出している。す、すごーい。そうだったんですか。たしかに、高級料亭ではプラスチック製ではない、天然のものを添えていますよね。あれもビジネスになるのですね。
三重県伊賀の農村に年間40万人もの人が訪れるアミューズメント施設がある。ゴールデンウィークには1日で1万人もの人々が押し寄せ、付近は大渋滞となる。売り上げ高が35億円。
そこでは、体験事業する人が10万人、来る人の7割がリピーターになる。ソーセージをつくり、パンを焼き、ジャージー牛の乳搾りを体験する。
阿蘇の黒川温泉の人気の秘密は雑木を植えたこと。中心はコナラ。コナラは、木肌に味があり、春の芽吹きも、葉が落ちたあとの佇まいも良い。虫に強く、いつ見ても飽きない。結局、人工美は自然美にはかなわない、ということ。普通の田舎が、今では一番の贅沢なのだ。まるで昔の農家のようだというのが人気になる。
年に一度お客に来てもらうようり、何度でも来てもらえる地域にするには、どうしたらよいかを話し合ってきた。
栃木県茂木(もてぎ)町の民宿『たばた』には、年間1万人がやって来る。一見したら、どこにでもある田舎の民家だ。ところが、ここは、体験型の民宿。年間の泊まり客は4000人。日帰り体験脚が6000人いる。宿泊料に1000円上乗せすると、ソバ打ち、農作業、生き物遊びが楽しめる。集落からインストラクターをつのった。時給2000円。多い人は、年間20回以上の指導をこなす。昔話の語り部だけでも、20人いる。
うむむ、これはすごーい。こんなことは、全国各地でもっと試みられていいですよね。
大分県宇佐市の安心院(あじむ)町は、農家民宿の草分け。いまや高校生の修学旅行先になっている。2005年には、22校、1600人がやって来た。訪れるのは平日なので、稼働率が上がった。
なーるほど、ですね。いろんな工夫がなされているのですね。
日曜日に久しぶりに山を歩いてきました。山のふもとに住んでいますので、お弁当をもって頂上を目ざします。桜が満開です。ソメイヨシノのピンクの花びらはいつ見ても色気を感じさせられます。春の山はウグイスをはじめ小鳥たちのにぎやかな鳴き声にみちみちていました。のぼり始めたころは少し曇り空でしたが、頂上に着くころは晴れあがり、少し春霞がかかっていましたが、汗ばむほどの陽気になりました。頂上の見晴らしのいいところで、お弁当開きをします。その前に上半身裸になって汗をふき、シャツを取りかえ、さっぱりします。はるか下界を見おろしながら深呼吸をして、まさに浩然の気を養いました。おかげで食もすすみ、ダイエット中にもかかわらず、おにぎりを2個とも食べてしまいました。体重は半年間で5キロ減り、今は64キロ台をなんとか維持できるようになりました。目標の62キロまで、あと少しの辛抱です。
そろそろと山をおりて帰ります。山のふもとにツクシがたくさん出ていました。ピンク色の桃の花も咲いています。黄色い菜の花畑が少なくなったのが残念です。今年はじめてツバメが飛んでいるのを見かけました。
わが家のチューリップは251本咲いています。あと半分はまだツボミにもなっていません。まだまだ当分じっくり楽しめそうです。
(2008年1月刊。1200円+税)
2008年4月 4日
日本軍はフィリピンで何をしたか
アジア(フィリピン)
著者:戦争犠牲者を心に刻む会、出版社:東方出版
昨年11月にフィリピンに行ったので、読んだ本です。
アジア、太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻むという課題で開かれた集会(1989年8月)の記録集でもあります。
戦前にフィリピンで流通していたペソは3億。ところが、日本軍が占領してからは、軍票が大量に発行されたため、65億から110億にも達した。20倍だ。日本軍は物の裏づけのないおもちゃ(ミッキーマウスと呼ばれた)として軍票を発行し、多くのフィリピン人を苦しめた。
1945年1月31日にアメリカ軍はバタンガス州の海岸に上陸し、翌日には空挺部隊がタガイタイに降下した。
先日のフィリピン旅行では、このタール湖畔のタガイタイに行きました。高原の高級避暑地だという前宣伝でしたが、まったくそのとおりでした。
日本軍は敗退するなかで、フィリピン人の大量虐殺を行っていきました。
「おい田辺、思い切ってやってみせろ。責任はこの藤重がもつ。後世の人間が、世界戦史をひもといたとき、誰しもが肌に泡立つ思いがするような虐殺をやってみせろ」
口を閉じた藤重兵団長は、田辺大隊長に視線を当てたまま薄く笑った。
彼らは、戦火のもとで死に、罪を一身に負い、刑場の露と消えた。
うむむ、ぞくぞくする会話です。肌が粟立ちます。
フィリピンのレイテ島のパサールに銅製錬所がある。1983年、マルコス大統領の時代、妻イメルダの生まれ故郷に移転して操業を開始した。このパサールには、リン酸アルミナなどの化学コンビナートがあり、その3分の1が日本の勝者による共同出資となっている。そこに、ODAの一貫として地熱発電所がある。この電力は、パサールのコンビナート、日本の技術と出資によるコンビナートのために使われている。日本のODAで建てた発電所を日本の企業のためにつかっている。そして、レイテ島には公害(汚染)を残す。
実は、私は、その現地に日弁連の視察団長として出かけました。1989年8月のことです。今から20年近く前のことになります。そのレイテ島は今どうなっているのでしょうか。泊まっていたタクロバンは、台風被害にあったりして、大変だったようですが・・・。現地ではカトリックの神父さんに案内してもらいました。お元気でしょうか。
(1990年5月刊。1300円)
新司法試験合格者から学ぶ勉強法
司法
著者:19年度合格者16人、出版社:法学書院
新司法試験は、全4日(休憩日を入れると5日)の長丁場である。肉体的・精神的な疲労はかなりのもの。そこで、まずは長丁場の試験に耐えうるだけの体力、精神力が必要となる。
新司法試験は苛酷な試験である。すべての試験が終わったとき、精魂尽き果てて、しばらくは席から立ち上がることもできなかった。この本試験に向けて、知力だけでなく、気力・体力が充実するよう、しっかり自己管理をしなければいけない。
新司法試験は、4日間のうちに22.5時間もの長時間の着席を強いられる。
新司法試験は、大変苛酷な試験である。毎日、長時間、問題を解かなくてはいけない。本当にきつい。新司法試験は、精神力も点数にかなり影響する試験である。試験前からストレスをためすぎたり、試験中に緊張しすぎたりして力を発揮できないということは避けなくてはいけない。ストレス解消法は重要だ。直前期は、異常なストレス状態になるし、試験当日のストレスと緊張具合は尋常ではない。
うむむ、これはやはり大変な試験ですよね。
新司法試験は、基本判例の事案をしっかりおさえたうえで、どのような事実に着目してその結果を導いたか、ということを勉強することが今まで以上に強く求められている。答案のスタイルとしては、このような基本判例があるが、その事案と比べて本件事案とは、ここが違う。もしくは同じである。また、このような特殊性もある。したがって、基本判例と違う結論、もしくは同じ結論になるという形で書けるのがベストである。なーるほど、ですね。
新司法試験は、正しい方向で、一定量の努力を積み重ねた人が、高い確率で受かる試験だ。旧試験のときは、択一の点数がもちこされないこと、論文の総合点が低いことから、最後は、運の要素が強く、いわゆる合格順番待ちと言われる人が相当数存在した。新司法試験が択一の点数がもちこされ、論文の総合点も素点で800点と幅が大きく増えたので、旧司法試験に比べて、結果が順当な実力を反映する試験になった。
法科大学院の授業では、法的な思考過程が訓練された。大量の判例を読むことは、問題点を素早く的確に理解することに役立った。期末試験は、論文試験の格好の訓練の場だった。
私が35年前に受けた司法試験のときと同じく、我妻栄の教科書を基本書としてあげた受験生がいるのを知って、驚きました。さすがに『ダットサン』ではありませんでしたが・・・。私は『ダットサン』を6回読んで合格しました。また団藤の『刑法綱要』を一日で読み切れるようになったとき、合格しました。これと同じようなことを書いている合格者がいました。試験問題は変わっても、受験勉強のすすめ方のポイントは昔も今も変わらないという気がしてなりません。それは一言でいうと集中力です。集中して問題文に没頭し、基本的な定義をふまえたうえで、論点をおさえた文章を展開するということです。
新司法試験合格者の質を心配する人は多いのですが、やる気さえあれば(他人とまじわるのが不得手だと困りますが)、弁護士として役に立つ存在になれると私は体験を通じて確信しています。
(2008年2月刊。1200円+税)
富豪の時代
日本史(明治)
著者:永谷 健、出版社:新曜社
明治維新以降、一部の実業家たちは、莫大な富を蓄えていた。三井家の一族、三菱会社の岩崎一門、そして大倉喜八郎、安田善二郎、森村市左衛門といった財閥の創始者たちである。
彼らは、必ずしも明治初年から傑出した資産を保有していたわけではない。とくに、一代で財閥の基礎を築いた実業家たちにとって、明治初年はいわば駆け出し実業家の時代だった。たとえば、安田善二郎が両替店から質商兼業とし、事業の拡大を図りつつあったのは明治2年。大倉喜八郎が鉄砲商として得た財をもとに商会・大倉組を設立し、輸出入委託販売業を本格的に始めたのは明治6年だった。
明治29年に営業税法が公布された。このとき、日清戦争の軍功による叙爵者にまじって、実業界の岩崎久弥、岩崎弥之助、三井八郎右衛門に初めて爵位が授けられた。これは、実業の分野で国家に対して顕著な貢献があれば、途方もない威信の上昇がありうることを社会に周知させるメッセージとなった。
明治20年代半ばまで、成功した商人は、「奸商」イメージで語られることが多かった。しかし、多額納税者議員が現れたあと、彼らは新時代で巨富の蓄積に成功した稀有な階層としてとらえられるようになった。しばしば、富豪や紳商と呼ばれるようになった。つまり、前の時代よりダーティーなイメージが薄められたのだ。
明治17年以降、華族でない実力者士族の華族への割り込みが急速にすすんだ。華族という呼び名で制度的に一括された集団は、メンバーの社会的・文化的出自の多様性の点で、そして異質な選抜基準をふくむ点でも、ひとつの社会的身分として定義するのが難しいほどの雑居状態にあった。
すなわち、ひと口に華族といっても、それは経済的にも出自の点でも、決して等質な集団ではなかった。階層としての実体性がなかった。
茶道は、明治20年代後半から大正期にかけて、リッチな実業家たちの正統文化へと成長していった。同じ時期に、能楽も流行した。能楽は、明治9年4月に岩倉具視邸への行幸で天覧に供された。能楽が大流行したのは、やはりそれが代表的な天覧芸であったからだろう。
茶室は、重要な事案にかかわる面会や人脈形成の場として利用されていた。商談策謀は、茶室以外では出来ないとまで言われた。実業家の茶事は、必ずしも超俗的で、高踏的なものではなかった。
明治時代にあった長者番付表を見ながら、いろいろ考えることのできる本でした。
(2007年10月刊。3400円+税)
2008年4月 3日
神なるオオカミ(下)
中国
著者:姜 戎、出版社:講談社
オオカミは、草原の清掃労働者だ。牛や羊や馬、またタルバガンや黄羊、野ウサギや野ネズミ、人間の死体でさえ、すべてきれいに処理してしまう。狼は飲みこんだ羊や野ネズミの肉、皮、骨、アキレス腱を、残り滓もなく全部消化した。オオカミの口、胃、腸を通って栄養分が完全に吸収され、最後に残るのは、わずかな毛と歯だけ。万年の草原が、これほど清浄なのは、オオカミの功績が大きい。
うむむ、なるほど、なーるほど、そうだったのですか・・・。知りませんでした。
古代中国の農耕民族は、草原の騎兵を恐ろしい「オオカミ」と同様にみていた。「狼煙」は、もともと、オオカミ・トーテムを崇拝する草原民族の騎兵が万里の長城を越えてくるのを知らせる合図のため、烽火台であげた煙という意味だろう。オオカミの糞とは何の関係もない。
オオカミは蚊を怖がる。蚊はオオカミの鼻と目と耳を狙って刺す。オオカミは跳びあがるほどいやがって、待ち伏せするどころじゃない。
草原民族は、夏のあいだは、めったに羊を殺さない。羊を殺したら、食べ残した肉は保存できず、暑さとハエのせいで、2日間で臭くなってウジがわいてしまう。ハエが肉に卵を産むのを防ぐため、遊牧民は新鮮な羊肉を親指ほどの太さの細長い形に切り、小麦粉をつける。それから、ヒモをしばりつけて、パオのなかの日陰の涼しいことろに吊して乾燥させる。夏に羊を殺すなんて、ものを粗末にすることだ。
モンゴル草原は、ふつうの小山でも、深さ50センチほどの草や土や砂利を掘り出せば、下は風化した石のかけらや石板や石ころである。木の棒でこじあければ、石材がとれる。
ほとんどの犬はオオカミの遠吠えをまねることができる。しかし、オオカミが犬の吠え声をまねることは、まずない。小オオカミは、犬のまねをして吠えようとしたが、できなかった。でも、オオカミの遠吠えをまねると、一度で、できてしまった。
モンゴル草原では、牛糞と羊糞が遊牧民の主要な燃料だ。草原の夏、一家の主婦が家事の切り盛りが上手かどうかは、パオの前の牛糞の山の大きさを見れば分かる。
内モンゴルの冬は非常に寒い。羊油もバターもディーゼル・オイルも凝固する。しかし、タルバガンの油だけは液状のまま。マイナス30度の真冬でも、どろどろした油が出てくる。タルバガンの油は草原の特産品だ。大寒の雪嵐が吹きあれるなか、馬飼いと羊飼いは、顔にタルバガンの油さえ塗れば、鼻が凍傷でとれることなく、顔面も白く壊死することがない。タルバガンの油で揚げたモンゴル風菓子は、黄金色のつやがあって美味しい。火傷にもよく効き、タヌキの油と同じ効果がある。
モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。
遊牧民は、先祖代々、モンゴル草原で定住せずに遊牧を続けてきた。これは天(タンゴル)が定めた掟だ。
牧草地と一言でいっても、四季の牧草地には、それぞれの役割がある。春季の出産用牧草地は、草はよいが、丈が低いから、そこに定住したら、冬の大雪に短い草が埋もれてしまい、家畜が生きるのは難しい。冬期の牧草地は、草の丈が高くて雪には強いけれど、そこに定住すると、春、夏、秋とも同じ場所で草を食べることになり、冬には背の高い草はなくなってしまうだろう。また、夏の牧草地は、水に近くないといけない。家畜はのどが渇いて死んでしまう。だけど、水に近い場所は、みな山にある。そこに定住したら、冬に家畜は凍死してしまう。
このように、遊牧とは、それぞれの牧草地の悪いところを避けて、一つだけの良さを選ぶということ。もし、同じところに定住したら、いくつかの悪いことがいっぺんにやって来て、良いところが一つも残らなくなってしまう。そうなったら、もう放牧なんてできない。
漢民族を主体とする中国政府は遊牧民の定着化政策をとった。しかし、そのあげく、住民の幸福感が増したかどうかは疑問だ。
うむむ、なるほど人間(ひと)の幸福って、ホントよく分かりませんよね。
中国政府はオオカミを害獣として殺し尽くしてしまいました。でも、そのおかげで自然の生態系が壊されてしまったのです。大自然というのが、いかに微妙なバランスから成りたっているのかということを、よくよく考えさせられる本でした。たまには、このようにスケールの大きい本を読むのもいいものですよ。
(2007年11月刊。1900円+税)