弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年3月 3日

ホモセクシャルの世界史

社会

著者:海野 弘、出版社:文藝春秋
 ヒンズー教は同性愛を一般的に受け入れている。イスラム教徒キリスト教には同性愛の項目がない。ユダヤ教は、ゲイは一般に認めないが、このごろは認めようとする派もある。
 アメリカに渡った宣教師は、ネイティブアメリカンの部族の中に、女装して女の仕事をしている男がいるのを見て驚いた。女装した男たちは、部族の最高会議で助言者の役をつとめ、重大な決定は彼の意見を聞く。占い師、預言者、語り部、ヒーラーでもある。
 ギリシアのスパルタが軍隊組織を発達させたといっても、必ずしも男性社会だったわけではない。アテネよりも、むしろスパルタの方が女性の社会的地位は高かった。
 18世紀、ヨーロッパではホモセクシャル(ソドミー)を処罰する法律が次々に廃止された。とくに啓蒙君主のいた国で早かった。フリードリヒ大王のプロシア、レオポルト2世のオーストリア、エカテリーナ2世のロシアである。先進国のはずのフランスとイギリスは遅れた。フランスでは1791年に犯罪でなくなり、1810年のナポレオン法典で、それが確認された。しかし、ソドミーは犯罪ではなくなったが、差別意識は残り、警察はひそかに監視を続けた。
 イギリスでは男色による死刑は1861年まで残った。この年、それは無期懲役となった。エリザベス女王がつくった男色処罰法は、1967年まで残った。
 アメリカでは、2003年、ホモセクシャルを罰するテキサス州法を連邦最高裁が違憲とし、州刑法が廃止された。
 イギリスのオスカー・ワイルド(1854〜1900)は世界一有名なホモセクシャルであり、その典型だ。
 フランスのランボーとヴェルレーヌもホモセクシャルの関係にあった。ヴェルレーヌのそれは少年時代からだった。ヴェルレーヌもランボーも、圧倒的な母の庇護下にあったことが共通している。2人は、しばしばそこから逃れたが、また引き戻された。母から、女から逃れるため、2人はひかれあった。ヴェルレーヌは言葉を取り戻し、詩を書けるようになった。
 アンドレ・ジッド、プルースト、コクトーはいずれもホモセクシャルの作家である。ジッドは、そのことをもっとも明確に告白した。プルーストとコクトーは、内部では公然の秘密だったが、告白はせず、あいまいにし、言い訳もしなかった。
 ジャン・コクトーは隠れなきホモ・セクシャルであるが、多くの女性を愛し、一緒に暮らしたりもした。だが、結婚はせず、子どもはつくらなかった。人を愛することにおいて、男とか女とかの区別はしなかった。しかし、芸術的な美しさの点で男にひかれた。
 うむむ、なんということでしょう。私には、よく分かりません。
 アメリカ。ハリウッドでは、ホモセクシャルの人々をトワイライト・メン(薄明の人々)、ラヴェンダー・バディ(紫の兄弟)などと呼んだ。彼らは目立たないように暮らしていた。
 サマーセット・モームもキューカーもホモだった。ロック・ハドソンは、1959年から1964年まで、アメリカの人気ナンバーワンの男優だった。多くの女性は、結婚するなら、彼のような男と思った。しかし、ハドソンはホモセクシャルだった。
 YMCA!という歌は、アメリカのゲイ賛歌である。
 ニューヨークのゲイの領土はハーレムである。黒人街ハーレムが、白人たちのもっとも自由にふるまえる場所だった。
 FBI長官のフーヴァー、副長官のクライド・トルソンの2人とも独身であり、ホモセクシャルだと疑われていた。そのウワサを振り払うため、この2人はホモへの厳しい態度を示した。アカ狩りで名高いマッカーシーも、ホモセクシャル問題には深入りしなかった。というのも、彼自身、その疑いがあったから。
 この本を読むと、いかにホモセクシャルに生きる人々(ゲイの人々)に文化人が多いか、驚くべきほどです。いったい、これはどういうことなんでしょうか・・・。
(2005年4月刊。3200円+税)

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