弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年2月29日

雪解け道

社会

著者:青木陽子、出版社:新日本出版社
 団塊世代の青春を描く大河小説。あの「大学紛争」とは何だったのか。「政治の季節」を駆け抜けた情熱が、今よみがえる。これは、オビに書かれている言葉です。
 団塊世代は、いま、私をふくめて還暦を迎えつつあります。私には、残念ながらまだ孫はいませんが、この本の主人公のように孫をもつ人もたくさんいます。
 多くの団塊世代が大学生のころに直面した「大学紛争」とは、いったい何だったのか。革命を議論していた、あの熱気、そして情熱は、いったいどこに消え去ったのか。不思議なほどにおとなしいのが、今の団塊世代の大きな特徴です。ええーっ、おいおい・・・。
ぼくら、20歳(はたち)前後のころは野放図に語り、行動して、世間の顰蹙を買うほどの存在だったんじゃないの?今、どうして、そんなに分別臭い顔をして、横丁の楽隠居みたいに引っこんでいるの・・・。たしかに、私はそう叫びかけたくなります。
 著者は私とまったく同年の生まれのようです。1967年に大学に入学し、私の入ったセツルメント・サークルに似た児文研に入部します。
 児文研は100人近い部員をかかえた大所帯のサークルで、戦前からのセツルメント活動に端を発しているという。
 私の所属していた川崎セツルメントは、20ほどの大学から学生が150人ほども参加していました。もちろん、いろんなパート(部)に分かれていました。子ども会、青年部(若者会)、定時制高校パート、労働文化部、法律相談部、栄養部、保健部といったパートです。子ども会は、いくつもの地域で、そして、青年部はいくつもの若者サークルに入って活動していました。
 実に多くの出会いがあり、発見がありました。私なんか、大学でよりも、このサークルで学んだことのほうが大きいと、今でも思っています。というか、2年生のときに無期限ストライキに突入して、まともな授業を受けていないことも原因のひとつです。でも、授業があっていたとしても、果たして、どれほど真面目に授業に出ていたかは疑問です。
 寮生活をしていましたが、昼と夜とが逆転したような学生は、いくらでもいました。まあ、それはそれでいいような気がします。
 「ぼくは大学に革命をやりに来ました。・・・いろいろ考えた結果、日本には革命が必要だと考えています。学生運動をやりながら、そこから革命の道筋を考えたいと思っています」
 この本に出てくる学生のセリフと同じような言葉を下級生(43年入学)から聞いて驚いたことを覚えています。彼は、寮内にあるセクト全部をまわって論争したというのでした。ええーっ、そんなことをする学生がいるのか・・・、と驚きました。
 デモの中にいて、機動隊とぶつかると、身体も気持ちも、くしゃくしゃになって、すごく昂揚してくる。自分自身がなくなるくらいに周囲に溶け込んでいく。それで、生きているという実感が強く湧いていくる。
 自分たちを今の状況に追いつめている元凶が国家権力なら、権力の暴力装置とじかにぶつかるというのは、すごく納得できる。でも、怖い。自分が自分でなくなるような、あの状況が・・・。あれだけのことで、あんなに充実感を感じてしまうなんて・・・。
 『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)とまったく同じ時期の大学内の様子が描かれています。団塊世代はもっともっと力を発揮すべきではありませんか。そのためにも、これらの本を読んで、若さを取り戻してほしいものです。
(2008年1月刊。2400円+税)

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