弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年1月31日

1491

アメリカ

著者:チャールズ・C・マン、出版社:NHK出版
 1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した。私は、これをコロンブス、石の国(1492)発見というゴロあわせで暗記して今も覚えています。
 我々が今日アメリカと呼んでいる大陸には、人類も、その文明も存在しなかった。
 これは、1987年版のアメリカ史の高校教科書です。それって本当でしょうか?
 15世紀。カナダのオンタリオ地方に当時すんでいたウェンダット(ヒューロン)族は、フランス人を自分たちに比べて頭が悪いと考えていた。ヨーロッパ人は体が弱く、性的にだらしがなく、ぞっとするほど醜くて、とにかく臭くてたまらない。イギリス人やフランス人の多くは、生まれてこのかた風呂に入ったこともなかった。インディアンが身体の清潔を心がけていることに驚いていた。
 インカ帝国は、アンデス史上最大の国家だったが、短命だった。15世紀に誕生し、たった100年続いただけで、スペインに滅ぼされてしまった。
 インカの経済制度の特徴は、金銭をつかうことなく機能したこと。インカには、市場さえなかった。
 インカ人は、恐るべき発明をしていた。たき火で石を熱して真っ赤に焼き、松ヤニをたっぷりつけた綿で包んで、標的に向かって投げるのだ。綿は空中で燃え出す。敵にしてみれば、突然、火を噴くミサイルがばらばらと降ってくるわけだ。
 ピサロの成功には、鉄よりも馬のほうが大きく貢献した。当時、アンデスで最大の動物といえば、平均体重130キログラムのリャマだった。馬は、その4倍もあった。インカの人々にとって馬は、得体の知れない何とも恐ろしいけだものだった。
 天然痘には12日間の潜伏期間がある。そのあいだに感染者は、自分が病気にかかっているとは知らずに、会う人みんなにうつしてしまう。すぐれた道路網を発達させ、大規模な民族移動を敢行してきたインカには、強力な伝染病の広がる下地ができあがっていた。天然痘は、インキの染みがティッシュペーパーに広がるようにして、またたくまに国中に広がった。何百万人もの人々が一斉に同じ症状を出した。住民の9割が伝染病で死んでいった。アメリカ先住民は、獲得免疫をもたなかっただけでなく、もともと免疫システムがヨーロッパ人ほど強くはなかった。感染源は、歩く食肉貯蔵庫、つまり、連れてきた300頭の豚だった。豚は馬と同様、なくてはならないものだった。
 ほかの穀類は放っておいても勝手に繁殖するが、トウモロコシは、粒がじょうぶな苞葉に包まれているため、人の手で種を播いて増やしてやらなければいけない。つまり自生しないのだ。6000年以上も前に、メキシコ南部の高地で、インディオがはじめてトウモロコシの祖先種を栽培した。
 アンデスの高地の主要作物はジャガイモだった。トウモロコシとちがって、これは標高4000メートルでも安定した収穫が見込める。品種は何百種にも及び、一年でも地中に埋めて保存しておくことができる。
 インディアンが主張する個人の自由には必ず社会的な平等がともなっていた。北東部のインディアンは、ヨーロッパ人社会では人が階級によって分類され、下位の者は上位の者に従うべしとされているのを知って仰天した。人は、誰もが自分自身の主人であり、同じ土からできているのだから、差別や優劣があってはならないと固く信じていた。
 男女を問わず、白人の子がインディアンに捕らえられ、しばらく彼らと暮らしたときには、身代金を払って取り返し、手を尽くして温かく迎えて居心地よいように配慮してやっても、ほどなく、イギリス人の暮らしにうんざりし、隙をみてまた森に逃げこんでしまう。そうなれば、もう呼び戻すことはできない。うむむ、なんということでしょう。
 インカの神聖暦は、天文学者が金星の動きを丹念に観測していたことによる。金星は263日間、明けの明星として地球から見ることができ、その後、50日ほど太陽のうしろに隠れてしまう。そして、263日間、今度は宵の明星として見ることができるようになる。インカの暦は、同時代のヨーロッパの暦よりも複雑で正確だった。
 ユーラシア大陸で四大文明が興った時代には、アメリカ大陸でもきわめて高度な文明が誕生していた。また、人口も多かった。さらに、景観に手を加えて、驚くべき知恵をもってたくみに生態を管理していた。
 そうです。コロンブスの「発見」の前に、アメリカ大陸には大きな人口をかかえた国があり、高度に発達した文明があったのです。
(2007年7月刊。3200円+税)

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