弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年12月28日

慟哭のハイチ

アメリカ

著者:佐藤文則、出版社:凱風社
 1988年から今年(2007年)まで、ハイチを訪れ続けている日本人カメラマンによるハイチ・レポートです。
 ハイチ共和国はカリブ海のイスパニョラ島の西側3分の1で、東側はドミニカ共和国。日本の四国の1.5倍の面積です。国土の4分の3が山地だが、森林は5%でしかない。それほど環境破壊がすすんでいる。人口は870万人で、人口の95%が黒人で、残る5%は混血と白人。カトリック教徒が80%で、プロテスタントが16%。しかし、同時にブードゥー教徒が8〜9割いる。日常語はクレオール語でフランス語も通じる。
 熱帯性の気候で、平均寿命は52歳。識字率は53%、失業率は60%。1人あたりの国民所得は450アメリカ・ドル。
 民主化への希望の星として現れたアリスティドは、1991年に軍のクーデターによって失脚する。しかし、10年後に2期目の大統領に就任した。ところが、2004年2月、反政府武力勢力の反乱によって再び失脚し、ハイチの混乱は2007年も続いている。
 ハイチは、世界初の黒人共和国として歴史に名を残す。音楽、絵画など、文化的にも豊かな才能にあふれている。キューバは対岸にある。
 ハイチ軍は、いわばギャングの連合体である。高級将校たち個々の利益を背景に、微妙なバランスで成り立っている組織だ。弱みを見せたら、すぐに抹殺される弱肉強食の世界である。
 コロンブスが1492年にイスパニョラ島に着いたとき、50万から100万のタイノ・アラワク族が住んでいた。
 これほど善良で、しかも従順な人間は全世界のどこにも見あたらない。
 スペイン王に対して、コロンブスは、このように報告しています。
 1681年に2000人だった黒人奴隷は砂糖の輸出量が増加するにつれて増え、  100年後には50万人に達した。苛酷な労働と待遇のために死亡率は高く、20年ごとに奴隷の総数が入れ替わった。
 アメリカは1915年7月に海兵隊300人を派遣してハイチを19年にわたって支配した。
 1957年、デュヴァリエが大統領に当選した。デュヴァリエ政権を支えたのは私的軍隊であるトントンマクートである。秘密警察であり、スパイであり、言論、人権弾圧機関でもある。不穏な動きがあると徹底的に弾圧した。犠牲者は3万〜6万人と言われる。
 アリスティド派の武装民兵をシメールと呼ぶ。軍隊のように統制されているかのように思うと間違いで、その実態は武装した若者の寄せ集め集団。スラム街をナワバリとするギャング団や戦闘的な政治グループに属する若者たちのこと。教育の機会もなく、職もなく、将来への期待をもてない若者たちが、拳銃をふりまわし、ギャングに憧れるのだ。
 アリスティドが最初に失脚した1991年9月のアメリカ大統領はジョージ・ブッシュ、再び失脚した2004年2月は息子のジョージ・W・ブッシュだ。
 アメリカ政府は、反米色の濃いアリスティドを「信用できない人物」として、反アリスティド政策をとってきた。キューバやベネズエラに対するアメリカの政策と同じですね。
 絶え間ない政権抗争、国際社会の極端なまでの圧力と無関心、そして、その背後にはいつもアメリカの影が漂う。すべてが無力。これがハイチの政治風土である。すべてゼロからの出発を余儀なくされる。いま、ハイチには9000人の国連平和維持部隊が駐留している。日本に居住するハイチ人は十数人、ハイチに居住する日本人は12人。
 早く安定した、平和な国になってほしいと思いました。それにしても、こんな危ない国に長く滞在し、日本へ貴重なレポートを送り続けている著者の勇気を称賛します。
(2007年7月刊。2700円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー