弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年12月14日

ゴードン・スミスの見た明治の日本

日本史(明治)

著者:伊井春樹、出版社:角川選書
 イギリス人のリチャード・ゴードン・スミスは1858年生まれ(1920年死亡)、41歳のとき、日本にやって来た。日露戦争のとき、日本に滞在して、日本兵と日本人を観察した。
 明治37年(1904年)11月の203高地の日本軍の空貫突撃の様子が、日本兵の故郷への手紙で紹介されています。現代文のほうを紹介します。
 11月26日に突撃隊が編成され、「突貫」との命令のもとに午後4時に山腹より突進する。上部の堅固な塹壕を築いた要塞からは、容赦のない弾丸の雨が降り注ぎ、どうにか敵の陣地に近づいたとはいえ、犠牲者は増えるばかり。中隊長の戦死、次々と命を失い負傷する友軍、気がつくと残った中隊は自分を含めて10人ばかりというありさま。しかも、その死者の姿は実に残酷で、弾薬に焼けただれていた。あー、湯上がりにせめて一杯の白米のご飯が食べたい。ロシア軍による上からの容赦のない攻撃、自分が生きながらえたのは奇跡というほかなく、無数の屍(しかばね)をこえての二〇三高地の占領だった。その悪夢が、今では毎日毎晩のシラミ虫の攻撃に悩まされている。
 次に、ロシア兵の手紙も紹介されています。
 朝6時。日本兵は縦列になって接近し、第一隊砲火を浴びて倒れても、次の第二隊が、さらに第三隊が前進してくる。我々は銃剣を手にして20分もの死闘を続け、日本兵は 4000人ばかり戦死し、あたりにはおびただしい死体の山が築かれた。日本兵が退却したあと、死体を片づけるのだが、その光景はとても表現できない有り様だった。負傷者は水を求めて泣き喚き、ある者はもう一度、戦闘に加わって死にたいという。
 スミスは大英博物館の標本採集員という任務を帯びていました。新種の魚や動植物を発見したいという冒険心が行動に駆り立てていたのです。
 日記を8冊残していて、当時の日本人の生活や考え方を記録していました。
(2007年7月刊。1600円+税)

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