弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年11月 9日

壊れる日本人

社会

著者:柳田邦男、出版社:新潮社
 日本人の大学生が提携先のアメリカの大学に留学したとき、そこではケータイの使用が禁止された。すると、日本人学生は、心の支えがなくなったような、いつも何かが満たされないでいるような不思議な不安定感にとらわれた。ケータイなしでも不自由さや不安定感を感じないで生活できるまで、2週間かかった。これは麻薬中毒的なケータイ依存症にあったと言える。
 そうなんですよね。私自身は、ケータイこそ持っていますが、いつもカバンのなか。ケータイで写真をとったり、メールを送ったりなんかできません。あくまで公衆電話(めっきり姿を消してしまいました)の代わりです。
 ケータイ・ネット依存症を克服するために、非効率主義をすすめる。じっくり考える習慣、ナイーブな感性、画一的でないタイ人対処の仕事の仕方、豊で味わいのある言葉、ゆとりや間(ま)や沈黙を大事にする生活と人間関係など、人間が人間らしく生きるうえで大事なものを忘れてはならない。
 新約聖書をケセン語(日本語です)に訳した人がいるそうです。「マタイによる福音書」のなかに、有名な文句があります。
 心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
 これがケセン語訳では次のようになります。
 頼りなぐ、望みなぎ、心細い人ア幸せだ。神様の懐(ふところ)に抱がさんのアその人達だ。
 ケセン語というのは東北弁のなかの一つで、岩手県最南部の気仙地方の方言のことです。
 方言を文化レベルの低い恥ずかしいものだと考えて、忌避する風潮が、ようやく排除されるようになったことを堂々たるケセン語訳は象徴的に示した。
 なーるほど、なるほど。まったく、すばらしい偉業です。連帯の拍手を送ります。
 1998年時点で、保育士が子どもたちの傾向として、次のようなことをあげた。
 夜型生活。自己中心的。パニックに陥りやすい。粗暴。基本的なしつけの欠落。親の前では良い子になる。
 これは、9年前の指摘です。でも、この傾向は強まっているのではないでしょうか。
 言語化の作業が苦手という子どもは、心の発達の未熟さと裏腹の関係にある。言語化とは、感情や考えたことや心の中に渦を巻いている葛藤や苦悩などを整理し、一筋の文脈のあるいわば物語(の、一部)として表現する作業だ。知能の発達、心の発達が遅れていると言語化の能力の発達も遅れる。
 なーるほど、ですね。日本人の危なっかしいところを振り返り考えさせられました。
(2005年3月刊。1400円+税)

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