弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年10月24日

プロパガンダ教本

社会

著者:エドワード・バーネイズ、出版社:成甲書房
 80年前(1928年、昭和3年)に書かれた本です。ちっとも古臭くなっていないのは、ギリシャ哲学、そしてマルクスやレーニンの書いた本と同じです。
 ナポレオンは世論の動向を常に警戒していた。いつも人々の声、予想のつかない声に耳を傾けていた。ナポレオンは次のように語った。
 なによりも私を驚かすものが何だか分かるか?それは、大衆に耳を傾けることなく、力づくでは何一つまとめることができないということだよ。
 なーるほど、軍事の天才ナポレオンにして、そうなのですね。
 万人の読み書き能力が、精神的高みのかわりに人々に与えたものは、判で押したように、画一化された考えだった。
 うむむ、これは鋭い指摘です。知性と画一化とは両立しないはずなのですが・・・。
 そもそもプロパガンダとは、国外伝道の管理と監督のために、1627年にローマで制定された枢機卿の委員会と聖者に適用されたものだ。
 辞典によると、プロパガンダには四つの定義がある。その一は、国外伝道を監督する枢機卿の委員会。また、1627年にローマ教皇ウルバヌス8世によって、伝道師の司祭を教育するために創設されたローマのプロパガンダ大学。布教聖省の神学校のこと。
 その二、転じて、教義や制度などを普及することを目的とした団体や組織。
 その三、意見や方針に国民一般の指示を取りつけるための、系統立てて管理された運動。
 その四、プロパガンダによって唱えられる主義。
 このように、プロパガンダとは、本来の意味においては、人類の活動のまったく正当な形である。
 私たちが、自由意思で行っていると考えている日常生活における選択は、強大な力を振るう実力者によって、姿の見えない統治機構による支配を免れない。
 たとえば、人は自分の判断にもとづいて株式を購入していると何の疑問も持っていない。しかし、実際には、彼のくだす判断は、無意識のうちに彼の考えをコントロールする、外部から与えられた影響によって形づくられたイメージにもとづいている。
 大衆というものは、厳密に言葉の意味を考えるのではない。厳密な思考ではなく、衝動や習慣や感情が優先される。何らかの決定をくだすとき、集団を動かす最初の衝動となるのは、たいてい、その集団の中での信頼のおけるリーダーの行為である。これが大衆にとっての手本となるのだ。
 ある物をその人が欲しがっているということは、その物に備わっている本質的な価値や有効性のためではなく、無意識に別の何かの象徴、すなわち、自分自身では認めたくない欲求をその物の中に見いだしているからである。
 人間は、ほとんどの場合、自分でもわからない動機によって行動している。
 人間は、芸術や競争や集団や俗物根性、自己顕示欲という要素にしばられて生きている。
 このバーネイズの著者は、ナチス・ドイツのヨゼフ・ゲッペルス宣伝大臣に愛読された。プロパガンダというと、ナチス・ドイツに本場があると思いがちだが、実はアメリカで生まれたもの。ユダヤ人を迫害したナチスのプロパガンダが、実はユダヤ人のバーネイスによって編み出されたというのは歴史の皮肉だ。
 現在のテレビ番組がシリアスな内容を避け、お笑い番組だけを延々とゴールデンタイムに流し続けるのは、企業側に対する配慮である。
 今の日本ではニュース番組までもがバラエティ番組化している。テレビは、書籍やインターネットと違って、ながら見ができるので、自然にものを考えないように大衆の脳がつくりかえられていく。
 これって、ホント、恐ろしいことです。でも、多くの日本人がそれに気がつかないまま、無責任男の安倍首相から交替した福田首相の誕生を6割もの人が歓迎しているのです。こわい話です。
(2007年7月刊。1600円+税)

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