弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年9月14日

団塊世代の同時代史

社会

著者:天沼 香、出版社:吉川弘文館
 団塊の世代という言葉を造り出したのは堺屋太一です。1950年生まれの著者は、このネーミングを嫌っています。私自身は、それほど悪い言葉ではないと思って使っていますが、この本によって団塊世代って、まるで極悪人集団であるかのように言われているのを知って、イヤーな気分になりました。団塊世代をそんなに人非人(にんぴにん)みたいに言うなよな、おい、っていう感じです。まあしかし、歴史用語として、すっかり定着してしまった団塊世代です。私はこれからも使っていくつもりです。
 「現代用語の基礎知識」(2006年版。インターネットにおされて売れないため、廃刊になるそうです)には、「彼らは一見、新時代の創造者のようにみえるが、実は時代の破壊者だった。全共闘をつくって学生運動に事実上の終止符を打ち・・・」とあるそうです。いやあ、ひどい定義です。でたらめもいいとこ、でしょう。時代の破壊者だというレッテルを貼って悪者にするなんて、やめてほしいですよ。それに一部の人たちが全共闘をつくったのは間違いありませんが、学生運動の全盛期は、もう少し続いていたと思います。「事実上の終止符を打ち」というのは、いったい何を指しているんでしょうかね。連合赤軍事件のことなら、あれは学生運動とちょっと別のものだと私は思いますけど、どうなんでしょうか・・・。
 宮台真司准教授(首都大学東京)は、団塊世代について、次のように罵倒しているとのこと。信じられません。
 「団塊世代は、いまだに日の丸に一体化する輩が右で、赤色旗に一体化する輩が左だ、といった稚拙な認識のまま。右も左も、国家だ、党だ、と大いなるものに寄りすがる腰抜けばかり。既成図式に寄りかかって思考停止に陥る輩しかいない。利他のフリをしたエゴイスト・・・」
 ええ、腰抜けで悪うございますよ。なんとでも言いなさい。
 市川孝一・文教大学教授は、次のように言う。
 「団塊世代は、別名、全共闘世代とも呼ばれ、その後、成長する過程の節々で何かと問題を引き起こすことになる世代でもある」
 いったい、我々が、節々で、どんな問題を起こして世間様にご迷惑をおかけしたというんでありゃんすかねえ。とんと見当もつきません。
 団塊世代の名付け親である堺屋太一は、団塊世代は従順なのが特徴だと決めつける。
 「親や兄姉たちがつくった戦後のコンセプトに対して非常に忠実で、疑問も持たない。団塊の兄姉たちは安保騒動のときに、岸内閣を倒せと叫んで体制変更の議論をした。団塊の学園紛争では、学園のここが悪いとかで、佐藤内閣を倒せと言ったやつはいない。全体の大きな体制に対しては極めて従順な世代。みんなが塊として行動した」
 とんでもない事実誤認ですよ、これって。でも、まあ、会社人間と化した団塊世代が今の世の中の動きに対して、もっと怒るべきなのに沈黙を守っているというのは少々あたっているのかもしれません。そして、著者は次のように言います。
 団塊世代の多くは、真面目に、それなりの責任感をもって、地道に、バブルの恩恵などに浴することもなく、平凡な後半生を送った。「食い逃げ」などという、さもしい行為は、したくてもできなかったのが大多数の団塊世代だった。
 うんうん、この指摘はあたっていると私も思います。
 そして、いま、団塊世代は三つのWがあたっている。割のあわない、分かってもらえない、侘びしい世代である。これは、私の属する団塊男性の一部にものの見事にあてはまる呼称だ。
 いやあ、まいりました。私は、この三つのWから抜け出すべく、この書評を毎日せっせと書いているわけです。なにしろこれからが人生の華なんですからね。精一杯、楽しみたいと思います。
 それにしても、団塊世代の体験した大学闘争を詳細に再現した神水理一郎『清冽の炎』(第1〜3巻。花伝社)が、ちっとも売れないそうです。あのころのことは思い出したくないという団塊世代が、実は、想像以上に多いということが判明しました。まだまだ、あのころのことが心の奥深くでトラウマになり、封印されているようです。もっと、その封印を解き放って、おおらかに生きていきたいものだと思います。みなさん、ぜひ『清冽の炎』を買ってやってください。本屋で注文したら、すぐ入手できますので・・・。
(2007年9月刊。1700円+税)

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