弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年9月 4日

獄中記

社会

著者:佐藤 優、出版社:岩波書店
 著者は外(拘置所の外。つまり社会のこと)にいるとき、速読で、1日に  1500〜2000頁は本を読んでいた。速読とは、ペラペラと頁をめくりながらキーワードを目に焼きつけていく手法。目次と結論部分だけは、少しゆっくり読む。対象となるテーマがなじみのものなら、500頁程度の学術書なら30分、一般書なら15分で読める。そして、ワープロで20分ほどかけて読書メモをつくる。こうやって、1日で 1500〜2000頁の本を読むのは、そんなに難しいことではない。ただし、対象についての知識のない本については、この方法では不可能。どんな本でも斜めに読む方法という速読法はない。まずは、背景となる知識(教養)がどれほどあるかが問題なのだ。
 私は、著者ほど速くは読めません。ただし、一定知識がある分野なら、30分で本一冊を読了するというのは珍しいことではありません。
 締め切りに迫られる作業を抱えていると、他の分野の読書がはかどる。中学校、高校の定期試験勉強中に、その他の分野の読書に熱中したことを思い出す。
 いやあ、これは私にも心当たりがあります。試験と関係ない文学書をモーレツに読みたくなり、つい手にとって読みふけってしまうのです。そして、あわてて試験勉強に戻るという経験を何回もしました。ところが、その試験が終わって、ゆたーっとした気分に浸っているときには、ほとんど本を読む気がおきないのです。時間はたっぷりあるはず、なのですが・・・。
 人間は20歳前後で形成された人柄というのは、なかなか変わらないと思う。
 著者はこのように書いています。なるほど、私の場合にも、大学2年生のころに変わったままの考えを今もひきずっていますし、性格はそれ以前のものが、そのまま、という気がしています。意識的に人を変えようとしても難しいのですよね。それでも、私は学生のころ、セツルメントというサークルに入って、自己変革の必要性を大いに議論していました。人は変わるものだ、という確信をもつことも必要なのだとも思うのです。
 田中真紀子を政権中枢から排除しただけでも、鈴木宗男は日本の政治のために大きな貢献をしたと思う。
 著者はこう書いています。たしかに田中真紀子は一種の性格破綻者なのでしょうね。そんな人物を小泉純一郎が外務大臣に任命したことは大きな誤りでした。しかし、いずれ遅かれ速かれ、田中真紀子は馬脚をあらわして失脚していたのではないでしょうか。ですから、鈴木宗男が、そのことで日本の政治のために大きく貢献したと言われたら、ええっ、と大きな違和感を覚えてしまいます。
 1968〜73年くらいの大学が全共闘運動で機能不全に陥った時期に学生だった人々が、いま外務省の幹部になっている。この人たちは、一番重要な時期に基礎的な勉強をしていない。しかし、競争好きで政治的には悪ズレしているので、自らの権力を手放そうとはしない。団塊の世代である。この連中は、自分より上の世代の権威は認めないが、下の世代の台頭も許さない強圧的なところがある。この世代が去らない限り、外務省の組織が本格的に変化することはない。
 うむむ、私の属する団塊世代は、いわば保守反動の集団みたいですね。1968年6月から1969年3月ころまで、1年近く東大駒場で授業がなかったこと自体は事実ですが、「基礎的な勉強を(まったく)していない」と決めつけられると、つい反発したくもなります。ゼミと授業だけが基礎的な勉強ではないんじゃないの、と言いたいわけです。それでも、著者の指摘が半ば以上あたっていることは認めます。
 著者は獄中で学術書を200冊読み、60冊のノートを書いた。
 たいしたものです。日頃の教養の幅と深さの違いです。著者は拘置所に入って、まずはヘーゲルと聖書研究を始めたというのです。なかなか出来ることではありません。
 著者の学んだ同志社大学神学部は語学のウェイトが高く、英語、ドイツ語、現代と古典のギリシア語、ヘブライ語、ラテン語が必修だった。そのうえ、朝鮮語とサンスクリット語にも取り組んだといいます。自他ともに認める語学力のない私など、声も出ません。
 1日でA4 のペーパーを50〜60枚つかい、1本のボールペンを1週間で使い尽くしてしまう。そんな生活を送ったというのです。恐るべき人物ではあります。

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