弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2007年8月21日
CIA秘密飛行便
アメリカ
著者:スティーヴン・グレイ、出版社:朝日新聞社
9.11以降、既成概念にとらわれない発想が大はやりとなり、新たなテロの脅威に対する新たな戦争手法が模索されだした。新たな手法は、非合法(イリーガル)とはされなかった。そのかわり、ブッシュ政権は、それを超法規(エクストラリーガル)と呼んだ。これは、あらゆる法の枠外にあるということ、つまり無法状態ということである。
エクストラ・リーガルシステムの目的は、囚人をあらゆる法律家、アメリカの裁判所、あるいは軍事法廷による保護の届かないところへ連れていくことにあった。テロリストは、なるべくなら、彼らを厳しく扱う国にその対応をまかせる。それこそ、ふさわしいやり方だと政治家たちは信じた。
モロッコでの拷問は、剃刀の刃をつかって、全身くまなく、性器にいたるまで、切れ目を入れるもの。そんな目にあうと、政府の望むことは何でも「白状」することになる。
それは、そうでしょう。私なんか、自慢じゃありませんが、いちころでしょう。とてもそんな拷問に耐えられる自信なんかありません。
食事のなかに麻薬みたいなものが混じっていたり、ハンガーストライキを始めると静脈への点滴で何かの物質を体内に注入された。また、尿の臭いの立ちこめる部屋に一人入れ、ポルノグラフィーを見せたり、全裸や半裸の女性を一緒にさせ、罪を犯させようとした。
キューバのグアンタナモ米海軍基地への700人をこえる囚人移送はレンディション(国家間移送)である。なぜなら、公式に「戦争捕虜」と認められたものは一人もおらず、全員が法的手続きも、条約もなしに、国家間を移送されたケースだからだ。アメリカの管理下へ「レンディション」されてきた人間の大多数は、アフガニスタンの戦闘地域以外から送られてきた者たちである。グアンタナモに収容所が設けられて以降の4年間に、 300人以上がそれぞれの出生国に再「レンディション」され、釈放されるか、再収監されるかしている。アメリカ軍がこれまでおこなった「レンディション」は1000件をこえている。
CIAのテネット長官は、特殊作戦グループを復活させた。それは軍事、準軍事、隠密作戦にかかわる要員と、自前の専用航空資産、特殊装備を融合させたもので、命令ひとつで、世界のどこへでも展開できた。レンディションの実施には、輸送の足が必要だった。そこでCIAは傘下の偽装会社エアロ・コントラクターズ社に目を向けた。
9.11のあとは、アメリカで裁判にかけることを目的にした従来型のレンディションはほぼ完全に放棄された。外国の刑務所に向けた秘密レンディションが通常の形態になった。有力テトリスとが捕まり、アメリカに戻されて裁判にかけられたというケースは 9.11後の5年間にただの1例もない。
アブグレイブでの囚人の取調では、3つの組織が互いに競いあっていた。第1は、CIAの命令で動くイラク調査グループ。価値の高い囚人の大半を握っていた。第二は、各特殊部隊の寄り合い所帯であるタスクフォース121で、これにはCIAも参加していた。第三は、アブグレイブに集められたアメリカ軍の自前の情報部隊である。
CIAもアメリカ軍情報部も、憲兵隊に対して、虐待しろという公式命令を下していたわけではなかった。たとえば囚人に性的虐待をおこなえという命令は、軍の指揮命令系統のいずれの者によっても出されてはいない。むしろ、ワシントンの政治指導者から出された一連の命令や法的見解の果たした役割が大きかった。
CIAの尋問テクニックは、拷問そのものとは言えない、強化型テクニックを利用可能にしようとするものである。たとえば、囚人の睡眠を奪ったり、溺死すると勘違いさせるなどのテクニックを駆使したいのである。
ペンタゴン内で映画「アルジェの戦い」が2003年8月に上映されたそうです。この「アルジェの戦い」は、1966年の映画です。私が大学に入ったのは1967年ですが、入試が終わって、大学に入学するまでの間に渋谷の映画館でみたような記憶があります。まだフランス語を勉強する前でしたが、フランス語の「アタンシヨン、アタンシヨン」という言葉を、今もくっきり覚えています。
フランス軍(空挺部隊)は拷問と処刑の双方をふくむ残酷な戦術を用いて、アルジェリアの独立を目ざす民族解放戦線(FNN)の指導層をほぼ全員検挙し、一掃することに成功した。しかし、この勝利は一時的なものにすぎず、フランスはやがて戦争に敗れた。アルジェリアで、拷問は戦闘に勝ち、戦争に負けた。
なーるほど、そういうことなのですね。久しぶりに40年前の映画「アルジェの戦い」を見てみたいと思いました。
(2007年5月刊。2500円+税)