弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年7月19日

武田信玄と勝頼

日本史(中世)

著者:鴨川達夫、出版社:岩波新書
 タイトルだけからすると、信玄と勝頼という戦国大名の親子の葛藤を古文書にもとづき再現・分析した本のように思えます。しかし、本の中味は、文書にみる戦国大名の実像というサブ・タイトルのとおりです。そして、それはそれなりに面白い内容です。
 私は、ひやあ、そうだったのか、知らなかったなあ、と思いながら、とても興味深く読みすすめていきました。くずし字の古文書を著者のようにスラスラと解読できたら、どんなに世界が広がるかと、私には著者がうらやましくてなりません。
 文書は手紙系の書状と書類系の証文とに大別できる。書状には年紀をつけない。相手が家臣や近隣の大名であるときは、堅切紙(たてぎりがみ。通常の紙を縦に半分程度に切ったもの)が、遠隔の大名のときには切紙(きりがみ。横に半分に切ったもの)が多く使われる。
 証文は、信玄や勝頼が決定した施策や確認した事項を、公式に通達する文書である。各級の家臣や寺社、商工業者や郷村の人々まで、領国内の諸階層に幅広く与えられていた。中身は多岐にわたるが、土地の領有を新規にまたは継続して認めたもの(充行状・あてがいじょう、安堵状・あんどじょう)、各種の義務の免除など何らかの特権を認めたもの、戦場における功績を確認したもの(感状)などが目立つ。体裁は必要な事柄を事務的に記したうえで、「仍って件の如し」(よってくだんのごとし)という文言で結ぶのが原則。そして、年紀が必ず記入される。
 信玄は永禄9年(1566年)夏ころ、証文のつくり方を変えた。それまでは折紙(おりがみ。紙を横に二つ折りにしてつかう)をつかっていたのを、堅紙(たてがみ。紙の全面をつかう)に改めた。また、信玄自身の名義で出すものと、当該案件の担当奉行名義で出すものとに二分し、前者には花押を書き、後者には龍の朱印を捺(お)すことにした。そこで、信玄名義で花押のあるのを判物、奉行名義で朱印のあるものを朱印状と称する。身分の高い相手や重要な案件については判物、それ以外の大半の案件については朱印状というのが原則であった。つまり、朱印状より判物のほうが格が高い。
 出馬と出陣とは違う。出馬は一軍の大将が出動するときにつかう。大将がどこかに滞在することを馬を立てるといい、行動を終えて帰還することは馬を納めるという。大将の下にいる将兵が出動するときには、出陣という。
 信玄の直筆の手紙からすると、信玄には気の小さい、臆病なところがあったと解される。しかし、その一方、きわめて強気な態度を示すこともあった。
 信玄は、遠江・三河を攻めたとき、そのまま京都に攻め上り、天下を取ろうとしたのだという通説に対して著者は疑問を投げかけています。
 信玄の標的が岐阜であり、信長を主敵と考えていたことは間違いないとしても、それは必ずしも本意ではなかった。朝倉義景や本願寺など、当時、信長に圧倒されていた勢力によって反信長陣営に主将として引っぱり出されただけ。
 なーるほど、そうかもしれません。戦国大名の統治形式と心理をうかがい知ることのできる手がかりが得られる本です。

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